いこいのみぎわ

主は我が牧者なり われ乏しきことあらじ

聖書からのメッセージ(365)「手放しで生きる」

2014年10月28日 | 聖書からのメッセージ
 「使徒行伝」20章28節から38節までを朗読。

 32節「今わたしは、主とその恵みの言(ことば)とに、あなたがたをゆだねる。御言(みことば)には、あなたがたの徳をたて、聖別されたすべての人々と共に、御国をつがせる力がある」。

 パウロがエルサレムに帰って行こうとしているときでありました。彼は地中海沿岸の各地を回って、イエス様の福音、救いを伝道、宣教のわざをしておりました。三度目の伝道旅行の途中で、当時クリスチャンの本山といいますか、中心地であったエルサレムに戻らねばならないことがあったようです。イエス様の直弟子(じきでし)といわれる人たち、ペテロやヨハネやそのほかの12弟子たちがエルサレムにとどまって教会ができていました。ご存じのようにエルサレムは、大迫害に遭いまして、クリスチャンはそれぞれ散らされてしまったのです。ほとんどいなくなったのですが、使徒たちは生粋(きっすい)のユダヤ人でありますから、そのまま何とかエルサレムに踏みとどまり、そこに残ったクリスチャンたちと信仰の道を歩んでいたのです。多くの人々が大迫害に遭って各地に散って行ったわけですが、それで消えてしまったかというと、そうではありません。これは神様の大きなご計画であった、と私は思います。クリスチャンが迫害に遭うことは、つらいことであり、悲しい出来事に違いありません。しかし、それゆえにこそ、イエス様の福音が各地に持ち運ばれるのです。これは驚くべきことだと思います。その結果、アンテオケであるとか、あちらこちらに教会がつくられ、イエス様を信じる人々が起こされるのです。だから、ローマにまで既に教会が建てられていた時代であります。しかし、ローマにはパウロ自身も行ったことがなかったのです。パウロがコリントに行った時、そこで出会ったプリスキラとアクラ夫婦は本来ローマでイエス様の救いにあずかった人物であります。ところが、ネロ皇帝やその前の皇帝からだんだんとキリスト教に対する迫害がひどくなってきて、この二人はローマを出て来てパウロに出会う事態になったのです。散らされて行った人たちが福音を携(たずさ)えて各地へ出て行ったのです。行った先先で更に多くの人々にこの福音を宣(の)べ伝えたのです。それで各地に教会が出来ました。そういう諸教会の指導的な立場に立っていたのが、エルサレム教会、またそこにいる12弟子、ユダは欠けていましたから、でもその後マッテヤという別の人がその代わりに入りましたから、そういうイエス様の指導を直接受けた弟子たちがエルサレムにとどまっていたのです。

実は、パウロは彼らと縁がなかったのです。パウロは直接生前イエス様に出会ったことはありません。生活を共にした12弟子と同じではないのです。彼はイエス様が十字架にかかられた後、天にお帰りになって更にその後です。しばらくしてから、初めてよみがえったイエス様に出会う体験をいたしました。それまではむしろクリスチャンを迫害した者です。だから、エルサレムで大迫害が起こった時、パウロは迫害者の仲間だったわけです。パウロがダマスコへクリスチャンを迫害しに出かけて行く途中でよみがえってくださったイエス様に直接にお会いしました。お会いしたと言っても、肉体を通して、手で触り、目で見て、声を聞くという体験ではなかったのです。霊的な、いわゆる魂に神様が霊を注いで、キリストが誰のために死んだか、キリストは何のためにこの世に遣(つか)わされた御方であったかということを、瞬時にしてパウロに悟らせて下さったのです。彼はそれまでクリスチャンを邪教(じゃきょう)といいますか、よこしまな宗教を信じて、社会に害悪だと信じて、無きものにしようとしたのです。しかし、実はそうではない。これこそが命の源(みなもと)であることをパウロは初めて知ったのです。それで、彼の人生は180度変わりました。それまでクリスチャンを迫害していた人が、途端に、といいますか、瞬時にしてひっくり返ったわけですから、だれも信用しません。「そんな馬鹿な」と「ひょっとしたら、スパイではないか」とか、「自分たちの仲間に近づこうとしているのではないか」と、疑心暗鬼(ぎしんあんき)に駆られて、誰も受け入れようとはしませんでした。でも、パウロはイエス様に出会って、自分の肉に付けるといいますか、この世の名誉や地位や、様々な事を一切捨てて、今度はキリストの僕(しもべ)になりきって生きることになりました。その間、十数年の長い年月が掛っていますが、いずれにしても、後にパウロはそうやってイエス様を伝える者と変わりました。

