旅しながらやってます。

写真を撮ったり、山に登ったり、生活したり、旅しながらやってます。

ポルトガル その1 タヴィラ

2007年02月27日 | Around the world 2005-2007
 
 タヴィラの広場。


 
 白壁がとても印象的なタヴィラの街。 石畳もとてもきれいな街並みは時間もゆっくり流れている。
 まだ2月下旬だというのすっきりした青空と気持ちいい暑さで、
 久々に思わず何日も滞在したくなるような小さな町。
 ポルトガル南部の小さな町はバックパッカーには宿事情があまりよろしくないようですが、
 運がよければプライベートルーム(民泊)できます。
 バスターミナル周辺をうろうろしていると客引きのおばちゃんに捕まるはず。


     
 タヴィラの石畳とその街並み。


 
 ここは漁業の町。
 川沿い通りにはシーフードレストランが並ぶ。
 でも、西欧に比べれば物価の安いポルトガルでもやっぱ高い…。
 幸いここには大型スーパーがあるので自分で魚も買ってきて自炊。
 オレンジとか果物、野菜類も安くて旨い。ポルトガルはよいところです。


 
 漁業の町であると同時に製塩も産業みたい。町外れに塩田があり、塩の山が所々に見える。


 
 原っぱで昼寝中に。


 
 散歩中に見つけた猫とねずみ。
 最初、猫は木の下に隠れているねずみを捕らえようとしていたので、
 おぉ、これはエグいもんが見られるとしばらく見ていたのですが、
 ねずみが捕まると車の下でこんな微笑ましい光景が。
 ほのぼのしたタヴィラを象徴しているような出来事。


 
 タヴィラ駅前で。
 どこからか帰ってきた男とそれを迎える女のオブジェ。
 さあ、いこう、ユーラシアの果てへ。

スペイン その2 カーニバル in コルドバ

2007年02月24日 | Around the world 2005-2007

 
 コルドバ旧市街。


コルドバに来たのは特別な理由があったわけではない。ただ、一気にポルトガルまで行くのは疲れるからどこかひとつ中継地を作ろうと思ってここに来たに過ぎなかった。
ここコルドバはかつてイベリア半島がイスラム教徒の勢力下にあった時代に栄えた町であり、イスラム建築が有名であるらしかった。その他にも昔のユダヤ人地区があったりと、自分はコルドバのことをろくに知らず来たけれど、実はここはスペインの一大観光地のようだ。勝手な想像では地味なヨーロッパの片田舎を想像していたのだけど。
イスラム建築をチラッと眺めて、ユダヤ人地区を散歩する、いわゆる新市街、生活者にとっては中心と思われる一画を歩き回るがなぜかどこも店が閉まっていて閑散としている。有名な観光地のようだけど、主な街並みのほうは中途半端な地方都市で正直、面白みに欠ける。


 
 コルドバの街中で。


 
 コルドバの落書き。


全く俄然、暇で暇で仕方がなかった。だからといって部屋に戻るのもなにかしゃくなので、どこかカフェで暇をつぶそうと店探しをしていると、人が集まり、中継車つきでカメラが回っている。何かイベントがあるようだ。まあいいや、どうせろくでもないことやるんだろ、とりあえずカフェでお茶だ。そう思ってその雑踏を掻き分けて進んでいくと、通り沿いには人がずらっと並んでいる。どうもまたもやカーニバルがあるっぽい。だからどこも店が閉まっているのか?でもなぁ…、あんまり人ごみはうっとうしいし…。
しかし、事態は急変した。いやらしいコスプレをした若い姉ちゃんたちが歩いているのだ。これは只事ではない。急遽、予定を変更して、よく見えそうな場所を探しているとカーニバルに参加する一団がそこを通り過ぎ始めた。
今回は偶然、遭遇したコルドバのカーニバルで撮った写真です。


       
 いやらしい姉ちゃんたちといやらしい兄ちゃんたち。
 みんなコスプレしてカーニバルモードへ。


 
 ドラムとトランペットの一団に引き連れられてカーニバルスタート。


 
 一番目立っていたサンバチーム。多分、本当にブラジルから来ているみたい。


 
 んん、悩ましい…。


 
 それぞれ独自の音を鳴らして通り過ぎていく。
 色々とテーマがあるようでドンキホーテなんかも登場。


 
 先回りして、再びサンバチーム。


 
 何なんだろう、リズム感というか音に対するセンスというか、根本的に違うものを持っている人たちです。
 この人たちの腰をフリフリしながら踊る様を見ているとこっちも踊りたくなってくるもんなぁ。


