いこいのみぎわ

主は我が牧者なり われ乏しきことあらじ

聖書からのメッセージ(295)「沖へ出でよ」

2014年08月19日 | 聖書からのメッセージ
 「ルカによる福音書」5章1節から11節までを朗読。

 4節「話がすむと、シモンに『沖へこぎ出し、網をおろして漁をして見なさい』と言われた」。

 これは、イエス様がゲネサレ湖(ガリラヤ湖)の海辺で、そこに集まった多くの人々にお話をなさった時のことであります。恐らく「山上の垂訓」と言われているメッセージを語った時ではないかと思いますが、この時、たくさんの人々が集まりました。イエス様が立って話をする場所がないほどでした。今のようにスタジアムがあり、あるいはドーム球場があって、そこで話すわけではありません。オープンな戸外で、そこにたくさんの人々が集まってきますから。そこにシモンの船が夜間の漁を終えて帰ってきて、仕事仕舞いをしていた。「網を洗っていた」とあります。イエス様はシモンに頼んで船に乗せてもらい、岸から少し離れた所、周囲がなだらかな斜面なのだろうと思いますが、下から上に向かって話をすると話しやすい。ですから、イエス様は船に乗って少し離れた所から岸にいる多くの人々にお話をなさった。シモンとの関係は以前からありましたから、シモンも初対面ではなかったのです。4章38節以下にあるように、シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていた時、イエス様が招かれてお祈りをしました。それで病気が癒されたことがあった。ですから、シモンとしては仕事疲れで嫌だったと思いますが、義理がありますから、「嫌」とは言えません。とにかくイエス様を乗せてちょっと離れた所からお話になった。シモンは逃げ出すわけにはいかないから、まさにイエス様の足元でお話を聞いている。これほどの特等席はありません。だから、シモンはイエス様のお話をズーッと聞いていたに違いない。前の晩、徹夜して働いた疲れもあったでしょうが、彼はそこで話を聞いておりました。

ところが、お話が済むと、イエス様がシモンに4節「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい」と言われる。シモンにとっては大変なことであります。と言うのは、その後にありますように、シモンは夜通し働いて、帰ってきたばかりです。そこへ「沖へこぎ出せ」とおっしゃる。ですから5節「先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした」。夕べ一晩中働いたのだけれども、何にも獲物がなかった。「だから、今から出掛けて行っても取れるわけがないじゃないか」という思いが、シモンの心にはある。恐らく私たちだったら初めからそう思って、「いや、駄目ですよ、先生!」と言うに違いない。ところが、この時、シモンは恐らくイエス様の話をズーッと聞きながら、心が整えられておったと思います。本来は「何も取れませんでした。だからやめましょう」という方向に行くでしょう。しかし、この時、シモンは「しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう」。「イエス様のおっしゃることですから、一つやってみましょう」と、そのお言葉に立っていく。イエス様の求めるところに従ったのです。その結果が6節「そしてそのとおりにした」と、イエス様が言われたとおりに沖へこぎ出したのです。すると、「おびただしい魚の群れがはいって、網が破れそうになった」。思いも掛けない大変な収穫を得たのです。本来、イエス様は大工ヨセフの子ですから、そのような魚をとる漁についてはズブの素人(しろうと)です。でもシモンはイエス様が「網をおろせ」と言われた時、イエス様に普通の人にはない何かを感じていたのです。ですから、「主よ、お言葉ですが、夕べは夜通し働きましたが何も取れませんでした」というのが、彼の正直な気持ちでありました。しかし彼は「いや、イエス様がそのようにおっしゃるのでしたら、私も沖へこぎ出しましょう」と言ったのです。

ここで教えられたいことは、「沖へこぎ出す」ということです。「沖へ出て行く」、言うならば、自分の常識で「これは無理」だとか、「自分の生活はこのようなことで、これまでこういう生活をしてきたから」と、譲れない、あるいは変えられないものを人は持っています。私たちは長年そのような中で生きていますから、絶えず「このことはこうあるべきだ」とか、あるいは「このことはこうしなければいけない」とか、習慣、経験、そのようなものに乗って、毎日の生活を営んでいます。ところが、私たちの人生、私たちの生活は自分で考え、計画して成り立っているわけではなくて、神様が私たち一人一人に備えておられるのです。神様が私たちをこの地上に送り出して、一人一人の人生を作り出してくださった。

