ダマスカス留学生有志による情報ブログ

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なぜラマダーンに断食をするの?②

2010年08月13日 | ★イスラームって?(初級~)

→(なぜラマダーンに断食するの?①の続き)

でも、体の欲求が巨大に膨れ上がってしまった状態では、魂はそれにガードされてしまって、せっかく魂に栄養を与えることをしても、ガードが厚すぎるため、その栄養が魂に届かなくなってしまいます。
そのため、人の役に立つことをしても嬉しくなかったり、礼拝をしても何も感じなくなったり、クルアーンを読みたくなくなったり、善い事をしてもちっとも楽しくなかったり、という魂の瀕死の状態が起こってしまうのです。それを、そのまま放っておいてしまうと、少しずつ魂は死んでいきます。


そろそろ、なぜムスリムが、断食するのか、わかった方もいるかもしれません。
アッラーは、私たちの魂を救うために、一年の12ヶ月の内の、一ヶ月だけを、体に与える栄養を制限し、巨大になった体の欲求のガードを弱めて、魂の方にも栄養が行き届くようにする、すばらしいルールをくださいました。
それが、ラマダーン月の断食です。
ラマダーンには、昼間食べたり飲んだりすることを止めることで、今まで、太りに太って巨大化していた欲求が、だんだん弱まり、窒息寸前だった魂が、欲求の圧迫から開放されて、ようやく息を吹き返すことができます。


そこへ、ラマダーンに特別なたくさんの善行や、タラウィーフの礼拝や、クルアーンを普段よりも多く読誦することで、魂の栄養をどんどん与えていくと、瀕死の魂が、徐々に元気を取り戻し、生き生きと蘇ります。
そうなると、善いことをしても、心から嬉しく感じ、クルアーンを聞いても、もっともっと聞きたいと思うようになり、善い事をもっともっとしたいと思うようになり、礼拝しても楽しくて楽しくて仕方がなくなってきます。
瀕死の魂が、再生されてきた証拠です。
つまり、ラマダーンで、私たちに起こる2つのことというのは、体の欲求が弱まり、魂が強まる、という現象なのです。



ラマダーンの効果は、これだけに留まりません。
この状態が続くと、さらに不思議なことが体に起こってきます。
アッラーとつながリを持って沢山栄養を与えられ、満たされた魂は、アッラーの光がその人の魂に満ちあふれ、光で一杯になります。
すると、その魂から、光の栄養はあふれ出て、体の隅々に光の栄養が行き渡り始めるのです。
なんと、地面からしか栄養が摂れなかった体が、魂の光から栄養を摂るようになるのです!
その人の体自体は、断食で弱っているはずなのに、魂の活力で、アッラーの光で生き生きと輝きます。
魂が元気になると、体は、地面からの栄養を摂らなくても、魂からの栄養でどんどん元気になり、アッラーの光が体中にあふれる状態になります。


そんな例をたくさんシリアで見ました。シェイフ達は、みなさんご高齢にもかかわらず、ものすごくお元気です。内側から光り輝いているようです。
ダマスカスの学校を創立されたクフタロー先生は、お亡くなりになったとき、94歳でしたが、お亡くなりになる直前まで、金曜日に、金曜礼拝のモスクで、講話をされていました。
5階建てのモスク一杯にあふれる何千人という先生のお話を聴きに来た人たちに、一時間以上の講話を、しっかりした口調で毎週行われていました。
先生は、全て暗記されているため、何も本を見ることなく、クルアーンだけを前において、94歳で亡くなる直前まで、講話をされていました。アッラーのご慈悲が彼にありますように。


この先生に限らず、シェイフ達は、80歳を過ぎても、痴呆やボケという声を全く聞いたことがありません。
年を重ねれば重ねるほど、マーシャアッラー、経験と知識が増え続け、学者としてすばらしい状態になっていきます。
それは、彼らが、地面から摂る、体の栄養だけで生きているのではないからでしょう。
アッラーと常につながることにより、アッラーの光という魂の栄養が人間に与える効果、というのを、実証してくださっているのが、こうしたご高齢のシェイフたちです。アッラーが、彼らの寿命を延ばしてくださいますように。


ラマダーンで断食をするのは、11ヶ月間かけて窒息寸前になっている私たちの魂に、栄養を与えて、再生させるためなのです。
断食なんて大変、とか、かわいそうと思われることがありますが、実際には、魂が窒息寸前になったまま、徐々に死んでいくのを放って置くことの方が、ずっと危険で大変です。
私たちのことを愛してやまないアッラーは、私たちに、魂の救済方法をお与えくださったのです。アルハムドゥリッラー。