 
 なんかどっかで見たキャラクターも。
 ベネチアのカーニバルと比べるとバラエティに富んでいて、
 見ているほうとしてこっちのほうが楽しめた。
 全部で2時間弱ぐらいの列が続く。


 
 最終的にはみんな入り乱れて踊り始めてよくわからん。


 
 イスラム建築が有名な土地だけにイスラムチックなチームも。


 
 レストランの従業員チーム?
 他のヨーロピアンに比べれば陽気だろうけど、
 やっぱスペイン人も現代都会人、基本的には他人に干渉をするようなことはない。
 とはいえこの日ばかりはラテンの血が騒ぐのか、みんな何かと絡んでくる。
 あたりに東洋人が見当たらない中、謎の日本人がカメラを持っているのでなおさらか。ああ楽しかった。

ということでカーニバル翌日に移動する気も無く、コルドバに2泊。スペイン、アンダルシア地方一の都会、セビーリャを一気に通り過ぎて、いよいよポルトガルに入国していく。

スペイン その1 バルセロナ

2007年02月22日 | Around the world 2005-2007

 
 バルセロナが生んだ建築家、ガウディが設計したグエル公園で。


 
 公園内にあるタイル画の数々。
 ガウディ建築というと、こういう豊かな色彩ですが、ガウディ自身は色彩感覚に乏しかったとかで、
 助手の手によるところが大きいらしい。
 色の気ないのが関係あるのかないのか、生涯童貞だったとも…。


 
 公園内。


 
 グエル公園に遠足できていた子供たち。


            
            スペインはラテン民族国家。
            ヨーロッパの他の国と比べると陽気な人たちが多いです。
            とはいってもアジアみたいに誰もが相手をしてくれるわけじゃないけど。


 
 ガウディのライフワーク、サクラダファミリアで。


 
 サクラダファミリアの彫刻。


     
 内部で。


 
 ぜんぜん教会っぽくないグロテスクな装飾。


            
            教会を支える柱。柱一本にもこだわりが。
            さっぱり意味はわからなかったが、
            柱についての解説が図つきであったので、
            力学的にも理に適っているみたい。


 
 ジーザス。
 門に刻まれた文字。いたるところに装飾が施されていて空白というものがない。


 
 クレーンが立ち、いまだ未完成のサクラダファミリア。
 完成予想図からすると考えると全体の2、3割しかできていない?
 建設費用は寄付金によらなければならないらしいので建設は遅々として進んでないみたい。
 しかし、何でも完成のめどはたったとか。2080?年ごろ完成。たぶん生きていない…。


 
 市場で。
 食材も一杯あって、値段もそこそこ安いので、自炊すれば、金銭的にも長く滞在できる町。
 しかし、再び移動し始める止まらなくなる病が…、
 全くといっていいほど、落ち着かなくなってしまった…。
 バルセロナにもかかわらず1泊で移動。次はコルドバです。

イタリア その5 ベネチア

2007年02月18日 | Around the world 2005-2007

 
 仮装行列の人々。
 素人さんとは思えないほど念入りな衣装を着ている。
 本当にかつてのベネチア貴族の末裔が参加している?


 
 本気組?の人たちは別に誰も見ていなくても何かになりきっている。


 



 
 カメラ、カメラ、カメラ…。いたる所で即興の撮影会が。
 仮装している人たちはポーズを取ってくれます。
 目線をくれとお願いするとわざわざカメラを見て何回もポーズ変えてくれる人も。


 
 運河を行くゴンドラと呼ばれる小舟。ゴンドラは黒一色に統一されている。
 その昔、様々な装飾が施されて豪華なものだったらしいが、やがて過剰な装飾競争が起き、
 贅沢を敵とするベネチア共和国政府の方針により黒にされたとか。


 
 大運河沿いで。


 
 住宅街のベネチア。


 
 夜の街。
 車が走っていないので夜の街は本当に静かで、今まで感じたことの無い独特の雰囲気。
 何でもベネチアは強盗、スリ等の犯罪が無い?らしい。
 ということでその話を信じて、三脚を担いで能天気に夜の徘徊中に。


 

