いこいのみぎわ

主は我が牧者なり われ乏しきことあらじ

聖書からのメッセージ(462)「私を助ける方」

2015年02月06日 | 聖書からのメッセージ
 「詩篇」121篇1節から8節までを朗読。

 1節と2節「わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。2 わが助けは、天と地を造られた主から来る」。

 この詩篇の表題には「都もうでの歌」と記されています。この表題が記された詩篇が120篇から始まりまして、14篇でしょうか、続いています。「都もうで」とはいったい何なのか?これは定かではなく、いろいろな説があります。旧約時代の話でありますが、イエス様はまだお生まれにならない以前、イスラエルの民が神様の臨在、神様のいらっしゃる所に行って礼拝をささげる、これが大きな喜びであったのです。神様の臨在に触れる場所というのは、もちろん今はいつどこででも神様は私たちと共にいてくださると信じていますが、昔イエス様がこの地上にいらっしゃらない時、人は直接神様に出会うとか、神様と顔を合わせて親しく交わりをする、祈り、あるいはその声を聞くことは許されなかったのです。別に神様が偉ぶっていたわけでもありません。実は私たちが神様の前に立つことのできない汚れたる者だということです。罪の塊であった。神様は清い御方、義なる聖なる御方でいらっしゃるから、私たちは神様の前に立つことができない。神様と交わるなど到底できない。「神様は光のような御方だ」といわれている。それに対して私どもは神様を拒んで闇の中に生きている者でありますから、光の前に出られないのです。そういう関係でありました。それは神様と人とに不幸なことで、何とかして、闇にある者、滅びに定められた私たちを神と共に生きる者としてくださる、神様の前にはばかることなく私たちが近づくことができるようにと、道を開いてくださったのがイエス様です。イエス様がまだこの地上にいらっしゃらない時はどうであったかというと、旧約聖書に語られているように、ある特定の人たちを神様は祭司として立ててくださった。いうならば、罪人である私たちが直接神様とお話できませんから、その仲立ちといいますか、間を取り持つ者として神様は人間の中から選んで定めてくださった。それが祭司といわれる人たちであったのです。その人たちは神殿で神様に仕えている。常に罪ある多くの人々の執り成しをする、それを神様の前に持ち出して「この者のために許してください」「この者の願いを聞いてやってください」「この者は心から感謝しています」と、ことごとく祭司を仲立ちとして神様に近づくことができたのです。

では、祭司が仕えている神殿はどこにあったか? 聖書に語られていますように、イスラエルの国の中心であった町、エルサレムに神殿が置かれていました。他の地方の人はどうしたかというと、地方には小さな祈りの場がありましたが、それはあくまでも仮の場であって、実は神様が定められた神殿、一つだけあるエルサレムに行かなければ神様に直接お会いできない時代であったのです。だから、大変不便であります。今でもイスラム教の人たちはメッカという聖所がありまして、イスラム教の人にとって生涯に一度でも二度でもいいからメッカに直接行って礼拝をささげるのが名誉であり、また最高の願いでもある。ですから現代でも年に何百万という人たちが世界中からメッカに巡礼にやって来ます。今はイエス様の救いにあずかった私たちにとっては、エルサレムという地理的な場所、その神殿に行かなければ……、というわけではない。いや、幸いなことに私たちはいつどこででも神様に近づくことが許される。罪を清められた者として神様は私たちを取り扱ってくださる時代であります。
これが「福音」といわれている事柄です。ところが、「詩篇」の時代はエルサレムに備えられた神殿、神様がここにおられますよ、という証し。この神殿は時代を遡(さかのぼ)りますと、イスラエルの民がエジプトを出立してから、救い出されてカナンの地を目指して行く荒野の旅路の中で神様はひとつの幕屋を建てさせました。これが「あかしの幕屋」あるいは「会見の幕屋」といわれている幕屋。その当時は旅路で移動して行きますから天幕であります。きちんとした建物としての神殿はその当時ありませんでした。やがて、彼らがカナンの地に定住して民族を統合し、サウル王様が立てられて初代のイスラエル王国ができました。その頃から神殿をエルサレムに決めるという、そのように初めは幕屋でありましたが、神様はその後ソロモンに命じて神殿を建てさせました。ダビデという二代目の王様は、何とか神様の住まいとして神殿を建てたいと願ったのですが、神様はそれをお許しにならなかった。そして息子であるソロモンの代になって初めてエルサレムに恒久的な、建物としての神殿が完成したのです。じゃ、それまではどうであったかというと、いま申し上げたように天幕といいますか、移動式の神殿が造られていたのです。エルサレムに神殿が造られて、そこに行けば神様にお会いすることができるという場所が決められた。ですから、イスラエルの多くの人々はその神殿に出掛ける、これが大変幸いな恵みといいますか、喜びであり、望みであり、それは自分にとって誇りであり、名誉でもあったのです。

