旅しながらやってます。

写真を撮ったり、山に登ったり、生活したり、旅しながらやってます。

トレッキング その6 ジヌー~タダパニ~ゴレパニ 10、11日目

2006年03月31日 | Around the world 2005-2007
 
 チョムロンで。

結局、前日はわざわざジヌーまで降りてきて、一泊することにした。
そのおかげでか、足の痛みもすっかりひき、今日からはジョムソン、ムクティナートに向けて動き出すことにした。
タダパニに向かう途中、一人のイスラエル人、ホムと出会い、しばらく一緒に歩くことに。
彼の予定は40日と長く、一日の移動も村と村の間を移動する程度のゆったりとしたものだった。
そのせいか何か動作がゆっくりとしている。
別に歩くスピードは遅くないのだが、動作やしゃべり方がゆったりとしていて、
こっちもせかせか歩くことなく、二人でのんびりとした山歩きを楽しんだ。

ホムと歩き出してから少し発った後、前方からネパール人3人組が歩いてきた。
すれ違うときに不意に話しかけられ、今後の予定を聞かれる。
前日、ニーヤさんとそのガイドからマオイストの風貌ややり口を聴いていたので、
もしかしたらと思ったが、職歴11年のガイドの話では会うのはゴレパニだけとのことだった。
適当にあしらうつもりで何を聞かれても「わからない」を連発する。
すると、ホムはまるでそこに居なかったかのように「Excuse me」といい、足早にすり抜けていった。
私も続くと、後ろで「チッ」と舌打ちが聞こえる。
追ってこないところをみると偽者だったのかもしれない。
ホムは振り返りもせず、歩きながら映画『大脱走』のテーマ曲を口笛で吹き出した。
私も調子に乗ってそれに続く。
山腹の道沿いには棚田が広がり、川をはさんだ先の山にも張り付くようにして民家と畑が広がる。
そんな牧歌的な風景の中を二人で口笛を吹きながら歩き続けた。

さらに進み、集落から離れた所で、道が二手に分かれた。
上りと下り、方向は同じなのでまるで見当がつかない。
さあどうしよう、私が勘を働かせていると、
ホムはかがみこみ、そのゆったりとした動きでまるで忍者のように道を調べだす。
どうやらトレッキングブーツやステッキの跡を探しているようだった。
今まで見当のつかない分かれ道に差しかかると、
勘に任せるか人に尋ねるかしかしてこなかった私にはまさに目からうろこが落ちる方法だった。
この方法はこの後、はっきりしない道に差し掛かるたびに利用し、だいぶ役にたった。
何回か双方の道を見比べた後、
「こっちはポーターしか歩いていない」といい、下りを選択することに。
しかし、実はこの道は間違っていた・・・。

     
 タダパニに向かう途中に。ロッジの親子と集落内で遊ぶ子供。

ホムとは途中で別れ、私はこの日、タダパニに一泊。
ジョムソン、ムクティナート方面の入り口、タトパニに向かって進んでいく。

 
 ゴレパニに向かう途中。

トレッキング その5 山で出会った人たち①

2006年03月30日 | Around the world 2005-2007
     
 ダンプスに向かう途中に。                  女の子は小さい頃から民族衣装を着ています。

       
 峠の茶屋でお菓子を売っていた兄ちゃん。        ポタナで。貫禄たっぷりのおばちゃん。怒っているわけではありません…。

     
 ダンプスで。                          トルカで。
 お年寄り二人。強い日差しを浴び続け、できた深いしわがいい感じです。

     
 トルカで。カメラを見て、喜んでいた赤ちゃん。       チョムロンで。何か私たちをじっと見ていた女の子。

トレッキング その4 ABC~シヌワ~ジヌー 8、9日目

2006年03月29日 | Around the world 2005-2007
 
 日の出直前のアンナプルナⅠ、8091mです。

 
 アンナプルナⅢ、…だと思います、のUP。

 
 山を見上げております。んん、素晴らしい。

 
 日が当たりだした西側の山々。

 
 日の出直後、ガンダルバチュリ?辺りから出てきました。

 
 ビュースポット近くにあったタルチョ。

昨日の吹雪のおかげで今日の空は雲ひとつないものだった。
寒さに震えながら日の出を待っていたが、
山の間から昇ってくる朝日はそれすら忘れさせてくれる壮大さだった。
ビュースポットで朝日を見ていた人たちが全員立ち去っても一人そこに残り、しばらく山を眺めていた。
ここでムクティナートまで行くこと決め、ABCから下りる準備を始めた。