イタリア その4 フィレンツェ

2007年02月15日 | Around the world 2005-2007

 
 ミケランジェロの丘からフィレンツェ市内。


 
 中心部にある露店市で。
 ちなみにイタリアからの日本への最大輸出品はなんとバックだそうです。
 ブランド品、恐るべし。


 
 教会前。


 
 ベッキオ橋の上で。
 この橋は、誰だったか忘れましたが(やっぱメディチ家?)、
 雨の日に教会まで濡れないで行くために建物付きの橋を建てさせたという…な逸話が。


            
            軽食屋前で。


 
 フィレンツェの路地。


            
            自転車の路上駐車が多いフィレンツェ。
            別にどこまでも平地が続く地形というわけではないけど、
            フィレンツェでは自転車に乗っている人が多い。


 
 夜のフィレンツェ。


 
 ショーウィンドウ前。

イタリア その3 バチカン市国

2007年02月14日 | Around the world 2005-2007

 
 サンピエトロ大聖堂。


 
 サンピエトロ広場で。
 前法王が亡くなった時はこの広場に全世界のカトリック教徒が集まり、
 各国政府が慰問に訪れるほど世界に影響を持つバチカン。
 ゴルゴ13じゃないけど、依然としてしてバチカン外交は国際政治を動かしているのでしょうか。
 死ぬ前に一度見たいもの、政治に口を出す坊主たちの破滅、
 といったのはマキャヴェリ。(だったよね確か)
 いずれにしてもカトリック内のことならともかく、一神教の宗教が政治に、
 それも他の神を信仰している人や国に対して口を出してもねぇ…。
 いつの時代も政治に宗教が絡んできてろくなことは起きていない。


 
 この日は(2007年2月14日)は特別な日だったのか、ミサが行われていた。
 ツアーで来ているのか、スカーフで色分けされたおのぼりさんらしき団体信者で
 バチカンは溢れかえっていた。
 美術館にも入ろうかと思っていたが、その気を失くしてしまう…。
 中央演壇で枢機卿?が説法をしている。


 
 バチカンは一応、独立国家。
 なので、ここから手紙を出すと消印は「バチカン市国」で出すことができる。
 写真右、オレンジと青のストライプの制服を着た衛兵。
 スイスからの傭兵だが、独自の軍隊も持っている。


 
 主は地上に天国を作ってはならないとおっしゃったのでは…。
 これでもかこれでもかというほどに壮麗、華美、天国のようなサンピエトロ大聖堂の内部の装飾。
 ドイツやハンガリー、チェコで見た簡素だけど剛健なプロテスタント、東方正教系の教会と比べると
 まるで別の宗教施設のよう。
 これを建立するために悪名高き免罪符を売りまくって、
 それをひとつのきっかけとなって宗教改革(=プロテスタントの誕生)につながりましたとさ。
 カトリックとプロテスタントの違いは教会だけじゃなくて、料理などでも感じる。
 食事を楽しむものとして芸術的な料理のカトリックの国々(イタリア、フランスなど)と
 必要以上に贅沢をせず、栄養さえ取れれば料理は十分というプロテスタント国々(ドイツなど)。
 同じヨーロッパ内の宗教でも大分違うものがあります。


            
            聖堂内のスピーカーは「BOSE」が使われているが、
            それには取り付けられている柱と同じ大理石柄にペイントされている。
            細部にいたるまで凄まじいまでのこだわりが。


 
 自然光がきれいに射し込む聖堂内。


            
            ミケランジェロのピエタ。
            沢木耕太郎も絶賛、
            深夜特急マニアの自分はバチカンでこれが一番見たかった。
            服の流れも顔の表情も体の線も
            これが彫刻とは思えないほど精密で繊細なつくり。
            マリア様の表情は実際に生きている人間がそこにいるようで、
            服は本当の布みたいに微妙な流れで形作られています。
            天才ミケランジェロ25歳の時の作品。


 
 バチカン、サンピエトロ広場で。
 写真ではよくわかりませんが、この警官の横にあるカートは、
 なんとあの超高級スーパースポーツカーを作る「ランボルギーニ」製なのです。
 サスなどをじろじろ見ていると小さな子供が近づいてきて一言。
 「おまわりさん、これいくら?」警官苦笑「これは私のじゃないからわからない」
 ランボルギーニ社がバチカン市国に無償で提供しているのかな。

イタリア その2 ローマ

2007年02月13日 | Around the world 2005-2007

 
 街角で。


               
               真実の口の前でおなじみのポーズ。
               まさかこんなべたなことをやる奴がそんなにいるのかと思っていたら、
               なんと長蛇の列ができていた…。
               自分が捻くれているだけなのか…。
               学生の休みシーズンだからか、
               行列の大半は日本人だったりして、ちょっと異様な光景…。


