陸路で常に移動をしていると、国境を越えて、国が変わっても、とっさにその変化に気づきづらい。飛行機で大きく移動をすれば、全く違った土地に行くのだから大きな変化があると思うが、陸路移動ではその間の土地柄は・気候や人種、宗教など・徐々に変化していくように感じる。景色や気候は地続きなのだから、当然、基本的に大きな変化はない。人種や宗教も中国の国境地帯やインド、パキスタンの国境に見られる移住など人為的な行為が行われていない限り、そこに住む民族や信仰される宗教はやはり徐々に変化していくものだと思う。
トルコ、ブルガリア間では人種としての民族構成はそんなに変わらないと思う。もちろんトルコ人とブルガリア人では、厳密に言えば、違う民族だろうが、モンゴリアンの国からコーカソイドの国に移るような劇的な変化はない。
宗教はイスラムからキリストへと大きく変化をした。モスクがなくなり、教会が目立ちはじめる。しかし、トルコのようにイスラム教が世俗化されている国だと人々は一般的に洋服を着ているから、外見からでは宗教の違いを判断することは難しい。
経済力はどうだろう。今までだったら、カンボジアからタイ、タイからラオス、そしてアフガンからイランに入った時、経済的に大きな変化があった。トルコはBRICs+TVT(タイ、ベトナム、トルコ。カントリーリスクの大きいBRICsだけでなくある程度成熟した社会を持つTVTにも投資をしたほうがよいという投資理論。)なんて呼ばれているぐらいだから相当、経済力のある国だろう。けれど、ブルガリアとはそこまで圧倒的な経済格差があるとは思えない。たとえばアフガン、イランの国境地帯のように道路状況が急激に変化するようなことはなかった。
自分が国境越えに慣れてしまったからかもしれないが、だから「ここがブルガリアか、ヨーロッパか」と深く感慨にひたることは無かった。とにかく実感として、ここがブルガリアという感じは無かった。
車窓から見える景色にしても変わったものといえば、なだらかな傾斜を持った草原は冬だというのに妙に青々しくて、辺りを走る車は大きな荷車を牽引しているものが多くなったぐらいだ。でも、そのことが、ここがブルガリアだと思わせるものではなかった。
ただ、雲に覆われて、全く太陽が見えない薄暗い天気の中で途中、立ち寄った町を見ているといちいち寂れている気がしてきて、若干、陰惨とした気分になってくる。そんな町を見ながら、これが東欧なのかな、ブルガリアなのかな、二日酔いのぼんやりした思考の中で感覚的にそう思ったりした。
イスタンブールからやってきたソフィアは名実ともに始めてのヨーロッパ圏の町、それも首都だ。ヨーロッパに関して、最初に思い浮かぶのはやっぱり都市化されていて、華やかなイメージだけど、途中、休憩で立ち寄った町と同じく、ソフィア市内に入り、渋滞で遅々として進まないバスの車内から見るソフィアの町も決して華やかとは言い難い雰囲気に包まれていた。それはバスターミナルについても変わらなかった。それにこの町に何があるのかさっぱりわからない。わからないんじゃなくて、ここには有名ないわゆる観光スポットはないらしい。
とはいえ、少し見ただけじゃなんともいえない。散歩していれば色々と発見もあるだろう。ひとまず、日も完全に落ちきり、電灯もろくにない寒い街を事前に目星をつけていた宿に向けて歩き出した。
路面電車の駅で。
ソフィアではシスターズインという日本人宿に泊まった。日本人宿というのは海外にある日本人しか泊まっていない宿のことで、長期旅行者の憩いの場?として世界各地にある。
散歩をしていれば何かと見つかるだろうと思っていたソフィアだけど、実際、何をしていたといわれると、正直なところよく思い出せない。特別にしたことといえば、オペラ鑑賞。そして、智性(=ソフィア)とは名ばかりで、俗物が溢れるソフィアの数少ない名物であるカジノ、ストリップ劇場にいったぐらいだ。後は宿でひたすらごろごろしていた。とにかくこの宿はこのまま一ヶ月ぐらい余裕で暮らせるぐらい居心地のいい宿だった。
アパートをそのまま宿にしているシスターズインは昼の間は管理人兼掃除のお姉さんがいるだけで、それ以外は全く日本人だけの世界だ。宿泊客同士で普通に気を使えば、後はホテルの人間に気兼ねすることなくやりたい放大ができる。この宿のオーナーは大の親日家らしく、近くに持っているもう一つの宿に日本人がやってくると、日本人はこっちへどうぞと、シスターのほうに案内する。居心地がいいように日本人専用の宿を作ってくれたらしい。
