浄空法師説法研究

浄空法師の説法に学びながら、日本語に翻訳して紹介しています。

『太上感応篇』大意 8/10

2012-06-30 | 『太上感応篇』 大意

  【施與後悔。】
  施しを与えた後で悔いる。

  先布施,布施之後,後悔。
  先に施しをして、施しをした後で後悔します。

  【假借不還。】
  借りたものを返さない。

  這是不仁。
  これは不仁です。

  【分外營求。力上施設。淫慾過度。心毒貌慈。穢食人。左道惑眾。短尺狹度。輕秤小升。以偽雜真。採取奸利。壓良為賤。謾驀愚人。】
  分不相応な物を求めて、力の限りを尽くし、淫欲は節度を越え、内心は陰険悪辣で外見だけは情け深く、汚れた食物を人に与え、邪道をもって人々を惑わし、標準より短い物差しで長さを狭く測り、標準でない秤で少なく量り、まがい物を本物と混ぜてごまかし、善良な人を卑しい人とし、愚かな人をあざけり見くびる。

  有不明了的地方請看註解,我們由於時間的關係不能夠細講。這一段都是指不仁之人,什麼叫做不仁?凡是有這些存心、有這些行為的人,這是不仁之人。底下第十五段是講「家庭之惡」,文字比較長,這個家庭是很瑣碎的,有許多很瑣碎的事情,太上也是舉出幾條重要的來開導我們,希望我們能舉一反三:
  時間の関係で細かな解説はできませんので、不明な所があれば註解をご覧下さい。この一段はすべて不仁の人を指しています。不仁とは何でしょうか?およそ下心があり、そのような行動をする人を、不仁の人と言います。次の第十五段は「家庭の悪」です。文章はやや長いですが、家庭にはたくさんの細々とした事があります。太上もいくつか重要なものを挙げて導かれており、私たちが一を聞いて十を知るよう願っています。

  【貪婪無厭。咒詛求直。嗜酒悖亂。骨肉忿爭。男不忠良。女不柔順。不和其室。】
  飽くことを知らず欲を貪り、神を呪いながら道理に適うことを願い、酒を好んで心を乱し、肉親と言い争い、男性は忠義と善良さに欠け、女性は従順でなく、家族は仲が悪い。

  這是指夫婦不和。
  これは夫婦の不和を指します。

  【不敬其夫。每好矜誇。】
  妻は夫を尊重せず、夫はいつも驕り高ぶっている。

  說話不實在,喜歡誇張。
  本当の話をせず、誇張を好みます。

  【常行妒忌。無行於妻子。失禮於舅姑。】
  常に寵愛を得ようと争って嫉妬し、妻に礼節を用いず、嫁は姑を敬わない。

  舅姑是公公婆婆,這是媳婦對公婆來說。
  「舅姑」は舅(しゅうと/夫の父)、姑(しゅうとめ/夫の母)のことです。これは嫁が姑に対する話です。

  【輕慢先靈。】
  ご先祖様を侮る。

  『先靈』是指祖先,對祖先不敬,沒有盡到祭祀。
  「先霊」とは祖先のことを指します。祖先に対して不敬で、祭祀が十分でないことです。

  【違逆上命。】
  年長者の命に逆らう。

  上命是父母之命。
  「上命」とは両親の命令のことです。

  【作為無益。】
  無益なことを為す。

  平日所作所為,對個人、對家庭、對社會做一些無意義的事情、沒有利益的事情。
  平素の行いが、個人・家庭・社会に対して無益であり、まったく益にならないことです。

  【懷挾外心。】
  密かにふた心を懐く。

  這就是有私心,對於自己的家庭不忠實。
  これは私心があり、自分の家庭に忠実でないことです。

  【自咒咒他。偏憎偏愛。越井越灶。跳食跳人。損子墮胎。行多隱僻。】
  自分を呪い人を呪い、人の好き嫌いに偏りがあり、井戸やかまどを跨ぎ、食物や人を飛び越え、嬰児を堕胎し、行いはこそこそしている。