 
 出発を待つガイド&ポーターたち。

この日はABCからチョムロンまで降りるつもりで歩き出したが、
MBC~デウラリ間で一回通った道にもかかわらず、2回道を間違え、時間を大きくロスしてしまった。
そのこともあって、途中からはペースを上げていく。
バンブーを出てから1時間ほど歩き一休み。
休憩後、急な下り坂を降りだすと、右太ももに痛みが走る。
それでもしばらく歩き続けたが、もう半歩ずつ出なければ歩けなくなっていた。
今まで、大きく道に迷うことも、トラブルに巻き込まれることもなく、
ガイドの必要性を感じなかった。
しかし、いざこういった事態に陥ると、一人でのトレッキングはリスクを負っているのだなと思い知らされる。
何とかシヌワまでつくと、ABCで会ったニーヤさんと再会。
夜、話をしていると、明日はジヌーに行くとのことだった。
足の状態によっては自分も同行し、温泉につかって治そうかなと思い始めていた。
さて、どうなることやら。

トレッキング その3 MBC~ABC 7日目

2006年03月28日 | Around the world 2005-2007
 
 MBCのロッジ前で。

MBCを出発するといよいよ本格的にアンナプルナ内院に入っていく。
周りを囲むようにそびえる山々のふところをゆっくりゆっくりと歩いていった。

今までだって決して急いできたわけではないが、
ABCの先は行き止まりなのだから、
今日は急ぐ必要はまるでない。
それよりも景色を一つ一つ目に焼き付けるように、
少しでもここを打たれるものがあれば、
いちいち立ち止まりしばらくそこにたたずむことにした。

 
 ABCに向かう途中。右後方がマチャプチャレです。

所々、岩肌が露出している場所以外は一面白い雪に覆われている。
そして、その岩場に腰を下ろし、じっとしていると、
人工的な音はもとより、風の吹く音も、川の流れも何一つ聞こえない空間がある。
その静寂の中で眺める景色はサングラスをしなければ眼も開けていられないほどだった。
それでもサングラスをはずし、景色を眺めると、目の前に強い光を当てられて、
恐ろしく幻想的な映像を見せられているような気分になり、次第に恍惚としてくる。

 
 雪道を下るトレッカー。

しかし、いくらゆっくり歩いたとはいえ、高高度で慣れない雪道を歩くのはやはりつらい。
100歩も歩くと激しく息切れしてしまう。
午前中いっぱいかけてABCに到着、それとほぼ時を同じくして雪が舞い始めだした。
その雪はあっという間に吹雪になり、
ロッジの中から見る外の景色はさっきまでの眺望が嘘のように荒涼としたものになっていった。
特に眠くもないのでロッジのこたつに入り、午後の時間を過ごし、夜を待つことにした。

 
 ABCのロッジで。ダイニングはこたつもあり、結構快適です。

トレッキング その2 ジヌー~ヒマラヤホテル~MBC 5、6日目

2006年03月26日 | Around the world 2005-2007

ジヌーの正面にある集落。
長い年月をかけて広げていったのだろう、山の麓から頂上付近まで畑が広がっています。

結局ジヌーには2泊することにした。
1日ゆっくり休んだこともあり今日は気力も体力も充実している。
宿の人から聞いた話によれば、ここからだとドウ゛ァンまでが一般的なようだったが、
ヒマラヤホテルまで行くつもりで歩き出した。
チョムロン、シヌワまでの道は激しいUPDOWNを繰り返す。
上ったと思ったら下り、下ったと思ったら上り…、きつい。
ただ、バンブー辺りを過ぎてからは森の中に入ったために、日差しがさえぎられ、
そのおかげで体力的には問題なく、順調に進んでいくことができた。


