カディスの緑の風

スペイン、アンダルシアのカディス県在住です。

現在は日本の古い映画にはまっています。

成瀬巳喜男監督『女が階段を上る時』1960年

2013-09-04 15:51:06 | 映画



   






『浮雲』とはうって変わって身持ちの固いバーのマダムを演じている

高峰秀子が実に美しい映画である。


衣装も担当した、という高峰は、地味だが江戸好みの縞模様や、

肩身替わりの粋な着物姿で、上手に客をあしらう。


映画の筋は単純である。


秋も深くなった銀座のあるバー。

その階段を女が上る。上がってしまえば、その日の風が吹く。


銀座のバーの雇われマダムをしている圭子は

25歳の時に夫を交通事故で亡くし、そののち

水商売をして生計をたて、実家にも仕送りをしている。


しかし雇われの身であるから、売上のことで、オーナーから

「体を張って売り上げをあげろ」とせっつかれる。


圭子のバーで女給だったユリは、圭子の上得意であった美濃部に融資してもらい

独立して自分のバーを持ったが、圭子の客であった男たちをも

自分のバーにさらっていってしまった。

そのおかげで圭子の店の売り上げが落ちてしまったのである。


圭子は30に手が届く年齢。そろそろ独立して自分のバーをもつか、

あるいは結婚相手をみつけて家庭に入るか、というせっぱつまった選択を

考えなくてはならない年頃になってしまった。


ユリの客となった美濃部は厚顔無恥にも圭子にゴルフの一泊旅行を誘う。

そんな客からの誘惑に嫌気がさした圭子は、別のバーに移るが、

それでも、将来への不安の悩みはつきまとう。しかしいくら

からだを張って金をかせげ、と言われても、自分を貶めてまで、

男に取り入って金の無心をする気はさらさらない。


偶然に商売敵のユリと会い、ユリが実際には借金で首が回らず、

狂言自殺をして、借金取りから少しでも逃れよう、という計画を

たてていることを知る。


しかしユリは狂言のつもりが本当に死んでしまった。

その葬式も終わらないうちに、ユリの実家には借金取りが

おしかける。美濃部からの使いのものも来て、ユリの母親を

苦しめる。

圭子の心がゆれはじめる。自分はどうしたらいいのだろう。



そんな心の迷いにつけこむかのように、圭子のまわりに

さまざまなことが起きる。



心労が重なって、胃潰瘍になり、血を吐いてしまった圭子は

実家にもどって静養する。


実家ではあまりに実直な性格のために、金銭のトラブルにまきこまれた兄が

実刑判決を受けるかもしれず、兄の息子は小児麻痺で手術の金もいる。

クリスマスと正月をはさんで4週間の静養ののち、バーに戻って

また金の工面に四苦八苦する元の生活がはじまる。


金を圭子の前にちらつかせて、独立する助けを申し出ながら、その

貸しの肩代わりを迫ってくる金持ちの浪花男もいる。


圭子は奉加帳を回して寄付をつのり、自分のバーの開店資金調達を考えるが、

その考えも甘かったことがわかる。なかなか資金が集まらないのだ。



下着やのおばさんの紹介で行ってみた占い師の老婆から、

独立は今は適切ではない、3,4年待つことだ、

だがあんたに近く縁談があるよ、と言われる。



そんな折、下戸なのに熱心にバーに通ってくる関根という常連客の

やさしさにほだされ、結婚の夢をみるが、それも無残にも破れてしまう。


傷心の圭子は深酒をしてしまい、バーの常連の一人、銀行支店長の藤崎に

アパートまで送ってもらうのだが、そこで、藤崎は圭子が好きだったことを

告白し、二人は関係をもってしまうのだ。


圭子も藤崎が好きであることを告白するが、

実は藤崎は大阪に栄転になり、明日出発する、という。

独立する助けに、と10万円相当の株券をおいて、藤崎は去って行った。


藤崎にも裏切られて傷心の圭子のアパートに、ここ4年来圭子と一緒に

働いてきた、年下のマネージャー小松がやってくる。


小松は藤崎と圭子の関係を知り、激怒する。

圭子は実は夫が亡くなった時、夫以外の誰とも関係をもたない、という

ラブレターを骨壺に入れて埋葬したのである。


圭子が酔ったいきおいでふともらしたそのことを、小松は

寺の住職にたずねて、事実であったことをつきとめていた。

そんな律儀で貞操の固い圭子を、小松はずっと愛してきたのだった。


小松は、女の弱みをみせて藤崎と関係をもってしまった圭子に

平手打ちを食わせる。そして圭子に求愛するのだが、

圭子は、うらもおもてもわかった同志はうまくいかない、と

拒否するのである。


さて、東京駅では、藤崎の銀行の部下たちが、藤崎の出発を見送る。

藤崎夫人と二人の子供たちも一緒に電車にすわっているところに

さっそうと圭子が現れる。


圭子は、「奥様ですか」と夫人に話しかけ、

「ご主人からお借りしたものをお返しします。今度は奥様から

お借りしますわ」と言って、

株券と、子供たちにと菓子折りを渡すのである。


電車が駅を離れる。東京の町の明かりが窓の外に流れていく。

夫人は夫にいう。

「きれいな方ね。バーにおつとめにはみえないわ」

うん、とあいまいな相槌だけして、苦い顔の藤崎の横顔が

画面に映し出される。



さて、きょうも圭子は階段を上る。

バーに入り、にこやかな顔になって、客を歓迎するところで

この映画は終わる。








優しかった夫に守られて幸せだった結婚生活が

夫の事故死であっけなく終わり、そのあと、

圭子は身持ちも固く、バーのマダムとして働いてきた。

身勝手な男たちの誘惑も上手にかわしてきたけれど、

やはり年には勝てない。それにやはり誰か優しい人と

一緒にいたい、若いときの幸せが懐かしい、

そんな女の心の迷いが、実に上手に描かれている。



女心の弱みにつけこむ醜男として、加藤大介が好演している。

見ているわたしも騙されてしまった!


銀行支店長藤崎を演じる森雅之はまさにぴったりの役柄である。


どこかハンフリー・ボガードのような苦み走った紳士然とした

物腰だが、実際には小心もので遊び好き。


最後、東京駅での圭子と夫人のやりとりを見て

胸がスカッとする思いだった。

藤崎のような男にはあのような仕返しが一番なのである。



昭和30年代の東京の風景もなつかしい。

昔のバーは午後11時には終業だった。

銀座のバーがひしめく裏通りに、黒塗りのハイヤーや

タクシーがずらっと並ぶ。


大手町や丸の内あたりのビル街。そこで働く男たちは

ダブルのスーツに細いネクタイをしている。

みななかなかお洒落である。

わたしの父もそうだったな、と思い出すが、父も

こんなバーに通ったのだろうか。



圭子のモノローグ。



私は真冬のような厳しい試練を受けた。

歩道の並木も冷たい風を受けながら

新しい芽を育てていく。

私もそれに負けないように

生きていかなければならない、

風が当たれば当たるほど…。





試練に耐えた圭子が、バーに入ってくる。

商売用の笑顔がほころぶ。

傷ついても、生きていかなければならない、そんな女の

現実を、恨むでもなく嘆くでもなく、そのまま受け止めて、

腹をくくった清々しさにあふれている。


























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