ところが、今のように交通機関はほとんどありませんから、イスラエル王国は九州の半分ぐらいの面積だといわれていますが、それにしても端から端まで行こうとすると、徒歩で歩くと結構な距離があります。彼らは力いっぱいそのために準備をしまして出掛けて行った時代であります。

サムエル記を読みますと、サムエルの両親が都もうでといいますか、神殿に祈りに来たときのことが語られています。(サムエル記上ではシロに上ったとあります。当時は「シロ」という場所に契約の箱が置かれ、宮が据えられたのです)。彼らには子供がいなかったためにハンナは神殿で泣きながら祈ったという記事があります。彼らは年に一度神殿に来ていたというのです。それにしても、私たちは、毎週こうやって礼拝に来られるわけですが、その当時何歳ぐらいが平均寿命であったかわかりませんが、少なくとも50年か60年の人生の内に一度か二度は神殿に詣でて神様に直接触れたい、お会いしたいという願いが強くあったのです。ですから、困難な旅路を終わり、行き着く先で愛する神様が待っていてくださるという、この関係を歌ったのが、「都もうでの歌」です。ですから、彼らが願ってきて、やがてその思いが実現する。「さぁ、これからエルサレムに出掛けて、そこで神様にお会いするのだ」と。そのためには、それこそ生きて帰られるかどうかも分からない危険に満ちた旅であったと思います。しかも困難を極めたでしょうし、その途中にちゃんとした宿泊施設があったかどうか分かりません。恐らく野宿をしながらの旅であったでしょう。そういう様々な困難を通り抜きながら、神の都エルサレムに近づき、神殿に来る、これが当時の願い、喜び、楽しみだったのです。

ですから、1節に「わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか」と歌われているように、不安を抱きながら一日二日の旅路ではありません。1ヶ月あるいはそれ以上掛ったかもしれません。その旅の間には水の困難もあるでしょう。様々な危険が待ち受けている。強盗だとか、思いも掛けない事態や事柄が常に彼らの身辺を襲ってくる。そういう不安の中に置かれるのです。神様の御許、臨在に近づくとはいうものの、それに至るまでの旅路は、実に心細いのであります。仲間が一緒になって旅をするにしても慣れ親しんだ生活、自分たちの生まれ育って来た古里を離れて行くわけですから、実に心細い。

皆さんもときにそういう旅行をなさると思います。今は大変便利になりました。目的地に行く途中のことも全部セットされ、準備されています。飛行機もあれば船もあり、あるいは列車もあり、バスもあり、ありとあらゆる乗り物があって時間を見て何月何日はここに行ってその次はこうしてと全部スケジュールが見通せます。どこに行ってどういうことをしてどういう食事をし、どういう所に泊って何を見てどうしてという、一つ一つの事柄が全部あらかじめわかる時代であります。だから、ある意味では旅の楽しみが少なくなってしまった。楽しみは楽しみですが、昔のようにハラハラドキドキという、危険に満ちたとか冒険心に富んだ旅というのは少なくなってしまいました。それでも言葉の通じない外国などに行くと日常生活とは違う体験、思いも掛けない事態や事柄の中に置かれます。殊に個人で旅行していると大変心配です。

