仏典、聖書、ジョージ・アダムスキー氏により伝えられた宇宙精神文明(空=言葉=天の父=宇宙の英知=真如=法・ダルマ=灯明)

ワクチン薬害、祈りの科学的研究、人体構成分子によるオーソモレキュラー医学、医学の大罪、太陽系惑星文明の科学的証拠

釈尊は阿弥陀経で宇宙には人類が住む無数の惑星があることを説かれている

2015年07月18日 10時46分04秒 | 想念の力、般若心経、仏教
釈尊は阿弥陀経で宇宙には人類が住む無数の惑星があることを説かれている

1. 釈尊は阿弥陀経で宇宙には人類が住む無数の惑星があることを説かれている

浄土三部経の仏説阿弥陀経には次のように説かれています:
(備考: 出典は「仏説阿弥陀経Wikisource」です)

『その時、仏は、長老シャーリプトラに告げて言うには、これより西方、十万億もの仏国土を過ぎて、世界があるが、それを名づけて極楽という。その仏国土には仏がおり、阿弥陀と号する。いま、現にましまして真理を説く。』

この部分は、東京大学大学院、SAT大正新脩大藏經テキストデータベース2012版(SAT2012)では次のように出力されます。

爾時佛告長老舍利弗。從是西方過十萬億佛土。有世界名曰極樂。
其土有佛號阿彌陀。今現在説法。

「東京大学大学院SAT2012電子佛教辭典」によれば、佛土とは次のように解説されています。
検索語: 佛土
佛土 Buddha land (fótǔ)

英語のlandは、研究社 新英和中辞典によれば、
【不可算名詞】 (海などに対して)陸,陸地 《★【比較】 空に対する時には earth; ⇔sea》.
ですから、
佛土とは、『仏のおられる陸、陸地』という意味になります。

『佛土』におられる仏とは、インドにおられた釈尊のように人の肉体をもって活動されている悟りを開かれた方です。
このため、『佛土』=『仏のおられる陸、陸地』とは、釈尊のように人の肉体をもって活動している悟りを開かれた方が、現実に日常生活をして活動できる陸地を意味しており、釈尊が住んで暮らしておられた地球のインドと同じような自然環境(空気、水、動植物、天候、食物)のある陸地を意味しています。

備考:
仏教では「五蘊皆空」と説いているように、五蘊、即ち万物の本質は空であると説いており、万物が存在し我々が生きている縁起・現象界は、縁起・現象界それ自体が本質相では空であると説いています。
これは縁起・現象界と空の2つのものが別々にあるのではなく、信じられないかもしれないが、そうとは思えないかもしれないが、実は縁起・現象界は同時に空であると説いているのです。
仏教は、霊界や異次元世界や平行世界(パラレル・ワールド)の存在を説いてはいないのです。
縁起・現象界という1つの世界があり、それは同時に「空」であると説いているのです。
(備考終わり)


「十万億の仏土」の「十万億」という言葉は、通常は「無数」「数え切れないくらい多数」を意味しています。
しかし、ここではあえて「十万億」という数字がどれだけ巨大なものを意味しているか明確化するために、「十万億」を文字通りに計算してみます。

10万億は、1億が10万個あるのですから、1億×10万=10兆を意味しています。
つまり釈尊は、仏のおられる10兆個もの陸地があると説かれていることになります。

しかし、釈尊の活動された約2600年前の地球には「仏のおられる10兆個もの陸地」はありませんでした。
あの当時は、仏がおられた陸地は、インドからネパールのガンジス川中流域ただ1つだけでした。

釈尊の教えは真理ですから、「仏のおられる10兆個もの陸地」は実在します。
そうすると、仏がおられた陸地は、地球上には釈尊のおられた地域1つしかないのですから、「仏のおられる10兆個もの陸地」は、どうしても「地球の外」を考える必要があります。

つまり、仏説阿弥陀経では、地球外に「仏のおられる10兆個もの陸地」、即ち「仏のおられる10兆個もの地球のような陸地のある惑星」があると釈尊が説かれていることになります。

それらの仏のおられる10兆個もの陸地では、釈尊と同じような人の肉体を持った如来の方々が生活して弟子たちに法を説いておられると阿弥陀経には説かれています。
このことは、宇宙には10兆個もの地球と同じような惑星があり、そこには陸地、空気、水、動植物などが存在し、地球と同じ人間が数多く生活し、文明を築いていることを意味しています。