やがて、パウロはアンテオケの教会から遣わされて、地中海各地にイエス様の福音を伝えましたが、「彼は本当に変わったのか」と、エルサレム教会は彼の行動を監視するといいますか、「何かボロを出しはしないか」と常に見ていた節があります。あるとき、どうしてもエルサレム教会に戻って、自分の働きをはっきりと弁明(べんめい)しなければならない事態が起こったのです。というのは、パウロについて様々な有ること無いこと、悪口といいますか、批判めいたことが全部エルサレムの教会に伝わってくる。そうすると、ペテロやヨハネたちも自分の同僚として認めることがなかなかできにくい。といって、敵対するわけにもいかないし、宙ぶらりんの状態です。パウロは、ここははっきりと彼らと共に自分の立場を弁明しようという意図(いと)をもって戻って行くことになります。ところが、エルサレムには、パウロを憎(にく)む人たちがたくさんいたのです。というのは、それまではユダヤ教の急先鋒(きゅうせんぽう)ですから、クリスチャンを大迫害する、迫害の元締め、親玉のような人物であります。それが敵方に寝返ったのですから、かつての仲間たちは逆に敵意が倍増するのです。憎しみが増える。「あいつは、どうも放っておくわけにはいかないから殺してしまおう」という陰謀(いんぼう)が着々と進んでいた。そこへもってきて、「どうも、エルサレムに戻って来るらしい」ということで、「パウロを捕えよう」、「彼を何とか殺してしまおう」という、計画は公然の事実であったのです。

