◆犬の散歩◆

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思いこみの激しい人の話2

2005年12月23日 14時07分00秒 | 政治・世相・スポーツ等
思いこみが激しい人の話、実例など

「思いこみを否定されると狂う」人はわりといる。某匿名掲示板ではとっても多いことだけど、先の狂牛病の話や、電子レンジの話などでも、事実を教えても一切受け入れようとしない人もいる。自分は推測でものを語るくせに、相手にだけソースを求める。こっちがソースを出しても信用しないが、自分はソースを絶対に出さない。出せるわけがない、思いこみだものw
たまに出すこともあるけど、そのソースを読んでみると、誰か分からない人が推測で語ってるだけのものだったりするw
そして、どうにも反論出来なくなると個人攻撃、人格攻撃を始めてしまう。が、別に匿名掲示板でそんなことをしても、名無しが名無しを罵倒しても、どうってことはないのだがw
ともかく、彼らは自分にしか通用しないルールというものを持っている。それに反するものについては力一杯の拒絶をする。それが現実に反していても、法律に反していても、優先するのは自分ルールのほうである。


ちなみに、これは匿名掲示板に限った話じゃない。ちゃんとHNを名乗り、また管理人と面識などがあるような場でも平気で起こりえることだ。
某所での話だけど、野宿は危険かという話になり、野宿のスペシャリストwである私は、今まで何度となく野宿をして、一切危険な目に遭ったことがないので、「さして危険ではない」と発言したのだが、やっぱりそれは受け入れられない人がいた。そこでは女性が野宿をする場合について話題が移行していたが、確かに女性が野宿するのは「常識として」勧められないのだが、現実としては、寝袋に入ってるのが男だろうと女だろうとたいした違いはない。暴漢だっていちいち確認して襲うわけではないのだから。というか、道ばたで寝る人間が金を持ってるわけがなく、また女が寝てるわけないという思いこみがあるのだから、まず襲われるなんてことはない。
また、女性が寝てるからといって即襲われるかというとそんなことはない。確かに女性が野宿をするなど、よくないことである。しかし、「よくない」ということと「危険」ということは別であるということが分からない人がいた(別に私は女性に野宿を勧めているわけではない。危険か危険でないかだけの話である)。このときはそれで終わったので良かったのだが、この人はこのときに私に目を付けていたのか、別の話題でも食ってかかってきた。
私は、新聞の勧誘が来て、断ってもしつこく購読を迫られた場合、素直に契約することにしている。そのときに景品を大量に貰うわけだが、実際に購読するつもりはないので、速攻でクーリングオフをする。でもその景品を取りに来ることはないので、景品だけ貰えてしまうことになってお得だと発言した。
そうしたら、新聞を取らないのに景品を返さないのは人としておかしいとか、そんなことを堂々と掲示板に書くのは非常識だとか言われてしまった。曰く、その人は新聞店の人のようで、そんなことをされたら困るという。
もちろん、こちらにとっては拡張行為そのものが迷惑であること、いらないといってもすぐに帰らないことは犯罪ですらあること、景品を返したくても取りに来ないから無理であること、フリーの拡張員は普通に断っても帰らないし、無理に追い返すとガス栓を閉めるなど異常な嫌がらせをしてくるので契約するしかないと反論はした。ところが、人を非常識扱いするだけして、謝罪も訂正もなにもなく、「見ている人が判断するでしょう」「自分の場所ではないのでこれ以上は書かない」といって逃亡されてしまった。なんと失礼なことであろうか。
私はとくに礼儀にうるさい人間ではないし、自分も無礼なこともあるのだから、他人の礼儀についてとやかく言うつもりはない。しかし、人を「非常識」と批判したからには、それなりに責任があると考える。人を批判するということは、その発言について責任を持たなければならない。批判が批判として正当であればいいが、そうでないなら、それは誹謗中傷となるからだ。だからこそ、その人は私の反論に再反論して私が非常識であることを証明するか、非常識と言ったことを訂正して謝罪しなければならない。これは人道的にも法的にも義務といえる。私は、人を批判するときは、反論されればさらに反論や、こちらの間違いがあれば訂正や謝罪をきちんと行う。
ところが、それ以降、その人が私に返答をすることは一切なかったのだった。言いたいだけいって逃げるとは、一体どっちが非常識なのか、と言いたいところだが、やっぱり管理人に迷惑をかけるわけにはいかないので、それ以上追求することはしない。