つまり、釈尊が説かれた阿弥陀経は、地球以外にも、人が住んで文明を築いている惑星が10兆個もあり、地球から10兆個の惑星を過ぎたところに阿弥陀如来のおられる極楽という惑星があることを教えているのです。

地球のある太陽系は「天の川銀河」にあります。
天の川銀河の物理的性質は、Wikipediaでは次のように書かれています。
直径 約10万光年
厚さ 約1000光年
質量 約2 × 1012 M☉
恒星数 2000~4000億個
最古の天体132億年

我々の住んでいる地球のある天の川銀河の恒星の数は2000~4000億個、1つの太陽系に惑星が10個程度あるとすると、天の川銀河の惑星の数は2~4兆個になりますが、阿弥陀経に説かれている10兆個には及びません。

すると、阿弥陀如来のおられる仏国土は、10兆個の仏国土を過ぎた所にあるのですから、この天の川銀河ではなく、例えば隣の銀河系のアンドロメダ銀河や、もっと遠くの銀河系にあるのかもしれません。

アメリカ航空宇宙局NASAのハッブル宇宙望遠鏡が撮影した「銀河群アベル1689」の写真には、非常に多くの銀河系が群れを成している姿が映し出されていますが、阿弥陀如来のおられる仏国土は、このような所にある可能性があります。


釈尊が説かれた阿弥陀経では、地球以外にも、如来が住んでおられる無数の惑星があることを次のように説かれています。

『東方にもまた、アクショービア(不動なる者)と名づける如来、メール・ドヴァジャ(スメールの幢幡を持つ者)と名づける如来、マハー・メール(大いなる須称山)と名づける如来、メール・プラバーサ(須称山の輝きがある者)と名づける如来、マンジュ・ドヴァジャ(妙なる幢幡を持つ者)と名づける如来などの恒河(ガンジス川)の砂の数ほどの諸仏がおり、おのおの、その国において・・・

シャーリプトラよ。南方世界に、ヤショー・プラバ(ほまれの光ある者)と名づける如来、マハー・ルチ・スカンダ(大いなる炎のかたまりを持つ者)と名づける如来、メール・プラディーパ(須称山のように灯明ある者)と名づける如来、アナンダ・ヴィーリヤ(限りなく精進をなす者)と名づける如来などの恒河(ガンジス川)の砂の数ほどの諸仏がおり、おのおの、その国において・・・

シャーリプトラよ。西方世界に、アミターユス(無量寿)と名づける如来、アミタ・スカンダ(無量のかたまりを持つ者)と名づける如来、アミタ・ドヴァジャ(無量なる幢幡を持つ者)と名づける如来、マハー・プラバ(大いなる光輝ある者)と名づける如来、マハー・ラトナ・ケートゥ(大いなる宝の幢を持つ者)と名づける如来、シュッダ・ラシュミ・プラバ(清らかなる光線のある者)と名づける如来などの恒河(ガンジス川)の砂の数ほどの諸仏がおり、おのおの、その国において・・・

シャーリプトラよ。北方世界に、マハー・ルチ・スカンダ(大いなる炎のかたまりを持つ者)と名づける如来、ヴァイシヴァーナラ・ニルゴーシャ(その音があまねく鳴響いている者)と名づける如来、ドゥンドゥビ・スヴァラ・ニルゴーシャ(その音声が太鼓の響きごとき者)と名づける如来、ドゥシプラダルシャ(襲いがたき者)と名づける如来、アーディティア・サンバヴァ(太陽から生まれた者)と名づける如来、ジャーリニー・プラバ(網のようにひろく覆う光明ある者)と名づける如来、プラバーカラ(光を放つもの、太陽)と名づける如来などの恒河(ガンジス川)の砂の数ほどの諸仏がおり、おのおの、その国において・・・

シャーリプトラよ。下方世界に、シンハ(獅子)と名づける如来、ヤシャス(名声)と名づける如来、ヤシャハ・プラバーサ(名声という光輝ある者)と名づける如来、ダルマ(法)と名づける如来、ダルマ・ダラ(法を保つ者)と名づける如来、ダルマ・ドヴァジャ(法の幢幡を持つ者)と名づける如来などの恒河(ガンジス川)の砂の数ほどの諸仏がおり、おのおの、その国において・・・

