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人口の波

2009年02月23日 | 日記
総務省統計局によると、2005年に日本は人口のピークを迎えました。人口と年齢層の推移は、これからの経済や人々の日常生活に大きく影響してきます。日本の人口問題を考えるとき、過去の出生数が重要な手がかりになります。

 
出生率と出生数の推移(厚生労働省)


出生数は1947~49年をピークに、1973年ごろ第二の波を迎えました。すなわち今ある人口の二つの大きな波は、終戦という大きな時代背景があります。終戦による兵士の復員と平和を取戻した安心感が、出生数を一気に押し上げ、「団塊の世代」と呼ばれるベビーブームを形成しました。25年後の第二次ベビーブームは、成人した彼らの子供たちです。

1940年代後半のベビーブームは終戦という特殊要因のほかに、もうひとつ理由があります。出生数は1949年がピークですが、1945年の終戦をさかのぼること25年前、1920年(大正9年)に出生率が大きな数値を示しています。前の1919年に比べて出生率と出生数も伸びています。この世代の子供たちが生まれる時期が、ちょうど太平洋戦争と重なりました。ですから昭和のベビーブームは、戦争に関係なく予測し得たものでした。それが戦争という特殊な抑圧された状況から開放され、堰を切ったかのように出生数が増大したのです。

この「団塊」の親世代が生まれた1920年に出生率が大きく伸びた理由は、何だったのでしょうか。当時より前に大きな社会的現象は見当たりません。第一次世界大戦は1914~15年で、少し時間が空きすぎています。そこでさらに1920年生まれの親世代に目を向けると、日清戦争(1894~95年)がその25年前に相当します。この時の動員兵力が24万人、戦死・病死で1万3千人が亡くなっています。国をあげての戦争が終わったあと、おそらく太平洋戦争の戦後と似たベビーブームがあったと推察できます。

さらに日清戦争(1894~95年)から26年前には、明治維新(1868年)がありました。残念ながらこの当時の出生数など統計がないので、人口の波についてはわかりません。


世代のサイクル

つまり、日清戦争(1894~95年)のあとのベビーブームが次の世代の波(1920年)を起こし、次の波はなだらかに平準化されていくはずでした。それが太平洋戦争(1941~45年)の反動によって再び集中的な波が起こり、その次の世代の第二次ベビーブーム(1971~74年)を作り出したと言えます。すなわち今の「第二次ベビーブーム」とは、実は日清戦争から数えて「第四次ベビーブーム」、もしかしたら明治維新から数えて「第五次ベビーブーム」に相当するかもしれません。

何よりも心配なのは、1998年前後にあるべきベビーブームが、わずかな気配を見せただけで終わったことです。今年2009年は、団塊世代のピーク1949年生まれの269万人が、ちょうど60歳を迎える年です。

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