 
 ローマの路地。


 
 スペイン広場で。


               
               同じくスペイン広場で。


 
 ローマ市内いたるところにある彫刻。
 かっちょいいものから、ちょっとコミカルなものも。
 ただ全裸にマントをつけるのは絶対におかしい。


 
 夜の街。


     
 トレビの泉とスペイン広場で。
 勝手にご登場願っていますが、ここらは日本のギャルズがうじゃうじゃしている。
 昼間の観光地はツアーの日本人だらけである。しかし、夜の街もいいのに急に日本人だけはいなくなる。
 この円安のご時勢でも学生がヨーロッパに来て、
 ブランドのロゴが入った袋をぶら下げている日本は本当に豊かだなー。
 ツアーで来るのも、学生が来て、買い物するのも、もちろん個人の自由なんですが、
 ただ、ツアコンの人、スペイン広場で「ジェラート屋はここですよ~!!」って絶叫するのはやめようよ…。

イタリア その1 午睡の時 -ローマ、フィレンツェ、ベネチア-

2007年02月12日 | Around the world 2005-2007
 


バスがターミナルに到着したとき、ローマの空は曇りだった。そこから地下鉄に乗って、ローマの中央駅、テルミニ駅から地上に出たときにはもう雨が降り出していた。
南仏の気候そのまま、さらに南に下るのだから、もっと暖かくなるだろうと思っていたのに雨のローマは暗くて寒い冬のヨーロッパを思い出させるような天気だった。せっかくのイタリアなのに、ローマなのに…。
イタリア、イタリアと呟いてみる、それだけでわくわくしてくる国。ブランド物にも特別な興味はないし、古代ローマ帝国の歴史に関する本は何冊か読んだことがあるので、関心はあるけど、強烈に惹きつけられるほどではない。イタリアといえば料理が有名だけど、自分は食通などではなく、3食腹いっぱい喰えればいいと思っている人間だ。それでもイタリアは何か自分にとって特別な国だ。ただし、フェラーリに関しては見るだけでため息が出てくるけど…。


 
 コロッセオ前の通りから。


 
 白バイとパトカー。イタ車好きの自分はフィアットのただのコンパクトですらかっこいいと思ったり。
 バイクはBMW(ドイツ製)だが、イタリアンカラーなのでよしとする。


到着した日はそんな天気だったが、翌日からローマの街には夏を思わせるような青空が広がった。その陽気に誘われつつ、いつものように気ままに散歩をしては、気に入った場所に陣取って街の風景を眺めた。
太陽に雲がかかると少し肌寒かったが、雲が晴れると強い日差しが降り注ぐ。その太陽がたまらなく気持ちよくて、座っているといつの間にかうとうとと眠りに落ちてしまう。ある時はスペイン広場で、サンピエトロ広場で、そして名もわからないような教会の前や広場でことあるごとに昼寝をした。
南欧のラテン国家、イタリア、スペイン、ポルトガルなどではシエスタと呼ばれる長い昼休憩が取られる。暑い昼を避け、その分、夜遅くまで活動するための習慣だ。大都市部や観光地ではシエスタを取る店も少なくなっているらしいが、それでも個人商店や教会などはその時間帯は開いてないこともある。旅行者にとっては不便な習慣だけど、だったらそれに習ってこちらも昼寝をしてしまえばいい。
もちろんそういう訳ではなく、単に眠いから寝ていたに過ぎないのだけれども、ローマは、イタリアは外で昼寝するにはなぜだか適した土地だった。


 
 スペイン広場。寝るときは荷物をしっかり抱えて寝ましょう。


            
            バチカンに近い広場で。


そんな風に眠ってばかりいたけど、決してローマが退屈だったからではない。
ローマの街は本当に素晴らしかった。
大体の目的地を決めて、通りを歩いていく。でも、わざと迷うように途中から路地へと入っていった。路地は複雑に、そして一見、無秩序に曲がりくねっている。
ヨーロッパの一般的な建築を見て、これはゴシック様式、これはルネッサンス様式、アールヌーボー様式といわれても区別もつかないし、もう特別な関心も感動も覚えないけど、そんな建物に囲まれた石畳の道を穏やかな気候の中で歩くのは本当に気持ちが良かった。
さらにそんな路地を歩いていくと突然、目の前に広場が広がる。広場の広さは大小様々だが、そこには噴水やローマ帝国時代の遺跡があったりして、大低の場合、オープンカフェが並んでいた。
カフェだけでなくて、腰をかける場所もたくさんあって、みな思い思い方法でくつろいでいる。自分も少し歩いては広場の一角に腰をかけ、フィルタータバコより圧倒的に安い巻きタバコを自分で巻いて、一服しつつ、広場の風景を眺める。ローマは特別な観光地に出向かなくても、そんな至福の時を与えてくれる。