自分は言いたいことをいい、相手には「管理人に迷惑だから」といって言わせない。さらに自分の間違いを認めない。名無し同士が罵倒しあうような所ならまだしも、ちゃんとHNを出して面識のある人と会話する場所においても、こういうことが平気で出来るというのは、一番嫌いなタイプの人間である。唾棄すべき人格である。
~4.5.2006追加・後にその人には掲示板にて、非常識などということや、謝罪なく対話を打ち切ったことについて謝罪があったので、こちらも配慮が足りなかったと謝罪し、和解となりました~


こういう人は、自分ルールを持っている。そのルールに外れるものは、法律だろうが現代科学の最先端だろうが、簡単に否定する。そもそも常識というものがないので、普通の常識を教えても理解しない。そのくせ、自分の異常な行動が常識的であると思いこんでいる。常識の押し売りである。しかも狂った常識の押し売りである。それに応じない人は全て非常識と決めつけられてしまう。こういう人に絡まれたら、徹底的に争うか、ほっとくしかない。まあ、私は言うまでもなくとことん言うタチなんですけどねw


人を批判することは悪いことでも失礼なことでもない。ただし、人を批判するときは、その吐いた言葉を飲み込んではいけない。その発言についての苦情には、いつでもどこでも責任を持って返答しなければならない。それが、人を批判する人間の義務である。

しかし、思いこみの激しい人は、現実を無視した斬新な主張をし、それが間違っているということを絶対に認めず、逆に事実を言う人に対して異常な反応をするのである。多分、妙なプライドが邪魔をしているのだとは思うが、そのようなものはプライドでもなんでもない。プライドある人間は自らを省みることが出来て、さらに自らを謙ることができる人間のことを言うのである。

人は思いこみで現実を見誤る

2005年12月23日 13時53分52秒 | 政治・世相・スポーツ等
人は思いこみが激しいというお話

人は思いこみが激しい。そして、それは時として、現実や事実よりも優先してしまうことがある。そして、事実を教えても一切受け入れようとしない、そんなとってもおかしな人が世の中にはいるという話。
先日、米国産の牛肉の禁輸措置が一部解除された。米国産牛肉といえば吉野家だけど、まだ流通量が少なく、また空輸のためコストが合わずまだ吉野家の牛丼の復活にはなっていない。

さて、この米国産牛肉、輸入をすべきでないという意見がややある。テレビでも一般の人にインタビューして、自分なら食べるかどうかという意見を求めている。
気にしてられないから食べるという人もいれば、怖くて食べれないという人もいる。私はといえば、牛丼より豚丼がうまいと思うので、別にどっちでもいいけど、安ければ食べるかなといったところ。
狂牛病が怖くないのか?という声も聞こえて来そうだけど、はっきりいって怖くない。というか、怖いと思うほうがどうかしている、というお話をします。

ところで皆さんは、牛肉がどれだけ危険なのか、とくに米国産牛肉がどれだけ危険なのか理解したうえで怖がっているのだろうか?そもそも、狂牛病の牛肉を食べるとどうなるのか、わかっているのだろうか。
狂牛病とは、牛が異常プリオンの増殖でもってかかる病気である。プリオンとは蛋白質そのもので、どの生き物にも存在するものである。しかし異常なプリオンは脳をスポンジのようになるなどと言われている。異常プリオンは煮ても焼いても無毒化できない。
そして、ヤコブ病と言われる病気が人間にもある。これも同様の症状があるとされる。通常のヤコブ病は年配の人がかかる病気だが、「変異性」ヤコブ病と言われるものは、若年層もかかることが特徴で、ここではこちらの変異性のヤコブ病のほうを扱う。

この二つの人と牛の病気、さも狂牛病の牛の肉を食べると人間も同様の病気になるように思われているが、実は、科学的に関連は証明されていない。掲示板などの反応を見ていて、これを知らない人が多いのに驚いた。