「詩篇」139篇13節から18節まで朗読。

素晴らしいダビデの詩篇ですが、今読みましたところに、はっきり告白されているように、私たちは母の胎内で神様によって組み立てられたのです。この世に生きるべき者として送り出してくださったのは神様です。そして16節に「あなたの目は、まだできあがらないわたしのからだを見られた」と、まだ姿も形もなかった時、神様は生まれてくる、この世に造り出されるべき私たちの姿かたちを前もって見ていたと。「わたしのからだ」とは、文字どおり身体ばかりでなくて、地上における生活のすべてを神様はきちんと知ってくださった。その後に「わたしのためにつくられたわがよわいの日のまだ一日もなかったとき」、まだ地上に一日として過ごさなかった、まだ生まれていない、姿かたちもなかったときに、やがて生まれてくる私たちの人生のすべてを、生まれてから死ぬまでのすべてを「ことごとくあなたの書にしるされた」と。神様がちゃんとスケジュールを作ってくださった。だから、私たちはいま神様の書かれた台本、シナリオに従って生かされている。自分で一生懸命に考えて、自分で夢を実現して、こういう人生を、こういう生涯を送ろうと思ってきたつもりですが、考えてみたら、実は神様の手の中で持ち運ばれただけのことです。
だから、度々申し上げるように、思ったような人生、自分の願ったような人生をどれだけ生きただろうか?と思うと、心もとない。ここにいらっしゃる皆さんは70年、80年と、長い年月を生きてこられたのですが、自分が思ったように生きたと言えるものが何パーセントあったでしょうか。私は振り返ってみて、まず牧師の家庭に生まれましたが、私の願いではありません。「誠に不幸だな」と思いましたが、それから始まって、人生は全く予想外の連続です。思いも掛けないことばかり……、「こんなはずじゃなかった」。こうなると思ったはずのことがそうでなかったことばかりです。私は北九州で生まれましたが、まずもって生まれたこと自体が計画なしです。そして、小学校、中学校と、この上の方の今は「花尾小学校」に変わりましたが、以前は「前田小学校」です。そこを出まして花尾中学校から中央高校へとまっすぐ山手に一直線です。下が小学校、中学校、高校というように、山に向かって上がっていったのです。そのまま山頂かと思ったら、関西の方の大学へ進みました。それとても初めからそのような願いがあったわけではない。結局、自分の能力の限界もありますし、仕方なしと言いますか、やむ無くそのようになってしまった。気がついたらそこにいた。それで大学を出て、就職をするつもりでいろいろと就職活動もしましたが、当時は不景気でしたから求人も無くて、ましてや、文学部などは就職に縁のないところですから、それでどうしようか思案しました。いよいよになったら、タクシーの運転手にでもなろうと思って、運転免許を取りましたが、どういうわけか大学院に進むことになった。そのころ生活に困りましたから、付属の高校で非常勤講師になり、そこで働きながら大学院に進みました。このままそこにとどまるかなと思いきや、思いがけない形で名古屋の方、愛知県の大学へ仕事が与えられた。これも不思議でした。大学院修士課程の2年が終わって博士課程の1年に入った時、3月でしたが、「一人欠員ができたから、どうしても来てくれないか」と言う。それで3月10日ぐらいに面接を受けた。大学のほうも4月から人が必要なものですから、とにかく人員をそろえるため、面接とは形だけでした。それでバタバタと3月末には引越しをしました。そうしましたら、私の指導教授が「榎本君、そんなに急いで大学なんかに行かなくても、せっかくドクターコースまで来たのだから、3年間の課程ぐらい終われ」と言われた。「はい、そうしましょう」と、週に一回ずつ大学院へ通ったのです。とにかくその課程が終わって、そのまま大学で定年まで勤めるのが私の理想だった。結婚はしたけれども子供が与えられないまま、どういう訳か教会のいろいろな用事に駆(か)り出され、忙しい。そのころ大学の仕事もありましたが、教会のこと、教会学校だとか、青年会だとか、いろいろなことが次から次へと大忙しで、今振り返ってみると「そこに神様のご計画があったのだ」と思いますが、その時はそう思わない。いつも仕方なしに、やむ無く、引っ張られるようにして、教会のご用をさせてもらいました。とうとう行き詰り、「これは日本におったらつぶれる」と思って、逃げ出そうとアメリカへ2年ほど出かけたのです。そうしたら、またそこでつかまり、そこの教会の副牧師が私どもをあっちに連れ回し、こっちに連れ回し、とうとう教会の中のいろいろなことをさせられました。「何だ、これは日本にいるのと同じじゃないか」と思って、日本に帰って来ました。「でも、こうなったら心を定めて名古屋で骨を埋めるぞ!」と思って、25年のローンを組んでマンションを買い、「これで大学も辞められない」と思っていた矢先です。