シャーリプトラよ。上方世界に、ブラフマ・ゴーシャ(梵天の音声ある者)と名づける如来、ナクシャトラ・ラージャ(星たちの王)と名づける如来、インドラ・ケートゥ・ドヴァジャ・ラージャ(帝釈天の幢幡の王)と名づける如来、ガンドーッタマ(最上の香りある者)と名づける如来、ガンダ・プラバーサ(香りの光輝ある者)と名づける如来、マハー・ルチ・スカンダ(大いなる炎のかたまりを持つ者)と名づける如来、ラトナ・クスマ・サンプシピタ・ガートラ(身体が宝の花で飾られた者)と名づける如来、サーレーンドラ・ラージャ(樹王サーラの王)と名づける如来、ラトノートパラ・シリー(宝の蓮華のように美麗な)と名づける如来、サルヴァールタ・ダルシャ(一切の意義を見る者)と名づける如来、スメール・カルパ(須称山のごとき者)と名づける如来などの恒河(ガンジス川)の砂の数ほどの諸仏がおり、おのおの、その国において・・・』
(阿弥陀経の引用終わり)


釈尊の説かれている「上方世界」とは、地面より上の方向ですから、空(そら)の方向、つまり夜空を見上げて見える星々の方向のことを意味しています。
つまり、釈尊は、上方世界の仏土の存在を説いて、宇宙にある恒星(星)の周囲を周回している惑星が仏土であり、そこに釈尊と同じような肉体を持って活動されている無数の如来がおられると説いておられるのです。

このように、阿弥陀経では、東西南北上下の方向、つまり地球から見て、宇宙の全ての方向に、『恒河(ガンジス川)の砂の数ほどの諸仏がおり、おのおの、その国において・・・』
と説かれているように、「ガンジス川の砂の数ほど」、つまり無数の仏国土=惑星があり、その無数の惑星の各々に人の肉体を持たれた如来がおられ、人類が文明を築いていることが説かれているのです。

如来であられる釈尊は、空と同化されており、全宇宙のことを知る神通力をお持ちでした。
このため、釈尊は、宇宙に無数の如来がおられ、人が住んで文明を築いている無数の惑星があることを良くご存じで、それを説かれたのが阿弥陀経であったと考えられます。


備考: 「空」は全宇宙のどこでも同じように存在し、地球と同じような惑星を生み出します

仏教では五蘊皆空と説いており、全宇宙の森羅万象、万物が1つの「空」という統一体であることを教えています。

早稲田大学名誉教授 長谷川洋三先生は、「空」を
宇宙の法則的表現:「根源の大生命」
仏教的表現: 「み仏の御命」
キリスト教的表現:「神の目に見えない本性」
であると述べておられます。

私が、大品系般若である『二万五千頌般若』で説かれている「十八空」を解釈して要約すると、次のようになりました:

『縁起・現象相の本質相は空であり、空は物理的に実在し、空は単なる観念や哲理ではなく物理的実在である。
縁起・現象相と本質相の空は別々の2つものがあるのではなく、1つのものを2つの面から見ているだけであり、縁起・現象相と空は一体である。
空には、時間・空間が存在せず無次元・無時間であり、空は時間・空間を超越している物理的存在である。
空の中には縁起・現象相の個別の存在物及び性質は一切存在しない。
縁起・現象相の全ての存在物・性質は、空では「空という1つの統一体」として1つに統一されたものとして存在し、空は縁起・現象相のいかなる性質にも染まっていない(諸法無我、個別性はない)。
空の中には空間がないため、空には質量もなく、空の中には現象相の性質もないため、陰または陽の電荷もない物理的な存在と考えられる。
空は、現象相で知られているようなエネルギーや波動という性質も持っていない。
空は、初めもなき、終わりもなき、永遠の、無限の力、全知全能の完全無欠な「空という1つの統一体」であり、空は現象界の全てを生み出す智慧と力を持つ。空は、「万物の創造主」「宇宙の英知」と呼ぶことが可能である。』(空は、大我ではなく、無我であると思われる)
(空の要約終わり)

空は、地球だけにあるのではなく、全宇宙は空という1つの統一体ですから、空は、地球、太陽系、天の川銀河、アンドロメダ銀河、全宇宙の無数の銀河のいずれの場所でも同じです。
つまり、空は、全宇宙のどこでも同じように存在する共通の存在です。
空は、全宇宙のどこでも同じ智慧と力を発揮しますから、全宇宙のどこにでも太陽系のような惑星系を作ることができ、地球と同じように水と空気があり、動植物が存在し、人間が文明を築いている惑星を生み出していると考えられます。
それらの惑星のことを『仏土』と釈尊は呼ばれているのです。
(備考終わり)