ただ、原因、症状が似ているので関連があるとされているし、異常プリオンが蓄積される「危険部位」を食べていた英国での感染者が異常に多いことで、状況証拠的に関連があるとされている。まあ、これはいい。多分、関連はあるだろう。しかし、まだ証明されていないという事実を心に留めておいてほしい。

次に、牛肉を食べると、どれくらいの可能性で変異性ヤコブ病に感染するのか。全世界でどれくらいの感染者がいるのか。
感染した場合、まず間違いなく死ぬ。そして、いままでの死者は全世界で160人足らず。これをどう思うかは人それぞれだと思うが、私は「たった160人」と感じる。全人類60億、牛肉を食べない人たちを除いても、数十億分の160。数千万分の1という確率である。
そして、これは肉骨粉規制前、危険部位を食べていた頃の英国の数字を入れてのもので、現在は殆ど報告されていない。年に数人というところである。確率でいうと、数億分の1ということになる。

日本人の感染者は、英国渡航歴のある1名のみ。危険な行動を取っていて、一億分の1であり、そうでない人はゼロということになる。いいですか、ゼロですよ。ゼロ。今までに日本国内で牛肉を食べてヤコブ病にかかった人はいないのだ。にもかかわらず、さも牛肉は危ないかのような報道がなされている。ここらで、どれくらいかかりにくい病気であるかをしっかり報道してほしいものだ。

厚労省はどう考えているかというと、狂牛病についてのFAQページを読むと、国内の日本人が感染する可能性は、1億分の1から10億分の1という。算定理由は、国内産、国外産の牛肉の流通状況などから出したとのこと。これはまあ、ちょっと高めな確率だとは思うが、そんなものかもしれない。ちなみに、これは全頭検査前の数値である。今は全頭検査しているので、もっと低くなると思われる。

さて、こう見て来たところ、変異性ヤコブ病に感染する可能性は、数億分の1から数十億分の1といった所だと思われる。ここまで低確率になると、分母がいくつでも対して違わないと思える。限りなくゼロに近い確率だ。こんな低確率のリスクを許容できない人というのは、精神的にどうかしていると思う。え?その数億分の1になりたくない?リスクは少ないに超したことはないって?でも、その考え方はおかしいのである。

なぜなら、交通事故では毎年1万人弱、最近は減ってきて9千人弱は死ぬのである。人口比でいうと1万数千分の1である。なんと、牛肉を食べて変異性ヤコブ病にかかって死ぬよりさらに一万倍以上も高い確率である。ヤコブ病を恐れて牛肉を食べないというのなら、交通事故を恐れて車廃止論を唱えるとか、外に一歩も出ないとかをしなければバランスが取れない。
1万分の1で死ぬ、外を出歩くという行為に恐怖感を覚えず行動に制限を加えていないのに、さらに一万倍も死ににくいことを恐れて行動に制限を加えるのである。私はきれい好きだから1時間おきに手を洗うといいつつ、1ヶ月風呂に入らないようなものである。まともな神経ではないのは分かって貰えると思う。
ちなみに、食中毒で死ぬ人は数十人、食べ物が原因で死ぬ人は数千人、殺人事件の被害者は千数百人程度。宝くじに当選する確率は1000万分の1である。これらよりヤコブ病のほうが怖いと思っていた人は、認識を改めるべきである。それでも怖いという人は、現実より思いこみを優先する、変わった人ということになる。
牛肉を食べるときは、狂牛病より、その肉料理で食中毒になることを心配するべきなのである。
これに対して、米国産の牛肉は管理がずさんだから輸入すべきでないという。これも正しいとはいえない。確かに米国での肉牛の管理はずさんである。いつ生まれただのといった管理はない。全頭検査もしてないから、狂牛病感染牛があまり見つかってないのも、単にわからないだけだというのも、そうだろう。
ところが、まず、危険部位も余裕で食べていた英国を入れても160人という低確率でしか発症しない。普通、たとえば発ガン性を言う場合、100万分の1の発症率であればその物質の発ガン性は「安全」と定義されるという。その定義であれば、危険部位は安全なのである。ただし、その危険部位さえ食べなければさらに飛躍的に確率を落とせるのだし、危険部位を切除することはそうコストのかからないことだから、危険部位を切除するようになっているのである。
日本は全頭検査をしろというが、膨大なコストをかけて感染牛を特定しても、危険部位さえ食べなければそれでいいのだから、全く無駄なことだ。ようは管理を徹底して生年をしっかり把握し、異常プリオンが検出されない若い牛の危険部位以外だけを食べればそれでいい。全頭検査して異常牛を全て排除したところで、感染リスクはそれほど下がらない。費用対効果が悪すぎるのだ。こんなもの、安さが売りの米国牛にもやらせようとしたって無理に決まっている。
で、昔なら外圧で無理矢理認めさせようとしたであろうところ、今回はきちんと「20月齢以下限定」「今後は管理を徹底する」ことを条件に、また日本が工場の監視にすらいくという。それで科学的にいって十分すぎるほどの対策だ。これ以上何を望むというのか?
日本人は潔癖というが、全頭検査を強要するなど、ここまでいくと潔癖どころか異常である。
などと書くと、アメリカの言いなりになるのかとか、発表されてるデータは嘘に決まってるとか、アルツハイマーとして診断されているヤコブ病患者が隠れてるとかいう陰謀論に走るやつが現れ出し、さらには吉野家社員とか、工作員だとかいうレッテル張りに突入するわけで、困ったことになっていくというわけです。


