ベトナム在住日誌(Hanoi編)

2004年9月末、日本からホーチミンへ。2006年1月末ハノイへ。2007年8月シンガポールへ。2008年6月ハノイへ。

寅さんハノイへ

2006年04月29日 | Weblog


久々にオーストラリアの寅さん(2005年3月のブログ参照)から電話があった。「明日ハノイに行くからよろしく」と言う。寅さんとその彼女(ぼくもホーチミンでかなりお世話になったベトナム人女性)は4月末から5月にかけて休暇を3週間とるそうで、ハノイ、サパ、中国へも行くという。

こっちは奥さんが風邪をひいたりして大変だと話すと、「それなら他の女の子を奥さんにすればいいんじゃない?」と軽い調子でアドバイスしてくれた。寅さんと話していると、ホーチミンでの生活を思い出した。ホーチミンは毎日がお祭り騒ぎという雰囲気がある。先のような冗談を言われても、「あはは、そうだね」と納得してしまうのだ。

実は、寅さんにも暗い部分がある。ホーチミンに住んでいた頃、一緒に夕食を食べ、酔っ払いながら帰り道を歩いていると、「もうやることが無い。時間ばかりあって、何をすればいいかわからない。ただ死ぬのを待つだけだ」と虚無的な笑顔でつぶやくのを何度か聞いた。

でもそんなマイナス思考もホーチミンの強い陽射しと、先のことは考えない楽天的な人たちの中では、「まっいっか」という感じで吹き飛んでしまう気がする。一年中天気がよく、ビールも旨い、よって人生に問題なし、という感じで全てが解決されるのだ。

ハノイの街はホーチミンに比べなんとなく真面目な雰囲気が漂っているように思う。寅さんはハノイにどんな感想を持つだろうか?

写真:ハノイの街角でよく吸われている大型のキセル

キレたこと

2006年04月24日 | Weblog

その日は朝から38度5分の熱があった。仕事は夕方で終わり、夜は接待の予定が入っていた。

一旦自宅に戻り、待ち合わせ時間の20分前に家を出た。タクシーを捕まえようとしたのだが、なかなか来ない。暫くしてようやと見つけ、乗り込んだ後、運転手の顔を見て今日はついていないと悟った。

相手は覚えていないようだが、ぼくははっきりと覚えている。約一ヶ月前、ハノイ市内の有名な工業団地に行こうと思い、地図まで見せて指示したのに道に迷ってしまった男なのだ。

不安を感じながらも「BAT DAN通りの○△ホテル」と言った。しかし相手はよくわからないような表情をしている。ぼくは間違えないようにホテルの名刺を渡した。すると運転手は目を細め、名刺を顔に近付けたり遠のけたりしながら、「目が悪いんだ」と言う。

「目が悪いのにタクシードライバーをやったら危ないじゃないか」と思ったが言うのはやめた。一瞬、降りようかと思ったが、約束の時間が迫っているし、他にタクシーは見あたらない。もう一度ゆっくりと「BAT DAN通りの○△ホテル」と言った。

「それならわかる」と運転手は答え、タクシーは発進した。しかし途中からどうも方角が違う気がしてならない。車を停めさせ、もう一度ホテルの名刺を見せたが、やはり目を細めたり大きくしたりしているだけで理解できないようだ。後で気づいたのだが、この男は文字が読めないのだろう。僕は大声で「BAT DAN通り」と言った。「わかっている」と答える。

辿り着いたのはBACH DANG通りだった。全然違うのである。暗闇ばかりの狭い通りでホテルなんて一軒もない。「ここはどこだ、ゴルア」ぼくはキレて外に出ようとしたが、中からはドアが開かないようになっている。

運転手が外から空けてくれたが、やはり他のタクシーは一台も走っていない。近くの屋台のおばさんにホテルの名刺を渡し、説明してもらってようやと運転手は正しい場所を理解したようだ。乗りたくないが、このタクシーで行くしかない。

約束の時刻に少し遅れてBAT DAN通りに到着した。しかしこの道は一方通行で、ホテルがある方向へ曲がることができない。運転手は逆の方向へ曲がり、その後バックしてホテルの前まで行こうとしている。

「もうここでいいよ。バックは危ないし、歩いて行けるから」と言ったのだが、運転手はバックするのを止めようとしない。僕はもう一度キレて、あらん限りの大声で「ムオー、クゥア。ニャン、レーン」と叫んだ。カタカナで書くとまぬけだが「ドアを開けろ、早くしろ」という意味である。

下手なベトナム語が通じたのかどうかわからないが、運転手は目を丸くして車を止めドアを開けた。ぼくはメーターの半額にも満たない紙幣を運転席に放り投げ、車を降りた。二度とこの男に出会わないことを祈るばかりである。さて、翌日から何故か熱が下がり平熱に戻った。キレてみるのも案外いいかもしれない。

写真:滞在しているホテルに置いてある自転車。サドルと車体に「にきまゐし」という平仮名が書いてある。「にきまゐし」って何だろう?


