「使徒行伝」20章17節から27節までを朗読。
19節「すなわち、謙遜の限りをつくし、涙を流し、ユダヤ人の陰謀によってわたしの身に及んだ数々の試練の中にあって、主に仕えてきた」。
パウロが伝道旅行で地中海沿岸各地を回っておりました途中、どうしても、エルサレムにいる教会の人々に会わなければならない用事ができまして、旅の途中でありましたが、エルサレムへ戻って行くことになったのです。しかし、このときパウロは多くのユダヤ人から恨まれ憎まれており、彼の命を取ろうとする陰謀(いんぼう)、たくらみがなされていました。ご存じのように、パウロは、そもそもイエス様の弟子ではありませんでした。ペテロやヨハネ、アンデレとかピリポ、そういうイエス様のお弟子さんたちと、ちょっと違っていました。時代的にも少しずれがあります。イエス様がこの世にいらっしゃったとき、パウロはまだ幼くて直接イエス様を知らなかったのです。パウロの生まれ育ちは大変恵まれた境遇でありました。彼はユダヤ人として生まれ、外国に住んでいました。ギリシャ語を話す人々の中で育ってきた人です。ご両親はこの息子を何とかして誇り高いユダヤ民族の教養を身に付けさせるために教育にも随分熱心だったようであります。彼は学識豊かであり、経済的にも大変恵まれた人物でした。彼自身がそういう誇りとするもの、自分の資質、タラントといいますか、恵みを数え挙(あ)げればいくらでもあると語っています(ピリピ 3:5)。そもそも生粋のユダヤ人であって、パリサイ人と言われている。パリサイ人は、人種としてではなくて、ユダヤ教の一派であるパリサイ派に属する信徒ということです。このパリサイ派は、大変熱心なユダヤ教徒たちのグループですから、そこに所属しているというだけで当時のユダヤ人の社会の中では、一目置かれる存在でもあったのです。ですから、パウロは自分がパリサイ人であって、ユダヤ人の中のユダヤ人、ベニヤミン族の出身と誇らしげに語っていますが、私たちにとって「そんなものは何の足しにもならん」と思いますけれども、当時のユダヤ人はその言葉を聞いただけで「そんな立派な人ですか」という話になる内容だったのです。彼はそういうエリートとしてユダヤ人社会で将来を嘱望(しょくぼう)される人物であったのも事実であります。彼はパリサイ人として熱烈な宗教心からクリスチャンを迫害する側に立っていたのです。イエス様が十字架におかかりになったとき、彼はイエス様の十字架について直接知りませんでした。恐らく外国にいたのかもしれません。
弟子たちが聖霊に満たされて、盛んにイエス・キリストが復活したこと、よみがえった主を証しして回る。そうすると、次から次へと救われる人たち、「自分たちは誠に間違っていた」と言って、「イエス様を救い主と信じます」と悔い改める多くの人たちが起こされました。「使徒行伝」を読みますと、1日にして5千人近くの人たちが改宗した、と言われていますから、その勢いたるや、まるで火が燃え広がるようにイエス様の救いが宣(の)べ伝えられ始めた。そのことをいちばん危惧した連中はユダヤ教の人たちです。殊にパリサイ派と言われる人たちは「とんでもない邪教、異教である」、「間違った教えだ」といってクリスチャンを迫害するようになりました。その迫害が大変激しくなってきます。そのとき、迫害の急先鋒、先頭に立っていたのがパウロだったのです。彼はクリスチャンを迫害することによって神様に対する自分の熱心さ、自分の正しさを誇りました。だから、たくさんクリスチャンを捕えて、ろう屋に入れたり殉教させたりすることで、自分の名誉、自分の誉れを築いていたのです。ユダヤ人たちからすれば「頼もしいやつだ」、「こんな元気のいい若者は、またといない」と大いに期待したのです。
ところが、急先鋒であったパウロが、突然手のひらを返したように変わってしまった。ダマスコにクリスチャンを迫害するために出掛けて行った途中で、突然よみがえったイエス様が、彼にあらわれてくださった。そして、初めてそこで、「本当に自分が迫害していたイエス・キリストこそが、神様の救いにあずかる道だ」と彼は悟ったのです。人生を180度転換した。その後、彼はアラビアに身を潜(ひそ)めていた時期がありますが、やがてエルサレムに戻って来ました。そして、今度はイエス様を伝える者となったのです。昔の仲間からすれば、大変な裏切り者ですから、許せない。期待していただけに裏切られた反動といいますか、その憎しみたるや、大変根深いのです。だから、事あるごとにパウロに対して様々な妨害、非難が浴(あび)せられました。パウロは地中海沿岸の各地にまで出掛けて行っていろいろな人々にイエス様を宣(の)べ伝え、次から次へとあちらの町、こちらの町にクリスチャンたちが教会を造るようになっていきます。ユダヤ人たちは「これは困ったものだ。何とかあいつをやっつけなければならない」という思いに駆(か)られていました。幸いにその時が巡(めぐ)ってきたのが、今読みました記事であります。
大迫害でクリスチャンはエルサレムから散らされましたが、エルサレムの教会にはペテロやヨハネなどイエス様の直接の弟子たちが教会を指導していました。具体的にどんな問題であったのか分かりませんが、パウロは一つの事があって、どうしてもエルサレムへ戻らねばならなかったのです。しかし、そこにはユダヤ人たちの激しい憎しみと、彼に対する陰謀、たくらみがあり、捕えられて殺されるに違いない、身の危険を感じる状況でありました。そのことは、彼自身のみならず、周囲にいる人たちは皆知っていたのです。ですから、何とかしてパウロがそうならないように、そこに行かないように、危険が待ち受けているからやめておくようにと、繰り返し彼を引き止めました。しかし、彼は「いや、たとえ何があっても今エルサレムに行くことが、自分に神様が求めておられることである」。「御霊に迫られて」と彼は語っています。神様の力に促(うなが)されるがごとく、「自分の意志ではなくて神様の御心に従って行かざるを得ない」という思いでありました。そうやってエルサレムに帰って行く途中ですが、船に乗って各地に寄港しながらエルサレムに近いカイザリアへ戻って行くのです。ミレトという港町に船が停泊したのです。そこで荷物を積んだり下ろしたりします。ミレトという町から、少し内陸部に入った所にエペソという町がありました。エペソはパウロにとっては大変懐かしいというか、自分の子供のような教会があったのです。エペソにある教会は彼が大変苦労しながら伝道して、その結果、教会が建てられたのです。パウロはテモテに託して伝道旅行に出て行ったのです。ミレトの港町に来たとき、少し先にエペソがあることを知っていましたから、彼はすぐに使いをやり、エペソの教会の主だった人たち、長老たちに来てもらいました。というのは、これがこの地上にあって彼らに会う最後だ、という覚悟をしていましたから、「できれば、ここで最後のことを語りたい」と彼は思いました。