 バンブーの森で。野生動物の生息地です。『もののけ姫』に出てきそうな雰囲気。


 6日目、MBCに向かう途中。山が間近に見え始める。




 夕方、吹雪いているMBCで。明日はいよいよABCです。

トレッキング その1 ポカラ~ダンプス~トルカ~ジヌー 1~4日目

2006年03月22日 | Around the world 2005-2007
朝7:00に起き、出発の準備を始める。
ポカラに着てから規則正しい生活を送っていたので体調はいい。
準備に少し手間取り、宿を出たのはもう10:00をまわる頃だった。

最初の目的地ABC(アンナプルナ・ベース・キャンプ)に行くためにまずバスに乗ってフェディまで行く。
料金は30NRs、30分ほどで到着した。
山を登り始める前に、バスを降りた所にあった茶屋で一服し、
店の人と話しているともう1時間もたっている。
う~ん、まずいこんなことばっかりやっていたら、ABCにたどり着くのに何週間もかかってしまう。
今日はここに泊まれと店の人に言われたが断り、トレッキングを開始した。
道はいきなり急な上り坂で始まった。

 
 麦畑の横で。そろそろ収穫の時期のようです。

 
 途中には石で積まれたベンチがあり、トレッカーもポーター、地元民もそこで一休みしています。

一瞬、戸惑うような分かれ道もいくつかあったが、地元民の助けを借りながら
迷うことなく順調に山道を進んでいった。
道の状態も想像していたものに比べると整備され歩きやすいものだった。
黙々と歩き続ければ1時間半ほどの距離のようだが、2時間半ほどでダンプスに到着。
今日はここで一泊することに。

     
 ダンプスで。朝早くから動き出すポーターたち。 つり橋の上でかなり揺れる、怖い…。

 
 峠の茶屋で。たいていの場所から山が見えます。

 
 二日目に泊まったトルカで。

 
 ジヌーに向かう途中。ナマステ小僧を。

     
 ランドルクで。お手伝い中の子供たち。

 
 ランドルク付近の集落の家。

3日目。ジヌーに宿を取り、中庭で宿のスタッフ、一人のフランス人と今日のトレッキング、今後のルートなどを話していると、
今日、ここに泊まっているアメリカ人の話をされる。
彼らはエベレスト登山の予行練習でアンナプルナ山域を回っており、
一日の移動距離も相当なものだった。
私がすごいとつぶやいていると、フランス人は「no competition.」と言った。
そうだな、何か訓練できているわけでもないのだし、闇雲に予定通りに進む必要など別にない。
気に入った所があれば一日そこに居るのも悪くない。

 
 ジヌー、ナマステロッジの中庭で。スタッフはほとんどモンゴリアン系。う~ん、日本人と変わらん。

ポカラ その2 子供たち

2006年03月22日 | Around the world 2005-2007
 
 散歩中にダムサイド付近で。

 
 散歩中に。商店の横で遊ぶ子供たち。

 
 フェワ湖の湖畔で。

 
 日本山妙法寺に向かう途中に。

 
 下校途中の小学生。
 カトマン同様、登下校時間には制服姿の子供たちが目立ちます。

 
 水道管の工事中です。

ポカラ

2006年03月21日 | Around the world 2005-2007

 
 ポカラ、フェワ湖で。

57日間いたカトマンドゥから離れ、ポカラに着てから1週間経った。
同じネパールとはいえ、カトマンと違って、自然が身近にある。
今泊まっているレイクサイドの宿からは湖にすぐいけるし、
午前中はアンナプルナの山々を見ることができる。
さらに人の流れや車に注意する必要もないここでは、
歩くスピードも自然とのんびりとしてくる。

 
 湖でボート遊びを子供たち。

いくら都会好きの自分とはいえ、長く居過ぎたカトマンには少々、疲れていた。
ポカラにきたのは都会でないところにいきたいということもあったが、
最大の目的はトレッキングをすることだ。
少々、手間取ったが、準備も整った。
軟弱になっている今の自分にどこまで体力があるかわからないが、
まずはA・B・C(アンナプルナ・ベース・キャンプ)に向けて、山の中に入っていく。