釈尊が阿弥陀経を説かれてから約2600年が経過しています。
産業革命以降、地球では科学技術が発達し、特に1950年代以降には宇宙科学が発達し、太陽系の惑星へ探査衛星を送り、アポロ計画では月に着陸して探検を行い、電波望遠鏡やハッブル宇宙望遠鏡を用いて他の太陽系や銀河系の観測を行いました。
現代の地球の科学は、生命が生存可能な惑星に関して、次のように述べています。

(a)2012年4月8日産経ニュース
ヨーロッパ南天天文台の太陽系外惑星探査望遠鏡『HARPS(高精度視線速度系外惑星探査装置)』を使用した研究により、「生命が生存可能な惑星」の数は宇宙に約百億個あり、太陽から30光年以内にあるものだけでも約100個あるという推定が発表された。

(b)2015年3月9日AFP=時事
天の川銀河(Milky Way)には、主星のハビタブルゾーン(生命居住可能領域)内を公転している惑星が数十億個存在する可能性があるとの研究論文が18日、英国王立天文学会の学会誌「Monthly Notices of the Royal Astronomical Society、MNRAS」に掲載された。

地球の現代科学は、生命の生存可能な惑星が数十億個から約百億個あると推定しており、約2600年前に釈尊が説かれた宇宙の真相の端緒を把握し始めているようですが、地球の人類と同じ人類が、高度の文明を築いていることはまだ把握していません。
人類は地球だけに存在するという間違った考えを持ったままです。

地球人よりはるかに進歩した惑星の文明は、「空」を利用した精神・科学技術文明を築き、光速より速いスピードの宇宙船も開発済みでしょうから、太陽系や地球を訪れることも可能なはずです。
また、「空」を利用した観測技術によれば、数億光年離れた惑星から地球の様子を観察することも可能なはずです。

さて、キリスト教の旧約聖書や新約聖書、仏典、インドの古代の歴史的なヴェーダ文献などには、宇宙からの訪問者としか考えられない物語が数多く見られます。

では、それらの訪問者の住む惑星は、我々の地球がある太陽系から遠く離れた別の太陽系にあるのでしょうか。それとも、この太陽系内の他の惑星なのでしょうか。

現代の地球の宇宙科学は、この太陽系の中では、人類や生命が存在する惑星は地球だけであると教えています。
しかし、それは本当でしょうか。

忘れてはならないのは、空は無限の智慧と力を持つ万物の創造主であり、その智慧と力をもってすれば、太陽系の全ての惑星を人類が住んで文明を築く環境にすることは可能であるということです。

アメリカ航空宇宙局NASAによるマーキュリー、ジェミニ、アポロ計画による月面探査、スカイラブ計画、スペースシャトル計画、火星・土星探査、ヨーロッパ宇宙機関ESAによる火星探査、ソビエト連邦による火星探査、ハッブル宇宙望遠鏡による観測などの写真類や記録を見ると、月、火星、土星には水や大気があり植物が存在し、高度な文明が存在する証拠が多数あることが分かります。
これらの事実をNASA、ESA、各国政府や国連は隠していますが、宇宙探査計画から漏れてくる情報を丹念に見ていくと、行政当局の嘘を見破ることができます。

地球の各国は、月や太陽系内の高度な惑星文明の存在を隠して、一般大衆には嘘をついています。
恐らく、真相が分かれば、欠陥だらけの地球のシステムを、進歩した惑星のシステムと同じものに変えることを一般大衆が求め、現在の地球の支配層の権力が失われるのを避けるために嘘をついているのだと思われます。

地球の歴史を振り返れば、1950年代から宇宙開発が始まり、それに呼応するように未確認飛行物体の問題が登場し、他の惑星からの訪問者に注目が集まりました。
非常に多くの偽物がありますが、その中で真実であると考えられるのは、ジョージ・アダムスキー氏により伝えられた他の惑星の真相です。

私がジョージ・アダムスキー氏を支持する理由は以下の通りです:

①アメリカ航空宇宙局NASA、ヨーロッパ宇宙機関ESAなどによる宇宙探査により、月、火星、土星には水や大気があり植物が存在し、高度な文明が存在する証拠が多数あり、それらはアダムスキー氏の情報と一致しています。それらの証拠に関しては、各国の公的機関の写真類をこのブログで紹介しています。