17節に「ミレトからエペソに使をやって、教会の長老たちを呼び寄せた」と語っています。このとき、エペソの人たちも大変暗い重たい気持であったと思います。愛するパウロ先生が、ひょっとしたらこれで会えなくなるかもしれない、という状況だったのですから、心弾(はず)む話ではありません。集まったときにパウロが語ったのが18節以下です。これは、エペソの人々に対するパウロの告別説教といいますか、辞世(じせい)の言葉でもあります。18節の中ほどから読みますと「わたしが、アジヤの地に足を踏み入れた最初の日以来、いつもあなたがたとどんなふうに過ごしてきたか、よくご存じである」。まず彼が最初に語ったことは、自分がどういう考え、姿勢でこの地上の生活を送ってきたかということです。「どんなふうに過ごしてきたか」と。これはまた同時に私たちに対して神様が求めておられることでもある。パウロを通して私たちにこの地上で生きる生き方、殊に、イエス様の救いにあずかった者がどういう心持で、どういう心構えで生きるのか?そのことをここで語っているのです。「どんなふうに過ごしてきたか」、それが言い換えられて、19節に「すなわち、謙遜の限りをつくし、涙を流し、ユダヤ人の陰謀によってわたしの身に及んだ数々の試練の中にあって、主に仕えてきた」。ここに「主に仕えてきた」と語っています。これがパウロの生き方です。「どんなふうに過ごしてきたか」、そのことをひと言で言うならば、「主に仕えて」ということです。彼はイエス様に出会って初めて自分の人生がひっくり返った。これまでの人生と違ったものになった。ここが私たちもまず心を留めなければならないことであります。
私たちはイエス様の救いにあずかって、イエス・キリストを救い主と信じて、いま私たちが救われて生きている。クリスチャン、あるいはイエス・キリストを信じる者として生かされております。では、世間の人々との違いはどこにあるのか? 世間一般の人と私たちとの違いはどこにあるか?見たところで違いは分かりません。着ている物も食べる物も持っている物も全部同じであります。特殊な印(しるし)がどこかに付いているというのなら、見れば分かりますが、お互いに顔を見合ってもどこにも違いはない。私たちと世の多くの人々との生き方はどこが違うか?皆さんはその違いを自覚して生きていらっしゃいますか?「いや、皆と同じように、みそ汁も、パンも食べる。また着る物も同じ物を着ているし、何の違いもない」とするならば、私たちが救われたとはいったいどういうことなのか? イエス様の救いにあずかるとはどういうことか?訳が分からなくなってしまいます。今申し上げたように、目に見える所、それによって「この人はイエス様に従っている人だ」と分かりません。では、いったい何が違うか。いちばんの違いはパウロが経験した事、いうならば「主に仕える者となる」ことです。ここにありますように「どんなふうに過ごすか」、私たちの人生の歩み方、生活のルール、これが変わる。私たちの根本的な生活の目的、生きる目的が変わると言い換えてもいいかもしれません。それは目には見えないのであります。していることも話すことも何を見ても現れた姿としてはどこにも違いはありません。クリスチャンであろうと、そうでない人であろうと。しかし、その奥に潜(ひそ)んでいる、隠れた所にある一つのルール、生き方の根本が実は違っているのです。それがまさに「主に仕えてきた」ということです。
といいますのは、イエス様の救いにあずかるとは、イエス様が代価を払って私たちを買い取ってくださった結果であります(Ⅰコリント 6:20・7:23)。イエス様を信じて、「イエス様、あなたは私の主です」と告白することによって、私たちはもはや自分のものではない。一方、この世の中はどういう生き方かというと、それは自己満足、自己充足(じゅうそく)といいますか、自分の欲望や願いや、自分の願望を成就(じょうじゅ)していく。それを達成していくために生きる人生です。かつては、私たちもそうだったのです。自分がこうしたい、自分がこうありたい、自分がこうなりたいから、それを追い求めていく。
私も自分の人生を振り返ってみて、そういう時期がありました。若い時から、私はこうなりたい、私の夢はこうだ、人生はこうであるべきだ、私はこういう風に……、という夢を追いかけながら生きてきました。その夢を実現するために、「神様、何とか知恵を与えてください、力を与えてください」と、自分の願望を実現したいため、それが満たされたいが故に、自分で努力するけれども「足らないところを神様補ってください、助けてください」というのが、かつて私が抱(いだ)いていた信仰だったのです。神様は確かにそれに応えてくださいましたが、もう一つ、神様が私に求めていらっしゃることはそうではないということを知ったのが、献身に導かれた大きな切っ掛けでありました。自分の願いや願望を満たしてくれる打ち出の小づちといいますか、何でも願い事を聞いてくださる神様であるかぎり、本当の意味で救いがありません。それは必ず行き詰ります。そうではなくて、私たちが神様の手に自分をささげてしまうこと、これが救いです。自分が、自分がと、自分の願いや願望や希望や、あるいは、夢を実現することにしがみついて、自分を何とか持ち運ぼうとしているかぎり、必ず行き詰って、力のないこと、あるいはできないこと、様々な欲求不満やフラストレーション、いろいろなもので固まってしまう。