旅しながらやってます。

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東欧 その1  ここはソフィアなのか、それとも… -ソフィアinブルガリア-

2006年11月25日 | Around the world 2005-2007
陸路で常に移動をしていると、国境を越えて、国が変わっても、とっさにその変化に気づきづらい。飛行機で大きく移動をすれば、全く違った土地に行くのだから大きな変化があると思うが、陸路移動ではその間の土地柄は・気候や人種、宗教など・徐々に変化していくように感じる。景色や気候は地続きなのだから、当然、基本的に大きな変化はない。人種や宗教も中国の国境地帯やインド、パキスタンの国境に見られる移住など人為的な行為が行われていない限り、そこに住む民族や信仰される宗教はやはり徐々に変化していくものだと思う。
トルコ、ブルガリア間では人種としての民族構成はそんなに変わらないと思う。もちろんトルコ人とブルガリア人では、厳密に言えば、違う民族だろうが、モンゴリアンの国からコーカソイドの国に移るような劇的な変化はない。
宗教はイスラムからキリストへと大きく変化をした。モスクがなくなり、教会が目立ちはじめる。しかし、トルコのようにイスラム教が世俗化されている国だと人々は一般的に洋服を着ているから、外見からでは宗教の違いを判断することは難しい。
経済力はどうだろう。今までだったら、カンボジアからタイ、タイからラオス、そしてアフガンからイランに入った時、経済的に大きな変化があった。トルコはBRICs+TVT(タイ、ベトナム、トルコ。カントリーリスクの大きいBRICsだけでなくある程度成熟した社会を持つTVTにも投資をしたほうがよいという投資理論。)なんて呼ばれているぐらいだから相当、経済力のある国だろう。けれど、ブルガリアとはそこまで圧倒的な経済格差があるとは思えない。たとえばアフガン、イランの国境地帯のように道路状況が急激に変化するようなことはなかった。
自分が国境越えに慣れてしまったからかもしれないが、だから「ここがブルガリアか、ヨーロッパか」と深く感慨にひたることは無かった。とにかく実感として、ここがブルガリアという感じは無かった。
車窓から見える景色にしても変わったものといえば、なだらかな傾斜を持った草原は冬だというのに妙に青々しくて、辺りを走る車は大きな荷車を牽引しているものが多くなったぐらいだ。でも、そのことが、ここがブルガリアだと思わせるものではなかった。
ただ、雲に覆われて、全く太陽が見えない薄暗い天気の中で途中、立ち寄った町を見ているといちいち寂れている気がしてきて、若干、陰惨とした気分になってくる。そんな町を見ながら、これが東欧なのかな、ブルガリアなのかな、二日酔いのぼんやりした思考の中で感覚的にそう思ったりした。

イスタンブールからやってきたソフィアは名実ともに始めてのヨーロッパ圏の町、それも首都だ。ヨーロッパに関して、最初に思い浮かぶのはやっぱり都市化されていて、華やかなイメージだけど、途中、休憩で立ち寄った町と同じく、ソフィア市内に入り、渋滞で遅々として進まないバスの車内から見るソフィアの町も決して華やかとは言い難い雰囲気に包まれていた。それはバスターミナルについても変わらなかった。それにこの町に何があるのかさっぱりわからない。わからないんじゃなくて、ここには有名ないわゆる観光スポットはないらしい。
とはいえ、少し見ただけじゃなんともいえない。散歩していれば色々と発見もあるだろう。ひとまず、日も完全に落ちきり、電灯もろくにない寒い街を事前に目星をつけていた宿に向けて歩き出した。