パウロがエルサレムに戻れば即刻命を失うに違いない。これはほとんど確実視されていたことでありました。だから、伝道旅行の途中から彼が「自分は、どうしてもエルサレムに戻らなければならない」と言い始めたとき、周囲にいた人たちは引き止めたのです。「とんでもない、今この時期にあなたがエルサレムに行ったら、捕えられて命を失うことになる。だから、絶対に行ってはいけない」と言って、引き止めました。ところが、パウロは決してひるんだわけではありません。「これは、神様が私に求めておられること」と信じていましたから、どうしてもそこへ行こうとする。「使徒行伝」を読みますと、「パウロは御霊に導かれて、エルサレムに戻って行く」と語られています。ところが、引き止める側の人たちは「御霊によって、彼らはパウロを引きとめた」とあります。どちらも「御霊」が錦(にしき)の御旗(みはた)になるのです。「私たちは、御霊によって引き止める」、片や、パウロは「御霊が私に『行け』と言うから行くんだ」と。「どちらが本当かな?」、「御霊の導きとはどこにあるのか」と言われますが、神様の霊、御霊が私たちを導かれるとき、一本筋ではないのです。いろいろな道があります。千差万別です。時には矛盾(むじゅん)するようにも見えます。しかし、大切なのは一人一人が「今、自分が神の御霊に導かれている」と確信をもって信じているかどうか、ということです。それを信じて従うことが大切です。「そんなことをしたら、お互い矛盾してぶつかり合って世の中は混とんとなってしまうではないか」と心配しますが、御霊がこちらは「行け」と言うし、あちらは「止める」。こちらは「ああしろ」と言う。あちらは「するな」と言う。「いったい、これはどうなっているのだ。それぞれが皆勝手放題にやったら、世の中がぐちゃぐちゃになってしまうではないか」と言います。ところが、御霊はもっと大きなご計画、神様の御思いのなかで一人一人を導かれる。だから、決して混とんとした、無秩序(むちつじょ)に陥(おちい)ってしまうことはありません。それどころか一人一人がそれぞれ導かれたところに従って歩むことが大切です。だから、パウロはよくそのようなことを言っています。「ローマ人への手紙」でも「野菜を食べるとか食べないとか、あるいは日を重んじるとか重んじない」(14:2~)ということを取り上げています。「ある人にとって『これは食べてはいけない。汚れたものだ』と思う人にとっては、それは食べないがよい。しかし『これは食べてもいいのだ。そんなことを気にすることはない』と言う人にとっては、それを食べたらいいじゃないか」と答えています。私たちは正解は一つしかない、という学校教育を受けていますから、「そんな二つともいいことがあるはずがない。どちらかが間違いで、どちらかが正解に違いない」と思います。ところが、神様のみ思いは「どちらでもいいのだよ。ただその人が信仰を持ってそのことを行いなさい。食べる人は信仰によって食べ、食べない人は信仰に基(もと)づいて食べない」。ここが大切だということです。これは非常に大らかなことのように思いますが、逆に言うと非常に厳しいことです。一人一人が責任を問われている。「こうです」とスローガンを掲げられて、一つの方向へ「右向け右」と皆がパッと右を向く。「左向け左」でパッと左に向くことのほうが楽です。「あなたはこうしなさい」と決められた方が、ルール化されたほうがしやすい、行きやすい。ところが、パウロは決してそうはしません。「あなたが導かれて、それが神様の御心であると信じるならば、それを行いなさい。もしそのように思えない、信じられないのに、それをするのは罪である」と厳しく言っています。だから、私たちが何をするにしても、祈って「これはいま私に神様がせよ、とおっしゃってくださっていらっしゃる、求めておられることです」と信じて踏み出すならば、必ずそこに神様の祝福と恵みが伴う。ところが「皆がそうするからしなければいかん」、あるいは「こうしておかなければ、誰かが何かを言うに違いない」「世間に恥ずかしい」とか、「だから、ああしておこう」「こうしておこう」と、信仰からそれて、神様の御思いから離れて自分の肉に付ける感情や情愛や、欲によって生きているとするならば、それは罪である、とはっきりと言います。だから、パウロは神様の導きに従ってエルサレムに行く。といって、引き止める人たちも神様の導きを信じて引き止める。これは神様がパウロにエルサレムに行くことが確実に神様の導きであることをもう一度確信を持たせるためといいますか、引き止めてくれる人があればこそ、パウロはいま自分が行こうとしている所に確固として揺るがない確信を持って、「これは主の備えられたことです」と言えるのです。周囲の人々が「いいことや」「いいことや」ともろ手を挙げて賛成すると、みんながオーケーしてくれるから行こうか、となります。すると、ちょっと困難に当たってご覧なさい。ピシャッとつぶれます。ところが、様々な人々から何度となく引き止められたなかを、きちっと祈って、神様の御心であることをしっかりと心に据(す)えて出かけますから、その後、苦しいことに遭おうとつらいことに遭おうと、何があっても「これは主が導かれることです」と言えるのです。