そして、人とぶつかり、あるいは、自分に失望し、落胆し、落ち込んでしまって、自信喪失(そうしつ)、劣等感などにさいなまれるようになってしまう。そこから私たちを励ましてくれるもの、力を与えてくれるものはけっして生まれてきません。それどころか、むしろ私たちは闇の中へと引き込まれてしまいます。ただ、自分のことを求めて、自分の夢を、自分の願いを、自分のこうなりたい、ああなりたい、ああでなければ嫌だとか、こうでなければ嫌だという、自分の思いに心が縛(しば)られてしまうと、誠に不自由な者になってしまう。そして、挙句の果ては、自分一人が悲劇のヒロインになって、あの人がいけない、この人がいけない、私はこんなにしているのに、あんなにしているのにと、不平不満、つぶやく思いが絶えず心をさいなむといいますか、むしばんできます。私もそういう時を過ごしたことがあり、初めてそこで教えられたのは、イエス様の十字架がそのためである、ということです。私たちのそういう罪の塊(かたまり)、いうならば、自我の塊、神様を押しのけて自分を神とする生き方。なにひとつできない癖(くせ)に自分を神とする。だから、腹が立つわけです。人に期待もする、人を動かそうとするけれども、人もそんなにこちらの言うとおりに動かないから、争いごとになります。そうであるかぎり私たちは決して救われない。神様はそこから私たちをもう一度造り替えてくださる。イエス・キリスト、ひとり子を世に遣わしてくださって、私たちの罪をあがなってくださる。パウロも初めてそのことに気づいて、イエス様に出会ったときに、「我キリストと偕(とも)に十字架につけられたり」(ガラテヤ2:20文語訳)と言い得たのです。私たちも自分が死なないことには変われないことを知る。いろいろな意味でそういう行き詰まることが大切です。自分を捨てて行かなければならない。
これは、人生を生きるなかで、様々な事態を体験して初めて知るのです。自分は「キリストと共に十字架に付けられて、私は死んだ者です」と言いながら、別の問題や別の事柄が起こってくると、まだ死に切れていない、捨て切れていない自分に出会う。これは私たちが死ぬまで続きます。そのたびごとにそこで救いの原点である十字架に繰り返し立ち返っていく。「このことは、私は神様にささげきって、委ねきって、もう自分はありません」と言いつつ、また違った問題に当たると、自分が出てくるのです。いろいろな問題の中で常にイエス様に自分をささげてしまう。十字架にイエス様が死んでくださったのは、まさに私たちが死んだのであります。私が死ぬのであります。このことを常に経験していく。だから、パウロはそう言っています。彼もダマスコの途上でよみがえってくださったイエス様に出会って、その瞬間に「我キリストと偕(とも)に十字架につけられたり、もう死んだんだ」と確信は得たのですが、しかし、それから後、生活のいろいろな具体的な問題の中で、常に自分とぶつかり続けていくのです。だから彼は「コリント人への第一の手紙」に「わたしは日々死んでいるのである」(15:31)とも語っています。あるいは「いつもイエスの死をこの身に負うている」と表現しています(Ⅱコリント 4:10)。それは言い換えますと、いろいろなことでキリスト共に死ぬことが自分に求められていること。具体的な問題の中で本当に自分をキリストにささげていく。主のものとすること、これが私たちに生涯求められていることです。一回飲んだら効き目が続く、というような話ではありません。一つ一つ、事ごとにです。皆さんもご経験だと思いますが、一つのことで「私はお手上げ、ここは神様に任せて全部主のものとなり切る。私はもう死んだ者です」と決めて、それはそれで一つ解決した。ところが、また別の違った問題に当たったときに、頑固な自分がそこにあることに気づくのです。だから、度々です。だから、ある方から「先生、一度死んだらいいかと思ったら、二度も三度もまだ死ぬのですか」と言われました。それはそうです。この地上にあるかぎり、自分と神様とが全く一つになっていくための過程、途中なのです。だから、これは繰り返して十字架を自分のものとしていく道筋です。私たちは絶えず、今自分はどんな風に生きているのか。どのように今の時を過ごしているのか? イエス様の救いにあずかった者として、キリスト共に死んで、主のものとしてあがなわれた者、私たちがイエス様を信じるとは、自分を捨てて、今私が生きているのは、死んでよみがえった主のために生かされている。ここに立ちかえるのがいのちの道です。だからイエス様が「わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう」(マタイ16:25)とおっしゃる。死んで生きる道なのです。私たちが今この地上にあって世の人々とどこが違うか。それは私たちは自分のために生きているのではなくて、私は死んだ者となって、よみがえってくださったイエス様のために生かされている者である。生かされるのは何のために生きるかというと、私たちが「主に仕える者として」ということです。
「ヨハネによる福音書」20章19節から23節までを朗読。
これはイエス様がよみがえられた日の夕方、夜のことでありますが、弟子たちの隠れている所へイエス様が来てくださった。弟子たちはびっくりしました。死んで墓に葬られたのですが、週の初めの日に墓へ行ってみたら、イエス様のご遺体がなかった。彼らは信じられない思いで隠れていた所へ、夕方イエス様が来てくださった。両手と胸の傷を見せて、「私はこのようによみがえったから、安心しなさい」と言われたのです。弟子たちはイエス様を見て、大喜びをしました。そのとき、21節に「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」とイエス様が言われた。イエス様は父なる神様から遣わされてこの世に来たように、今度はイエス様を信じる私たちをこの世に遣わしてくださる。イエス様の弟子として、イエス様のご目的に生きる新しい使命が与えられる。これがイエス様の救いにあずかった者の生き方であります。