私もそういう経験がありますが、若い頃初めてアメリカに一人で行ったことがあるのです。ある大学の語学研修を受けるために2ヶ月間の留守をいたしました。語学研修に行く大学で受け入れが決まりまして、そこまでのことは全部旅行社が手配してくれますから手続きが終わりました。ところが、その研修期間が比較的早めに終わったのです。あと2週間ぐらい時間が与えられました。「さぁ、どうしようか」と、私はその研修をしている間にせっかく来たんだからボストンを見てニューヨークへ渡ってそれからワシントンに行って最後はロサンゼルスで終わって帰って来ようと自分で計画をしました。そしてアメリカの旅行代理店へ行き、全部手配をしたのです。語学研修をやっている間はまだそこにはいろいろな国からの人が集まっていました。日本からも何人か来ていましたからそういう仲間がいると日本語が通じる。英語ばかりではないからですね。時には皆集まって日本語で日本食でも食べて気分転換をすることができます。それが終わりまして、それぞれが企業から派遣され、政府から派遣された連中が皆散って行きます。私も残されて、初めて一人でいることがこんなに孤独といいますか、心もとない頼りない自分であることを徹底して感じたことはありませんでした。大学へ進学しましたときに家元を離れて下宿生活を始めたのですが、これも自分にとっては生まれて初めて家族から離れ、親から離れて見ず知らずの所へ出掛けました。そこでの生活が始まりましたときです。でもそれはまだ言葉が通じますから、しかもいつでもすぐに何かあると親元へ帰られますから随分気が楽です。それでも「こんな心細いことはない」と随分寂しい思いをしたことを思い出します。しかし、それ以上に外国でたった一人になって旅行していると、実に孤独であります。
私はボストンに行き、いちばん安い宿に泊まったのです。そこが下町の繁華街のど真ん中にある宿で、交通の便はいいのですが、普段自分がなじんでいる雰囲気とは全く違うのです。それまで語学研修でいました大学は、素晴らしい公園のようなキャンパスですから別世界でありました。ところが、アメリカの映画などで見るような下町のギャングでも出てきそうな雰囲気のホテルに泊まりました。そうすると夜中でも昼間でもパトカーのサイレンがしょっちゅう鳴っている。だんだんと夜中になると心細くなりまして眠れなくなったのです。本当にそのときほど心細い思いをしたことがありません。またそういう旅をすることによっていろいろと自分のことを振り返る。それまで慣れ親しんだ自分の身近な人たちと生活している家庭での感覚、自分というものとは違う別の自分を発見します。自分がどんなに心細い存在であるか、自分が頼りとしていたものが何であるか? あるいは自分にとって必要な物が何であるか、普段はあまり切実な問題にならないことが意識される。一人で旅をしてご覧なさい。いろいろな意味で不自由を感じます。そしてできないことにぶつかります。殊に外国へ行きますと、まだしも英語がそこそこにチョロッとばかり通じますから、見たり読んだりすれば分かりますから良さそうに思いますが、それでも日本とは違います。日本語は黙っていても分かりますが、英語はやはり緊張しますので必ずしも楽にはならない。理解できないことのほうが多いのです。そうするといよいよ不安になります。そういう心細い中にあると、いったい私はどうすればいいのだろうか。誰が私を助けてくれる。私が頼るのはいったい何なのだろうか? そういうことを深く思う、心を探る。そういう絶好の機会です。ですからよく言われるように“可愛い子には旅をさせよ”と。旅をすることは人を2倍も3倍も成長させてくれます。私はその経験を通して、何ていいますか、いろいろな意味で精神的な収穫を得させてもらいましたので、それからというもの、若い人には「できるだけ困難な旅に出るように」と勧めるのです。しかも、何もかもセットされたパック旅行じゃなくて、自分で行きなさいと。高校を卒業して大学に入るぐらいの、あるいは大学生などには「時間があったら、ぜい沢な旅行でなくていいんだから、安い宿に泊っていいから、とにかく海外に出なさい」と言って盛んに勧めます。というのは、そうすることで普段生活している日常では味わえない自分との対面といいますか、自分と向き合う大きな経験をします。

旧約時代も、神殿に行って神様の前に礼拝をささげるという、大きな目的がありますが、そこに行き着くまで1週間とか1ヶ月の波乱に満ちた旅路を通って、徹底して自分たちがどういう者であるか、私という者が何者であるか、自分がどれほど頼りない者であり、力のない者であり、不安や恐れを取り除いてくれるものが何であるか? このことをしっかりと味わう恵みの時でもあったのです。今お読みいたしました詩篇121篇1節に「わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか」。彼らがエルサレムの神殿を目指して歩いてでてきましたが、しかしそこには次から次へと困難もある。旅の疲れもある。いろいろな争い事もあるでしょう。そういう中で、行き詰まり、無力さを感じるとき「山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか」と思いめぐらす。私を助けてくれるものはないのだろうかと、孤独な寂しさといいますか、そういう頼りなさを感じます。そのときに2節「わが助けは、天と地を造られた主から来る」。私を助けてくださる御方がいらっしゃる。その御方は天と地を造られた主でいらっしゃる。神なる御方が私を助けてくださる。これは大きな恵みです。普段の生活であるならば、あの人が助けてくれる、この人が助けてくれる。ここへ行けばすぐに事が済む。いろいろなネットワークといいますか、社会、地域の中で組み込まれたシステムの中に生きていますから、自分もどんなことでもできるような、あるいは「何、そんなことはへっちゃらよ」と思っている。ところが、そういう仕組まれたネットワークから飛び出して、一人きりになって旅をして行く。これが赤裸々な一人の自分を見つめる幸いな時なのです。私たちはやがて必ずそういう時が来るのです。今家族に囲まれ、また親しい友人知人に守られ、いろいろな社会のシステムの中で生きています。しかし、それもこれもだんだんと取り除かれる時が来るのです。家族もそれぞれが自立して家を離れて行き、自分も身体的にいろいろな機能を失って行きます。目も見えない、耳も聞こえない、足も不自由になってくる。また記憶力も定かでなくなるように、今まで自分が生活をして安心を得ていたはずのいろいろな仕組みから離れてしまう。さて、私はいったいどうなるのだろうか? 私を助けてくれるものはどこにあるだろうか? まさにこのエルサレムの神殿に向かって、それを目指して旅をした当時の人たちの不安と心配、それはいま私たちも同じ状況の中に置かれているのです。