風油精

2006年04月14日 | Weblog

奥さんが風邪をひいてしまった。先々週くらいから体調が悪そうだったので、病院に行った方がいいよ、と言ったのだが、頑なに行かない。先週の日曜になって、熱が出て吐き気もあるようで、目を白黒させながら「病院へ行く」と言い出した。

月曜の朝、一緒にベトナムの病院に行ったのだが、混雑していて対応も遅く、ようやく診てもらった医者は「検査しないと病名はわからない。入院しなさい」と言う。しかし奥さんは入院したくないらしい。

滞在しているホテルに戻り、管理人のおじさんに相談すると、歩いて3分くらいのところに韓国系のクリニックがあると言う。そこへ行って診てもらうと、老齢のベトナム人医師が「インフルエンザだね」と言う。「え、鳥インフルエンザですか?」と尋ねたかったのだが、怖くて聞けなかった。もし鳥インフルエンザならば大騒ぎになるはずなので、たぶん違うのだろう。

結局そこでも入院せず、自宅で療養することになった。ベトナムには風邪を治すときに行う民間療法がある。背中に油を塗り、コインなどでゆっくり引っ掻くのである。首から下に向かって肋骨の間のくぼみを八の字を書くように引っ掻く。こうすると体内の毒素が外に排出されるそうだ。本当かどうかわからない。少し経つと背中に赤い線が何本もできたので、力を入れすぎたかと思ったが、強くした方が効果が上がるらしい。

写真はこの時に使った「風油精(別名Eagle oil)」。裏面にはMade in Singaporeと書いてある。アルコールが含まれているらしく揮発性があり、ツンとしたミントの匂いがする。南部の家庭では一家に一瓶この薬を持っていて、万能薬だと思われているようだ。

ちょっと話は逸れるがベトナム人はよく車に酔う。長距離バスなどに乗っているとあちこちで気分の悪い人が続出する。すると皆おもむろにこの「風油精」を取り出し、首やおなかに塗るのである。かくしてバスの中はミントの香りが充満する。

奥さんは、ここ数日ほとんど熱が出なくなった。だるさが残っているそうだが、もうすぐ完治すると思う。

PS1.Googleで「風油精」を検索するといろんな種類の薬があって面白かった。
PS2.いつもは日曜か月曜にブログを更新するのですが、来週は更新できそうもないので本日更新しました。

旅行者からフォー

2006年04月10日 | Weblog

会社近くのベトナムレストランに昼食に行った。シンガポール風焼きそばを食べコンデンスミルクが沈殿したアイスコーヒーを飲んでいると、若い女性が2人入ってきた。2人とも腰にウエストバッグをしていて、安全対策に万全を期す日本人旅行者のようだ。

午後一に郊外の工業団地へ行かなくてはならないので、急いで勘定を済ませようとすると、ウエイトレスがニコニコしながらやって来て「あなたはフォーを食べますか」と聞く。「お腹いっぱいだしフォーは注文してないよ」と言うとさらにしつこく「あちらのお客様が食べると言っています」と言う。

あちらのお客が食べたいなら勝手に食べればいいじゃないかと内心思っていると、そのウエイトレスは困った表情をしながら持っていたボールペンでナプキンに「後ろの席のお客様があなたにフォーをご馳走すると言っています。食べますか」と書いてくれた。

これはいわゆる「逆ナン」というものだろうか。よく夜のバーで一人で飲んでいる女性に「あちらのお客様からです」とカクテルが贈られることがある。そのカクテルがフォーに替わっただけに違いない。

すぐ後ろのテーブルを振り向くと、先ほどの2人がフォーを食べている。うつむいたままで全然顔を上げない。声を掛けてみると彼女たちは日本人ではなかった。

「何人ですか?」「中国人です。あなたは?」「日本人」「ここで働いているのですか?」「うん」「ハノイは好きですか」「まあまあかな。ホーチミンの方がいいかも」「ホーチミンにも行ったことがあるのですか」「一年半くらい住んでいた」「来週にはホーチミンに行くんです。どんな街ですか?」「ハノイより湿度が低いから過ごしやすいよ」「ハノイはちょっとうるさいですね。今夜、フエへ発ちます」「飛行機で?」「いいえ、鉄道で」「南北鉄道で行くんだ、面白そうだね。気をつけて」「こちらこそ、いい情報をありがとう」