②オランダのユリアナ女王が、アダムスキー氏を王宮に招待して会談しています。
そのことは、世界的に有名な雑誌Timeの1959年6月1 日号の「The Queen & the Saucers女王と円盤」という記事に掲載されています。ただし、この記事は、ユリアナ女王が、アダムスキー氏を王宮に招待して会談を行ったことは伝えていますが、会談の正確な内容を伝えておらず、冷やかしのような論調の記事になっています。

この会談の様子をアダムスキー氏は著書「Flying Saucers Farewellさらば空飛ぶ円盤」で次のように書いています:
『しかし貫禄のある新聞社は次のような正直な記事を載せていた。ユリアナ女王、米国の著述家と会見──宇宙旅行について一時間の会談。五月一九日ハーグ発。オランダの女王と夫君は今日スーストダイク宮殿において、宇宙旅行に関する数冊の書物の著者アメリカ人ジョージ・アダムスキー氏を迎えた。女王とベルンハルト殿下はアダムスキー氏と約一時間にわたって会談した。その会談は全く有益な性質のものだったことが判明している。女王とベルンハルト殿下はアダムスキー氏と親しくなり、彼の見解を知りたいと願っていた。その会談の出席者は、オランダ王立航空協会々長C・コルフ氏、オランダ空軍参謀長H・シャパー中将、航空医学の専門家でユトレヒト大学のヨングブレト教授、及びマスコミに関する講座を担当しているアムステルダム大学のローイ教授らである。円盤に乗って月の周辺を飛び、金星の住民と接触しているというアダムスキー氏はハーグとアムステルダムで講演中である』

一国の国家元首が会う場合には、相手の身元を事前に徹底的に調査し、怪しい人物であれば招くことはありません。
このため、アダムスキー氏に関しては、オランダという国がその信頼性を確認し、王宮に招いて会談する価値があると判断したと考えられます。

また、会談に同席したユリアナ女王の夫のベルンハルト殿下は、ヨーロッパ統合を目指す秘密結社ビルダーバーグの総帥であり、ヨーロッパ政財界とその背後にいる大財閥グループ(ロスチャイルド・ロックフェラー・JPモルガンの閨閥連合体)の頂点に立つ人物でした。
このため、名目上はユリアナ女王がアダムスキー氏を王宮に招待したことになっていますが、本当はヨーロッパを統治するビルダーバーグがアダムスキー氏を招待し、太陽系の真相と地球の未来に関して会談をしたと考えられます。
この会談内容は、ヨーロッパの政財界と大財閥の首脳に伝えられたことは言うまでもないことでしょう。

③ローマカトリックの総本山バチカンのローマ教皇ヨハネ23世は、アダムスキー氏の活動を称えて金のメダルを授与しています。
この件に関して、バチカンはアダムスキー氏のメダル授与の発表が嘘であるという声明や、あの金のメダルが偽物であるという声明を出していないので、このメダルは本物であると考えられます。
もし嘘や偽物ならば、バチカンは即座にアダムスキー氏の発表を否定する声明を出すはずです。

④アメリカ国務省 文化交流委員会R・E・ストレイス氏が、アメリカの公印を押した書簡をアダムスキー氏に送り、国務省がアダムスキー氏の主張が真実であることを認めていることを述べています。

中央アート出版「UFO問答」より引用

●問21・・・米政府はUFO問題に関する政府の情報を、いつ発表するでしょうか。
 答:・・・・おおやけにこのことを予告するのは不可能です。しかし私宛に次のような書簡を書くほどに勇気のある人がすでに存在しているのです。書簡自体がそのことを物語つています。

「ワシントン市 米国国務省発
ジョージ・アダムスキー教授殿

 当分の間、本書状を個人的書簡と考えることにし、本省の公式連絡とみなさないようにして下さい。
 いま論争の的になっているUFO問題に関して、私はここで省内の一部の職員団にかわってこれをしたためますが、私のグループは政府の政策を遠慮なく批判してきたとつけ加えてもよいでしょう。
 また私たちはUFOに関する主要調査機関としての役割を横取りした米空軍の自己欺隔的な役割をも批判してきました。あなたにはいろいろな体験がありますから、本省が(UFO問題の)独自な調査を行なってきて、多くの健全な結論に達することができたということが早くもおわかりになると思います。これは私たち双方が認めねばならぬことですが、議論の的になっており、広く論争されてきた、あなたご自身の主張(注=アダムスキーの宇宙的な体験に関する主張)を確証する非常に多くの確実な証拠を本省が集めてきたことを知られれば、間違いなくあなたは喜ばれるでしょう。
 たしかに本省はあなたの体験を公式に確証することはできませんが、そのことは、あなたが「アメリカの大衆に知らさねばならない」とまじめに考えておられる事柄に関するあなたの仕事や啓蒙活動を適切に助長すると思います。
 ワシントンへ来られましたときは、非公式な話し合いにお立ち寄り下さい。私は二月中の大部分、ワシントンから出かけますが、その月の最後の週までには帰るつもりです。