キッチン付きだから朝、というか昼前に起きて、自分で食事を作ったら、こぢんまりとしたまったりするにはちょうどいいサイズの共有スペースの居間で食事をする。部屋の中は、寒い外とは別世界で、暖房が暑いぐらいに効いて、寝転がるには最適のソファでTVでも見ながら、ごろごろしてそのまま再び寝てしまう。そして、夕方ごろ、食材やタバコを買うためだけに外に出るというダメ人間一直線の生活を送った。多少だけど文庫本や漫画もあって、ネットもフリーなのでそんなに暇をもてあますということもない。
今までにも日本人宿や沈没宿はたくさんあった。バンコクやカトマンドゥ、バラナシ、マナリ、カブールの宿、以前、行ったことのあるインド、プリーのサンタナロッジも長居した。でも、マージャンばっかりやっていたサンタナロッジと、宿とレストランの往復ばかりだったマナリ以外はそれなりに外出をしていた。外出もせず、健康的?に宿内で過ごすという意味ではこの宿が一番だったかも。日数はさほど長くないが、あまりにも宿で過ごす時間が長かった。ソフィアに来たというよりもシスターズインにきたというほうがいい気がする。
はい、ろくに外に出ていません。この町にある美術館等にも行っておりません。
近郊にあるモザイク画が素晴らしいことで有名な「リラの僧院」にも行っていません。
シスター宿泊者はかなりの確率で行っていますけど…。
まともに見た名所的なところといったらここだけか。
ということで写真奥に見えるのが、かつてブルガリアの政治を担当していた共産党の本部。
ブルガリアも他の東欧諸国の例に漏れず、旧ソ連の影響を多大に受けていた国。
権力を示すためということで、必要以上に仰々しく立派な建物。
教会前。ブルガリアが人生初のキリスト教国家で、多分、初めて見るキリスト教教会。
内部の構造や宗教画に少し感動。
ソフィアの街。たまに出た時に写真を撮ってみる。
アコーディオン弾きのおじさんたち。路上で演奏する人たちが増えた気が。
散歩中に気軽に楽しめます。
公園にいたジプシーと思われるホームレスのおばさん。
いきなり人形片手に不気味に微笑みかけられる…。
NATO(北大西洋条約機構)とその加盟国の旗。
ブルガリアはNATO加盟国であり、2007年元旦からEUにも加盟する。
アメリカ合衆国に対抗するためにEUは確実に巨大化している。
その影響か、ただ単に円が売られているのかわかりませんが、
おかげさまでこっちはユーロ高でひぃひぃ言わされてますけど…。
正直、欧米国家にはいけ好かない面も多々あるけど、
自分たちの権利や自由、主張を守るためのその主体的な行動力、すごいと思う。
公園で。スケボーと落書き。
昔のソフィアを知っているわけでないのでなんともいえないけど、共産党支配が終わって、
その反動で一気にアメリカナイズされているのか。若者らにはその手のファッションが多い。
市場のおばちゃんたち。
一番行ったのはやっぱり市場。シスターから徒歩30秒…。
名実ともにヨーロッパ世界に入り、人が冷たくなるんじゃと思っていたが、そんなことは無かった。
ここの市場の人たちも言葉が通じなくてもちゃんと相手してくれます。
スーパーのレジとかで意味不明につんけんしている人がいるのも事実ですが。
同じく市場で。店先だけじゃなくて露店にも野菜などが売られている。
種類も豊富で安い。大抵のものはそろって自炊派には楽しめます。
写真を撮ってもいいと尋ねると結構みんな楽しんでくれる。
市場で遊んでいた姉妹。
同じく市場のマッチ売りのおじさん。どこの町でもそうだけど、やっぱり市場に行くのが一番楽しい。
何も予定が無かったらおそらく歯止めが利かず、そのままビザ期限ぎりぎりまで滞在もありえたが、1月にドイツに行くという予定があったために10日間の滞在でここを離れることにした。
しかし、この先は今までのように漠然と西へ進んでいけばいいというルート作りではなくなった。北にはルーマニア、南に行けばギリシャ、西に目を向ければ旧ユーゴスラビア連邦諸国と選択肢がありすぎて、基本的にかなりの優柔不断の自分はどこに行くかを直前まで悩んだ。
ブルガリアにくるまでは、この後は行きたかったクロアチアに向けて動いていこうと思っていた。なのに、なぜだか全く理由なしにルーマニアに行くことにしてしまった。悩みすぎて、考えるが面倒くさくなって、半ばやけくそでルーマニア行きを決めたのだが、スローペース移動の自分はルーマニアで足止めを食らって、クロアチアに行く時間がなくなるんじゃないかと意味無く焦ったりしていた。それならクロアチアに行けばよかったのに、今、思い出しても自分の行動がよくわからない…。