彼女たちと話していて旅行者という身分がうらやましくなった。ぼくはベトナムに住んではいるが、まだ南北鉄道に乗ったことがないしフエにも行ったことがない。旅に出れば日常にはない新たな出来事があるかもしれない。いつかまた気ままな旅をしたいものだ。

写真:ハノイ市内の某工業団地。敷地内に水田や草地が広がっていて水牛が放牧されている。


通勤の道のり

2006年04月03日 | Weblog

会社までは徒歩で約7~8分だ。歩いているといろんな人を見かける。滞在しているホテルの隣にはレストランがあり、入り口にはいつも3人くらいがたむろしている。

サトウキビを売り歩く行商のおばさんがやってきて何やら話しに花が咲いている。おばさんは話しながらサトウキビの皮をむき、中身を3cm四方くらいの細切れにし、15個くらいをビニール袋に詰め、同様の袋をいくつか作っている。

さらに進むとフォー屋や定食屋が並んでいる。フォー屋の前には野菜を洗ったり肉を切ったりする若者たちが歩道にあふれて働いている。大きなフォー屋の前には、なぜか5人くらいの靴磨きがたむろしている。

この店には会社員も来るようで、入店前に靴を預け、食事の間に磨いてもらうらしい。この前を通ると必ず数人が「靴を磨いていかないか」というジェスチャーをして呼び止められるのだが、まだ磨いてもらったことはない。

KARAOKE店も多い。朝からカラオケに行く人は少ないと思うが、入り口には門番役の若者が手持ちぶたさに座っている。

雑貨屋もいくつかある。どの店も間口が2mくらいで狭い。お菓子やジュース、ミネラルウォーターなどが中に置いてある。朝は仕入れたものが届く時間らしく、歩道に品物を詰めたダンボールが山詰みになっている。

交差点には必ずバイクタクシーが数人いる。スタンドで固定したバイクの上に座って新聞を読んだり、ぼんやりしたり、あるいは器用に仰向けになって寝ている人もいる。

このバイクタクシーのおじさん達にも必ず「乗っていかないか」と声を掛けられる。何度か利用したことがあるが、領収書が出ないので交通費の経費として落ちず利用しにくいのである。

PHAN CHU TRINH通りには大きな海鮮レストランや建設中のビル、旅行会社、カフェ、少し高級なパン屋などがある。高級パン屋の値段は、普通の店の7~8倍する。確かに美味しいし、何より衛生管理がしっかりなされているという噂である。

アルジェリア大使館もある。ここの警備員は他の大使館と同様に大きな銃を肩に掛けている。またNAM PHUONGというベトナム料理店もある。中には小泉首相やシラク大統領の写真が飾られていて由緒正しいレストランらしい。

PHAN CHU TRINHは広い通りで、歩道も広いので所々に路上カフェがある。カフェといってもプラスチックの小さな椅子を並べただけの簡素なものだ。ホーチミンにも椅子を3つくらい並べただけのカフェがあり、時々飲んだこともあったが、たいてい飲むものはアイスコーヒーだった。氷をたくさん入れたグラスに濃いホットコーヒーを注ぎ、柄の長いスプーンで氷をシャカシャカ砕きながら飲むので、ある程度時間がつぶせた。

しかしハノイでは温かいベトナム茶(緑茶)である。しかもお猪口のような小さな器に入れて飲むのである。これでは30秒も経たずに飲み終わってしまうように思うのだが、人々はそこで何十分あるいは何時間も座っているのである。

時々こういう屋台ではキセルを吸っている人もいる。キセルといっても直径5cm、長さ40cmくらいの竹の筒で、これを両手で持って、柄に付いた小さな穴に百草を詰め火をつけて吸うのである。きつい煙草らしく、意識が朦朧としたような顔をして佇んでいる老人もいる。

さらにPHAN CHU TRINHを進むと文房具屋やバイク駐車場があり、突き当たりの5差路に歌劇場(オペラハウス)がある。ここは観光名所になっているので外国人観光客が多い。観光客目当てに、絵葉書やベトナム戦争のDVDを売る売り子がいる。

この5差路にもバイクタクシーは多い。歌劇場の前では結婚式用の写真を撮っているベトナム人カップルがいるが、天気が悪く霧雨が降っている中で写真を取るのは少しかわいそうに感じる。

写真:ファン ボイ チャウ通りのレストランで売っていたデザート。お米で作ったプリンらしい。