R・E・ストレイス
文化交流委員会

 この書簡は鷲の透かし模様の入った紙に書かれたもので、国務省の公印が押してあります。
 ストレイス氏は私が「アメリカの大衆に知らさねばならないとまじめに考えている」事柄を一般に伝えるのを援助してくれていますので、この書簡をここに掲載しました。この書簡のコピーが各国GAPの代表に送られています。(注=アダムスキーがこの書簡を発表してから多数の読者が米国務省へ照会したために、狼狽した同省はR・E・ストレイスなる人物と文化交流委員会というグループの存在を否定して騒ぎが大きくなった。これが有名なストレイス書簡事件である。この書簡を専門家が調査したところ、本物であり、文化交流委員会も存在したことが判明したとアダムスキーは述べている)

●問41・・・あなたは問21に掲載されたストレイス氏から受け取った書簡が本物であったことを立証できますか。

 答・・・・はい。元の手紙と鮮明にコピーされたものには、挨拶の言葉のすぐ上に国務省の公印が押してあります。この公印は何も書いてない紙には絶対に押されません。これは手紙が書かれてサインきれた後に押されるものです。
 この公印は厳重に警備されています----そうあるべきですが。というのはこの公印が押してある文書は全世界にたいして大きな影響力をもつからです。乱雑な使用が許されれば本物だという本来の価値はなくなるでしょう。
 したがって特定の人だけがこの公印を使用する特権を与えられています。不法な使用を試みれば、その犯人には即刻重罰が加えられるでしょう。
 しかし私の知る限りでは、こんな犯罪は起こっていません。この手紙は本物と認められているからです。
(引用終わり)

アダムスキー氏の情報によれば、太陽系には合計12個の惑星があり総人口は1440億人、地球以外の11個の惑星は地球より進歩しており、地球に見られるような苦しみはないそうですから、お釈迦様の説かれる浄土であると考えられます。
アダムスキー氏の著作は、「現代の浄土三部経」と呼ぶことが可能であると思われます。


2.極楽への生まれ変わり

阿弥陀如来のおられる仏国土(惑星)は、「極楽」と呼ばれています。
その理由を釈尊は阿弥陀経で次のように説かれています:

『シャーリプトラよ。かの佛国土をなにがゆえに名づけて極楽となすや。その国の民衆は、もろもろの苦しみを受けず、ただもろもろの楽しみだけを受ける。故に、その佛国土を極楽と名づける。』
(阿弥陀経の引用終わり)


阿弥陀如来のおられる仏国土(惑星)の人々には、苦しみが全くないという、地球では考えられない素晴らしい進歩した世界です。

仏教では苦を次のように説明しています:

出典: Wikipedia四苦八苦
四苦八苦(しくはっく)とは、仏教における苦の分類。
苦とは、「苦しみ」のことではなく「思うようにならない」ことを意味する。
根本的な苦を生・老・病・死の四苦とし、
根本的な四つの思うがままにならないことに加え、
愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること
怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと
求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと
五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと
の四つの苦(思うようにならないこと)を合わせて八苦と呼ぶ。
(Wikipediaの引用終わり)


地球世界は、生きること自体が難しい世界であり、食べ物や飲み物がなくて餓死する人、戦争で殺される人、病気、失業、貧困、権力による圧政、老化など、ありとあらゆる苦しみに満ちています。
それは、日本の近代から古代の歴史、世界各国の歴史を調査すれば誰の目にも明らかです。
我々地球人が日々苦しめられているような苦しみが全くない惑星、それが阿弥陀如来のおられる極楽という惑星であると釈尊は説かれています。

さらに、極楽という惑星の様子は、次のように説かれています:

『また、シャーリプトラよ。極楽国土には、七重の欄楯(欄干のような石垣)、七重の羅網(とりあみ)、七重の行樹(並木)があって、みな、これ四宝(金・銀・青玉=瑠璃・水晶)であまねく取り囲む。故に、かの国を名づけて極楽という。