神様が捕らえてくださって、献身の道へ導かれました。それも、私は願ってないのです。子供の時から「牧師にだけはならない」と、公然と言っていたのが、私の公約でした。ところが、神様はコロッと手のひらを返した。嫌々ながらではない。神様が変えなさる時は心を変えるのです。だから、私が「牧師なんかならない、伝道者なんて柄ではない」と言っていた。すると父が「そんな嫌がる者を神様は欲しくはないよ」と言われた。「負け惜しみを言っているな」と思っていたのです。「嫌がる者を無理やり神様は用いるようなことはせんから心配するな」と。「それなら、私は嫌だからこれはならないな」と思っていた。すると、神様は人の心を変えなさるのです。自分では変えられない。自分で何とかして心を変えたいと思っても変わらないけれども、神様がひっくり返すとき、人はがぜん変わります。なぜなら、それは神様に造られ、神様の手の中に握られているからです。神様は自在に人の心をかたくなにすることも、柔らかくすることもできます。

だから時々、頑固そのものという人に会いますが、その時、「これも神様がこの方をかたくなになさっているのだな」と思うと、ちょっとした見物ですよ。どのようにこれからなるかなと。だから、ご主人がかたくなで「どうしようもない」と思っても、腹を立てることはありません。「この人も神様がこんなふうにしているのか。次にどのように神様は変えられるかな」と、期待して待てばいいのです。神様は決して放っておかない。パロ王様をかたくなにしたのも神様、そして、パロ王様を用いてイスラエルの民に神の神たることを明らかにしてくださった御方ですから、今も私たちをそういうものとして使おうとしてくださる。私は自分の夢を追いかけていたようですが、何のことはない、神様の定められたレールの上を走っていただけなのです。

皆さんもそうです。「どうして私の人生はこんなのかしら、私の夢とは違った」。30年前、40年前、50年ぐらい前、若かりし日です。半世紀以上前、夢に描いていた自分の人生と今とは、雲泥の差どころか想像のつかない人生を歩んでいる。ところが、16節に「あなたの目は、まだできあがらないわたしのからだを見られた。わたしのためにつくられたわがよわいの日のまだ一日もなかったとき、その日はことごとくあなたの書にしるされた」。神様が私たちの心と思いを整えて、そこへ導いてくださる。これは素晴らしい!まず、私たちは今神様の手に握られているのだと認めましょう。それを認めないものですから、悪あがきをする。「いや、こんなはずではなかった。ああなるべきだ」「私はもっとこういう人生、私はこんなものじゃなかった」と言って、不平不満、つぶやき、憤り、楽しかるべき今を闇の中で過ごそうとしやすい。そうではなくて、常に神様の備えられた道へと私たちは導かれていると信じる。だから、17節に「神よ、あなたのもろもろのみ思いは、なんとわたしに尊いことでしょう」。ダビデの生涯自体もそうでしょう。ダビデもエッサイの羊飼いの数にも入らないような8番目の息子として生まれました。ところが、神様が彼に目を留めてくださって、彼の生涯を造り替え、イスラエル国の王の位にまで引き上げられた。大変な立身出世です。それでも彼は、その神様の前に謙そんになり、神様のわざであることを一時も忘れない。どうでしょうか? 私たちはダビデのように「今日も神様が私をここに置いてくださっている」と、感謝して、神様の手に委ねているだろうか。あれがどうだとか、これがこうなって、私の生活はもっとこうでなければいかんと、いろいろなことに不満足。人の力で何かをやっているように、誰かが私をそのような目に遭わせているかのような被害者意識に心がなっているとすれば、神様は嘆いていらっしゃる、悲しんでいらっしゃるに違いない。神様は私たちを通してご自身をあらわし、私たちを神様の栄光の器にしようとしている。