 


 
 遺跡の前やちょっとした路地、いたるところにあるローマのカフェ。


ローマの街は素晴らしい、でもいよいよ本格的に前々から聞いていた西欧の物価の壁が悩まされた。今までも節約できるところはしてきた。でもヨーロッパ圏に入ってからも自炊をしたり、安い食堂を見つけたりして、いつでもそれなりに食べることはできた。
けど、私の泊まったイタリアのホステルには自炊施設がなかった。さらに外食はとても高かった。ここでは一食まともに食べようと思ったら、10ユーロはかかる。今のレートで1600円。
今までも節約できるところはしてきたけど、そこまで極端にけちけちすることは無かった。欲しいものや食べたいものがあったらそれなりの金は払ってきたつもりだ。でも、これはとてもじゃないが払える金額じゃなかった。西欧で計算しないで過ごしていたら、特別なことをしなくてもあっという間に一日で40~50ユーロは使ってしまう。
金が無くなったら帰ればいい、そう思って始めた旅だったけれど、実際には金が無くなることを極端に恐れている自分がいる。自分で言うのも変だけど節約強迫症だった。
1日25ユーロと決めて過ごそうとするが、宿代で最低でも15ユーロ程度、高いときは20ユーロ、残りの金で遺跡や美術館に入ろうものなら、もうまともに食事もできなくなってしまう。こうなるともう、食事はファーストフードかスーパーに行くしかない。
まずはマクドナルド、セットで6~7ユーロする。はっきりいってマックにそんな金は払えない、却下。
トルコはもちろんドイツでよく食べた値段の割にはボリュームがあるケバブ屋を探す。ドイツやその影響が強い地域ではトルコ人移民が多い関係で当たり前のようにケバブ屋があったのが、ローマでは見つけることができなかった。
街角によくあるサンドイッチ屋やピザ屋。量り売りをしてくれるので、少量でも食べられるのだが、100グラムで2ユーロとかする。100グラムなんて手のひらにちょこんと乗ってしまうぐらいの大きさだから実際には結構高い。平凡な店のピザでも思わずほころんでしまうぐらいうまかったが、逆にそれが災いして、100、200グラム食べると逆に空腹がまして、その後、よだれが止まらなくなった。
そう、最大の不幸はイタリアでは大抵の食べ物がうまいということだった。街を歩くとそこら中にうまそうなものが並んでいる。ピザ、サンドイッチ、オープンカフェで出ているパスタなどのイタリア料理、そしてジェラート屋。
結局、パスタを食べたのは一回だけだったが、一番安いただのポモドーロだったにもかかわらず、今までの人生で食べたパスタの中で一番うまいものだった。素材などの詳しいことはわからないが、とにかくゆで方が絶妙だ。これぞアルデンテという歯ごたえを残したパスタは食べ終わった後もしばらくよだれが出っ放しだった…。


 
 昼と夜のローマで。


最終的に基本的な食事の友はスーパーだった。スーパーでバゲットと生ハム、チーズを買う。ただのスーパーの食材だけど、目の前で薄く切られる量り売りの生ハムは、今まで食べたことのある生ハムは生ハムじゃないと思わせるほどうまかった。単独で食べ始めると止まらなくなってしまう。
それらを適当な場所まで持っていき、自分で挟んで食べる。ローマ最終日の夜はこのメニューをバチカン市国、サンピエトロ広場で食べた。夜のバチカンは昼の観光地的な俗物の顔から打って変わって、ひっそりとゆっくりとした空気の流れるカトリックの総本山としての顔がくっきりと見える。
こんなシュチュエーションで食べるディナーはとても豪華じゃないか、実際この3点セットのサンドイッチはめちゃくちゃうまいんだ。といっても、やっぱり負け惜しみ…、ピザが、パスタが喰いたいなぁ。。。