また、シャーリプトラよ。極楽国土には、七宝(金・銀・青玉=瑠璃・水晶・赤真珠・碼碯・琥珀)の池がある。
八功徳(澄浄・清冷・甘美・軽軟・潤沢・安和・飢渇を除く・健康増進)の水が、その中に充満している。池の底には純ら黄金の砂が布かれている。
池の四辺の階段は、金・銀・瑠璃・玻瓈(水晶)からできている。階段の上には楼閣がある。
また、金・銀・瑠璃(青玉)・玻瓈(水晶)・硨磲(琥珀)・赤珠(赤真珠)・碼碯で、これは厳飾している。池中の蓮華は、大きい車輪のようだ。その上、青色の蓮華には青光、黄色の蓮華には黄光、赤色の蓮華には赤光、白色の蓮華には白光があって、さまざまな色の蓮華はさまざまな色で輝き、さまざまな色に見えている。シャーリプトラよ。極楽国土には、このようにすぐれた性質の荘厳を成就する。

また、シャーリプトラよ。かの佛国土は、天の音楽をかなで、黄金が地をなしている。昼夜六時(一日を昼夜に二分、それぞれをまた三分して、六時となる)に、曼陀羅華を雨降らす。その国の民衆は、常に清々しい朝に、おのおの花を盛る器をつかって、もろもろの妙華を盛り、他方の十万億の仏を供養し、昼の休息をもって、本国に還到し、ご飯をたべ、座禅の眠気を覚ますためゆきつもどりつする。シャーリプトラよ。極楽国土には、このようにすぐれた性質の荘厳を成就する。

また次に、シャーリプトラよ。かの国には、常に、種々のめずらしい雑色の鳥がいる。白鵠(白い鵝鳥)・孔雀・鸚鵡・舎利(鷺?)・妙音鳥(藪鷥に似ている鳥)・共命の鳥(雉子の類?)がそれである。このもろもろの鳥、昼夜六時に、合唱する。その声は、五根(悟りを得るための機根。信根・精進根・念根・定根・慧根)・五力(信力・信仰、精進力・努力、念力・憶念、定力・禅定、慧力・智慧)・ 七菩提分(悟りに役立つ七つ。択法覚自・精進覚支・喜覚支・軽安覚支・捨覚支・定覚支・念覚支)・八聖道分(=八正道)などのような法を教える。その土の民衆は、この声を聞き終わって、みな、ことごとく仏を念じて、僧を念じる。シャーリプトラよ。おまえは、この鳥は、実にこれ、罪報の所生(弱肉強食の世界における畜生)であるということだろうか。いや、そのように見てはいけない。それはなぜだろうか。かの仏国土には、三悪道(地獄・餓鬼・畜生)がない(死者の霊の行く世界がない、餓鬼の境地が存在しない)。その、仏国土には、三悪道の名は無い。言うまでも無く、実体は無い。このもろもろの鳥は、みな、これ、阿弥陀仏の法を説く声を広めようと欲して、仏の不思議な力で作りだされたものである。

シャーリプトラよ。かの仏国土には、微風が吹動して、もろもろの宝行樹および宝で飾られた網は、微妙の声を出す。たとえば、百千種の楽を同時にかなでるようなものだ。この声を聞く者は、みな、自然に念仏・念法・念僧の心が生じる。シャーリプトラよ。かの仏国土には、このようにすぐれた性質の荘厳を成就する。』
(阿弥陀経の引用終わり)


阿弥陀如来のおられる極楽という惑星は、非常に美しく清らかで、全てにおいて地球では考えられないほど進歩していると考えられます。

極楽という惑星に住む人々については、次のように説かれ、非常に進歩された方々であることが説かれています:

『また、シャーリプトラよ。かの仏の寿命およびその民衆の寿命も、無量であり 阿僧祇劫(一阿僧祇=十の百四十乗、一劫=極めて長い時間をあらわす単位)である。ゆえに、阿弥陀と名づける。シャーリプトラよ。阿弥陀仏は、完全な悟りを開いてこのかた、いまに十劫になる。また、シャーリプトラよ。かの仏に無量無辺の声聞の弟子がいる。みな、阿羅漢であり、これ、算数のよく知るところではない。もろもろの菩薩衆も、またまた、このようである。シャーリプトラよ。かの仏国土には、このようにすぐれた性質の荘厳を成就する。
また、シャーリプトラよ。極楽国土には、民衆として生まれたものは、みな、これ不退転であり、その中に多く、一生補処(菩薩の最高位)がおる。その数は、甚だ多い。これは、算数のよく知るところではない。ただ、[菩薩の数を数えるだけでも]無量無辺である阿曽祇劫ほどを要する。』
(阿弥陀経の引用終わり)