さらにはそんなに悩んで前日、予約したにもかかわらず、予約したのは夜行列車で寝坊をしたというわけでもないのに、その列車を乗り逃すという失態を演じてしまった。締まらないソフィアは最後まで締まらずに終わり、再予約した翌日、ルーマニア、ブカレストに向かうことに。
しかし、なんにしても 、またブルガリアに来ることがあったらにシスターズインに泊りたいです。
トルコ、ブルガリア間では人種としての民族構成はそんなに変わらないと思う。もちろんトルコ人とブルガリア人では、厳密に言えば、違う民族だろうが、モンゴリアンの国からコーカソイドの国に移るような劇的な変化はない。
宗教はイスラムからキリストへと大きく変化をした。モスクがなくなり、教会が目立ちはじめる。しかし、トルコのようにイスラム教が世俗化されている国だと人々は一般的に洋服を着ているから、外見からでは宗教の違いを判断することは難しい。
経済力はどうだろう。今までだったら、カンボジアからタイ、タイからラオス、そしてアフガンからイランに入った時、経済的に大きな変化があった。トルコはBRICs+TVT(タイ、ベトナム、トルコ。カントリーリスクの大きいBRICsだけでなくある程度成熟した社会を持つTVTにも投資をしたほうがよいという投資理論。)なんて呼ばれているぐらいだから相当、経済力のある国だろう。けれど、ブルガリアとはそこまで圧倒的な経済格差があるとは思えない。たとえばアフガン、イランの国境地帯のように道路状況が急激に変化するようなことはなかった。
自分が国境越えに慣れてしまったからかもしれないが、だから「ここがブルガリアか、ヨーロッパか」と深く感慨にひたることは無かった。とにかく実感として、ここがブルガリアという感じは無かった。
車窓から見える景色にしても変わったものといえば、なだらかな傾斜を持った草原は冬だというのに妙に青々しくて、辺りを走る車は大きな荷車を牽引しているものが多くなったぐらいだ。でも、そのことが、ここがブルガリアだと思わせるものではなかった。
ただ、雲に覆われて、全く太陽が見えない薄暗い天気の中で途中、立ち寄った町を見ているといちいち寂れている気がしてきて、若干、陰惨とした気分になってくる。そんな町を見ながら、これが東欧なのかな、ブルガリアなのかな、二日酔いのぼんやりした思考の中で感覚的にそう思ったりした。
イスタンブールからやってきたソフィアは名実ともに始めてのヨーロッパ圏の町、それも首都だ。ヨーロッパに関して、最初に思い浮かぶのはやっぱり都市化されていて、華やかなイメージだけど、途中、休憩で立ち寄った町と同じく、ソフィア市内に入り、渋滞で遅々として進まないバスの車内から見るソフィアの町も決して華やかとは言い難い雰囲気に包まれていた。それはバスターミナルについても変わらなかった。それにこの町に何があるのかさっぱりわからない。わからないんじゃなくて、ここには有名ないわゆる観光スポットはないらしい。
とはいえ、少し見ただけじゃなんともいえない。散歩していれば色々と発見もあるだろう。ひとまず、日も完全に落ちきり、電灯もろくにない寒い街を事前に目星をつけていた宿に向けて歩き出した。
路面電車の駅で。
ソフィアではシスターズインという日本人宿に泊まった。日本人宿というのは海外にある日本人しか泊まっていない宿のことで、長期旅行者の憩いの場?として世界各地にある。
散歩をしていれば何かと見つかるだろうと思っていたソフィアだけど、実際、何をしていたといわれると、正直なところよく思い出せない。特別にしたことといえば、オペラ鑑賞。そして、智性(=ソフィア)とは名ばかりで、俗物が溢れるソフィアの数少ない名物であるカジノ、ストリップ劇場にいったぐらいだ。後は宿でひたすらごろごろしていた。とにかくこの宿はこのまま一ヶ月ぐらい余裕で暮らせるぐらい居心地のいい宿だった。
アパートをそのまま宿にしているシスターズインは昼の間は管理人兼掃除のお姉さんがいるだけで、それ以外は全く日本人だけの世界だ。宿泊客同士で普通に気を使えば、後はホテルの人間に気兼ねすることなくやりたい放大ができる。この宿のオーナーは大の親日家らしく、近くに持っているもう一つの宿に日本人がやってくると、日本人はこっちへどうぞと、シスターのほうに案内する。居心地がいいように日本人専用の宿を作ってくれたらしい。
キッチン付きだから朝、というか昼前に起きて、自分で食事を作ったら、こぢんまりとしたまったりするにはちょうどいいサイズの共有スペースの居間で食事をする。部屋の中は、寒い外とは別世界で、暖房が暑いぐらいに効いて、寝転がるには最適のソファでTVでも見ながら、ごろごろしてそのまま再び寝てしまう。そして、夕方ごろ、食材やタバコを買うためだけに外に出るというダメ人間一直線の生活を送った。多少だけど文庫本や漫画もあって、ネットもフリーなのでそんなに暇をもてあますということもない。