 
 テレベ川からのバチカン。


 
 フィレンツェに向かう途中で。


ナポリなどの南イタリアやアドリア海沿岸地域など行きたいところは無数にあったが、ローマを後にし、フィレンツェへ向かうことにした。
イタリアでの国内移動は列車を使った。ドイツを発つ際に買ったユーロラインズパスは基本的には国家間移動にしか使えないので国内での移動は別途、料金を払うことになる。大抵はバスのほうが安いことが多いけれど、イタリアの場合は列車のほうがアクセスもいいし、料金も食事やクオリティの割には高い宿代に比べれば安く感じる。特急ではなく普通列車に乗れば東欧の料金に毛が生えた程度で済む。
フィレンツェもローマに負けず劣らずいい街だ。「街全体が美術館」と形容されるだけあって、教会の装飾や貴族のかつての屋敷だけじゃなく、街並みも丘から見下ろす景色もなんか全てが絵になる。それは自分のイタリア贔屓の思い込みから来るものかもしれない。けど、何よりローマに引き続き、半袖姿でも歩けそうな天気が嬉しい。


 
 昼寝ポイント、ミケランジェロの丘で。


 
 フィレンツェのランドマーク的存在、…って名前忘れちゃった。。。
 ともかくフィレンツェの大貴族メディチ家が巨額を投じて作らせた教会です。
 大理石の外壁には細かい彫刻施されていて、
 一目でとんでもない費用がかかっていることがわかりまする。
 ここのドゥオーモ(教会の塔)は辻仁成と江國かおりの共作、「冷静と情熱の間」の舞台で、
 この小説は映画化もされている。
 ということでドゥオーモの上に上がるための入り口は…、
 そうです、日本人だらけなのです。あえなく撤収、少し上りたかったけど。


 
 正面から。


     
 左:こんな彫刻が全面に施されている。
 右:内部で。


ただ、少し散歩がしづらかった。フィレンツェはローマと違って路地にも車の交通量が多かった。車などない時代から出来上がった街だから路地の道に歩行者専用道というものはない。あっても申し訳程度に細いものがあるだけだった。車が頻繁に走る道だから細い車道をむやみに歩くわけにも行かず、一人歩くのがやっとの幅の歩道を歩くことになる。だから前を歩いている人を追い越したいと思うと後ろを確認してからでないと危なくて車道に出られない。気ままな散歩をするには少しストレスを感じてしまう。


 
 フィレンツェのあれこれ。



フィレンツェの次はベネチア(ベニス)に向かった。
水上都市ベネチアは訪ねたかった場所のひとつだ。世界遺産の本やグーグルアースなどで見るとよくわかるが、ベネチアは本当に海の上にぽっかりと浮いている都市だ。初めて上空からのその姿を写真で見た時、自分は思わず声を上げてしまった。海の上に浮いた不思議な形の都市には昔から現在に至るまで実際に人が住み、そこに無数の運河が走り、迷宮のような路地がある。想像するだけでも楽しくなってくる。
さらにこの街を作り上げたベネチア人はかつて、たった人口20万人の独立国家であり、地中海世界の貿易を支配していた大国でもあった。こんなに小さい国土と人口で当時、強大な軍事力でイスラム世界はもちろんヨーロッパ世界をもその勢力下に置きつつあったオスマントルコ帝国と地中海の制海権をめぐって真っ向から対決をしていた。貿易を通じて発達した情報通信網を利用して、世界初の新聞を発行したり、銀行システム作り上げたりし、当時の最先端を国でもある。
今は国ではなくなったが、それを受け継いでいるベネチアの街はきっとすごい所に違いない。
そんな色々な幻想を抱いてやってきたベネチアだったが、その気持ちは既に列車の中で打ち砕かれていた。というのも時期が悪すぎた。いや逆に良過ぎた。この時期(2月中旬~下旬)のベネチアでは仮装行列のカーニバルが開かれていて、それを目当てに夥しい量の観光客がここを訪れる。まぁ、実際問題、自分もその中の一人なんだが…。列車の中もラッシュ時のような混雑、さらに一歩駅を出るとそれ以上に人がいて呆然としてしまった。
ベネチアの内部には車は入りこめないが、その代わりに道をいう道に人が溢れかえっていた。いたるところ人の渋滞で全く前に進めない。全く自分勝手だけど、重いバックパックを背負った状態でこんな群衆の中を牛のようなペースで歩いていると一気に不愉快になっていく。
さらに事前に他の旅行者から聞いていた話と違って、宿はフル、もしくはかなり値上げされていて、ただでさえ迷宮のようなベネチアの街を四苦八苦しながら宿探しをする羽目になった。まぁ、予約をしなかった自分が悪い…。


