
環 境 :
講師(一)対聴衆(多)、聴衆のそれぞれが違う人生を背負う、聴衆の仏教理解は比較的深い、経典にも精通、保証=背負うこと
一体「あの世」はあるのでしょうか ないのでしょうか ――

では、「あの世はある」と信じている人がいたら手を挙げて下さい。
はい、いま手を挙げた方には間違いなく「あの世」はあるでしょう。
例え経典の中で釈尊が「ない」と言っていたとしても、仏教徒の私がそれを保証します。
では、逆に「あの世はない」と信じている人がいたら手を挙げて下さい。
はい、いま手を挙げた方には間違いなく「あの世」はないでしょう。
例え経典の中で釈尊が「ある」と言っていたとしても、仏教徒の私がそれを保証します。
結局、「あの世」とはそういう世界の話なのだと思うのです。
畢竟釈尊は「無記」の立場を貫かれつつ、方便を多用して利他行を尽くしてきたわけですから。
「出家の破壊は猶お在家の持戒に勝る」(『正法眼蔵』「出家」巻、出典は『大智度論』)
遺族への利他を前提に出家の破壊は許容されるのです。
亡き人が「成仏」するということは、畢竟残された人たちが成仏する(救われる)ということなのだと私は想う......。
P.S.
以前、當寮でも紹介したことがあるご婦人のご主人が、昨晩帰らぬ人となったそうです。
自死だそうです。世の不条理をご婦人とともに共感いたしました。
この場を借りて、衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。
私に何かお力になれることがあれば、いつでも遠慮なくご連絡下さい。



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分かるなぁ・・・この感覚(笑)
僧侶は利他のために背負わなくちゃならないってことだよなあ・・・。
早急にまとめたメモを備忘の意味で出先からアップしたものです。
この粗い内容でご理解頂けたということは、これ以上いじらない方がいいですかね(笑)
ともあれ、コメントありがとうございました
御悔やみ申し上げます。
ご無沙汰しておりますm(__)m
今は只々ご婦人の身を案じるばかりです。
人間、不条理と対峙する時にこそ真価が問われると感じました。