ダマスカス留学生有志による情報ブログ

ダマスカス留学生有志とそのOBがアラビア語やイスラームについての情報をお送りします。

イスラームを信じるということ ①

2010年04月24日 | ★イスラームって?(初級~)

今の日本を始め世界中のマスメディアでは、イスラームを攻撃する人たちの作った、「イスラーム=テロリズム」 という図式が大宣伝されており、残念ながら、人々の頭の中にしっかりそれがインプットされています。
どうしても人は、テレビや新聞に書いてあることがすべて正しい、と思い込みがちなので、それを否定しても、誰も信じてくれません。
しかし、日本に入る海外のニュースや世界中のニュースは、ユダヤ系の通信社(ロイター通信など)から情報を得ているため、日本に、イスラームに関する正しい情報は伝わる事がないのです。

その一例として、シリアで留学していたときの私の友達のタイ人の女の子は、現在タイの植民地となっているパタニというタイ南部の出身ですが、お兄さんが、金曜礼拝にモスクに行っただけで半年間投獄され、金曜礼拝にモスクに行ったムスリムたちは、皆同じように牢屋に投獄されていました。
その年、パ゜タニでは、何千人という数のムスリムがモスクで虐殺され、現在でも、ムスリムであり、男性である、というだけで、道端で、警察に理由もなく発砲され、ムスリムたちが次々に殺されています。
彼女が、一時帰国から戻ってきて言っていたのは、「私の村では本当に、皆殺されて、男性がいなくなってしまった。残っているのは女性と子供だけ。台所で料理をしていても、外ではパン!というピストルの音がいつもして、今度は近所の誰が殺されたのかな、と思いながら料理していた。」
イスラームを攻撃する人たちに不利な、こういうムスリムたちの悲惨な状況は、まったく日本や世界の国際ニュースでは報道されません。

それに加えて、イスラームを知るもう一つ手段である、イスラームに関する本を読む、というのも、注意が必要です。
残念ながら、ムスリムでない方が書かれたイスラームに関する本、というのは、どんなに書いたご本人がイスラームに好意的な立場であっても、元にしている資料が、すでに悪意ある人たちによって書かれた間違った西洋からの資料であるため、どうしてもイスラームに関するとんでもない誤解が、著書の中の様々な箇所にちりばめられてしまっています。
それを、イスラームのことを知らない人が読んでしまうと、知らない内にイスラームに対して嫌悪感や違和感が芽生えてしまいます。

自分でイスラームに関する本を読むときに、または、人に紹介するときに、注意しなければならないのは、著者がムスリムであるかどうか、という点です。
私は、まだ入信する前にこれをあるムスリマから聞いたときには、「ムスリムが書いた本だけを読むなんて、偏った見方しかできなくなるのは嫌だ」と思って、無視したのですが、今になって、彼女が言う事が正しかった事を改めて実感しています。
なぜならば、私達の周りにあふれるイスラームに関する情報、書籍、というのが、ほとんどすべて、西洋の悪意ある手垢で汚れたものばかりだという事実があるからです。
本当に残念なことですが、私たちが安心して読めるようなイスラームの真実を伝える本は、特に日本語では、ごくわずかです。

例えば、普通に考えて、「日本の習慣について」という本を、外国人が書いたら、日本人が読むと「それは違う!」という間違いがあるのと同じで、イスラームに関する本を、ムスリムでない人が書いても、ムスリムから見れば、「それは違う!」という内容になるのは当然です。
「習慣」については、もしかしたら日本に長年住んでいれば外国人でもある程度正しいものを書くことができるかもしれませんが、「イスラーム」というのは、「習慣」とは違うので、ムスリムと一緒に暮らしてればイスラームのことがわかる、というものではありません。

大きな間違いは、「イスラーム」という教えと、「現在のムスリムの行動」というものを一緒だと考えてしまうことです。例えば、ムスリムの中には、お祈りもせずお酒も飲んだりする人もいれば、お祈りや断食をしていても、人をだましたりする人がいたり、いろんな人がいますが、それをそのまま「イスラーム」だと思ってしまうのは、大きな間違いです。

イスラームというのは、もともと、人間をお創りになったアッラーが、人間がこの世とあの世で、一番幸せになるためにはどうしたらいいか、という方法を教えてくださった、この世を生きるための説明書、マニュアルです。その説明書は、二つの要素から成り立っています。
① クルアーン
② ハディース(預言者さま(彼に平安と祝福がありますように)の言行録)

ですから、私たちは何かわからないことがあったときに、これはイスラームではどうなのか?と考えるとき、この2つに戻らなければ答えは出ません。
                                                          

→イスラームを信じるということ②へ続く

 

関連記事:

イスラームのここがわからん、Q&A ①                 イスラームでは、天国は母親の足元に

預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の人徳               もっとイスラームを知りたい!    