 
 日本山妙法寺から。市街地は建物が密集しています。ちょっと意外です。

カトマンドゥ その11 人々

2006年03月20日 | Around the world 2005-2007
 
 シヴァ・ラトリの日、パシュパティナートで。
 なんつーおしゃれなババ様じゃ。

 
 同じく。こちらはハンサムで渋めのババ。

 
 同じく。写真を撮っている私に興味津々のおじさん。

 
 バングラディシュ大使館で。陽気な大使館員たち。
 バングラはこんなおっさんたちばかりなのか?楽しみ。

 
 スワヤンブナートに向かう途中に。

カトマンドゥ その10 ボダナート 

2006年03月19日 | Around the world 2005-2007
 
 ボダナートにあるネパール最大のチョルテン。

カトマンを出る前に済ませておかなければならないことがいくつもあったが、
そのうちの一つがビザ取りだ。
確実に行くインドのビザとなんとなく行きたくなってきたバングラディシュのビザを立て続けに取りに行く。
バングラ大使館に行く日に、ついでに自転車を借りてバダナートにも行くことに。

到着後、とりあえずチョルテンの周りをコルラしていると、
今日は何か特別な日なのだろう、チョルテンの上でチベット僧が祈祷をしている。
ほんの2ヶ月前まで本場のチベット圏にいたにもかかわらず、
その光景に思わず目を奪われてしまう。

 
 チョルテンを前に儀式の最中。

 
 外国人の在家信者だろうか、おそらくトゥルク(活仏)であろうリンポチェ(高僧)に話しかける女性も。

 
 子坊主たちが暇そうにチョルテンの上をうろうろしていました。

チョルテン周辺にも歩き飽きると近くに点在しているゴンパを訪ねることにした。
そして、最初の一つに行くと、そこのゴンパでは天幕が張られ、
その中では劇が演じられていた。
何も知らずにきたのにラッキーだ。

 
 ゴンパの前に設営された会場。

チベタンに混じって、その劇をしばらく鑑賞することに。
内容はどうやら王族を中心に据えた喜劇っぽいもの。
出演者たちが時おりコミカルな動きをすると会場はどっと沸き立つ。
そして、場面が変わると周りを囲むようにしている女性たちが音にあわせて踊りだす。
何か話した後に、舟をこぐ動きをしたり、突然、狼?の気ぐるみで登場したりと、
言葉がわからないのはもちろんのこと、唐突に場面が変わるため、ストーリーはさっぱりわからない。
それでも、色鮮やかな衣装に身を包んだ踊りを見ていると飽きることはなかった。
1時間半も見ていただろうか、昼食を取りたくなり、一旦、その場を離れた。

 
 周りを囲む踊り子たち。腕を滑らかに動かして踊っていた。

 
 チベット本土と比べたらカトマンの気候はだいぶ穏やか。
 肌の白い女性が多い。

 
 主役の男性。おぉ、えらい二枚目だ。

 
 内容は意外としっかりしている、迫真の演技を見せてくれました。

食事を取り、方向も決めず、気が向いた方向に歩いていく。
すると立派な家ばかりの区画へと入っていった。
3、4階建てで門構えも立派なものが多い。
ダライ・ラマ14世もチベット人は不屈の商売人とその著書の中で書いているが、
まさにそのようで亡命後、必死に商売に励んだ結果なのだろう。

 
 漢字で書かれた中華の看板がちらほらある。
 亡命チベット人が経営している様子。
 やっぱり中華の味は忘れられない?うん、チベット料理まずいもんなぁ(笑)。

 
 ラサでよく見かけたおみやげ物が売っている。

最初に訪ねたゴンパに再び行くと、まだ劇は続いている。
少なくとも4、5時間は劇をやっているようだった。
周りを陣取っているお年寄りたちはまだまだ楽しそうにその劇を見ているが、
出演者たち、特にずっと立ちっぱなしの女性の踊り子たちは少し疲れた顔を見せていた。
私もせっかくだからラストを見てみようと思ったが、
今日、申請したビザを受け取るためにバングラ大使館に行かなければならない。
ぎりぎりまで見ていたが、時間切れでラストを見ることなく、その場を離れることになった。