「ルカによる福音書」5章4節に「話がすむと、シモンに『沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい』と言われた」。つい住み慣れた場所、生活し慣れた事柄、あるいは慣れ親しんだこと、そこから一歩も半歩もできるだけ離れたくない。人間に与えられた自己保存本能が働く。だから新しいこと、自分の苦手なこと、無理だと思うこと、自己中心の殻の中にしっかりと、まるでヤドカリのように大きな殻に潜(ひそ)んですぐに隠れ、そこにしがみ付こうとする。でも、神様は私たちをもっと違うものに造り替えようと願っています。ここにありますように「沖へこぎ出し」、沖に出ないことには獲物をとることができません。「いや、結構です。私はこの浅瀬で、岸辺で魚を取ります」と言って、そんな所で網を下ろしても何も取れない。取れるのはせいぜいごみぐらいです。沖へ出ないと駄目です。出て行くには、安全だとか、安心だと思う場所を離れなければならない。世間でも“虎穴にいらずんば虎子(こじ)を得ず”と言います。虎の子を得ようとするならば、親がいるかもしれないトラの穴にあえて入って行かないと取れない。神様の祝福と恵みにあずかろうと思うなら、神様の声に従って、今置かれている自分の立場や自分の生活、自分の慣れ親しんだ所を離れなければ、沖へ出なければ、駄目でしょう。「これで安心だ。私はもうこれで十分。もうこれ以上事がないように、何も来ないように」と、年を取るとなりますね。後ろ向きになる。そして、過去のことばかり、過去の栄光を思い出して、「自分はあの時ああだったな」「若かりし日、あんなだったな、こんなだったな」と、そんな思い出ばかりに浸って、「これ以上、私は変わらなくていい。新しいことなんて起こってほしくない。今日の明日、明日の明後日と、このまま続いてくれ!」と。ところが、神様は「それでは駄目だ!」とおっしゃる。「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい」。常に神様は私たちにチャレンジしているのです。「そのおる所から出なさい」と。

「創世記」12章1節から4節まで朗読。

これはアブラハム、この時はアブラムと呼ばれていましたが、彼がカルデヤのウルに住んでいたのです。お父さんと一緒に、家族がいました。ところが、お父さんが一念発起して、「カナンの地へ移住しよう」と、家族で出てきました。ところが、途中でハランという町へ来て、腰を据えてしまった。そこでお父さんが死にました。アブラムもまたその兄弟もそこで一緒に生活していましたが、弟のハランも死んで、ロトという甥(おい)っ子だけが残されてしまった。1節に「時に」とありますが、神様の定められた時が来まして、アブラムに声を掛けてくださった。「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい」と。国を出る、いわゆる、自分の生まれた国、自分の親族や民族が住んでいるその国を出る。これはなかなか困難です。私どもも海外旅行はしますが、いつまでもそこにいたいとは思わない。殊に言葉も違う、肌の色も違う、目の色も違う、違った民族の中に移住して行く、離れて行く。そんなことをなかなか決断できません。さらに神様は「親族に別れ」と言われる。血縁関係、おじさんおばさん、いとこに取り巻かれて、そこは居心地のいい所です。自分の思いも理解してもらえるでしょうし、なじみのある所です。また「父の家を離れ」と。しかも自分の家族とも、親しい父や母とも別れて、「わたしが示す」地へと、神様に従って行く。神様の備えられた道を行くことです。これはアブラムにとっては大変な難題であったと思います。しかし、神様はここからアブラムを用いて、後の神の民・イスラエルの始まりにしようとしました。神様の大計画があったのですが、そんな事とはアブラムはちっとも知りません。ただ「出て行きなさい」「分かれなさい」「離れなさい」とおっしゃる。