イスラームは私の人生をどのように変えたか ①             イスラームについての無料冊子がほしい


イスラームを信じるということ ②

2010年04月24日 | ★イスラームって?(初級~)

例えば、イスラームにおいて豚肉を食べる事がいいことか?という議論をしたとして、その場にいた全員が、「豚肉は健康にいいので、イスラームは人間のためにある教えなのだから、健康にいい豚肉を食べる事はいいことだ」という結論に達したとします。
しかし、イスラームにおいてアッラーが豚肉についてどう決められたのか?ということは、人間が、頭で考えて、みんなで相談して決めることでなく、すでにアッラーがお決めになられたことがあり、明らかな答えがあることです。

もし、全員が納得する事が、正しいのだったら、それは、時代と共に変わってしまうでしょうし、環境によっても変わるでしょう。
それはイスラームではありません。
それはただの人間の思想です。
イスラームは、そんな不安定な人間の思想に従って生きなさい、という教えではありません。
そうではなく、唯一の神アッラーのお決めになられた方法に従って生きる、という教えですから、この場合求められるのは、みんなで相談する事、ではなく、アッラーのお考えを知ること、つまりイスラーム法学(アッラーが、何を禁止し、何をしなさいと言われているか)を知っている人に尋ねること、です。

人間には限られた能力しか与えられていません。
すべてのことがわかるようには、創られていません。
未来のこともわからなければ、限られた視力しかないので目に見えることも限られ、明日何が起こるかもわからない不完全な存在です。
ですから、人間の作った法律には、どんなにすばらしいものであっても、どうしても、時間と共に、また、国によって、不都合な点が出てきたりして、時代の変化と共に改正を繰り返さなければならなくなります。

しかし、アッラーは、完全です。未来の事もすべてご存知で、私たちのことを私たちよりもずっとよくご存知です。
そのアッラーが、私たちのために、私たちがなんとかして幸せに生きていけるように、と教えてくださったのがイスラームです。

現在のムスリムたちの問題は、この「アッラーの法」よりも、自分の欲に従ってしまっている人たちがたくさんいることです。
例えば、「毎日のお祈りは面倒だからしないで、年に一度のラマダーンの断食だけしよう」、とか、「こんなひどい親には親孝行なんてしなくていい」とか、アッラーの教えよりも、自分の欲を優先させて行動してしまうと、イスラームと、現実のムスリムたちの行動の間に、ずれが生じます。
ですから、現在では、「ムスリムの行動=イスラーム」、と思ってしまうと、まったく間違ったイスラームを学んでしまう事になってしまうのです。

クルアーンとハディースでは、しっかりアッラーは、「毎日お祈りをしなさいよ、そうすることが、あなたたちの体と精神を守るのですよ」、と教えてくださっているし、「どんな親であっても、親である限り、あなたは彼らに親孝行をするんですよ、そうすることがあなたのためになるんですよ」、と、懇切丁寧に教えてくださっていますから、イスラームを理解するには、ムスリムたちの行動を見るのではなく、クルアーンとハディースに戻って、アッラーが何を決められたかを知らなければ、本当のイスラームは見えてきません。
そして、この2つ、クルアーンとハディースは、この世をお創りになられたアッラーが、人類に送られた大切な宝物です。

例えば、コンピューターを作った技術師は、そのコンピューターが、このボタンを押すとちゃんと動いて、ここのボタンを押すと壊れてしまう、というのを一番良く知っています。
それと同じように、私達を創られたアッラーは、このボタンを押すと私達がちゃんと幸せに生きることができて、このボタンを押すと、私達が壊れてしまう、というのを一番よくご存知です。
そこで、私達が、ちゃんと幸せに生きることができるように、説明書、マニュアルを私達に送ってくださったのです。それがイスラームです。

このボタンを押すとあなた達は自分を損ないますよ、自分のためになりませんよ、というのが、ハラームと言われる禁止されていることですね。殺人、盗み、人の陰口を言う、人を妬む、嫉妬する、親不孝をする、そういったことが、すべて、人間の体と精神にとって、悪い影響を与える事を一番よくご存知のアッラーが、これをするとあなたたちは損をしますよ、と教えてくださっているのが、ハラームです。

そして、これをすれば、あなたたちは正しく心安らかに生きていけますよ、というのが、イスラームおける義務の行為(アッラーと預言者さま(彼に平安と祝福がありますように)を信じること、礼拝、断食、喜捨などや、これらをきちんとできるように勉強する事、親孝行、など)や、スンナと言われる奨励される行為(サダカと呼ばれる自由喜捨、貧しい人を助けること、目上の人を敬う事、など)です。

それを行うことで、人間は、自我、という悪い欲に支配される事なく、欲から解放されて、アッラー以外の何者にも支配されない、本当の意味で自由な存在になり、この世でもあの世でも、心安らかに幸せに生きていくことができるのです。

関連記事:

ダマスカス旧市街を紹介するFacebook      世界遺産 ボスラ(ブスラ Busra)

イスラームでは、天国は母親の足元に     なぜラマダーンに断食するの?①

もっとイスラームを知りたい!        イスラームについての無料冊子がほしい

ハサヌ・ル=バスリー師(アッラーのご慈悲あれ)の手紙


世界遺産 ボスラ(ブスラ Busra)

2010年04月17日 | シリア旅行ガイド

 預言者ムハンマド(彼に平安と祝福あれ)が、少年時代に訪れたボスラ(ブスラー Busra بصرىという町が、ダマスカスから車で2時間くらいのところにあります。
日本からの観光客の方たちには、ローマ劇場のある、世界遺産都市として有名なボスラですが、世界中のムスリムたちにとっては、預言者さま(彼に平安と祝福がありますように)が訪れた場所として、教会跡や、その近くのモスクが、とても有名な観光スポットになっています。
日本人にはあまり知られていない、ボスラと預言者さま(彼に平安と祝福がありますように)にまつわる話をまとめてみました。

 預言者さま(彼に平安あれ)が9歳のとき、マッカからの隊商を引き連れた叔父さんと一緒に、シリアのダマスカスの郊外の町ボスラを訪れました。
ボスラには、キリスト教徒の牧師バヒラ(ブハイラー Buhaira بخيرا)
さんが、聖書(現在の聖書ではなく、まだ人の手によって改ざんされる前の本来の形のままの聖書)に書かれている最後の預言者の到来を待ち望みながら、暮らしていました。


ある日、彼が教会から窓の外を見ると、ある隊商の上を雲が覆っているのが見えました。
その隊商が動くたびにその雲も動き、止まると雲も止まります。
牧師は、聖書に書かれている最後の預言者の特徴から、あの中に最後の預言者がいるに違いないと確信し、最後の預言者に会うために、その隊商を食事に招待しました。

食事の間中、牧師は一生懸命、いったいどの男が最後の預言者だろうか?と、一人ひとりよく観察して探し回りますが、どうしてもそれらしい男が見つかりません。
ふと窓の外を見ると、彼らの乗ってきたラクダの群れが木につながれ、少年がラクダの番をしていました。
そして、なんと、あの雲が、その少年の上に浮かんでいたのでした。

牧師が、当時、ご両親に先立たれた預言者さま(彼に平安あれ)の保護者だった、叔父さんのアブー・ターリブを呼んで、尋ねました。
「あの少年は誰ですか?」
叔父さんは、預言者さま(彼に平安と祝福がありますように)が普通の子供でないことにすでに気付いていたため、彼を警戒して本当のことを隠してこう答えました。
「あれは私の息子です。」
牧師は、冷静にこう言いました。
「そんなはずはありません。彼は孤児のはずです。」

その応えに驚いた叔父さんが、
「あなたはなぜそれを知っているのですか?」
と尋ねると、牧師は、
「聖書に書かれている最後の預言者の特徴のひとつは、孤児として産まれることで、私はそれを聖書で読んだからです。」
と言いました。
そして、「あの少年は、私の探し求めていた最後の預言者に違いない」と断言し、こう続けました。
「ユダヤ人たちが、最後の預言者が自分たちの民以外から出たら殺す、と言って探し回っている。早く彼を連れてマッカに戻りなさい。」

叔父さんは、牧師の忠告に従い、すぐに隊商を連れてマッカへと出発し、預言者さま(彼に平安あれ)も無事にマッカに帰ることができました。

初めて、預言者さま(彼に平安あれ)の預言者性を認めたのは、キリスト教徒の牧師さんでした。
その時代のキリスト教やユダヤ教の啓典には、まだ、最後の預言者の特徴が書かれていたので、当時の人々にとっては、最後の預言者が現れる事は周知の事実だったのです。

このボスラという町には今もなお、牧師バヒラさんがいた教会跡(上の写真)や、彼が最後の預言者の到来を待って、礼拝をしながら過ごしていた牧師さんの家の跡があり、少年だった預言者さま(彼に平安と祝福がありますように)がラクダと一緒に座っておられた場所は、現在はモスクとなって残っており、世界中から多くのムスリムたちが訪れます。


ダマスカスから、バスで簡単に行けますので、ダマスカスに滞在される方は、ぜひ足を延ばして、ボスラ観光に訪れてみてください。


ウィキペディア百科事典のボスラの歴史の項目にも、このことが書かれてにいますので、参考までに。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%B9%E3%83%A9

 

関連記事: 

イスラームのここがわからん、Q&A ①          イスラームでは、天国は母親の足元に

ダマスカス旧市街を紹介するFacebook            ムスリムになるには・・・

イスラームは私の人生をどのように変えたか ①


毎日のクリックでガザの子どもを応援しよう!】
 http://gooddo.jp/gd/group/pcc/?md=fb