 
 路面電車の駅で。


ソフィアではシスターズインという日本人宿に泊まった。日本人宿というのは海外にある日本人しか泊まっていない宿のことで、長期旅行者の憩いの場?として世界各地にある。
散歩をしていれば何かと見つかるだろうと思っていたソフィアだけど、実際、何をしていたといわれると、正直なところよく思い出せない。特別にしたことといえば、オペラ鑑賞。そして、智性(=ソフィア)とは名ばかりで、俗物が溢れるソフィアの数少ない名物であるカジノ、ストリップ劇場にいったぐらいだ。後は宿でひたすらごろごろしていた。とにかくこの宿はこのまま一ヶ月ぐらい余裕で暮らせるぐらい居心地のいい宿だった。
アパートをそのまま宿にしているシスターズインは昼の間は管理人兼掃除のお姉さんがいるだけで、それ以外は全く日本人だけの世界だ。宿泊客同士で普通に気を使えば、後はホテルの人間に気兼ねすることなくやりたい放大ができる。この宿のオーナーは大の親日家らしく、近くに持っているもう一つの宿に日本人がやってくると、日本人はこっちへどうぞと、シスターのほうに案内する。居心地がいいように日本人専用の宿を作ってくれたらしい。
キッチン付きだから朝、というか昼前に起きて、自分で食事を作ったら、こぢんまりとしたまったりするにはちょうどいいサイズの共有スペースの居間で食事をする。部屋の中は、寒い外とは別世界で、暖房が暑いぐらいに効いて、寝転がるには最適のソファでTVでも見ながら、ごろごろしてそのまま再び寝てしまう。そして、夕方ごろ、食材やタバコを買うためだけに外に出るというダメ人間一直線の生活を送った。多少だけど文庫本や漫画もあって、ネットもフリーなのでそんなに暇をもてあますということもない。
今までにも日本人宿や沈没宿はたくさんあった。バンコクやカトマンドゥ、バラナシ、マナリ、カブールの宿、以前、行ったことのあるインド、プリーのサンタナロッジも長居した。でも、マージャンばっかりやっていたサンタナロッジと、宿とレストランの往復ばかりだったマナリ以外はそれなりに外出をしていた。外出もせず、健康的?に宿内で過ごすという意味ではこの宿が一番だったかも。日数はさほど長くないが、あまりにも宿で過ごす時間が長かった。ソフィアに来たというよりもシスターズインにきたというほうがいい気がする。


 
 はい、ろくに外に出ていません。この町にある美術館等にも行っておりません。
 近郊にあるモザイク画が素晴らしいことで有名な「リラの僧院」にも行っていません。
 シスター宿泊者はかなりの確率で行っていますけど…。
 まともに見た名所的なところといったらここだけか。
 ということで写真奥に見えるのが、かつてブルガリアの政治を担当していた共産党の本部。
 ブルガリアも他の東欧諸国の例に漏れず、旧ソ連の影響を多大に受けていた国。
 権力を示すためということで、必要以上に仰々しく立派な建物。


 
 教会前。ブルガリアが人生初のキリスト教国家で、多分、初めて見るキリスト教教会。
 内部の構造や宗教画に少し感動。


 
 ソフィアの街。たまに出た時に写真を撮ってみる。


 
 アコーディオン弾きのおじさんたち。路上で演奏する人たちが増えた気が。
 散歩中に気軽に楽しめます。


             
             公園にいたジプシーと思われるホームレスのおばさん。
             いきなり人形片手に不気味に微笑みかけられる…。


 
 NATO(北大西洋条約機構)とその加盟国の旗。
 ブルガリアはNATO加盟国であり、2007年元旦からEUにも加盟する。
 アメリカ合衆国に対抗するためにEUは確実に巨大化している。
 その影響か、ただ単に円が売られているのかわかりませんが、
 おかげさまでこっちはユーロ高でひぃひぃ言わされてますけど…。
 正直、欧米国家にはいけ好かない面も多々あるけど、
 自分たちの権利や自由、主張を守るためのその主体的な行動力、すごいと思う。


 
 公園で。スケボーと落書き。
 昔のソフィアを知っているわけでないのでなんともいえないけど、共産党支配が終わって、
 その反動で一気にアメリカナイズされているのか。若者らにはその手のファッションが多い。


 
 市場のおばちゃんたち。
 一番行ったのはやっぱり市場。シスターから徒歩30秒…。
 名実ともにヨーロッパ世界に入り、人が冷たくなるんじゃと思っていたが、そんなことは無かった。
 ここの市場の人たちも言葉が通じなくてもちゃんと相手してくれます。
 スーパーのレジとかで意味不明につんけんしている人がいるのも事実ですが。