神様は2節に「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう」と約束しました。この約束を聞いて、「うれしいな」と言えますか?「祝福って何やろうか?」と、それよりも宝くじの1枚でももらった方が、まだ約束としてはいいかもしれない。「祝福する」とか、「名を大きくしよう」とか、そんな絵に書いた餅のような話です。もっと実質的な約束してくれたかというと、そうではない。その後3節に「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」と。あまりうれしいご褒美ではないように思える。それでもアブラムは4節にあるように「主が言われたように」、神様を信じた。神様の祝福、これが具体的にどんなものであるか、彼は分かりません。しかし、神様がなさることに決して間違いがないことを信じたのです。神様を信じなければ、踏み出せない。

私たちでもそうです。いろいろなパンフレットを出されて、「ここはこういう所です。ああいう所です。こういう食事ができますよ。こういうサービスが付いていますよ」と、旅行のパンフレットを見て「よかろうかな」と思いますが、しかし、肝心なのは相手をきちんと信頼できなければ、それを受けいれるわけにはいかない。「どこの旅行社だ、これは?」と。「名もない『旅行社・榎本』なんて、そんなものは聞いたことはない。『JTB』ああ、これならいいや」と、やはり相手を信頼するから、その約束が生きてくる。ここでもそうです。神様をアブラムが信頼するかどうか、これが問われたのです。だから、国を出て、親族に別れ、父の家を離れて、言うならば、沖へこぎ出す。聖書を読みますと、神様の祝福にあずかるのは、このただ一つだけ、常に離れること、今ある自分を変えることです。今おるところにぬくぬくと居眠りしながら「私はここで結構です。もうこれ以上変わりたくない。これ以上何もしないでください。もうこのままズーッと天国に行きたい」などと言いますが、そうはいかない。神様の祝福と恵みにあずかるためには、今の状態、事態から、全く見も知らない想像のつかないところへ、神様は私たちを押し出そうとしてくださる。これからです。「この年80にもなったから、これ以上、神様、いい加減私のことをあきらめてください」と。しかし、神様はあきらめません。この地上にあるかぎり、神様は最後までご自分の御心を明らかになさる。だから、もういい加減、覚悟をきめなさったらいい。何があっても、これからは今、今日ある生活が、明日壊れるかもしれない。いや、それでも神様がそれを求めてくださるならば従っていく。「沖へ出よ」とおっしゃいます。どうなるか分かりません。今日はこうやって元気ですけれども、明日の朝起きてみたら「左手が動かんがどうしたのだろうか。あ、左足も動かん」と、半身不随になるかもしれない。しかし何があろうと、主が私たちに「出なさい」「行きなさい」と言われます。そこで私たちがアブラムのように、4節に「主が言われたように」、主が求められるところに従って出なければ、神様の恵みにあずかることができません。「いま私をこの新しい境遇に、新しい事態の中に神様が押し出してくださる」。「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい」。