 
 仮面をつけた人が街中にいる。
 仮面をつければ誰でも参加できるお祭り。
 しかし、言ってしまえばそれだけのことで…。カーニバルっぽくは無いです。


 
 サンマルコ広場から見るサンマルコ大聖堂。


 
 大運河沿いの道。なんだこの人の量は…。本当に前に進みません、死にそう。。。


滞在期間中、サンマルコ広場、リカルト橋など有名スポット周辺は常に大勢の人で賑わっていた。それを避けるために好んで、中心部から離れた場所を歩いた。
街の隅々まで張り巡らされた運河網、それに沿って形作られるおそらくベネチア共和国時代から変わらないであろう街並み。ある方向に行こうと思っても運河に阻まれて、大きく迂回しなければならないことが多いから、気が付けば激しく道に迷う迷宮都市は、奥に行けば行くほど、人影もまばらになって、間違いなく自分好みの街なのに最後まで本質的にこの街に魅せられてしまうことはなかった。
楽しみにしていたベネチアの運河と迷宮の街並み、どうしてこんなに何も感じないのだろう。


 
 仮装行列以外にもミュージシャンや大道芸人が広場でパフォーマンスをしている。


 
 迷宮都市ベネチア。運河だらけで思うようには歩けない。それがまた面白い。
 ガイドブックの地図は細かすぎる路地とその位置関係を把握できていないため、
 肝心なところで役に立たなかった。
 まぁ、この町はスラムや治安の悪い地区はないのでどんどん迷いましょう。
 運河は道だけでなく、家屋にも面していて、玄関をでて、そのままボートに乗り込むなんてことある様子。


 
 夕暮れのベネチア。


カーニバル最終日、道に迷っていると期せずしてサンマルコ広場に出ていた。中央にはステージが設けられ、そこでは仮装をした人々の表彰のようなものが行われていた。別段、興味は無かった。けれど、写真を撮っておこうかなと思い、近くの街灯によじ登ってカメラを構える。でも、次の瞬間、違うと思う。違う、自分はこういうものが見たくて旅に出たわけじゃない。祭りや遺跡や絶景を義務的に、受身に見るために旅に出たんじゃない。
ここにいる理由は本質的には何ひとつもなかった。ただイベントごとだから?有名だから?人が集まっているから?珍しいから?違う、自分は、俺は、自分が本当に震えるものが見たかったんだ。だから自分の内面を、心を。ベネチアは素晴らしいところだ。でも、今の自分を震わせてくれるものはここには無い。

翌日の朝、ベネチアからは一気にフランスを通り越してスペインのバルセロナまで向かうことにした。途中にあるモナコは行ってみたい所ひとつだったけれど、今の自分には必要はない。今はもうこのユーラシア陸路横断の旅を終わらせる時がきたのだと思う。
ローマでもフィレンツェでも、思い返せばそれ以前からしばらく自分は常にうたた寝をしているような時を過ごしていた。観光地にいって一通りそれらを眺め、景色でも眺めながらのんびりと過ごす。路地裏を当ても無くふらふらと歩き回る。確かにそれもよかった。でも、ここでそういう時は終わらせよう。
午睡の時は、終わった。
バルセロナに着けばもうユーラシアの果てはそう遠くはない。

地中海と太陽と ‐マルセイユ‐

2007年02月11日 | Around the world 2005-2007
 
 ヨットハーバーの見える丘の上で。


ドイツで一ヶ月ほど過ごした後、ケルンから南仏マルセイユへと向かうことにした。本当はローマに行きたかったが、直近の便は満席だった。西欧の大きな移動はユーロラインズというバス会社が出しているパスを利用しようと決めていた。大きな都市間の移動しかできず、それも週2、3便しか走っていなかったり制限の多いパスだったが、まともに移動していたら、金がいくらあっても足らない。次のローマ行きにはまだ日もあったため、その後にローマへと行きやすく、ユーロラインズパスの利用も可能な夜行のマルセイユ行きに乗ることにした。

マルセイユでの宿は駅前に何軒か集まっている安宿にした。ここはアジアか、と思わせるほどの古く薄汚れた建物だった。ゆがんだドア、きしむ廊下、湿ってよどんだ便所の臭いのする空気がやけに懐かしく思う。しかし、料金はヨーロッパだった。共同者シャワーもなしで15ユーロ。周辺の宿を何軒か聞いて回ったがどこも似たようなものだった。たぶんどこかにもっと快適なホステルはあるのだろうが、もともと一泊の予定でいたし、フランス語しか話さないが気のいいおっさんを気に入り、ここに泊まることにした。共同シャワーすらないというのに一番安いといわれた部屋にすら洗面台とそしてビデなるものが付いていた。この部屋にあるということはすべての部屋に付いているのだろう。自分には使い方がよくわからないけど、こんなものをつけるぐらいなら共同シャワーのひとつでも作ればいいのに。


