
先日、當寮でも紹介をした「つるりん学校」の開校式に出席してきました。
開校式では、「つるりん学校」教頭の青山俊董先生より特別講義を賜り、非常に心温まる仏の教えに触れる事ができました。
今回は、個人的に特に印象に残った老師のお話を紹介したいと思います。
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私(青山老師ではなく拙僧のこと)は周りの人に言わせると、非常におっとりした性格に映るらしいのですが、実は非常にせっかちな一面を持ち合わせています。
そのうえ外面(そとづら)が良いため、時に自分の能力以上の仕事を引き受け、自分で自分の首を絞めている状態に陥る時が多々あります。
ゆえに、私がその様な状態の時など身内の者は大変です。常にピリピリしていて、時に私の八つ当たりの標的になります。そのせいで、今まで身内にどれだけ迷惑を掛けてきたことか(懺謝宜しゅう

冷静になれば反省するのですが、そうでない時は二進も三進もいかず、家族にとっては迷惑以外の何物でもありません

悪いとは思っていても、その場ではなかなか心のコントロールが効かない―。皆さんにも似た様な経験がないでしょうか

そんな折、青山教頭先生から良いお話しを頂戴しました。
夫婦げんかは合掌してから始めてみよう―。
日常よくある夫婦げんかも、事を起こす前にお互い合掌をしてみれば、怒りに震えていた気持ちも幾分収まるのではないかと言うのです。
聞くところによると、「合掌」とは相手に対して「私はあなたの敵ではないですよ」という意志の表れらしいです(手と手を合わせる=武器を持たない)。それが、あらゆる争い事を起こさないという意思の表明として敷衍する様になり、しいては「平和の象徴」として説かれる様になったと耳にしました。平和な気持ちで夫婦げんかなど出来っこないですよね

例えば、私などはそこに「八つ当たり」という言葉を当てはめてみました。「八つ当たりは合掌してから始めてみよう」―。なかなか難しいものです。静かな気持ちで手と手を合わせると、自然に八つ当たりの感情も収まってくる様な気がします。
他に何があるでしょうか?
「兄弟げんかは合掌してから始めてみよう」
「悪口(陰口)は合掌してから始めてみよう」
「弱い者いじめは合掌してから始めてみよう」......etc.
皆がみな、合掌した気持ちで出来るものではありません。
私も身内に対して八つ当たりを起こしそうになった時など、まずは手と手を合わせて合掌するところから始めてみようと思います。
それ以前に、「貪り」や「怒り」、「妬み」の感情が湧いてきた時なども、静かに心を落ち着けて合掌する事にしてみます。今までコントロールが効かなかった心が自在に操れる様になるかもしれません。
日本人の精神文化においては、手と手を合わせる合掌が無上の良薬なのかもしれません。皆さんも、気持ちが高ぶった時などは合掌する事から始めてみては如何でしょうか―。



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もしかして、ハエも叩かれるのを嫌がって、あのように手を合わせているのでしょうか・・・
というのは、冗談ですけれども、多分、こういう喧嘩の時に合掌できるくらいの精神的余裕があれば、合掌なんか無くても、冷静でいられるでしょうね。むしろ、これは、その冷静さを得るための方便として、拙僧などは活用していこうと思います。
お盆の施食ロードご苦労さまでした。
> 多分、こういう喧嘩の時に合掌できるくらいの精神的余裕があれば、合掌なんか無くても、冷静でいられるでしょうね。
道い得たり×2
まさにご指摘の「冷静さを得るための方便」として合掌をしているに過ぎない様な気がします
合掌をしても、表情と同様、心は般若のままかもしれませんね。勤精進あるのみです