「イザヤ書」43章18節から21節までを朗読。

18節に「あなたがたは、さきの事を思い出してはならない、また、いにしえのことを考えてはならない」と。「さきの事」とは、ついこの間のこと、過去のことです。しかも時間的にまだ今に近いところの過去です。つい昨日のこと、一昨日のこと、去年のこと、2、3年前のこと、そういうものを思い出してはならない。私たちはいつもそこへ行くのです。「あの時は良かったね。去年の今ごろはあれをしていたね」と。「あのころはまだ私も元気だったし、もっとピンピン歩いていたのに、何でやろう。今日はもうひざは痛いし、腰は痛いし、目はしょぼくれて……」と、すぐさきの事を思う。それを思い出してはいけないと。「そんなことは考えるな、過ぎて来たことではないか!」と。ところが、私たちはすぐ前のこと、前のことに戻る。「また、いにしえのことを考えてはならない」、もっと古い時のことを思う。20代、10代、時には5才か6才のころ、幼稚園のころを覚えておられる方がいますが「そのようなことを考えてはいけない」と。どうするか? 19節に「見よ、わたしは新しい事をなす」。神様が「今から新しいことをするぞ」とおっしゃる。そう言われると、ドキッとして「え!何を? 新しいことを……」と、まさにそこで信仰が問われる。神様を信じて、神様が備えてくださる新しいこと、「やがてそれは起る」、「やがて」とは、文語訳聖書には「頓(やが)て」という字が用いられていますが、「速やかに」という意味合いです。「やがて」というのは、そのうちという意味ではなくて「すぐに」という意味です。「それは起こる」「あなたがたはそれを知らないのか」、「何を神様はなさるのでしょうか」と。その後に神様がどのようなことをするか語っています。「わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる」。「荒野」とは誰も人が寄り付かない、捨てられた場所です。しかし、「そこに新しい道を設ける」と。そこが多くの人々が集まる場所となって、気がつかないうちに大路が出来るというのです。また「さばくに川を流れさせる」。砂漠に川が流れるとどうなるか?そこは緑豊かな人を潤し養うべき場所に変わる。神様のなさることは破壊ではなくて、創造のわざです。「新しいことをする」と言われると、私どもはすぐに「え!どんな新しいこと!」と、自分の持っている物を取られたり、今あるものが失われたり、壊されたり、破壊されることのほうへと、私たちの思いが行ってしまいますが、そうではなくて、神様は「新しいことをする」というのは、捨てられたところが生きる場所に変わる。また砂漠であった所に水が流れ、人を潤し、宿し、慰め、喜びを与える場所へと変わっていく。創造のわざです。だから、「もうこんなに年を取って、後はもう死ぬしかない」「どんどん体力を失って、記憶力も失って、失うものばかりだ」。確かにそれはそのとおりかもしれません。しかし、同時に神様はその中から、私たちにもっと素晴らしい恵みを与えてくださる。21節に「この民は、わが誉を述べさせるために、わたしが自分のために造ったものである」。神様の誉を述べ伝えるために私たちを今仕立ててくださる。この地上の舞台に私たちを置いて、神様のシナリオに従い、神様が監督していらっしゃる。だから「沖へこぎ出し」と。
「ルカによる福音書」5章4節に「話がすむと、シモンに『沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい』と言われた」。いったいそんなことをして何がとれるかしら。沖へこぎ出して、そんなことをしたら、疲れるばかりで徒労に終わるに違いない。すぐそのような悲観的なほうへ、ネガティブな方向へ思いが行きますが、神様はそうではない。「荒野に道を設け、さばくに川を流れさせて」、私たちをいのちにあふれる者に造り替えて、神の誉を述べさせるために仕立てようとしてくださっている。そのときシモンは「お言葉ですから」と「主が言われたとおりにした」とあります。アブラムもそうです。「アブラムは主が言われたようにいで立った」、出発した。また、このシモンも6節に「そしてそのとおりにした」とあります。「神様が聖書に約束されたように、いま私にこの新しいわざをしてくださるのです」と信じて、「沖へこぎ出せ」とおっしゃいますから、今日、今置かれたところから、もうひとつ次なる、神様どのようなものへと造り替えてくださるか大いに期待して、主が備えてくださる道へ喜んで、先のことはどうなるか分からないけれども、主を信じて、神様を信頼して踏み出して行こうではありませんか。沖へこぎ出して、網をおろす。その時、この後にありますように、大変な、思い掛けない大漁に会いました。その結果、彼は船も船具も捨てて、とうとうイエス様に従う者と変えられた。これはシモン・ペテロの新しい人生の旅立ちだったのです。イエス様は夕べ夜通し働いたけれども何も取れなかったペテロが可哀想だから、たくさんの漁をさせてやろうという話ではない。彼らは大喜びをして「ワー!思い掛けない大漁だ」と言ったかしれないけれども、実は、イエス様のご目的はもっとその奥にあった。それはペテロをして人を漁(すなど)る者に作り変えるためでした。このことを通して、彼は神様の前に悔い改めて、人生をイエス様にささげた。その生涯は確かに紆余(うよ)曲折、決して平坦ではありませんでした。しかし、ついにネロ皇帝の時代、ローマで迫害に遭い、逆さ磔になって殉教しました。彼は神様から求められたとおりに従ったのです。

といって「殉教するのか」と、すぐにおびえますが、どこにどんな形であれ、そこで主に従う、これが殉教です。私たちはイエス様に命をささげた者ではないでしょうか。生きるのも主のため、死ぬのも主のためです。生きるにしても死ぬにしても私たちは主のものである。徹底してイエス様のみ声に従い、その導かれるところ、神様の御言葉に従って沖へこぎ出していきましょう。

ご一緒にお祈りをいたしましょう。

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