このとき、この詩篇を歌った記者は2節に「わが助けは、天と地を造られた主から来る」と詠いました。山に向かって目を上げるとき「ああ、そうだ。この山も空も星も、ありとあらゆる森羅万象の創造の主でいらっしゃる神様が私を造り、今ここに置いてくださった。本当に小さな存在にすぎないけれども、この者に神様が目を留めてくださっておられる。その神様は私たちを持ち運んでくださる御方である」。しかも私たちを助けてくださる主と名乗っておられる御方、この御方は天と地を造られた御方でいらっしゃる。

「イザヤ書」45章18,19節を朗読。

18節に「天を創造された主、すなわち神であってまた地をも造り成し、これを堅くし、いたずらにこれを創造されず、これを人のすみかに造られた主はこう言われる、『わたしは主である、わたしのほかに神はない』」。この前半の所に神様がどういう御方でいらっしゃるか紹介されています。神様は「天を創造された御方」またそればかりでなく「地をも造り成し」と、天も地も造り「これを堅くし」とあります。不動の力をもって全てのものをきちっと運行しておられる御方。

確かにそうです。この大宇宙、これが随意気ままに勝手な動きをしていたら、私どもの毎日はどうなるか分かりません。地球が太陽の周りを正確に回ってくれるから、朝があり夜がある。そして春夏秋冬があるのです。時に地球と太陽の距離が少しでも近付いたら地球は一気に気温が高くなるでしょう。また太陽から地球の距離が少しでも離れたらまた一気に冷え込んでしまって氷河期になるでしょうか。地球と太陽の距離がある一定の距離を保ちながら何万年と同じリズムで回転し動いて行く。まさにこれは堅く立たせておられる神様です。人は月に向かってロケットを打ち上げてどうのこうのと自慢します。それとても地球と月が正確な規則にのっとって動いているからこそ、人が計算してロケットを打ち上げてそこに行き着くのであります。もし、これが毎日不規則に変わっていくのでしたら、どんなことをしても人が月にロケットを到着させることはできません。そういう全てのものをきちっとしたリズムで変わることなく動かしておられる。このことが「これを堅くし」と言う意味です。また「いたずらにこれを創造されず」と、天を造り、地を造られた神様はそれをただ単に何の目的もなく、ただ何となく造ってしまわれた。何かドロドロしたものを混ぜ合わせてちょっと滴(しずく)を垂(た)らしてみたら「あら……」とポロッと落ちたのが日本の国だったという話もありますが、そういう「いたずらに」、いい加減に、無目的にこれを造られたのではない。「これを人のすみかに造られた主」とあります。この地球、宇宙に人を置くために神様は造っておられる。その全てのものの創造の主でいらっしゃる神様が、最期に「わたしは主である、わたしのほかに神はない」。全てのものを造られた御方がいらっしゃる。この御方が神だ。この御方が主であると聖書は繰り返し語り続けています。

そのことを私たちはどこでどうやって知るか。それはまさに旅に出たときなのです。私たちが思いも掛けない一人きりになって頼るものもない、また共にいろいろな物を分かち合う相手もいない孤独な中に置かれたとき、いったい何が私をここに在(あ)らしめ生かしておられるか。この神様以外にない。これを知ること、これは誠に大きな力であり幸いな恵みであります。