 
 同じく市場で。店先だけじゃなくて露店にも野菜などが売られている。
 種類も豊富で安い。大抵のものはそろって自炊派には楽しめます。


 
 写真を撮ってもいいと尋ねると結構みんな楽しんでくれる。


             
             市場で遊んでいた姉妹。


 
 同じく市場のマッチ売りのおじさん。どこの町でもそうだけど、やっぱり市場に行くのが一番楽しい。


何も予定が無かったらおそらく歯止めが利かず、そのままビザ期限ぎりぎりまで滞在もありえたが、1月にドイツに行くという予定があったために10日間の滞在でここを離れることにした。
しかし、この先は今までのように漠然と西へ進んでいけばいいというルート作りではなくなった。北にはルーマニア、南に行けばギリシャ、西に目を向ければ旧ユーゴスラビア連邦諸国と選択肢がありすぎて、基本的にかなりの優柔不断の自分はどこに行くかを直前まで悩んだ。
ブルガリアにくるまでは、この後は行きたかったクロアチアに向けて動いていこうと思っていた。なのに、なぜだか全く理由なしにルーマニアに行くことにしてしまった。悩みすぎて、考えるが面倒くさくなって、半ばやけくそでルーマニア行きを決めたのだが、スローペース移動の自分はルーマニアで足止めを食らって、クロアチアに行く時間がなくなるんじゃないかと意味無く焦ったりしていた。それならクロアチアに行けばよかったのに、今、思い出しても自分の行動がよくわからない…。
さらにはそんなに悩んで前日、予約したにもかかわらず、予約したのは夜行列車で寝坊をしたというわけでもないのに、その列車を乗り逃すという失態を演じてしまった。締まらないソフィアは最後まで締まらずに終わり、再予約した翌日、ルーマニア、ブカレストに向かうことに。
しかし、なんにしても 、またブルガリアに来ることがあったらにシスターズインに泊りたいです。

トルコ その6 イスタンブール

2006年11月21日 | Around the world 2005-2007

 
 鳩モスク前で。正式名称失念…。


 
 鳩モスク前ではその名の通り大量の鳩が群がっている。おばちゃんたちが鳩のエサを露店で売っている。


 


 
 イスタンの子供たち。
 イスタンともなると裕福な中産階級の割合が増えるのだろうか、こぎれいな格好をした子供多かった。


 
 新市街のレストランで。


     
 カーリエ博物館近くの住宅街で。
 トルコ人にとってタバコはなくてはならないもの。スターバックスでもタバコが吸える。
 法律では18歳以下の喫煙は禁止されていますが…。


               
 エジプシャン(スパイス)バザールで会ったクルド人の兄ちゃん。
 トルコ東部周辺に国をまたいで多く住むクルド人は国を持たない民族。
 その独立問題はトルコの大きな国内問題になっている。
 自分が見る分にはトルコ人との顔立ちの差はまるでわからないけど…。


 
 新市街の住宅街で。


               
 クルド人らしき人たちが多く住む地区で。
 暗くなってもあたりをうろうろしていると「荷物に気をつけて、早くここから離れたほうがいい」とやんわり諭してくれる。
 でも、その前に「自分の写真を撮っていけ」と…。写真好きの人たちばかりで楽しいところです。


 
 露店の焼き栗屋。少し高いけど、実がしっかり詰まっていておいしい。


               
 イスタンにも猫さんたちがたくさん。
 「プスプス」と言うと近寄ってきて、カメラを向けてもじっと見つめてくれる。
 しかし、暇さえあれば猫と延々と戯れまくっている27歳の男。傍目から見れば不審者である。


 
 かつてのイスタンと。


 
 イスタンブールの兄ちゃん、姉ちゃんたち。隣国イランと比べると、おしゃれになっているかな。


 
 