私たちはこの世の人とどこが違うかといえば、まさにここが違うのです。私たちは自分のしたいことをするために生きているのではなくて、イエス様の救いにあずかった私たちは、この世にイエス様から派遣されて、それぞれの家庭や職場や地域社会、持ち場立場に置かれているのです。これを決して忘れてはならない。自分のしたいようにするのではなくて、私たちを遣わしてくださったイエス様に仕えていくのです。イエス様の弟子であり、イエス様の僕となること。ここに徹底していく。これが私たち救われた者、イエス様の救いにあずかって生きる者の生き方であります。自分がしたいからするのではない。自分が嫌だからしないのではなくて、自分の好きや嫌いは捨てて、自分は死んだ者でありますから、主が何とおっしゃるか? 神様が私たちに求めていらっしゃるものは何であるか? 絶えずそこに思いを向けていくこと、これが遣わされた者の使命であります。私たちはいまイエス様の救いにあずかって、この地上に生かされているのは、私たちを救ってくださったイエス様の僕となっていくことです。僕となるには自分を捨てていかなければなることはできません。自分が行きたい、自分がしたい、自分が嫌だから、自分がこうだから、自分の立場が、自分のメンツが、自分の名誉が、それらに縛られ、それに固執(こしゅう)して、それにしがみついているかぎり、イエス様の弟子になり得ないし、イエス様から救われた者としての使命を果たすことができません。私たちが今この地上に置かれているのは、与えられた持ち場立場、事情、境遇、事柄は違いますけれども、その中に置かれているのは、そこで私たちが見えない主に仕える者となっていくことです。イエス様が私をそこに遣わしてくださった、私を置いてくださっているのだから、私のなすべきことはイエス様の喜び給うこと、イエス様が「よし」とおっしゃることを求めていくことに尽きます。これ以外にはないのであります。あの人が喜ぶから、この人が気に入るだろうから、この人から褒められたいから、ああしとこうか、こうしとこうか……と、そうであるかぎり、私たちはキリストの僕ではありません。私たちは常に主に喜ばれる道を選び取っていく。これが仕える僕の使命です。
「ガラテヤ人への手紙」1章10節を朗読。
これはパウロがガラテヤの人々に語った1節でありますが、これは同時にパウロが自分自身の行動、日々の生活の一つの基準としていた言葉ではないかと思います。いま私がこれをしているのは、いったい誰に喜ばれようとしているのだろうか?いまイエス様の救いにあずかって生きている私たちのいちばん大切なことはここです。「いま私は誰に喜ばれようとして、このことをしようとしているのだろうか?」。家族に喜ばれたい、あるいはご主人や奥さんや、あるいは、あの人この人、あるいは、自分を喜ばせたい、と思っているのかもしれない。もし、そうであったら、そこにありますように、「わたしはキリストの僕ではあるまい」。私たちは主に喜ばれることが何であるか? これを絶えず追い求めていく、これが主の僕、キリストの僕たる生活であります。私たちのすること、世の人とどこにも違いはありません。しかし、その動機が違う。私たちはいつも、ここにありますように「キリストの僕として、神に喜ばれようとしている」、このことに絶えず思いを向けていく。これが私たちクリスチャンの命でありますから、これが欠けてしまって、人に喜ばれ、人の誉(ほま)れを求め、人からの何かを期待して生きているとすれば、それは滅びであります。イエス様が私たちのために命を捨ててくださったのは、私たちを新しいいのちに生きる者としてくださるためであります。新しいいのちとは何かと、私たちの生きざまが、生活の根本原理が、そのあり方が神様を喜ばすもの、神の僕となっていく、ここに全てが集約されているのです。
使徒行伝20章19節に「すなわち、謙遜の限りをつくし、涙を流し、ユダヤ人の陰謀によってわたしの身に及んだ数々の試練の中にあって、主に仕えてきた」。彼にとっては命を狙(ねら)われて死の危険の中にあっても、自分を守り、自分の保身のためにではなくて、常にここにありますように「主に仕える」ことを、まず第一にし、いま自分がしていることは人を喜ばせるためではない、誰のためでもない、私のために死んでよみがえった主のために生かされている。神様に喜ばれる道はどこにあるか?このことだけを彼は追い求めてきた。だから「人から喜ばれようと、人から褒められようと、そんなことには一切頓着(とんちゃく)しない」と語っています。ただ、神様から喜ばれる者となる、これが自分の生き方、自分の歩みだと。これは、また、私たちの生き方でもあります。
常に一つの基準、私たちがイエス様に従って行くこの基準に当てはまる生き方を絶えず点検しておきたい。気が付かないうちにそこからずれてしまいます。あの人が喜ぶからこうしておこう、この人が喜ぶからこうしておこう。初めは、イエス様が喜んでくださるから、主が喜んでくださるからと始めますが、だんだんと、それもいい、これもいい。今度は人を喜ばせ、楽しませることだけに熱中していく。そして、生き方が少しずつ主から離れてしまう、ずれてしまう。これは誠に危険な状態ですから、私たちは常にいま自分はどこに立っているのか?イエス様の救いにあずかった者として、今私がしようとしていることは主に喜ばれることなのか? 私は主の僕としてこのことをさせていただいているだろうか? それを常に自らが問いながら、パウロのようにはっきりと「主に仕えてきた」と、言い切れる者でありたいと思うのです。そうしますとき、どんなことにも力が与えられます。ユダヤ人の様々な陰謀の中にあって、パウロはどうして揺るがないで、力強くその中を突き抜けて行けたか。それは彼がキリストの僕になり切ってきた、という確信があるからです。私たちがいつも揺れ動くのは、それが欠けるからです。「私はイエス様、あなたの御心に従ってきました」と言い得る者となっていきたい。それが実は私たちの力となり、いのちとなってくるのです。
このパウロのように「謙遜の限りをつくし、涙を流し、試練の中にあって、主に仕える」、キリストの僕となっていく者でありたいと思います。