先ほどお話しましたように私はそうやって最初に一人で旅行をしましたときに、ボストンで心細い夜を過ごしながら絶えず心にあったのは「神様が共にいてくださるのだ」と、そのときほど身近に感じたことはありません。だから、私は多くの人にそういう経験をしてほしい。親しい人たちに囲まれて物事が順調に……、なかなかそういうとき、私どもは「私を助けてくれるもの、あの子供がいる。あれがある、これがある」と。いろいろなものがすぐに自分を助けてくれそうに思います。しかし、本当にそれらが助けてくれるか? やがて何か事があったときそれはばらばらと外れて行きます。決して私たちの助けにならない。私たちのいちばんの助けは天を造り、地を造り、しかもその上に私たちを生きるものとして置いてくださった御方がおられる。この神様が私を助けてくださるのだと、ここに立たなければ救いはありません。ですから22節に「地の果なるもろもろの人よ、わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。わたしは神であって、ほかに神はないからだ」と。地の果なるというのは、あるかないか分からないような小さな者もという意味です。地の果、そんな数にも入らない、目にも留まらないような所にいる人たち、全て「もろもろの人よ」と、どんな人も「わたしに、神様に目を留めなさい。神様がおられることに目を留めなさい」と。これは私たちの幸いな救いです。私たちがいろいろなことで思い惑うとき、不安と心配の中に置かれるとき、いろいろな思い煩いで心沈んでいるとき、そこに神様がおられる。造り主でいらっしゃる万物の創造者なる御方が私たちに「仰ぎのぞめ」と、私に目を留めよとおっしゃってくださる。これが私たちの大きな救いです。

「詩篇」121篇2節に「わが助けは、天と地を造られた主から来る」。いま誰が助けてくれるといって、神様が私の味方となってくださる。なぜそう言えるか。それはイエス・キリスト、神の御子ひとり子でいらっしゃるイエス様があえて人の世に下って、私たちをもはや神様にとがめられるもののない者、義なる者としてくださっておられる。「わたしはあなたの罪を赦した」とおっしゃってくださる。「とがを雲のごとくに消し罪を霧のごとく散らした」とおっしゃる。いっさいのことを神様は忘れてくださったと。だから、私の所へ帰って来なさいと呼びかけてくださる。いうならば、私たちが何の恐れもなく「神様」と呼び求めることができる時代、まさに福音の時代、喜びのおとずれの時代であります。これを私たちはないがしろにするといいますか、いい加減して他に幸いはあり得ません。私の助けは何なのか? 私がより頼むべきものはいったい何なのか? このことをしっかりと心にとどめておきたいと思います。

「わが助けは、天と地を造られた主から来る」。はっきりとそう言い得る人は実に幸いであります。それは、「そうです。私は他に頼るべきものがありません」と、赤裸々な裸の自分をしっかりと認めること。そこから神様に対する私たちの呼びかけが始まるのです。どうぞ、心静めて穏やかに自分自身を振り返って、「私の助けはいったい、何なんだろうか」「何を自分はより所にしているんだろうか」このことをしっかりと思い直していただいて、神様が共におられる、神様が私たちを造り、そして力ある御腕をもって今日も支え生きる者としてくださっておられることを信じて、与えられた問題が何であれ、事柄が何であろうと、そこに神様が共にいてくださることを信じて行こうではありませんか。

3節以下に「主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。あなたを守る者はまどろむことがない。4 見よ、イスラエルを守る者はまどろむこともなく、眠ることもない」。神様は絶えず眠ることなく昼夜を分かたず私たちと共にいてくださって、どんなことでも助けてくださる、守ってくださる御方です。この御方に呼び求めて、この御方を信じて助けを体験したいと思います。人は当てになりません。疲れたら眠くなりますから。

以前、福岡の教会の向かい側に仮設の中国領事館がありました。そこに警察官が24時間警備している。警察官は長い木の警棒を持っている。ところが、夜中にガラーン!と音がするのです。立ったまま眠ってしまったのです。警棒を落としてしまった。ガードレールに当たり、静かな住宅街に響き渡ったのです。私はびっくりして飛び出して見たら、その人が目をこすりながら警棒を拾っていました。「この人も眠くなるんだな」と思いました。でも、ここに神様は何とある? 4節以下に「見よ、イスラエルを守る者はまどろむこともなく、眠ることもない。5 主はあなたを守る者、主はあなたの右の手をおおう陰である」。こんな懇(ねんご)ろな御方が他におられるでしょうか。昼も夜も眠ることなく、まどろむことなく常に私たちと共にいて「わたしはあなたを助ける」と言ってくださる。その御方に信頼して「今日も主よ、あなたは私を助けてくださる御方です」と、堅く信じて行きたいと思います。



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