もう一つ見つけた思いこみ。
今ではそう珍しくないけど、電子レンジでお米を炊くという器具が発売されている。その新製品は、吹きこぼれず、お椀にそのままごはんが炊けて、そのまま食べられるというもので、ちょっと目新しいものだった。それについて意見を寄せる掲示板において、これもある程度予想できる反応がいくつかあった。

一つめは、「電子レンジでごはんを炊くなんて電気代が無駄すぎる」というもの。
二つめは、「まとめて炊いて小分けにして冷凍しておいたほうが一膳だけ炊くより楽」だというもの。

これは、どちらも間違っている。
レンジで炊く場合、炊飯時間は10分から20分で、主にレンジの弱を使う。その場合、電力は400wから500wになる。そして、3合まで炊ける小型の炊飯器で炊飯時の電力は300wから400wで、炊飯時間は30分程度である。そう、消費電力はたいして変わらないのである。
確かに、レンジを使って他になにかつけるとブレーカーが落ちたりした時代もあったけど、レンジが電力を無駄に消費するというのは思いこみなのだ。そもそも炊飯器も電気で動くのだから、それほど違いがあるわけがない。
しかも、小型の炊飯器はレンジと同等だが、IH炊飯器などの高級機、これはもう1kwを越えるものもある。つまりエアコン並である。これこそへたに使うとブレーカーが落ちる。多くのお米を一気においしく炊くのに適しているのだろうけど、これは驚きの消費電力である。

次に、小分けにして冷凍したほうが楽だという意見。これはとくに考えるまでもない。まず、電気で炊いて、さらに電気で解凍するのだから、二度手間であり、エネルギー的に無駄なのは言うまでもない。しかも小分けにして、冷凍にしてという手間もかかる。
まあ、冷凍してあるものを解凍するのは楽かもしれないけど、それまでの手間がその都度炊くのに比べて多すぎる。また、冷凍の電力も考えると資源の無駄そのものである。

こういった思いこみは誰にでもある。私も、一瞬レンジで炊くのは無駄かな?と思ったけど、炊飯時間から消費電力を考えてみたら、全然無駄じゃないことがわかった。この間数秒である。この数秒をあえて行うか、そこに思考が行くかが思いこみで間違った言動をする人と、そうでない人との違いだと思う。まあ、もちろん私も思いこみで適当なことを言うこともあるけど、なるべくそういうことがないように努力しているつもりだ。

日々、これは思いこみなのか、常識ではこうだけど実際はどうなのかと考えて、必要あれば調べてみるくらいであるべきだと思うが、そこまで几帳面な人はいないのだろうなとは思う。でも、「現実はこうなんだよ」と言われて、「そうなんだ」と思える人であってほしい。中には、現実をどうしても受け入れようとせず、逆に相手をきちがい扱いする人が少なくないのだ。次回はそんな話をする。