ヨナの福音こばなし帳

オリジナルのショート・ストーリー。一週間で一話完結。週末には、そのストーリーから人生の知恵をまじめにウンチクります。

5つの指摘(6)ウンチク編

2007-02-25 | 親切なお医者さん/ 5つの指摘
今週は、丸ごと、ウンチク編みたいなもんでしたが、もうちょっと続きます。

今回紹介したものに限らず、聖書を否定するさまざまな文章は数限りなくあります。パッと見は、聖書を肯定しているようで、その実、本質的には聖書を否定しているものも、いっぱい出回っています。

なんとなく、ボーっと、よく考えないで、かじる程度に・・・読んでいくと、「おー、な~るほど」と納得してしまうものでも、じっくり読んでみると、巧妙に論理がずらしてあるものがたくさんあります。今回紹介したものは、そのひとつです。

そこにある危険は、一旦、「おー、な~るほど」と納得してしまうと、その後、いくらじっくり読んでも、論理のエラーやトリックに気がつかなくなることです。また、他の人から、その論理のエラーやトリックについて説明されても、ほとんど受け付けなくなります。

聖書を否定する文章を読むとき、さらには聖書を肯定する文章を読むとき、そして聖書を読むときにも、鵜呑みにしないで、じっくり考えながら、読んでください。今回紹介したもののように、巧妙に論理がずらしてあるものもあれば、一見矛盾しているようで実は一貫しているものもあります。じっくり考えて読まなければ、正しく理解することはできないですよね。


皆さんの時間の節約のために、お伝えします。いろいろな人の意見をたくさん聞いて、そのなかで最も良さそうなものを、自分の人生の指針にしよう、と考えているなら、聖書を学ぶことは早く止めたほうが良いですよ。なぜなら、日本人の中で、聖書を神様のことばとして、自分の人生をかけて生きている人なんて、せいぜいいても0.5%くらいだからです。あとの、99.5%くらいの日本人は、「う~ん、聖書ね、いいこと書いてあるね。でも、僕の考えでは・・」、「聖書?だから?」、「あんなモンがあるから、世の中悪くなる」などなどなど、ですから。


真理は、だれに対しても真理のはずです。時代が変わったり、場所が違っても、真理であるなら、真理としての価値が失われたり、変わったりしません。

世界中に、多くの言語グループがあり、それぞれが異なった独自の文化を持ち、場合によってはまったく相反する世界観を持っている民族どおしがありながら、そのなかで、民族を超え、時代を超えて、聖書が真理として受け入れられ、聖書を通してそこに神のわざと呼ぶほかない共通した出来事が人々の上にいつもあることは、とても興味深い事実です。


「光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。・・
 悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。
 しかし、真理を行なう者は、光のほうに来る。
 その行ないが神にあってなされたことが明らかにされるためである。」
(ヨハネの福音書 3章19-21節)

「真理はあなたがたを自由にします。」
(ヨハネの福音書 8章32節)


次回からは、いつもの、新しいストーリーです。アクセスしてくださいね。