ご一緒にお祈りをいたしましょう。
19節「すなわち、謙遜の限りをつくし、涙を流し、ユダヤ人の陰謀によってわたしの身に及んだ数々の試練の中にあって、主に仕えてきた」。
パウロが伝道旅行で地中海沿岸各地を回っておりました途中、どうしても、エルサレムにいる教会の人々に会わなければならない用事ができまして、旅の途中でありましたが、エルサレムへ戻って行くことになったのです。しかし、このときパウロは多くのユダヤ人から恨まれ憎まれており、彼の命を取ろうとする陰謀(いんぼう)、たくらみがなされていました。ご存じのように、パウロは、そもそもイエス様の弟子ではありませんでした。ペテロやヨハネ、アンデレとかピリポ、そういうイエス様のお弟子さんたちと、ちょっと違っていました。時代的にも少しずれがあります。イエス様がこの世にいらっしゃったとき、パウロはまだ幼くて直接イエス様を知らなかったのです。パウロの生まれ育ちは大変恵まれた境遇でありました。彼はユダヤ人として生まれ、外国に住んでいました。ギリシャ語を話す人々の中で育ってきた人です。ご両親はこの息子を何とかして誇り高いユダヤ民族の教養を身に付けさせるために教育にも随分熱心だったようであります。彼は学識豊かであり、経済的にも大変恵まれた人物でした。彼自身がそういう誇りとするもの、自分の資質、タラントといいますか、恵みを数え挙(あ)げればいくらでもあると語っています(ピリピ 3:5)。そもそも生粋のユダヤ人であって、パリサイ人と言われている。パリサイ人は、人種としてではなくて、ユダヤ教の一派であるパリサイ派に属する信徒ということです。このパリサイ派は、大変熱心なユダヤ教徒たちのグループですから、そこに所属しているというだけで当時のユダヤ人の社会の中では、一目置かれる存在でもあったのです。ですから、パウロは自分がパリサイ人であって、ユダヤ人の中のユダヤ人、ベニヤミン族の出身と誇らしげに語っていますが、私たちにとって「そんなものは何の足しにもならん」と思いますけれども、当時のユダヤ人はその言葉を聞いただけで「そんな立派な人ですか」という話になる内容だったのです。彼はそういうエリートとしてユダヤ人社会で将来を嘱望(しょくぼう)される人物であったのも事実であります。彼はパリサイ人として熱烈な宗教心からクリスチャンを迫害する側に立っていたのです。イエス様が十字架におかかりになったとき、彼はイエス様の十字架について直接知りませんでした。恐らく外国にいたのかもしれません。
弟子たちが聖霊に満たされて、盛んにイエス・キリストが復活したこと、よみがえった主を証しして回る。そうすると、次から次へと救われる人たち、「自分たちは誠に間違っていた」と言って、「イエス様を救い主と信じます」と悔い改める多くの人たちが起こされました。「使徒行伝」を読みますと、1日にして5千人近くの人たちが改宗した、と言われていますから、その勢いたるや、まるで火が燃え広がるようにイエス様の救いが宣(の)べ伝えられ始めた。そのことをいちばん危惧した連中はユダヤ教の人たちです。殊にパリサイ派と言われる人たちは「とんでもない邪教、異教である」、「間違った教えだ」といってクリスチャンを迫害するようになりました。その迫害が大変激しくなってきます。そのとき、迫害の急先鋒、先頭に立っていたのがパウロだったのです。彼はクリスチャンを迫害することによって神様に対する自分の熱心さ、自分の正しさを誇りました。だから、たくさんクリスチャンを捕えて、ろう屋に入れたり殉教させたりすることで、自分の名誉、自分の誉れを築いていたのです。ユダヤ人たちからすれば「頼もしいやつだ」、「こんな元気のいい若者は、またといない」と大いに期待したのです。
ところが、急先鋒であったパウロが、突然手のひらを返したように変わってしまった。ダマスコにクリスチャンを迫害するために出掛けて行った途中で、突然よみがえったイエス様が、彼にあらわれてくださった。そして、初めてそこで、「本当に自分が迫害していたイエス・キリストこそが、神様の救いにあずかる道だ」と彼は悟ったのです。人生を180度転換した。その後、彼はアラビアに身を潜(ひそ)めていた時期がありますが、やがてエルサレムに戻って来ました。そして、今度はイエス様を伝える者となったのです。昔の仲間からすれば、大変な裏切り者ですから、許せない。期待していただけに裏切られた反動といいますか、その憎しみたるや、大変根深いのです。だから、事あるごとにパウロに対して様々な妨害、非難が浴(あび)せられました。パウロは地中海沿岸の各地にまで出掛けて行っていろいろな人々にイエス様を宣(の)べ伝え、次から次へとあちらの町、こちらの町にクリスチャンたちが教会を造るようになっていきます。ユダヤ人たちは「これは困ったものだ。何とかあいつをやっつけなければならない」という思いに駆(か)られていました。幸いにその時が巡(めぐ)ってきたのが、今読みました記事であります。
大迫害でクリスチャンはエルサレムから散らされましたが、エルサレムの教会にはペテロやヨハネなどイエス様の直接の弟子たちが教会を指導していました。具体的にどんな問題であったのか分かりませんが、パウロは一つの事があって、どうしてもエルサレムへ戻らねばならなかったのです。しかし、そこにはユダヤ人たちの激しい憎しみと、彼に対する陰謀、たくらみがあり、捕えられて殺されるに違いない、身の危険を感じる状況でありました。そのことは、彼自身のみならず、周囲にいる人たちは皆知っていたのです。ですから、何とかしてパウロがそうならないように、そこに行かないように、危険が待ち受けているからやめておくようにと、繰り返し彼を引き止めました。しかし、彼は「いや、たとえ何があっても今エルサレムに行くことが、自分に神様が求めておられることである」。「御霊に迫られて」と彼は語っています。神様の力に促(うなが)されるがごとく、「自分の意志ではなくて神様の御心に従って行かざるを得ない」という思いでありました。そうやってエルサレムに帰って行く途中ですが、船に乗って各地に寄港しながらエルサレムに近いカイザリアへ戻って行くのです。ミレトという港町に船が停泊したのです。そこで荷物を積んだり下ろしたりします。ミレトという町から、少し内陸部に入った所にエペソという町がありました。エペソはパウロにとっては大変懐かしいというか、自分の子供のような教会があったのです。エペソにある教会は彼が大変苦労しながら伝道して、その結果、教会が建てられたのです。パウロはテモテに託して伝道旅行に出て行ったのです。ミレトの港町に来たとき、少し先にエペソがあることを知っていましたから、彼はすぐに使いをやり、エペソの教会の主だった人たち、長老たちに来てもらいました。というのは、これがこの地上にあって彼らに会う最後だ、という覚悟をしていましたから、「できれば、ここで最後のことを語りたい」と彼は思いました。