 
 チョルテンの周りをコルラする小坊主。

大使館が開いている時間に間に合うために、全速力で自転車をこぐ。
スモッグの多さが歩いているだけでわかるほど空気が汚れているが、
久々に体を思いっきり動かし、全身に汗をかき、下り坂をひたすら重力に任せて降りていくと、しばらく感じていなかった爽快感に包まれた。
気ままに動き回るだけで、こんな気持ちになることができるのに、
ただタメルでだらだらしていたことが急にばかばかしくなってきた。
じっと待っていても何もおきない。
何か欲しいなら動かなきゃ何も手に入らない。
行動だけが有効なのだと思う。
そんな当たり前のことすら忘れてしまいそうな生活を送っていた自分に対して、
思わずため息の一つもついてしまいそうになる。
この街でやっておきたいこともまもなく終わらせることができる。
移動する旅をしたい気持ちになっている。

 

カトマンドゥ その9 街中で

2006年03月18日 | Around the world 2005-2007
 
 タメル近くで結婚式の行列を。新郎新婦の乗った車はブラスバンドに引き連れられ、ゆっくりと走っていた。

 
 のどかなイメージのネパールですが、首都カトマンドゥでは慢性的に交通渋滞が発生しています。
 自転車で一日走っていると、全身埃まみれに。

 
 カンティ・パト近くの広場で。閲兵式だろうか、ククリ(ネパールの刀)を持った兵士が形を披露していた。

カトマンドゥ その8 スワヤンブナート 

2006年03月18日 | Around the world 2005-2007

 
 スワヤンブナート、チョルテン前から。

何事もやりだすと他のことに手がつかない性格…。
そ0して、何よりやることが遅い、
特に期限のないことだと永遠とやっている自分がいるかもしれない。
2か月分たまった写真、そして3ヶ月近く更新が遅れているブログ、
PCのHDの容量が追いつかず、整理するだけでも一苦労してしまう。
毎日、毎日、いや、だらだらやっているからいけないのだが、
気がつけば、一日の大半をPCに費やしている始末。
一体に何しにここにきたのか訳がわからなくなる。
いい加減、集中できなくなってきた日、
気分転換ためにスワヤンブナートに行くことにした。

 
 スワヤンブナートに向かう途中、洗濯場で遊ぶ子供たち。

 
 防災頭巾?のようなものをかぶり、椅子にちょこんと座る子供を。

 
 チョルテンに向かう階段で。

カトマンに滞在中にここには3回、足を運んだが、時間を問わず多くの人がいた。
カトマン市内にある多くの観光地がそうであるように、
ここも観光地であると同時に、地元民の生活の場であり、信仰の場であり、
そして、カトマン市民の憩いの場でもあるようだった。

 
 丘の上にあるスワヤンブナートからはカトマンドゥ盆地を一望できる。

 
 チョルテンの周りで。

     
 夕方、チョルテンの周りにある灯明台に           背伸びをして、マニ車を回しながらコルラをしていた子供。
 バターを注ぐ男性。

 
 15時半ごろ、神官たちが儀式をしていました。
 自らたたく太鼓のリズムに合わせて、
 狂ったように踊るうちに何かを憑依させているようだった。

 
 デートスポットでもあるようです。

そして、ここに限ったことではなく、カトマン市内の他の寺院や広場もだが、
一見、無造作に配置されている建物や石像も宗教的な意味以上に、
見るものが美しく感じるように設計されているように感じた。
それはただ単に私の感覚と合致したためかもしれないが、
もしかしたら、日本の神社仏閣、昔の屋敷などと同じく、
左右非対称の建築物を美しく思う美意識が、
ネパール人と日本人には共通しているからなのかもしれない
一部の民族には日本人かと思う顔つきをしている人もいるし、
言葉も日本語と発音と意味が同じ、あるいは似ている単語がいくつかある。
生活に占める宗教の重要性はだいぶ違うが、
日本の八百万の神同様、ネパールでは人の数より多い神々を信仰しているというのも一つの共通点だと思う。
ネパール人が日本人と似ていると感じるのもある意味、当然なのかもしれない。

 
 雑然とした配置が逆にいい感じです。

 
 う~ん、どこから見ても絵になる寺院だ。

 
 別名モンキーテンプルと呼ばれるだけあって、多くのサルが生息しています。

何はともあれ、タメルから30分離れただけで市内の喧騒も埃や排気ガスもない、
スワヤンブナートでだいぶリフレッシュできた一日だった。