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国家の尊厳と威信

2011年05月23日 23時12分33秒 | 社会問題&時事ネタ
「校庭の放射線基準甘い」福島の保護者ら文科省で訴え(朝日新聞) - goo ニュース

自分が当事者だから大きく出る訳ではないが、これはどう考えても福島の保護者らの主張に義があるだろう。

その根拠は以前當寮記事でも述べたが、国家の決断がこれだけ杜撰で曖昧だとは正直思わなかった。全く以て失望した。

もちろん我々は原子力工学のずぶの素人である。もし国が国家の威信にかけてこの年間20ミリシーベルトという数値(校庭の放射線基準)に自信と責任を持つのなら、我々素人の主張を完膚なきまでに打ちのめすだけの気概を見せてもらいたい。論破に値するだけの反論を示してもらいたい。

それができないのなら、この数値を無責任に子どもたちに押し付けるな! 学校教育の現場に押し付けるな! と私は言いたい。

この数値は当面据え置きにして、賛否を交えた議論を今から子どもたちの将来のためにすべきだろう。

いま、問題は福島原発のみならず、国家の尊厳と威信が同時に崩壊し兼ねないことにあるように思える。


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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (すーちゃん)
2011-05-24 08:30:27
同感です。


残念ながら、我が政府、そして行政組織の一連の迷走ぶりは、世界中の失笑と、統治国家としての能力の欠落を露呈していますから…。

国内だけでなく、国際的な視野に立った対策も出来ていません。


事実、プーチンが北方領土を視察したり、国際問題にはかなり『隙』を与えています。


そして、何より、首長さん自らが積極的に動かなければ動かない、硬直した組織。


日本国憲法§25、三権に携わる者は、改めて考える時だと考えます。


既に報道でリークされているのに、恐る恐る『給与削減』の連絡をしてくる前に、やるべき事は山積しているはずです。


コメントありがとうございますm(__)m (布教師@Net)
2011-05-24 11:54:04

> すーちゃんさん

ご無沙汰しております。
もちろんすーちゃんさんのような志高い官吏の方も多数いることは承知しています。
ただ、そうであるにも関わらず、このような機能不全に陥るということは、もはや個人の質の問題ではなく、行政の統治システムの問題でもあるような気がします。
それとも、まだまだ単純に組織のトップの質が問われる問題なのでしょうか?
だとしたら、今回の問題でいつも矢面に立たされる文科省の原子力安全監の方にも同情します(同じく原子力安全・保安院の西山審議官にも)。
やはり、国民に痛みや苦しみを強いる場合には、組織の然るべき方からの魂のこもった言葉が必要なのだと思います。
Unknown (すーちゃん)
2011-05-24 12:35:43
再び失礼致します。


先に申し上げた件につきまして、加筆させていただきます。


この度の事態についての一連の政府、行政の対応につきまして、私は個人の資質を申し上げたのではなく、旧態依然とした行政システムに大きな問題があると考えております。


個人の資質などは、現在の体制では黙殺することが『暗黙のルール』になっている感があります。


従いまして、この体制を今後いかに変革させていけるのかが、今、そして将来の日本の在り方をどうしていこうとするのか。この点が今まで以上に問われているものと考えております。


コメントありがとうございますm(__)m (布教師@Net)
2011-05-24 14:19:20
>すーちゃんさん

ご指摘の部分は理解しているつもりです。
高度成長時代の日本にとって、その旧態依然のヒエラルキーはうまく機能したのでしょう。しかし、この混沌とした価値観が混在する今の世では、やはり意志の疎通を含めたすべての統制が裏目に出てしまうのだと思います。
その昔は、立場ある人に任せておけば妙な安心感があったと思います。また、そういう立場の方は、私たち庶民の期待を裏切らなかったのだと思います。
いつの頃からか、そういう立場の方の質が落ちたのか、それとも国民全体がボトムアップしたのかは分かりませんが、そのシステム自体が機能不全に陥ってしまったような感覚を覚えます。
そういう意味では、組織の問題と個人の問題は、全く異なる問題なのかもしれませんが、全く無関係ではないような気もしています。
しかしながら、こういった分析の域を超えない議論だけならまだしも、本来尊重されて然るべき義までをも黙殺してしまう傾向は、害以外の何物でもないような気がします。やはり今回の判断は、限られた当事者(福島県民)の一意見だけで済まされるものではなく、すべての国民の目から見ても不思議に映るのではないでしょうか。
「20mSv/yは危険でないけど、いいとは思っていない」という文科省の原子力安全監の発言は、霞が関文学の世界では優の評価(?)を得られたとしても、他の文学的知見を持つ素人の我々には到底理解できない文学観です。そういう「言葉の遊び」を生命の現場に持ち込むこと自体が、組織としての機能不全、官吏としての質の低下を象徴する事例だと感じています。
今回の問題は、原発銀座と称される日本だからこそ、FUKUSHIMAだけの問題では済まされないはずです。原発の危機管理の政策上においても、悪しき前例を作らないように国には極めて理性的な判断を望みます。
上記を踏まえたうえで、まずは

>個人の資質などは、現在の体制では黙殺することが『暗黙のルール』になっている感があります。

という組織の体質の打破が当面の課題になるのではないでしょうか。
もちろん「分かっているけどどうにもならない」という部分の話なのでしょうが、何とか意識の高い官吏の方がたの力を結集して、内部浄化を計って頂ければありがたく思います。
しかしながら、やはり命の問題は組織改革よりも増して喫緊の課題です。何とか所管の省庁においては善処を頂きたいものです。
Unknown (すーちゃん)
2011-05-26 07:39:27
度々失礼致します。