17節に「ミレトからエペソに使をやって、教会の長老たちを呼び寄せた」と語っています。このとき、エペソの人たちも大変暗い重たい気持であったと思います。愛するパウロ先生が、ひょっとしたらこれで会えなくなるかもしれない、という状況だったのですから、心弾(はず)む話ではありません。集まったときにパウロが語ったのが18節以下です。これは、エペソの人々に対するパウロの告別説教といいますか、辞世(じせい)の言葉でもあります。18節の中ほどから読みますと「わたしが、アジヤの地に足を踏み入れた最初の日以来、いつもあなたがたとどんなふうに過ごしてきたか、よくご存じである」。まず彼が最初に語ったことは、自分がどういう考え、姿勢でこの地上の生活を送ってきたかということです。「どんなふうに過ごしてきたか」と。これはまた同時に私たちに対して神様が求めておられることでもある。パウロを通して私たちにこの地上で生きる生き方、殊に、イエス様の救いにあずかった者がどういう心持で、どういう心構えで生きるのか?そのことをここで語っているのです。「どんなふうに過ごしてきたか」、それが言い換えられて、19節に「すなわち、謙遜の限りをつくし、涙を流し、ユダヤ人の陰謀によってわたしの身に及んだ数々の試練の中にあって、主に仕えてきた」。ここに「主に仕えてきた」と語っています。これがパウロの生き方です。「どんなふうに過ごしてきたか」、そのことをひと言で言うならば、「主に仕えて」ということです。彼はイエス様に出会って初めて自分の人生がひっくり返った。これまでの人生と違ったものになった。ここが私たちもまず心を留めなければならないことであります。
私たちはイエス様の救いにあずかって、イエス・キリストを救い主と信じて、いま私たちが救われて生きている。クリスチャン、あるいはイエス・キリストを信じる者として生かされております。では、世間の人々との違いはどこにあるのか? 世間一般の人と私たちとの違いはどこにあるか?見たところで違いは分かりません。着ている物も食べる物も持っている物も全部同じであります。特殊な印(しるし)がどこかに付いているというのなら、見れば分かりますが、お互いに顔を見合ってもどこにも違いはない。私たちと世の多くの人々との生き方はどこが違うか?皆さんはその違いを自覚して生きていらっしゃいますか?「いや、皆と同じように、みそ汁も、パンも食べる。また着る物も同じ物を着ているし、何の違いもない」とするならば、私たちが救われたとはいったいどういうことなのか? イエス様の救いにあずかるとはどういうことか?訳が分からなくなってしまいます。今申し上げたように、目に見える所、それによって「この人はイエス様に従っている人だ」と分かりません。では、いったい何が違うか。いちばんの違いはパウロが経験した事、いうならば「主に仕える者となる」ことです。ここにありますように「どんなふうに過ごすか」、私たちの人生の歩み方、生活のルール、これが変わる。私たちの根本的な生活の目的、生きる目的が変わると言い換えてもいいかもしれません。それは目には見えないのであります。していることも話すことも何を見ても現れた姿としてはどこにも違いはありません。クリスチャンであろうと、そうでない人であろうと。しかし、その奥に潜(ひそ)んでいる、隠れた所にある一つのルール、生き方の根本が実は違っているのです。それがまさに「主に仕えてきた」ということです。
といいますのは、イエス様の救いにあずかるとは、イエス様が代価を払って私たちを買い取ってくださった結果であります(Ⅰコリント 6:20・7:23)。イエス様を信じて、「イエス様、あなたは私の主です」と告白することによって、私たちはもはや自分のものではない。一方、この世の中はどういう生き方かというと、それは自己満足、自己充足(じゅうそく)といいますか、自分の欲望や願いや、自分の願望を成就(じょうじゅ)していく。それを達成していくために生きる人生です。かつては、私たちもそうだったのです。自分がこうしたい、自分がこうありたい、自分がこうなりたいから、それを追い求めていく。
私も自分の人生を振り返ってみて、そういう時期がありました。若い時から、私はこうなりたい、私の夢はこうだ、人生はこうであるべきだ、私はこういう風に……、という夢を追いかけながら生きてきました。その夢を実現するために、「神様、何とか知恵を与えてください、力を与えてください」と、自分の願望を実現したいため、それが満たされたいが故に、自分で努力するけれども「足らないところを神様補ってください、助けてください」というのが、かつて私が抱(いだ)いていた信仰だったのです。神様は確かにそれに応えてくださいましたが、もう一つ、神様が私に求めていらっしゃることはそうではないということを知ったのが、献身に導かれた大きな切っ掛けでありました。自分の願いや願望を満たしてくれる打ち出の小づちといいますか、何でも願い事を聞いてくださる神様であるかぎり、本当の意味で救いがありません。それは必ず行き詰ります。そうではなくて、私たちが神様の手に自分をささげてしまうこと、これが救いです。自分が、自分がと、自分の願いや願望や希望や、あるいは、夢を実現することにしがみついて、自分を何とか持ち運ぼうとしているかぎり、必ず行き詰って、力のないこと、あるいはできないこと、様々な欲求不満やフラストレーション、いろいろなもので固まってしまう。