ダマスカス留学生有志による情報ブログ

ダマスカス留学生有志とそのOBがアラビア語やイスラームについての情報をお送りします。

なぜラマダーンに断食するの?①

2010年08月13日 | ★イスラームって?(初級~)

 

ムスリムが、ラマダーン月に、一ヶ月間断食をする、と言うと、ムスリムでない方達から、「大変ね」とか「かわいそうに。」と言われることがあります。アッラーは、私たちを、困難に陥れるために断食をするように義務付けたのでしょうか。

 

そもそも、アッラーは、私たち人間になぜ、ラマダーン月に断食することをお決めになられたのでしょうか?
クルアーンで、アッラーは、こうおっしゃっています。

 

【信仰する者よ、あなた方以前の者(キリスト教徒やユダヤ教徒たち)に
 定められたように、あなた方が主を畏れるように、あなた方に、斎戒(断食)が定められた。】クルアーン2章 雌牛章 183節 日訳P32

 

断食の理由として、アッラーは、「タクワー」アッラーを畏れること、つまり、アッラーのご命令に従い、禁止されたことを避けること、ができるようになるために、と言われています。
では、断食で、どうして、このタクワーが身につくのでしょうか?

 

ラマダーンで、私たちが断食をすることで、あることが私たちに起こってきます。
それは、2つあります。
ひとつは、私たちの中の、あるものが弱くなること、そして、もうひとつは、あるものが強くなること、です。


人間は、元々2つの要素から成り立っています。何でしょうか?_
体、と魂(ルーフ)です。
体だけ合っても、人間は生きていません。
命、魂が体に備わっていなければ、死体の状態です。


まず体を健康に保つには、どうしますか?
私たちが、体の栄養は取るには、土、地面から栄養をもらうことができます。
アッラーが、地面から育ててくださる野菜、果物、など、またそれらを食べることで生かされている動物たちから、私達は栄養を摂ることで、体の健康を保っています。
つまり体の健康を保つための必要な栄養は、地面からすべて摂ることができます。


では、人間の構成要素のもう片方、魂というのは、どうやって健康を保つのでしょうか?
魂が、その健康を保つために、地面から栄養を摂ることはできません。
では、魂の健康を保つには、どこから栄養を摂るのでしょうか?

 

それは、私達人間の魂が、何から創られたか、を思い出すとわかります。
私たちの魂は、もともとは、何から創られましたか?

 

【かれ(アッラー)は、いやしい水(精液)から、その(人間の)後継者を
創られ、それから彼(人間)を均整(きんせい)にし、かれ(アッラー)の魂を
吹き込まれ、またあなたがたのために聴覚と、視覚と、心を、授けられた御方。
あなた方は、ほとんど感謝もしない】クルアーン アッサジダ章9節

 

私たちの魂は、私たちのことを愛して止まないアッラーが、直接吹き込んでくださったものです。
ですから、私たちの魂の健康を保つためには、魂の栄養は、地面の反対の、天から、アッラーから栄養を吸収することが必要です。
つまり、私たちを創ってくださり、私たちのことを24時間見守ってくださり、私たちのことを愛してやまないアッラーからしか、魂は栄養が摂れないのです。


その栄養を取る方法は、まず、私たちのことを大好きなアッラーのことを知ること、です。
そして、アッラーのことを考えること、礼拝やズィクルでアッラーとつながりを持つこと、それだけが、私達人間の魂の健康を保つための栄養になるのです。

 

現代人の問題は、片方の、体の栄養にばかり気をとられて、「どこの何がおいしい」とか、「どんな料理がおいしい」とか、体に栄養を与えることばかりを熱心にしていることです。
そうすると、人間に、どんな問題が起きてくるかというと、片方の体ばかりに栄養が行渡って、どんどん体の欲求が太って、体の欲求だけが巨大になり、その中にいる魂は、やせ細って、体に圧迫されて窒息寸前の状態になっていきます。
体の欲求だけが栄養満点の状態になると、その中にある魂は、巨大になった欲求に圧迫されて瀕死の状態になります。

 

そうすると、もっともっと体の欲求が、増大していきます。
もっともっとおいしいもの食べたい、もっともっと楽しいことをしたい、もっともっとこの世の享楽を楽しむことを全部したいと、欲求は巨大化し、今度は、その巨大な欲求が、人間自身を動かすようになります。
そうなると、人間は、欲求が、命じたことに、「かしこまりました。」と従わなくてはならなくなります。
「おいしいものを食べたい。」と欲求が言えば、人間は「かしこまりました」とその命令に従い、「ご飯の後には、あそこのおいしいケーキが食べたい。」と欲求が言えば、「かしこまりました。」と人間がその命令に従うようになり、それ以外のことが考えられなくなってきます。
常に自分の欲求を満たすことだけを考えて、生きていくことになります。

 

そうなってくると、魂の方は、巨大な欲求にガードされてしまって、栄養がまったく行き届かなくなってしまいます。
巨大な欲求に押しつぶされて、窒息死寸前の状態になります。
人に親切にしても全く嬉しくない、クルアーンを聞きたいとも思わない、礼拝をするのも億劫に感じる、礼拝をしても全然楽しくない、善い事をしても、ちっともおもしろくない、という状態になってしまいます。
これは、その喜びを感じる魂が、危機に陥り、瀕死の状態になっているからです。
当然の結果です。体の欲求にばかり気をとられて、魂には、全く栄養が行かなくなってしまった状態だからです。

 

ここで、ある問題が起こってきます。
それは、人間が体の欲求を満たすだけでは、本当に幸せを感じることできないようにできている、というところに原因があります。
人間は、なぜ体の欲求を満たすだけでは、真の幸せを感じられないのでしょうか?

 

なぜならアッラーは、人間を、そんなことだけのためにお創りになられたわけではないからです。
食べて、寝て、そんなことだけをするために、私たちに、体を与えて、心を与えて、こうしてこの世に生かしてくださっているのではないのです。
アッラーは、人間に、心をお与えくださり、人の苦しみを感じたり、善いことをすることで、喜びを感じたり、動物をいつくしんだり、子供を愛したりすることができるように、人間を、もっともっと崇高な存在に創られました。

 

人間が、体の欲求だけを聞いて、その命令に支配されている状態は、本当の人間の姿ではないのです。
ですから、その状態では、人間は心から幸せを感じることができません。体の欲求を満たしていっても、終わりはありません。
のどが渇いた人が、塩水を飲まされているように、飲めば飲むほど、どんどんのどが渇いていきます。
欲求を満たせば満たすほど、どんどん欲求は巨大化します。
欲求を満たすことで得られる幸せは、とても短く一瞬のものです。
アッラーは、そんなはかない幸せを与えるために、私たちに人間をお創りになられたのではないのです。


よくお金持ちの人が、何でもできるお金があって、好きなものを好きなだけ食べられ、好きなところに行けるにも関わらず、突然自殺してしまったりすることがあります。
それは、人間の構成要素のもう片方、魂に栄養を補給するのことを忘れてしまったからです。
体の欲求ばかりを聞いていても、人間は心の底から幸せを感じることができません。
なぜなら、アッラーは、人間を、魂の幸せ、という、もっと大きな幸せをお与えになられるためにお創りになられたからです。

                                    → なぜラマダーンに断食するの?②へ続く。


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