管理人様のご意見、ご要望は非常によく理解できますし、早急に先手を打っていかなければならない問題であると考えております。


現在、各省庁毎に対策組織が編成されていますが、(これは常日頃もどかしく感じていますが)俗にいう、『縦割り行政』が根強く、横の繋がりが欠落しています。


ご存知の通り、行政組織は、法律上の根拠がなければ動けない部分が多々あります。

現在も、本来ならば無理な部分を、なるべく柔軟な解釈(御指摘の『霞ヶ関文学』の解釈です)を用いて頑張って動いている部分もあることだけはご理解下さい。


今回の問題こそ、『ミドリ十字問題』のような展開にならないようにしたいものです。


また、よかれと思って進めた案件でも、財務的に却下されてしまうのが現実です。


更に、官邸や政府で、要求に応じて各省庁から上がってきた膨大なデータを、きちんと把握し、ブリーフィングできているのかも疑問です。


私事ですが、人事異動で今は最前線から離れてしまいましたが、今の立場で出来うる事は、積極的に取り組んで参りたいと考えております。


長文となり、失礼いたしました。

コメントありがとうございますm(__)m (布教師@Net)
2011-05-26 23:35:03
>すーちゃんさん

度々のコメント、ありがとうございます。

文面からも、すーちゃんさんの行政に対する熱い想いと責任感が伝わってきます。

また、行政統治のシステムに関しても、大凡の問題の共有は計れているものと思います。特に以下の部分に関しては、私のみならず多くの方が想いを共有している部分なのではないでしょうか。

>ご存知の通り、行政組織は、法律上の根拠がなければ動けない部分が多々あります。現在も、本来ならば無理な部分を、なるべく柔軟な解釈(御指摘の『霞ヶ関文学』の解釈です)を用いて頑張って動いている部分もあることだけはご理解下さい。

ただ、個人的にちょっと気になった点があったので以下に述べたいと思います。

ご指摘のように、まさに「法律上の根拠がなければ動けない部分」を補うために、「本来ならば無理な部分を、なるべく柔軟な解釈(御指摘の『霞ヶ関文学』の解釈です)を用いて頑張って動いている部分」があることは承知しています。その点については、理解しているつもりです。

しかし、いわゆるその「霞ヶ関文学」の正当性を担保するには、その文学観が納税者たる国民の利益に還元されることが条件にならなければならないと考えています。なぜなら、その大義に欠けていると、件の「霞ヶ関文学」は官にとって都合の良い詭弁を増産する装置になり兼ねないからです。

私がここで問題としたいのは、今回の文科省の決定(20mSv/yの暫定基準値の設定)が本当に国民(子ども達)の利益に還元されるものなのか否かという点です。

どう考えても、今回の文科省の判断は、子ども達の健康被害の回避といった国民の利益よりも、避難先の確保やそれにかかる財源確保の問題といった、官の都合のみで下された印象が否めません。

またその判断は、すーちゃんさんが言う「本来ならば無理な部分を、なるべく柔軟な解釈」によって補う本来の「霞ヶ関文学」の正当性をも脅かし兼ねない危険があるものと感じています。

また、以下の

>更に、官邸や政府で、要求に応じて各省庁から上がってきた膨大なデータを、きちんと把握しブリーフィングできているのかも疑問です。

というコメントでも触れているように、それらをきちんと監視できていない立法府の責任も同時に問われて然るべきです。その点において、私たちは問題を共有しているつもりでおります。

今は行政機構の内部にいて、日々忸怩たる思いでお過ごしのことと思います。しかし、すーちゃんさんのコメントを見る限り、個々の官吏の方がみな組織の体質に染まっている訳ではないことも窺い知れます。

異なる立場にあろうとも、ともにその体質を改善していく志だけは失いたくないものです。
Unknown (すーちゃん)
2011-05-27 07:18:01
三度、失礼致します。


私は別の組織の人間なので憶測でしかないのですが、この度の文部科学省の決定には、確かに『国民の利益』という視点が抜け落ちていると考えています。


今まで世間の矢面になるような問題に関与した経験がないこと、また、迅速な対応に迫られた経験不足から生じるツメが甘い部分もあるように感じるます。


故に『省益』を害さない発言につながったのだと感じています。


いずれにしても、迅速な決断と、政治家の行動力が今、非常にとわれているものと考えます。


ご指摘いただいた点について、私どもでできる範囲で頑張って行きます。


何卒、宜しくお願いします。

コメントありがとうございますm(__)m (布教師@Net)
2011-05-30 00:50:00
> すーちゃんさん

お返事遅れてすみませんm(__)m
公務にてしばらく留守にしておりました。
今回の一連の問題は、文科省のみに留まるものでなく、官邸と内閣府(原子力安全委員会)、さらには通産省や厚労省なども巻き込んだ縦割り行政の弊害が出たものと感じます。まさにご指摘の通りですね。
留守中に、放射線基準値も20mSv/yから1mSv/yに変更されたみたいですが、文科相の声名を見る限り、やはり独特の文学観に満ちていて予断を許さないような印象を受けました。
努力のみに留まることなく、具体的な施策とともに是非とも実行に移して頂ければ幸いです。
すーちゃんさんも板挟みにあうような立場で大変ですね。お互い頑張りましょう。

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