お祈りしていると、家族のあの娘も息子も、主人もおじいちゃんもおばあちゃんも、皆がもろ手を挙げて賛成してくれた。「きっと、これは神様の御心だろう」と、そんなものに御心だと乗っかかったら、途中で何か問題が起こってつらいことになってご覧なさい。すぐ「あなたたちがいいと言ったじゃないの」と、責任転嫁(てんか)が起こる。けれども、10人が10人、家族中が反対したなかを、「いや、これは主の御心だ。私はさせていただく」と、ポーンと言って御覧なさい。最初は「また、あんな馬鹿なことをして……」と非難がきます。しかし、そこで信仰によって神様の導きを確信し、踏み出していきますと、やがて、今まで反対していた人が、一人、また一人、「やっぱりこれは良かったに違いない。あなたは良い道を行ったね。善いことをしたね」と、今度はみんなが賛成に回ってくれるように神様が変えてくださる。だから、私たちはいつも何を見ているか、これが大切です。人の評判、人のいわゆる認可といいますか、承認を求めている間、私たちは弱いのです。そうではなくて、祈って、しっかりと祈った結果、「これは神様がいま私にせよ、とおっしゃること。私がここに行くべきだ」、あるいは「これはもう決してしてはならないのだ」と、一つ一つに確信を持って生きることです。これがクリスチャンの生き方です。ところが、私どもの住んでいる日本の社会は、まことの神様を知らない、イエス様のことを知らない世界ですから、いろいろなことを言う人がいます。右から左からいろいろなことを言われます。何かしようとすると、「したらいい」とか「やめとけ」、褒められたりくさされたり、いろいろなことを言う人が周囲にたくさんいます。いちいちそれに引っかかっていたら、神様の御心を行うことはできないどころか、神様の恵みと祝福を受けられません。

このときもそうやって多くの人に止められましたが、彼は船に乗ってエルサレムに戻って行きました。その途中でミレトという港町に着きました。ミレトはエペソという町に非常に近い所にある。エペソはパウロが伝道を始めて出来た教会です。いま読みました記事に、3年近く心血を注いでエペソの町に伝道した、ということを語っています。ですから、パウロにとっては心のふる里といいますか、自分の産んだ子供のように非常に愛する信徒たちでありました。だから、このとき、これで最後かと思ったので、ミレトの港町に着いたとき、「この奥にエペソの町があるぞ。是非会いたい」と願いました。それで、エペソの教会の長老たち、主(おも)だった人たちに港町まで来てもらった。数名の信徒たちがミレトの港町に来ました。そこで久しぶりにパウロと再会したのです。

そのとき語ったのが20章18節からの言葉です。18節以下に「そして、彼のところに寄り集まってきた時、彼らに言った。『わたしが、アジヤの地に足を踏み入れた最初の日以来、いつもあなたがたとどんなふうに過ごしてきたか、よくご存じである。19 すなわち、謙遜(けんそん)の限りをつくし、涙を流し、ユダヤ人の陰謀(いんぼう)によってわたしの身に及んだ数々の試練の中にあって、主に仕えてきた』」。素晴らしいですね。彼はかつてエペソの町に初めてやって来たとき、彼を支援してくれる者もいなかった。しかし、神様がその町に一人一人ぽつりぽつりと、イエス様を信じる者たちを起こしてくださる。そのために彼は「謙遜(けんそん)の限りをつくし、涙を流し」と、彼は与えられた力のすべてを尽くして多くの人々にこの福音をその町で伝えたのです。しかし、それは簡単なことではありませんでした。というのは、エペソの町にはユダヤ人たちが住んでいたのです。ユダヤ人社会に一気にニュースが広がって、パウロが行ったら何とか妨害(ぼうがい)しようという話になる。だから、その町で一生懸命にパウロが伝道すればするほど、ユダヤ人たちの陰謀(いんぼう)や妨害や迫害がいよいよ激しくなったのです。そのとき、彼は「そういうユダヤ人の陰謀(いんぼう)によってわたしの身に及んだ数々の試練の中にあって、主に仕えてきた」。彼のこの信仰は素晴らしいと思うのです。「主に仕えてきた」、すなわち、わたしはキリストの僕としての生涯を全うすることができた、と言い得るのです。これは彼にとって大きな恵みであります。私どももそのようになりたいと思うのです。この地上の生涯を終わるのがあと何年か、何ヶ月か知りませんが、終わるとき、「私はすべてのことで主に仕えて来た。思い残すことがない」と、そのように言いたい。ところが、私どもは「まだ仕えとらん。まだイエス様の所へ行くには早すぎる」と、勝手に思い込んでいます。しかし、そのためにこそ、今という時を力いっぱい主に仕えていなければ、それを言えません。今日仕えなくして、明日なら頑張ってやろうと言いますが、明日はありません。だから、いま主に仕えている自分であること、キリストのために生かされている自分であることをしっかりと自覚していきたい。