今までにも日本人宿や沈没宿はたくさんあった。バンコクやカトマンドゥ、バラナシ、マナリ、カブールの宿、以前、行ったことのあるインド、プリーのサンタナロッジも長居した。でも、マージャンばっかりやっていたサンタナロッジと、宿とレストランの往復ばかりだったマナリ以外はそれなりに外出をしていた。外出もせず、健康的?に宿内で過ごすという意味ではこの宿が一番だったかも。日数はさほど長くないが、あまりにも宿で過ごす時間が長かった。ソフィアに来たというよりもシスターズインにきたというほうがいい気がする。
はい、ろくに外に出ていません。この町にある美術館等にも行っておりません。
近郊にあるモザイク画が素晴らしいことで有名な「リラの僧院」にも行っていません。
シスター宿泊者はかなりの確率で行っていますけど…。
まともに見た名所的なところといったらここだけか。
ということで写真奥に見えるのが、かつてブルガリアの政治を担当していた共産党の本部。
ブルガリアも他の東欧諸国の例に漏れず、旧ソ連の影響を多大に受けていた国。
権力を示すためということで、必要以上に仰々しく立派な建物。
教会前。ブルガリアが人生初のキリスト教国家で、多分、初めて見るキリスト教教会。
内部の構造や宗教画に少し感動。
ソフィアの街。たまに出た時に写真を撮ってみる。
アコーディオン弾きのおじさんたち。路上で演奏する人たちが増えた気が。
散歩中に気軽に楽しめます。
公園にいたジプシーと思われるホームレスのおばさん。
いきなり人形片手に不気味に微笑みかけられる…。
NATO(北大西洋条約機構)とその加盟国の旗。
ブルガリアはNATO加盟国であり、2007年元旦からEUにも加盟する。
アメリカ合衆国に対抗するためにEUは確実に巨大化している。
その影響か、ただ単に円が売られているのかわかりませんが、
おかげさまでこっちはユーロ高でひぃひぃ言わされてますけど…。
正直、欧米国家にはいけ好かない面も多々あるけど、
自分たちの権利や自由、主張を守るためのその主体的な行動力、すごいと思う。
公園で。スケボーと落書き。
昔のソフィアを知っているわけでないのでなんともいえないけど、共産党支配が終わって、
その反動で一気にアメリカナイズされているのか。若者らにはその手のファッションが多い。
市場のおばちゃんたち。
一番行ったのはやっぱり市場。シスターから徒歩30秒…。
名実ともにヨーロッパ世界に入り、人が冷たくなるんじゃと思っていたが、そんなことは無かった。
ここの市場の人たちも言葉が通じなくてもちゃんと相手してくれます。
スーパーのレジとかで意味不明につんけんしている人がいるのも事実ですが。
同じく市場で。店先だけじゃなくて露店にも野菜などが売られている。
種類も豊富で安い。大抵のものはそろって自炊派には楽しめます。
写真を撮ってもいいと尋ねると結構みんな楽しんでくれる。
市場で遊んでいた姉妹。
同じく市場のマッチ売りのおじさん。どこの町でもそうだけど、やっぱり市場に行くのが一番楽しい。
何も予定が無かったらおそらく歯止めが利かず、そのままビザ期限ぎりぎりまで滞在もありえたが、1月にドイツに行くという予定があったために10日間の滞在でここを離れることにした。
しかし、この先は今までのように漠然と西へ進んでいけばいいというルート作りではなくなった。北にはルーマニア、南に行けばギリシャ、西に目を向ければ旧ユーゴスラビア連邦諸国と選択肢がありすぎて、基本的にかなりの優柔不断の自分はどこに行くかを直前まで悩んだ。
ブルガリアにくるまでは、この後は行きたかったクロアチアに向けて動いていこうと思っていた。なのに、なぜだか全く理由なしにルーマニアに行くことにしてしまった。悩みすぎて、考えるが面倒くさくなって、半ばやけくそでルーマニア行きを決めたのだが、スローペース移動の自分はルーマニアで足止めを食らって、クロアチアに行く時間がなくなるんじゃないかと意味無く焦ったりしていた。それならクロアチアに行けばよかったのに、今、思い出しても自分の行動がよくわからない…。
さらにはそんなに悩んで前日、予約したにもかかわらず、予約したのは夜行列車で寝坊をしたというわけでもないのに、その列車を乗り逃すという失態を演じてしまった。締まらないソフィアは最後まで締まらずに終わり、再予約した翌日、ルーマニア、ブカレストに向かうことに。
しかし、なんにしても 、またブルガリアに来ることがあったらにシスターズインに泊りたいです。