ここで思い当たるのは、ムスリムになって最初の年の断食のことです。
まだクルアーンも読めず、アッラーとつながりを持つ方法をほんの少ししか知らなかったときには、体に栄養が与えられない断食は、辛いものだったのではないでしょうか。
それは、体に栄養が行かない上に、魂の栄養が十分に摂取できないので、体も魂も、ふたつとも弱ってしまうことによって起こるのではないかと思います。


断食で体が弱っている、と感じたら、魂の栄養になることを、たくさんしてみましょう。
親孝行をしたり、ご近所の人たちに親切にしたり、人の役に立つようなことをしたり、こういった善行をたくさんしたり、クルアーンを読んだり、読めなければ、クルアーンをCDでたくさん聞いたり、アッラーのことを考えるズィクルをたくさんしたり、魂の栄養になることをたくさんすると、不思議に、食べなくても飲まなくても、全く平気になっていきます。
断食中でも、お腹がすいていることを忘れます。
魂が満腹しているときは、ほんの少しの量で、体も満腹になります。不思議なものです。


魂の栄養がうまく摂れないと、体も魂も、ふたつともがダウンして、とても辛いものになってしまうこともあるのではないかと思います。
もちろん、体質や病気の場合もあります。
イスラームでは、断食によって、病気がひどくなったり、体に害を与えるとわかっていて断食することは禁じられています。


魂の栄養をしっかり摂っていたサハーバたち(アッラーのご満悦あれ)の中でも、スンナの断食をすると、疲れてしまって礼拝やクルアーン読誦に支障があると言われていた方もいますので、体質もあるでしょう。
ただ、試してみることはできると思います。
断食で疲れたときには、ただ寝ていないで、魂に栄養を与えることをしてみると、以外に自分でもびっくりするくらい元気が出てくることもあります。


こうして、私たちが、ラマダーンで一ヶ月間、体の欲求を弱め、魂に栄養をやり続けていると、巨大な欲求でふさがれていたガードが、魂から完全に取り払われ、欲求に支配されていた人間が、反対に、欲求を支配できるようになります。
欲求が、「食べたい」と言っても、「かしこまりました」と従う代わりに、「アッラーのために断食をしているから、食べない」と答え、「悪口を言いたい」と言っても、「アッラーのために断食をしているから、悪口を言わない」と答え、「あの人のことを嫌いだ」と言っても、「アッラーのために、彼女に善いことだけをする」と答え続けると、ついには、人間は、巨大に太った欲求が、だんだんとやせ細り、人間は、欲求の支配から解放され、反対に、欲求を支配することができるようになります。


断食というのは、人が見ているからする、というものではありません。
もし自分が止めようと思えば、誰もいない部屋に入って、こっそり水を飲んだりすることができるからです。
でも、それをしないのは、私たちが、「誰も見ていなくても、アッラーが見ているから」ということを知っているからです。
ラマダーンの間、一ヶ月間、食べたくても、アッラーが見ているから、食べない、人の悪口を言いたくても、アッラーが見ているから、悪口を言わない、ということを続けていると、アッラーのご満足だけを求めて、アッラーのご命令に従い、禁止されることを避ける、「タクワー」の練習を毎日することになります。
これが、アッラーが、人間に断食を課した所以、クルアーンで言われた、「タクワー」を手に入れるということです。


一ヶ月間、断食を終えたムスリムは、アッラーのご満足だけを求めて、行動することがずっと簡単になり、欲求の支配から解放されて、魂がクルアーンの光で満ち溢れた状態になり、体も心もきれいに浄化され、また、次のラマダーンが来るまでの一年間、新たなアッラーとの関係を始めることができます。
これが、ムスリムが、一ヶ月間のラマダーン学校を卒業する、ということです。
ラマダーンが始まる前と、終わった後では、インシャアッラー、どれだけ自分に大きな変化があるか、楽しみです。
ある敬虔な方の言葉に、
「空腹は、アッラーの元では、彼の宝庫に保管されており、お好きな者にしかお与えにならない。」
というものがあります。


この一ヶ月、アッラーの元で特別な、空腹を、アッラーのために感じることができるこの祝福されたラマダーンに、私たちのことを愛してやまないアッラーが、私たちのために準備してくださったラマダーン学校を、ちゃんと卒業できますように。

 

 

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