その後、更に進んで22節、「今や、わたしは御霊に迫られてエルサレムへ行く。あの都で、どんな事がわたしの身にふりかかって来るか、わたしにはわからない」と言っています。「御霊に迫られてエルサレムへ行く」と、私が今エルサレムに行こうとしているのは自分が行きたいからではない。あるいは誰かから誘われたからでもない。誰か親しい友人に会いたいから行くのでもない。ただ御霊が迫っておられる。「行け、お前が行かなければ、どうする」と、御霊がパウロの背中を押している。だから、わたしは主に仕える者として「主がそうせよ、とおっしゃるのだから従って行きます」。これがパウロの立場です。しかも、ここに「あの都で、どんな事がわたしの身にふりかかって来るか、わたしにはわからない」と言うように、決して歓迎された旅ではありません。もろ手を広げて待っていてくれる、というのでしたら行きやすいのですが、何が起こってくるか分からない。それどころか、彼に敵対的な場所です。23節「ただ、聖霊が至るところの町々で、わたしにはっきり告げているのは、投獄(とうごく)と患難(かんなん)とが、わたしを待ちうけているということだ」。御霊は私に「行け」と言うと同時に、行った先エルサレムで投獄と患難がお前を待っているぞというのですから、とんでもない話です。私たちだったら、いろいろ調べて「どうもあそこは治安が悪そうだ。ひょっとしたら捕えられるかもしれない。テロリストがいるらしい」と思うと、そのような所へ行くことをためらいます。このとき、パウロはそれをはっきり知っているのです。たとえそうであっても、彼は主の僕であり、主に仕えているのだから、どうしても行かざるを得ない。

24節「しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない」。パウロは何とかエルサレムに行って、そこでわたしが語るべきことを語ることが出来たら、それで本望(ほんもう)、あとの命など、そんなものは惜しくもなんともない。すごい覚悟です。私どもはそこまで覚悟してイエス様に従っているか。どうも、自分の都合の良いところだけ、よい所取りをして、イエス様に従おうというのでは駄目です。彼は「このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない」と。自分を捨てて掛るとは、まさにこのことです。私たちの信仰生活は、ある意味で命懸けです。ギャンブルです。イエス様に自分を賭(か)けるのかどうなのか。中途半端がいちばん良くない。懸けるやら懸けないやら、熱心やら熱心でないやら。だから「黙示録」のほうに「あなたがたは、冷たいか熱いかであってほしい」(3:15)とあるでしょう。「なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう」と、イエス様から捨てられますよ。熱心に、真剣にパウロのように命を懸けて福音に生きる者となる。イエス・キリストを信じて、イエス様の御言葉にしっかりとつながって生きること、これがいのちだからです。