そして、人とぶつかり、あるいは、自分に失望し、落胆し、落ち込んでしまって、自信喪失(そうしつ)、劣等感などにさいなまれるようになってしまう。そこから私たちを励ましてくれるもの、力を与えてくれるものはけっして生まれてきません。それどころか、むしろ私たちは闇の中へと引き込まれてしまいます。ただ、自分のことを求めて、自分の夢を、自分の願いを、自分のこうなりたい、ああなりたい、ああでなければ嫌だとか、こうでなければ嫌だという、自分の思いに心が縛(しば)られてしまうと、誠に不自由な者になってしまう。そして、挙句の果ては、自分一人が悲劇のヒロインになって、あの人がいけない、この人がいけない、私はこんなにしているのに、あんなにしているのにと、不平不満、つぶやく思いが絶えず心をさいなむといいますか、むしばんできます。私もそういう時を過ごしたことがあり、初めてそこで教えられたのは、イエス様の十字架がそのためである、ということです。私たちのそういう罪の塊(かたまり)、いうならば、自我の塊、神様を押しのけて自分を神とする生き方。なにひとつできない癖(くせ)に自分を神とする。だから、腹が立つわけです。人に期待もする、人を動かそうとするけれども、人もそんなにこちらの言うとおりに動かないから、争いごとになります。そうであるかぎり私たちは決して救われない。神様はそこから私たちをもう一度造り替えてくださる。イエス・キリスト、ひとり子を世に遣わしてくださって、私たちの罪をあがなってくださる。パウロも初めてそのことに気づいて、イエス様に出会ったときに、「我キリストと偕(とも)に十字架につけられたり」(ガラテヤ2:20文語訳)と言い得たのです。私たちも自分が死なないことには変われないことを知る。いろいろな意味でそういう行き詰まることが大切です。自分を捨てて行かなければならない。
これは、人生を生きるなかで、様々な事態を体験して初めて知るのです。自分は「キリストと共に十字架に付けられて、私は死んだ者です」と言いながら、別の問題や別の事柄が起こってくると、まだ死に切れていない、捨て切れていない自分に出会う。これは私たちが死ぬまで続きます。そのたびごとにそこで救いの原点である十字架に繰り返し立ち返っていく。「このことは、私は神様にささげきって、委ねきって、もう自分はありません」と言いつつ、また違った問題に当たると、自分が出てくるのです。いろいろな問題の中で常にイエス様に自分をささげてしまう。十字架にイエス様が死んでくださったのは、まさに私たちが死んだのであります。私が死ぬのであります。このことを常に経験していく。だから、パウロはそう言っています。彼もダマスコの途上でよみがえってくださったイエス様に出会って、その瞬間に「我キリストと偕(とも)に十字架につけられたり、もう死んだんだ」と確信は得たのですが、しかし、それから後、生活のいろいろな具体的な問題の中で、常に自分とぶつかり続けていくのです。だから彼は「コリント人への第一の手紙」に「わたしは日々死んでいるのである」(15:31)とも語っています。あるいは「いつもイエスの死をこの身に負うている」と表現しています(Ⅱコリント 4:10)。それは言い換えますと、いろいろなことでキリスト共に死ぬことが自分に求められていること。具体的な問題の中で本当に自分をキリストにささげていく。主のものとすること、これが私たちに生涯求められていることです。一回飲んだら効き目が続く、というような話ではありません。一つ一つ、事ごとにです。皆さんもご経験だと思いますが、一つのことで「私はお手上げ、ここは神様に任せて全部主のものとなり切る。私はもう死んだ者です」と決めて、それはそれで一つ解決した。ところが、また別の違った問題に当たったときに、頑固な自分がそこにあることに気づくのです。だから、度々です。だから、ある方から「先生、一度死んだらいいかと思ったら、二度も三度もまだ死ぬのですか」と言われました。それはそうです。この地上にあるかぎり、自分と神様とが全く一つになっていくための過程、途中なのです。だから、これは繰り返して十字架を自分のものとしていく道筋です。私たちは絶えず、今自分はどんな風に生きているのか。どのように今の時を過ごしているのか? イエス様の救いにあずかった者として、キリスト共に死んで、主のものとしてあがなわれた者、私たちがイエス様を信じるとは、自分を捨てて、今私が生きているのは、死んでよみがえった主のために生かされている。ここに立ちかえるのがいのちの道です。だからイエス様が「わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう」(マタイ16:25)とおっしゃる。死んで生きる道なのです。私たちが今この地上にあって世の人々とどこが違うか。それは私たちは自分のために生きているのではなくて、私は死んだ者となって、よみがえってくださったイエス様のために生かされている者である。生かされるのは何のために生きるかというと、私たちが「主に仕える者として」ということです。
「ヨハネによる福音書」20章19節から23節までを朗読。
これはイエス様がよみがえられた日の夕方、夜のことでありますが、弟子たちの隠れている所へイエス様が来てくださった。弟子たちはびっくりしました。死んで墓に葬られたのですが、週の初めの日に墓へ行ってみたら、イエス様のご遺体がなかった。彼らは信じられない思いで隠れていた所へ、夕方イエス様が来てくださった。両手と胸の傷を見せて、「私はこのようによみがえったから、安心しなさい」と言われたのです。弟子たちはイエス様を見て、大喜びをしました。そのとき、21節に「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」とイエス様が言われた。イエス様は父なる神様から遣わされてこの世に来たように、今度はイエス様を信じる私たちをこの世に遣わしてくださる。イエス様の弟子として、イエス様のご目的に生きる新しい使命が与えられる。これがイエス様の救いにあずかった者の生き方であります。私たちはこの世の人とどこが違うかといえば、まさにここが違うのです。