 ガラタ橋の近くで。

トルコ その5 ゲートウェイ -イスタンブール-

2006年11月12日 | Around the world 2005-2007
 
 イスタンブール旧市街、グランドバザールで。


おんぼろバス、それがイスタンブール行きのバスだった。複数のバス会社が同一路線で競合しているトルコのバス会社では値引きもできるが、今回のバスは他のそれより10リラも安かった。でも、安いにはそれなりの理由がある。ほかのバスと比べると一回り小さいそのバスの中には窮屈に座席が並んでいた。座ると膝が前の座席につかえてしまう。しかも悪いことに自分の座席は一番後ろでエンジンの音、振動、熱が思いっきりやってくる。イスタンブールまで行ってそのまま新しい車両に切り替わるために今日が最後の運行だという狭くて、うるさくて、暑いバス、なんかどこかのバスみたいだ。
眠気が一向にやってこない車内。一緒に乗った日本人旅行者と話をしながら眠らずに過ごした。明け方、沿岸部の工場地帯を抜け、しばらく都市部をバスは走っていく。まだ日が昇っていない薄暗い街にバスは頻繁に停車して、乗客は少しずつ降りていった。空いた車内で体を伸ばして少しでも寝ることもできたが、窓側に席を替えてイスタンブールヨーロッパ側が見える瞬間を期待して外の景色を見ることにした。あれがイスタンか、いや違う、そんなことを何度か繰り返しているとバスはフェリー乗り場に到着した。
フェリー乗り場に着いたがここが終点というわけではなかった。バスはこのままボスポラス海峡を橋で越えてイスタンブールヨーロッパ側へ行くらしい。アジアからヨーロッパへ、ここはやっぱり船で渡りたい。当然、という感じでバスを降り、荷物を出してもらうために車掌に声をかけると怪訝な顔をされる。
「ここはイスタンじゃないぜ」、そんなことわかっている。
「だから、イスタンじゃないよ」、だからわかってるって、アイゴートゥイスタンブールバイフェリーだよ。
そういうと勝手にしろという感じで車掌は手早く荷物を出し、バスはあっという間にその場を去っていった。
車掌は親切心で言ったのだろう、実際にフェリー乗り場までいくと窓口はまだ開いていなかった。11月中旬の明け方の街は凍えるほどの気温で、運行が始まるまでの時間を寒さに震えながら、でも気持ちを昂ぶらせながら待つ。


 
 フェリーの出航を待つ。


朝7時半ごろ、船は岸を離れ、イスタンブールヨーロッパ側へと向けて出航した。海の上は鋭くとがった強い冷たい風が吹いていた。暖房の効いた室内にいることもできたが、先に広がる風景を甲板に立って眺め続ける。トプカプ宮殿、ガラタ塔、金角湾、起伏に飛んだイスタンブールの海沿いにはさっと見ただけでも有名どころで満載だ。これまでに訪ねた都市の中でも有数の規模と長い、重要な歴史を持つイスタンブール。そのイスタンブールがもう目の前に迫っている。



 アジアサイドからヨーロッパサイドへ。


 
 海から見るイスタンブール。


イスタンブールには『ツリーオブライフ』という有名な日本人宿があるが、そこには泊まらずに旧市街、鉄道駅の裏に広がる安宿街に宿を取った。シングルで12リラ。10リラで部屋からガラタ塔が見える部屋もあったが、コンセントがなかったためにその部屋はあきらめた。共同シャワーはほとんどお湯が出なかったが、イスタンの宿相場から考えれば格安だ。場所的にも旧市街、新市街ともに歩いていける所だった。
宿を出るとすぐに路面電車、トラムが走っている通りに出る。そして、今日は新旧どちらに行こうかその時の気分で決めて、散歩を始めた。


旧市街側にはかつてのこの街がコンスタンティノープルと呼ばれていたビサンチン帝国時代からの建造物やその後、ここがイスタンブールとなったオスマントルコ帝国時代に造られたモスクやバザールなど観光名所が多くある。観光地には無料のブルーモスクとカーリエ博物館、軍事博物館にしか入らなかった。今までの国に比べ全体的な経済力が高いトルコでは入場料も当然高い。トプカプ宮殿は入ろうとも思ったが、宿代以上の金額に対してどうしても二の足を踏んでしまう。金額と天秤にかけると、どうしてもそれが見たいという意識が希薄な自分にはその金を払ってまで見ようとは思えず、結局入ることはなかった。


 
 スルタンアフメットジャミィ(ブルーモスク)で。


 
 ブルーモスクはコンスタンティノープルを陥落させた征服王スルタン・アフメット2世が作らせたモスク。


 
 軍事博物館で。


 
 世界最初の軍楽隊はオスマントルコ帝国によって創設された。この博物館ではその軍楽隊の生演奏が聞ける。


 
 カーリエ博物館で。


 
 この博物館はかつてキリスト教の教会として使われていたが、オスマントルコ征服後はモスクとして使われていた。
 内部にあったモザイク画は漆喰で覆われていたために保存状態はいいという。
 しかし…、想像していたものよりかは大分しょぼかった…。とりあえず狭すぎて、あっという間に終わってしまう。