その後27節以下に「神のみ旨を皆あますところなく、あなたがたに伝えておいたからである。28 どうか、あなたがた自身に気をつけ、また、すべての群れに気をくばっていただきたい」。ここでパウロはエペソの人々に「もうわたしはあなた方に対して何の責任もない」。いうならば「思い残すことはない」と言っているのです。ただ、一つ気になることがある。28節以下に「どうか、あなたがた自身に気をつけ、また、すべての群れに気をくばっていただきたい。聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧(ぼく)させるために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである。29 わたしが去った後、狂暴なおおかみが、あなたがたの中にはいり込んできて、容赦(ようしゃ)なく群れを荒すようになることを、わたしは知っている」。御子イエス・キリストの血であがない取られた神の教会、キリストのからだである教会、それをあなた方に神様が託(たく)してくださった。ここにいるエペソの代表者たちを、その群れの監督者として神様は用いておられる。しかし、心配なことが一つある、と彼は言っている。「わたしが去った後、狂暴なおおかみが、あなたがたの中にはいり込んできて」とあるように、教会は無防備なところです。神様が守ってくださる以外に何もできません。しかし、そういう中に凶暴なおおかみ、様々な世の力が忍び込んできて、あなた方の信仰をぶち壊してしまうことになるかもしれない。これはパウロにとっていちばん大きな心の痛みであります。彼はそういう大変な事態になるかもしれない、と十分予測している。知らないのではない。しかし、知った上でなおかつ御霊に迫られてエルサレムに行くのだ。自分は捕らわれて、患難を受け、投獄されるかもしれない。また命を失うかもしれないが、この世の自分の命なんか惜しくもない。しかし、あなた方の中に凶暴なおおかみ、世の強い力が働いてあなた方を散らしてしまう。あるいはその信仰を粉々に砕いてしまうかもしれない。そう思うとパウロは夜も眠られない。自分にとっていちばん身近な者が失われて行くかもしれない、とんでもないひどい目に遭うかもしれない、と知ったら、夜も眠られません。パウロは別に結婚しているわけではないけれども、エペソの教会を我が子のように、心血を注いで愛した相手であります。その彼らがいま無防備に敵の中に置かれて、様々なおおかみが、あるいは凶悪な力が彼らを捕えようとしている。

30節「また、あなたがた自身の中からも、いろいろ曲ったことを言って、弟子たちを自分の方に、ひっぱり込もうとする者らが起るであろう」。人の集まる所ですから、強力な指導者であったパウロがいなくなったら、いろいろな人が勝手なことを言い始めて、信仰が雲散霧消(うさんむしょう)、消え去ってしまうに違いない。そのことも彼は知っている。31節に「だから、目をさましていなさい。そして、わたしが三年の間、夜も昼も涙をもって、あなたがたひとりびとりを絶えずさとしてきたことを、忘れないでほしい」と。これまで3年にわたって、わたしがあなた方に語り続けたことを決して忘れないでほしい。といっても、だから安心かというと、そうはいかない。では、何によってパウロは乱れた心の思いをきちっと整えることができたか。32節です。「今わたしは、主とその恵みの言(ことば)とに、あなたがたをゆだねる」。ここです。彼は後ろ髪を引かれる思いです。できるならば、自分がそこにズーッと死ぬまで目の黒い間見ておきたい、監視しておきたい。エペソの教会の人たちを守ってやりたい、という親心は重々あります。しかし、それが神様の御心ではない。自分の愛する者を手離さなければならない。これはアブラハムがイサクを神様の前にささげるのと同じです。エペソの教会を神様の手に委(ゆだ)ねていく。そのときに「主とその恵みの言(ことば)とに、あなたがたをゆだねる」と語ったのです。ここで彼は信仰に立たなければおられない。神様はこの群れを造り持ち運び、完成に至らせる御方である。確かに自分の力を尽くして努力をしてきたけれども、それはあくまでも神様のわざとして用いて頂いたあわれみであって、この群れの主は神様、よみがえってくださったキリストが主であることを信じなければ、彼は立てなかったのです。だから、「今わたしは、主とその恵みの言(ことば)とに、あなたがたをゆだねる」。主に委ねることです。