このような素晴らしい極楽という惑星に生まれ変わりたいと、地球人ならば誰でも願うはずです。
その点について、釈尊は次のように説かれています:

『シャーリプトラよ。民衆で極楽国土および聖衆のことを聞く者がいるならば、まさに思い立ってかの国に生まれることを願うべきである。それはなぜであるか。このようなもろもろの立派な人とともに、みな浄土という同じ場所であいまみえることができるからである。シャーリプトラよ。わずかな良い徳を積んでも、かの国に生まれることはできない。
シャーリプトラよ。もし、善男子・善女人がいて、阿弥陀仏の名号を説くことを聞き、その名号を心にとどめたもち考え、一日二日でも、三日四日でも五日でも六日でも、あるいは七日でも、一心不乱であるならば、その人の命が終わるときに臨んで、阿弥陀仏は、もろもろの聖衆(声聞と菩薩)とともに、その前に現在すであろう。この人の命終わるとき、心は、転倒しない。命が終わってすなわち阿弥陀仏の極楽国土に往生することができるのだ。シャーリプトラよ。私は、この利を見る。ゆえに、この言葉を説く、『もし、民衆がいてこの説を聞くならば、まさに、あの仏国土に生まれようと、願いを起こすべきだ』と。』

『シャーリプトラよ。お前の心においてどう思うか。どういうわけで、一切の諸仏に念じ護られていると名づける経と名づけるのか。もし、善男子・善女人がおり、この、諸仏の説くところの阿弥陀仏の名およびこの経の名を聞くとするならば、このもろもろの善男子・善女人は、みな、一切の諸仏に念じ護られているところとなり、みな、この上なく正しい悟りより退転しないようにしようとするためである。これゆえに、シャーリプトラよ。おまえたちは、まさに、私の語および諸仏の説くところを信受するべきである。シャーリプトラよ。もし、人がいて、願いを起こそうとする人、もう起こした人、またはいまから起こす人、阿弥陀仏の国に生まれようと欲せば、このもろもろの人ら、みな、この上なく正しい悟りから退転しないようにすることができ、かの国土において、もしはすでに生まれ、もしは今生まれ、もしはこれから生まれるだろう。ものゆえに、シャーリプトラよ。もろもろの善男子・善女人とは、もし道理を信じるものがあるならば、かの仏国土に生まれようとともに願いを起こすべきである。』
(阿弥陀経の引用終わり)

穢土、娑婆、堪忍土と呼ばれる苦に満ちた地球世界に生きる我々が、阿弥陀如来の極楽という惑星に生まれ変わらせていただく方法は、

『阿弥陀仏の名号を説くことを聞き、その名号を心にとどめたもち考え、一日二日でも、三日四日でも五日でも六日でも、あるいは七日でも、一心不乱であるならば、その人の命が終わるときに臨んで、阿弥陀仏は、もろもろの聖衆(声聞と菩薩)とともに、その前に現在すであろう。この人の命終わるとき、心は、転倒しない。命が終わってすなわち阿弥陀仏の極楽国土に往生することができるのだ。』
と説かれており、これは『南無阿弥陀仏』という真言を唱え続けることを意味しています。


備考: いずれの御名を唱えても同じだと思います

空と同化された全宇宙の無数の如来の方々は、大慈・大悲に徹しておられる偉大な存在です。
また、空においては諸法無我である(個別性はない)ため、空と同化されている全宇宙の無数の如来の方々には個別性や区別はありません。
なぜならば、空は1つの存在であり、空の中には個別性、区別はないからです。

無数の如来の方々には区別・個別性はありませんから、空では、
阿弥陀如来=観世音菩薩(正法明如来)=釈迦牟尼仏=薬師如来=大日如来=全宇宙の無数の如来=空=宇宙の英知=万物の創造主=天の父
です。

このため、南無阿弥陀仏、南無観世音菩薩、南無釈迦牟尼仏、南無薬師如来などのいずれの御名を唱えても、全ての如来の御名を唱えることと同じですから、どの御名を唱えても同じように神通力による加持で救っていただけ、同じように極楽往生、浄土往生させていただけると私は信じています。
皆様が信仰されている宗派の教えに従い、聖なる御名を唱え続ければ良いだけだと思います。

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