  『隱僻』就是行為不光明正大,所謂是鬼鬼祟祟。這幾句是指的家庭之惡。第十六,「不敬天地神明之惡」:
  「隠僻」とは行いが公明正大でなく、陰でこそこそしていることです。この数句は家庭の悪についてです。第十六段は、「天地神明を敬わない悪」です。

  【晦臘歌舞。】
  月末・年末に歌い踊る。

  『晦』是一個月的最後一天,『臘』是一年的最後一天。月底、年底都有許多正事要處理、要辦,哪有時間去歌舞?把正事廢掉了。
  「晦」は月の最後の一日です。「臘」は一年の最後の一日です。月末、年末はおおくの仕事を処理しなければなりません。歌ったり踊ったりする時間はどこにあるのでしょうか?本来行うべき事をやめてしまうことです。

  【朔旦號怒。】
  月の初めの早朝に怒鳴り散らす。

  每個月的初一叫『朔』,每一天的早晨叫『旦』。所謂是「一日之計在於晨,一年之計在於春」,這個時候正是有許多一天重要的事情要來預先籌劃,如果說一怒一叫,心就亂了,不能辦事,何況這是對天地鬼神大不敬。
  毎月の初めを「朔」と言い、毎日の早朝を「旦」と言います。いわゆる「一日の計は早朝にあり、一年の計は春にあり」です。この時は正に一日の重要な事を前もって計画するのであり、もし怒鳴り散らすなら、心が乱れて行う事はできません。ましてやこれは天地鬼神に対する大不敬です。

  【對北涕唾及溺。】
  北を向いて鼻をかみ、痰を吐き、大小便をする。

  此地這個北方是代表上方,我們對上方要敬,這是表這個意思。
  この北方とは上方(陽気の生ずるところ。北・東を指す。)のことです。私たちは上方を敬わなければなりません。これはこのような意味を表します。

  【對灶吟詠及哭。】
  かまどに向かって歌を歌ったり泣いたりする。

  這是對灶神不敬。
  これはかまどの神に対する不敬です。

  【又以灶火燒香。穢柴作食。】
  かまどの火を使って線香をつけ、汚い柴を薪にして食事を作る。

  這兩句在現在除了鄉村之外,都市裡面都不用灶了,而且也沒有廚灶了,所以這個事情當然是少有,這種精神我們要明瞭、要懂得。
  この二句は今では農村を除いて、都市部ではかまどを使わなくなり、かまど自体ありません。ですからこのような事は当然少なくなったでしょう。しかしこのような心掛けは、よく理解しなければなりません。

  【夜起裸露。八節行刑。唾流星。指虹霓。輒指三光。久視日月。】
  夜起きだして丸裸になり、八節(立春、立夏、立秋、立冬、春分、秋分、夏至、冬至)に刑罰を執行し、流星に向かって唾を吐き、虹を指さし、三光(太陽・月・星)を指さし、太陽や月を長く注視する。

  這幾句很多同修們起疑問,說這有什麼關係?你說沒有關係,可以說沒有關係。聖人教給我們是以此來養敬,來培養我們對於天地鬼神畏懼之心,培養我們對於天地鬼神、一切人事恭敬之心,所以我們懂得這個道理,我們就很樂意的去接受,依教修行。
  これらの数句は多くの人が疑問を持つでしょう。これらは何の関係があるのでしょう?あなたが関係ないと言うなら、そう言えば良いのです。聖人はこのように私たちの敬いの心を養い、天地の鬼神に対する畏敬の念を養い、すべてに対する恭敬の心を養うのです。ですから私たちはこの道理を理解したなら、喜んで受け入れ、教え通りに修行することです。

>>>『太上感応篇』大意 9/10 につづく
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/a144e9f25b2b1b139fdd7e71f6a1018c


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『太上感応篇』大意 9/10 | トップ | 『太上感応篇』大意 7/10 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。