この「ゆだねる」ことは、私たちにとっても大切なことです。つい「わたしが何とかしてやらなければ」、「私が頑張って……」、「私がちょっとでも……」、よくそういうことを言われます。息子のことやあるいは家族のことで心配がある。「先生、こんな状態です。何とか長生きできるように祈ってください」「長生きしてどうするのですか」「いや、私が生きる限り頑張って、家族を守らなければなりません」「守らなければ、と言っても、あなたは片足棺桶に突っ込んでいるのに、どうしますか」と。「いや、それでも何とかしがみついて」と頑張る。「それよりも神様に任せなさい。委ねなさい」、「それが委ねきれないのですよ」と。そういう苦しみがあります。私たちはつい「いいえ!私が……」、「いいえ!私が……」と、必ず「自分が!」と言う。よくよく考えたら、私たちは何もできないのです。そうでしょう。子供のことだからと言って、1から10まで全部知っているかと言われると、分からない。生まれたばかりの乳飲み子であるとか、幼稚園ぐらいのころは分かりますが、だんだんと成長してくると、今までのような親子関係は消えて行くのです。ところが、親はそうは思いたくない。寂(さみ)しいですから、いつまでも「わが子だ」、「わが子だ」と。だから、子供から嫌われるのです。

神様に委ねる。「神様がご存じです」と言い切る。これが信仰です。その後、もう一つは「その恵みの言(ことば)とに」とあります。「恵みの言(ことば)」、言い換えると、御言葉に自(みずか)らが立つということです。「主がこうおっしゃるから」、「神様がそのように約束してくださっているから、このお言葉に懸けます」。これが私たちの信仰でもあります。だから「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい」(ヨハネ14:1)と言われるから、「そうです。あなたを信じます」と言えば、実に単純にして簡単なことですが、それができない。「いや、信じるは信じるけれども、ここまで、あそこまで……」と。「これは駄目です」、「あれは駄目です」と、自分のテリトリーといいますか、守備範囲を決めてしまう。そして、枝葉末節のことを「これは神様」にとなる。「神様がこんなにしてくださって、本当に感謝です。感謝です」と言う。その人に重要ではないこと、あってもなくてもいいようなことは「神様、感謝します」と言う。肝心な大切なものは「神様、触らないでください。私がちゃんと握っておりますから」と。そうである限り、私たちはなかなか「ゆだねる」ことができない。「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)との御言葉を知ってはいます。「神様はひとり子を賜うほどに大きな御愛をもって愛してくださっているなら、このことも大丈夫です」と言えばいいのですが、「愛してくださったのは感謝です。ところで、これは……」と、そこで御言葉から離れるから、私どもは不安と恐れに悩まされ、自分ができない、足らない、知恵がないがゆえに、行き詰るのです。聖書のお言葉に、神様のお言葉として委ねていく。

 32節「御言(みことば)には、あなたがたの徳をたて、聖別されたすべての人々と共に、御国をつがせる力がある」。御言葉を信じる人は神の国の住民となることができます。神様が責任をもってご自分の民として握ってくださるとの約束です。だから、ご自分の家族のことについても、何についても、御言葉にしっかりと立って、「神様、この家族も、この子供も、あなたが握ってくださっています」と、信じていくとき、神様はそのようにすべての者の徳をたて、聖別された者としてくださる。そして、神の御国にまで導き入れてくださる。それを信じていく。そこに自分の命を懸けて、神様に委ねきっていく生涯。これが、いま私たちが頂いている救いであります。

 私たちは何を信じて、どのように生きるべきか。常に与えられる問題や事柄のなかで、いま私は誰の僕(しもべ)、誰に仕えているのか。その仕えている神様はどのような御方でいらっしゃるか。万物の創造者、全能の神でいらっしゃる御方。しかも、その御方は善にして善をなし給う、愛をもって臨んでくださる。この年頭にも与えられたお言葉にありますように「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神」(出エジプト 34:6)。愛に満ちた神様に私たちが信頼して委ねていきさえすれば、それをいちばん善いことに、良い方向にと持ち運んでくださるのです。その結果はいつであるかは分かりませんが、「若し遅くあらば待つべし必ず臨むべし濡滞(とどこほ)りはせじ」(ハバクク2:3b文語訳)と、神様は放っておく御方ではない。み言葉にしっかりと私たちの心を定めて、主に委ねていく日々でありたいと思います。

 ご一緒にお祈りをいたしましょう。

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