     
 左:路地から見るアヤソフィア。
 ここもコンスタンティノープル時代は教会として利用されていたものをスルタン・アフメット2世がモスクに改築させた。
 右:新市街に建つガラタ塔。
   新市街というのはビサンチン時代にベネチア人やジェノバ人(現在のイタリア)が商館などを建てて
   住み始めたのが始まり(確か、間違っているかもしれません)。
   なので「新」といっても大昔のことになる


だからイスタンブールでの毎日は当然、散歩が中心になった。いつものようにやっぱり気の向くままに右へ左へと進み、大通りを歩き、バザールをひやかし、モスクの塀や石段に腰をかけて休憩して、そして裏路地に入っていく。
宿を出て、2、3分も歩くとそこには金角湾が広がる。海沿いにガラタ橋に向かって歩いていくとそこには釣り人がずらっと並んでいる。イスタン人はまさに釣りバカだ。金角湾沿いに限らず、周りを海に囲まれているイスタンブールでは海沿いの道を歩いていると大抵の場所で釣りをしている人たちを見る。日中、夜を問わず、平日はもちろん日曜ともなるとガラタ橋の上は釣りをする人たちで埋め尽くされる。その光景を屋台で売っている鯖をサラダと一緒にパンにはさんだイスタン名物サバサンドを食べながら眺めたりする。中には釣ったばかりの魚をその場で炭火焼きして、それをつまみに表で堂々とビールを呑んでいる人たちもいた。しょうゆ持参で参加したくなる。。。
ここの人たちももちろんムスリムだが、ケマル・アタチュルクの近代化政策以来、国策として政教分離、いわゆる世俗化を進めるトルコではまるで日本のコンビニのようにいたるところにモスクが林立している割に戒律はとてもゆるいようだ。


 
 いたる所で釣りをしている釣りバカイスタン人。夜10時を過ぎても防寒着姿で釣りをしている。


 
 この海では鯖やアンチョビが釣れる。


 
 旧市街のはずれ、マルマラ海に面した港近くで。
 日本人にはミスマッチな組み合わせにも感じるがシンプルでうまいサバサンド。


イスタンブールのバザールといえば、有名な大規模バザール、グランドバザールがある。さらに、その周辺の複雑に入り組んだ路地にも無数の商店や食堂が軒を連ねている。グランドバザールにももちろん何度となくいった。
けど、自分には既製品や土産物ばかり置いてあるグランドバザールより、周辺のバザールや街外れにあるちょっとした商店街のほうが面白かった。まるで商店の迷路のような路地には、観光客や個人向けの店だけでなく、問屋街もあり、衣料品や金物、食料品、ロカンタが並び、その店を訳もなくいちいち覗いてみたりする。特に問屋は表通りにある店よりも当然安かったので、ここで冬用の手袋や靴下を購入した。
しかも、ここの露店では妙なものも売っていて、店の並ぶ合間に時折、偽物だろうけどバイアグラなど夜の医薬品が売っているのには笑ってしまった。冷やかしで「いくら?」と尋ねてみると、いたって普通の様子で対応された。トルコでは一般的にこうったものが利用されているのだろうか。


 
 エジプシャン(スパイス)バザールで。


 
 同じくスパイスバザールで。バザールを歩いていると怪しげな日本語で話しかけられることもしばしば。


 
 日曜日のグランバザール周辺。
 安息日も西洋化していて、ここのお店は金曜ではなく日曜に休む。
 そのため日曜のグランバザール周辺は閑散としていた。


 
 レストラン街で。
 新市街タクシィム広場周辺ではオープンカフェ形式のレストランも多い。
 港近くでは買った魚をその場で調理もしてくれる。


坂道が多く、曲がりくねったイスタンブールの道をこれもやっぱり迷子になって、地元の人間しかいないような奥のほうにも入っていった。そこには観光地としての、あるいは近代的でおしゃれなイスタンではない生活の場としての街が広がっていた。ここでもトルコの無邪気すぎる子供たちに手荒い歓迎を受けたが、それもまたいい。行ったところはクルド人地区なのだろうか、薄汚くて泥臭い印象を受ける街並み。ゆっくり、あたりの様子を眺めながら歩いていく。もしかしたらここは何も知らないツーリストが歩くには少し危険なところかもしれない。でも、なんだか懐かしくて、優しい感じのする、そんな空間だった。そして、やはり、住んでいる人々は保守的なのだろう、わたしのような珍客に対して、ムスリムらしい親切さで接してくれる人も、心よく思っていないであろう人もいた。近代的でヨーロッパ的雰囲気を持つイスタンブールの街も一歩中へと踏み込んでいくとそこにはアジア的な面も感じることもできる。