私たちは自分のしたいことをするために生きているのではなくて、イエス様の救いにあずかった私たちは、この世にイエス様から派遣されて、それぞれの家庭や職場や地域社会、持ち場立場に置かれているのです。これを決して忘れてはならない。自分のしたいようにするのではなくて、私たちを遣わしてくださったイエス様に仕えていくのです。イエス様の弟子であり、イエス様の僕となること。ここに徹底していく。これが私たち救われた者、イエス様の救いにあずかって生きる者の生き方であります。自分がしたいからするのではない。自分が嫌だからしないのではなくて、自分の好きや嫌いは捨てて、自分は死んだ者でありますから、主が何とおっしゃるか? 神様が私たちに求めていらっしゃるものは何であるか? 絶えずそこに思いを向けていくこと、これが遣わされた者の使命であります。私たちはいまイエス様の救いにあずかって、この地上に生かされているのは、私たちを救ってくださったイエス様の僕となっていくことです。僕となるには自分を捨てていかなければなることはできません。自分が行きたい、自分がしたい、自分が嫌だから、自分がこうだから、自分の立場が、自分のメンツが、自分の名誉が、それらに縛られ、それに固執(こしゅう)して、それにしがみついているかぎり、イエス様の弟子になり得ないし、イエス様から救われた者としての使命を果たすことができません。私たちが今この地上に置かれているのは、与えられた持ち場立場、事情、境遇、事柄は違いますけれども、その中に置かれているのは、そこで私たちが見えない主に仕える者となっていくことです。イエス様が私をそこに遣わしてくださった、私を置いてくださっているのだから、私のなすべきことはイエス様の喜び給うこと、イエス様が「よし」とおっしゃることを求めていくことに尽きます。これ以外にはないのであります。あの人が喜ぶから、この人が気に入るだろうから、この人から褒められたいから、ああしとこうか、こうしとこうか……と、そうであるかぎり、私たちはキリストの僕ではありません。私たちは常に主に喜ばれる道を選び取っていく。これが仕える僕の使命です。
「ガラテヤ人への手紙」1章10節を朗読。
これはパウロがガラテヤの人々に語った1節でありますが、これは同時にパウロが自分自身の行動、日々の生活の一つの基準としていた言葉ではないかと思います。いま私がこれをしているのは、いったい誰に喜ばれようとしているのだろうか?いまイエス様の救いにあずかって生きている私たちのいちばん大切なことはここです。「いま私は誰に喜ばれようとして、このことをしようとしているのだろうか?」。家族に喜ばれたい、あるいはご主人や奥さんや、あるいは、あの人この人、あるいは、自分を喜ばせたい、と思っているのかもしれない。もし、そうであったら、そこにありますように、「わたしはキリストの僕ではあるまい」。私たちは主に喜ばれることが何であるか? これを絶えず追い求めていく、これが主の僕、キリストの僕たる生活であります。私たちのすること、世の人とどこにも違いはありません。しかし、その動機が違う。私たちはいつも、ここにありますように「キリストの僕として、神に喜ばれようとしている」、このことに絶えず思いを向けていく。これが私たちクリスチャンの命でありますから、これが欠けてしまって、人に喜ばれ、人の誉(ほま)れを求め、人からの何かを期待して生きているとすれば、それは滅びであります。イエス様が私たちのために命を捨ててくださったのは、私たちを新しいいのちに生きる者としてくださるためであります。新しいいのちとは何かと、私たちの生きざまが、生活の根本原理が、そのあり方が神様を喜ばすもの、神の僕となっていく、ここに全てが集約されているのです。
使徒行伝20章19節に「すなわち、謙遜の限りをつくし、涙を流し、ユダヤ人の陰謀によってわたしの身に及んだ数々の試練の中にあって、主に仕えてきた」。彼にとっては命を狙(ねら)われて死の危険の中にあっても、自分を守り、自分の保身のためにではなくて、常にここにありますように「主に仕える」ことを、まず第一にし、いま自分がしていることは人を喜ばせるためではない、誰のためでもない、私のために死んでよみがえった主のために生かされている。神様に喜ばれる道はどこにあるか?このことだけを彼は追い求めてきた。だから「人から喜ばれようと、人から褒められようと、そんなことには一切頓着(とんちゃく)しない」と語っています。ただ、神様から喜ばれる者となる、これが自分の生き方、自分の歩みだと。これは、また、私たちの生き方でもあります。
常に一つの基準、私たちがイエス様に従って行くこの基準に当てはまる生き方を絶えず点検しておきたい。気が付かないうちにそこからずれてしまいます。あの人が喜ぶからこうしておこう、この人が喜ぶからこうしておこう。初めは、イエス様が喜んでくださるから、主が喜んでくださるからと始めますが、だんだんと、それもいい、これもいい。今度は人を喜ばせ、楽しませることだけに熱中していく。そして、生き方が少しずつ主から離れてしまう、ずれてしまう。これは誠に危険な状態ですから、私たちは常にいま自分はどこに立っているのか?イエス様の救いにあずかった者として、今私がしようとしていることは主に喜ばれることなのか? 私は主の僕としてこのことをさせていただいているだろうか? それを常に自らが問いながら、パウロのようにはっきりと「主に仕えてきた」と、言い切れる者でありたいと思うのです。そうしますとき、どんなことにも力が与えられます。ユダヤ人の様々な陰謀の中にあって、パウロはどうして揺るがないで、力強くその中を突き抜けて行けたか。それは彼がキリストの僕になり切ってきた、という確信があるからです。私たちがいつも揺れ動くのは、それが欠けるからです。「私はイエス様、あなたの御心に従ってきました」と言い得る者となっていきたい。それが実は私たちの力となり、いのちとなってくるのです。
このパウロのように「謙遜の限りをつくし、涙を流し、試練の中にあって、主に仕える」、キリストの僕となっていく者でありたいと思います。
ご一緒にお祈りをいたしましょう。