浄空法師説法研究

浄空法師の説法に学びながら、日本語に翻訳して紹介しています。

『太上感応篇』大意 6/10

2012-06-30 | 『太上感応篇』 大意

  【是非不當。向背乖宜。虐下取功。諂上希旨。受恩不感。念怨不休。輕蔑天民。擾亂國政。賞及非義。刑及無辜。殺人取財。傾人取位。誅降戮服。貶正排賢。凌孤逼寡。棄法受賂。以直為曲。以曲為直。入輕為重。見殺加怒。】
  是非の分別は妥当でなく、趣向は正しい道に背き、部下を虐げて功積をあげ、上司に諂って迎合し、恩を受けて感謝することなく、怨み言を言い続け、人々を軽蔑し、国政を乱す。功なき者に褒美を与え、罪なき者を懲罰に科し、人を殺して財を貪り、人を押しのけて地位を奪い、降伏した者を殺し、正しく聡明な者を追い払い、孤児を侮辱し未亡人に無理強いし、法を犯して賄賂を受け取り、真っ直ぐなものを曲がっていることにし、曲がっているものを真っ直ぐだとし、軽い罪を重罪にしてしまい、死にそうな人を怒って罵る。

  這些我們一看,都是屬於在社會上有地位、有官爵的,他有權,他才能做這些惡事,無權無勢的他做不到。在政府地方做官的,有權有勢的時候,像這些惡的念頭,這些惡的行為,我們必須要戒除,要常常記在心裡。起了這些念頭,有這些事,要提高警覺。佛法裡面常講「不怕念起,只怕覺遲」,惡念起來不要緊,起來立刻就覺悟,這是惡念,這是不好的念頭,我應當要改過來,改過來就是善人。第三段「世俗之惡」,就是一般念書的人、老百姓:
  これらを見ますと、どれも社会的な地位・官爵がある人のことです。権力があるからこのような悪事を犯すのであって、権力を持たない人にはできないことです。地方政府の役人は権力を持った時、これらの悪い考え、悪い行いを必ず断たなければなりません。いつも心に留めておくことです。これらの考えが起きたら、より注意しなければなりません。仏法ではよく「不怕念起,只怕覚遅」(念の起こりを恐れず、ただ悟りが遅れることを恐れよ)と言われます。悪念が起こっても構わずに、これは悪念であり、これは良くない考えだから、必ず改めなければならないと、すぐに悟ることです。改めれば善人になります。第三段は「世俗の悪」、つまり一般の知識人、庶民に対するものです。

  【知過不改。】
  誤りと知りながら改めない。

  曉得自己有過失不肯改,這是惡。
  自分の過失を知りながら改めないこと、これは悪です。

  【知善不為。】
  善と知りながら行わない。

  曉得好事不肯幹。
  良い事と知りながら行おうとしません。

  【自罪引他。】
  自分の過失に人を巻き込む。

  自己有了罪過,故意還要牽扯幾個人來陪你受罪、受累。
  自分で過失を犯し、故意に何人もの人をさらにその過失に巻き込んでしまいます。

  【壅塞方術。】
  価値ある学問や技術を(独占して)人に伝えない。

  你自己所知道的,學問也好,技術也好,不肯傳授給別人。
  あなたが知っていること、学問なり技術なりを人に伝授しないことです。

  【訕謗聖賢。侵凌道。】
  聖賢を誹謗し、道徳を侮辱する。

  對於聖賢人毀謗、諷刺、譏笑,對於有道的人,想種種方法去破壞他,這是一般念書人跟老百姓的過失,這是必須要戒除的。第四段是講「殺生之惡」,這個好懂:
  聖賢を誹謗し、風刺し、嘲笑い、道徳のある人に対して様々な方法で妨害する。これは一般の知識人や庶民の過失であり、これはかならず断たなければなりません。第四段は「殺生の悪」についてです。これは理解しやすいでしょう。

  【射飛逐走。】
  飛ぶ鳥を射落とし走る獣を捕まえる。

  『飛』是指禽鳥,『走』是指獸類。
  「飛」は鳥のこと、「走」は野獣のことを指します。

  【發蟄驚棲。】
  土の中の虫を掘り起し、鳥を驚かせる。

  『蟄』是小蟲在這個土裡面,『棲』是鳥棲息在樹上,牠實在是無害於人,你又何必去害牠?
  「蟄」は土の中の虫、「棲」とは鳥が樹の上に生息すること。彼らは人に害を与えることはないのです。どうして彼らを害する必要があるでしょうか?

  【填穴覆巢。傷胎破卵。】
  虫の巣穴を埋め、鳥の巣を覆い、身ごもっている動物に危害を加え、卵を破る。

  這些殺生之惡,一個是喜歡打獵的年輕人,另外一種是無知的兒童。對於喜歡打獵的人,我們要勸他;對於兒童,我們要好好的加以教導,使他養成一種慈悲心,不傷害眾生之生命。第五「柔弱之惡」,柔弱裡面也有許多錯誤的思想:
  これらの殺生の悪をするのは、狩猟の好きな若者か、或いは無知な子供です。狩猟の好きな人に対して、私たちは忠告しなければなりません。子供に対しては、しっかりと教えて、衆生の命を傷つけない慈悲心を養わせなければなりません。第五段は「柔弱の悪」です。柔弱の中には誤った観念が多く含まれています。

  【願人有失。】
  人に過失があることを願う。

  這些你看,都是心理,沒有表現在外面。
  これらはすべて心理的なことであり、表に表現されないものです。

  【毀人成功。危人自安。減人自益。以惡易好。以私廢公。竊人之能。蔽人之善。形人之醜。訐人之私。耗人貨財。離人骨肉。侵人所愛。助人為非。】
  人の成功を誹謗し、人の安穏を危うくし、人の利益を減らし、悪い事を良い事とし、私心によって公益を廃し、人の成果を盗み、人の善を覆い、人の醜聞を暴露し、人の私事を暴き、人の財産を浪費し、肉親と離れるようにそそのかし、人が愛しているものを奪い、人が悪事を行うのを助ける。

  像這些經文都說「柔弱之惡」。下面幾句恰恰是相反,是剛強的暴惡:
  これらの経文はすべて「柔弱の悪」についてです。次の数句はちょうど反対で、無理強いする暴悪です。

  【逞志作威。辱人求勝。敗人苗稼。破人婚姻。苟富而驕。苟免無恥。認恩推過。】
  勝手気ままに威張り散らし、人を侮辱して自分の勝ち求め、農婦の再婚を失敗させ、人の婚姻生活を破たんさせ、少々裕福になれば驕り高ぶり、その場だけ罪を免れて恥を知らず、恩を認めて過失は人に押し付ける。

  好的事情都認為是自己做的,有了過失推給別人。
  良い事はすべて自分がしたことだと思い、過失があれば人に押し付けてしまいます。

  【嫁禍賣惡。沽買虛譽。包貯險心。挫人所長。護己所短。乘威迫脅。縱暴殺傷。】
  過失を人に転嫁して悪を売り、虚栄を売り買いし、悪賢い心をもち、人の長所を挫き、自分の短所を護り、勢力を笠に着て人をいじめ、我がままに暴力をふるい、殺したり傷つけたりする。

  這些都是剛強之惡,所謂是軟有軟的惡行,剛有剛的惡行。下面第七段是「不愛惜物力」:
  これらは無理強いする悪です。いわゆる気が弱い人(軟)には相応の悪行、気が強い人(剛)には相応の悪行があるということです。次の第七段は、「物を大切にしない」ことについてです。


>>>『太上感応篇』大意 7/10 につづく
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