 
 路地裏のイスタン。


 
 旧市街の住宅街で。


 
 イスタンの街中で。


 
 新市街タクシィム広場近くの歩行者天国で。 


ただイスタンのツーリストエリアではあまりいい気持ちをすることはなかった。特にトプカプ宮殿やブルーモスクがあり、宿も多く、ツーリストが集まるスルタン・アフメット地区の人間、スルタン人は最悪だった。
この周辺を歩いているといくらでも客引きに遭遇する。じゅうたん売り、レストラン、そしてぼったくりバーの客引き。
ある時、道の端ですることもなく、ただボーっとしているとレストランの客引きに手招きされ、こっちに来いと話しかけられた。呼ばれたら基本的には断らず近づいて話だけは聞くことにしている。もちろんその客引き氏の話は「食事はまだか?」というものだった。けど、スルタン地区のレストランは高いし量も少ないし、今の自分のような風体の人間にお呼びがかかるような店ではないと思う。そもそも食事をする気もなかったので断ると、相手は態度を急変させて「じゃあさっさとここから消えろ」と手を振って追い払おうとする。自分から呼んでおいて、客ではないとなった瞬間に立ち去れとはなんてふざけた勝手さなんだ。
ぼったくりバーの客引きには新市街でも遭ったが、その手口はマニュアル化されていて、3、4回もそんな客引きを受けていると飽き飽きする状態を通り越して、またかよ、と思いなんだか腹が立ってくる。大抵は突然、トルコ語で話しかけてくる。タバコを片手に「火を貸して」と。きょとんとしていると相手はわざとらしく驚いた顔をして明らかに東洋人顔の私に対して今度は英語で「トルコ人かと思った、ごめん」といいタバコを1本勧めてくる。そんな風にして足止めしてから、自分はギリシャから旅行中だとか、キプロスの学生で今は休みだなどといい、「今から1杯飲みに行かないか、いい店を知っているんだ」と誘ってくる。
毎日のようにこんなつまらんぼったくり野郎たちの相手をしていても仕方がない。こっちも相手を困惑させてやる。「どこの国からきた?」と訪ねられたら、「パプアニューギニア」と答えることにしていた。ぼったくり君たちは「えっ?」と目を丸くする。「パプアニューギニアだよ、知らないの?知らないなら帰る」というとその後はつきまとってこない。
でも、中には本当に善意や好奇心で誘ってくる人間もいるのかもしれない。たとえ悪意のある客引きであっても、あえてこんなことをする理由はない。こんな風にあしらっている自分はやっぱりこの旅の中で人として擦れてしまっているのかな。

イスタンブールに10日ほど滞在して、次の目的地ブルガリアの首都、ソフィアに向けて移動をすることにした。旅に出る前、旅のおおよそのプランを考えていたときはこの後、中近東に行くつもりでいた。実際、中近東というのは歴史が古いだけあって遺跡や古い街並みの宝庫のようなところだ。それだけに楽しみにしていた地域でもあった。でも、アジア的な雰囲気に正直、飽きている自分がいる。はっきり言ってしまえば、もう遺跡だとか絶景だとかはどうでもよくなりつつあった。
そして、ここイスタンブールでヨーロッパ的なものに触れた今、ヨーロッパへの憧れの気持ちで一杯になっていた。期限は特に設けられていない旅なのだから冬は暖かいエジプトで過ごして、春先にヨーロッパへ向かう、それが合理的な考えだ。でも、冬のヨーロッパ、それも悪くない。冬だから、冬だけにしか見られないものだってあるはずだ。
出発の前日、旅先で知り合った人と久々に連絡が取れて、イスタンの街で酒を飲むことにした。酒が弱い自分にしては結構な量を飲んだ。酒が弱い代わりに二日酔いはめったにしない。しかし、翌日、無理やり起きると、ひどい二日酔いで歩いているだけで吐きそうになる。これがネパールやインドだったら、「今日は無理、明日でいいや」となったかもしれない。でも、無理してでも今日行きたかった。オトガルと呼ばれるバスターミナルへと向かうトラムの中で本当に吐きそうになりつつ、ソフィア行きのバスに乗り、いよいよ本格的ヨーロッパ国家へと向かう。

トルコ その4 カッパドキア

2006年11月10日 | Around the world 2005-2007
 
 カッパドキアをハイキング中に。
 今回は奇岩の風景が有名なカッパドキア地方で撮った写真です。


 
 高台から見た奇岩群。後方に見えるのは滞在していたギョレメ村。
 この地方にはキノコ型の岩石が点在していて、かつてこの岩はくり抜かれて住居として使われていた。
 ホテルやゲストハウスも洞窟型のものが多い。


 
 散歩中に。


 
 ハイキングコースをぶらぶらしながら。
 オフシーズンでぜんぜん人の気配がしない。
 自分の足音だけを聞いて歩く複雑に侵食した台地に囲まれた谷間の道は独特の世界。
 ちなみにここは深く先のことを考えずに谷間へと滑り落ちていくと激しい迷子感が味わえます。


 
 夕日に照らされた、たぶん…ローズバレー。


     
 高台の土産物屋の前で。
 兄さんが頭に載せている…は民芸品で大量においてある。
 けど、これが民芸品というのは一体…、謎です。


 
 ギョレメ村から歩いて1~2?時間のところにあるウチヒサールで。


                 
                 カッパドキアの子供たち。


 
 散歩中に。


 
 カッパドキアに限らずトルコには猫さんたちがたくさんいる。
 カッパの猫は、かわいがられているのか人懐こいのが多い。
 呼ぶと近寄ってきたり、撫でていると肩に載ってきたり猫好きにはたまらんです。


 
 夕暮れのカッパドキア。


 
 ハイキングコースのサンセットポイントから見た夕日。
 ギョレメには5泊して、この旅の中でもかなり楽しみにしていたトルコ最大の都市、イスタンブールへと向かうことにした。

トルコ その3 トラブゾン

2006年11月03日 | Around the world 2005-2007
 
 高台から見たトラブゾン。トラブゾンは坂道の多い典型的な港町の地形。
 起伏に富んだ自分にとっては散歩が楽しい好みの地形。


         
 左:市場の中で。
 右:路上で弦楽器を引く大道芸人の男。


 
 海岸に座りながら。


 
 市場の中で、買い物中のトルコ人親子。


 
 夕暮れの繁華街路地裏で。


 
 学校の前で。


 
 トラブゾンの住宅街で。石畳が敷かれた通りには古い家もまだ多く残っている。


                
                トラブゾンの少女。いわゆる西洋人的な顔つきの人が増えてきた。

トルコ その2 ドウバヤズット

2006年11月01日 | Around the world 2005-2007
 
 ドウバヤズットの帰り道。今回はドウバヤズットで撮った写真です。


 
 子供たちはこーんな風に大歓迎?してくれます。この後、子供たちが集まることおそそ30~40人。
 収拾がつかなくなったので逃げるように立ち去るとみんなで追いかけてくる。
 それでも逃げると一部のクソガキたちは石を投げてきた…。
 悪いことしてないです、自分…、近所の大人も叱っていたし…。それでも投げてくるトルコ人の子供って。


 
 カメラを持って子供たちの前に現れると大混乱が。


 
 ドウバヤズットの男たちと。
 トルコ人は大人になっても写真大好き。先に進めないほど撮って撮っての連呼が。


 
 姉弟で下校途中に。


 
 街中のチャイハネで。おっさんたちが日がな一日ここで過ごしていたりする。


                
                チャイハネの前で。


 
 小学校の前で。二部制なのか一日中にぎやかな学校周辺。
 こんな子供を毎日、相手している先生はすごい。


 
 トルコの男の子。無邪気で、いやあ無邪気すぎて困る…。
 このうち2組におちょくられる。そういう対象になりやすいんでしょうか、俺は。


 
 トルコの女の子。
 地理的にも絶妙な混血具合なんだろうか、恐ろしくかわいい子が多いです。