 
 マルセイユ駅前の大通り。


     
 マルセイユの街角で。


その日のマルセイユはまさに快晴で雲ひとつない晴れ渡った空が広がっていた。昨日の夜行ではあまり眠ることもできず、疲れてはいたが、バックパックを広げることもなく早速外にでることにした、マルセイユが面している地中海を見るために。港町マルセイユはやはり坂道が多い。そして、想像していたものよりもぜんぜん猥雑でごみごみした感じの街を海に向かって歩いていく。フランスでオープンカフェなんて完全におしゃれなイメージだが駅前から伸びる通りにあったオープンカフェは昼間から酒を飲む男たちの社交場と化していた。なんだか薄汚く、ちょっと不穏な感じがする街だ。マルセイユといえば有名な観光地のはずなのにそんな装いを感じさせない街並みは自分の好みにぴったりとしていてなんだかわくわくしてくる。それに晴れた空の下での散歩は無条件で心地がよかった。


     
 マルセイユに路地裏で。


 
 路地裏の商店街。
 いつものようにカメラをぶら下げて歩いていると露店のおっさんに「あぶねぇから早くしまいな」と注意されたりする。
 ピザ屋の前で話しかけられた少年に「ナカタ!!」と言われ、
 サッカーの真似事をしていたら、ズボンの後ろポケットに手を回されたり、
 周りの人に注目の的にされたり、確かにあまり安全な雰囲気とはいえない。


 
 ハーバー沿いに出ていた漁師による即売露店で。


海の方向がよくわからず散歩を楽しみながらしばらくうろうろしていると無数のヨットが停泊しているヨットハーバーにでた。思わず日に当たりたくなるような陽気にも誘われて、ヨットとそこを往来する人たちをベンチに座りながらしばらく眺めていた。思い返せば寒いと思うことなく、景色を見ながら、こんな風にひとつの場所にたたずむことができるなんていつ以来のことだろう。たったそれだけのことで自然と気持ちは和んで、この街が好きになっていく。
その後、ゆっくりと地中海の様子を眺めながら海岸沿いを歩いていった。こんな大都市に面しているのに海は澄んだ色をしていた。強い太陽に照らされて、海面はきらきらと輝いていて、今は間違いなく2月で冬だというのに思わず海に飛び込んでみたくなるような、そんな海だった。深く考えずに住宅街の路地に迷い込んだりしながら歩き続けていると、視界全体に海が広がるちょっとした公園のようなところにでた。地元のフランス人だろうか、ここで寝そべったり、犬を引き連れて、ベンチで談笑をしたりしている人たちがいる。中には水着姿で読書をする気の早すぎる人もいて、太陽が出ているとひたすら焼きたがる白人の性癖?に思わず苦笑してしまう。私もその中に加わって、地中海とまもなく沈もうとしている太陽とを眺めた。海から吹いてくる風はさすがに寒かったが、それでもフードをかぶって飽きもせずに地中海に向かって座り続けた。視界の先には小島が点在しているが、その先には水平線が広がっている。この海の南の先にはきっとアフリカがある。


 
 地中海の前で。


 
 マルセイユの子供たち。かつてフランスがアフリカ諸国を支配した時の影響かアラブ系、黒人が多い。


 
 夕暮れ時の海辺で。


太陽はどんどん沈んでいく、それにあわせて空も忙しくその色を刻一刻と変えていった。地中海にはゆらゆらと輝く一本の線を描かれて、その中を一艘の舟がシルエットだけを浮かび上がらせて進んでいく。まるで絵の中から飛び出してきたような光景でとても幻想的だ。久々に見た本当にきれいな海に沈んでいく夕日だったから、思わず笑っていたのかもしれない。目が合ったいかにも南フランス人的風貌のじいさんが笑いながら「お前、最高だろ、ここ」という感じで親指を立ててきた。もちろん親指を立て返した、ああ、最高だ、マルセイユ。


                
                夕日をながめて。


 
 地中海に夕日が落ちる。

ドイツ その2 ケルン・ミュンヘン

2007年02月09日 | Around the world 2005-2007
 
 
 ミュンヘンの街中で。今回はケルン・ミュンヘンで撮った写真です。


 
 ケルンの大聖堂の中で。ゴシック様式の建物の内部には驚くほど広い空間が広がっている。
 パイプオルガンの音がきれいに響き渡る。 当日は日曜日のミサが行われていた。


 
 大聖堂内部で。


 
 大聖堂の外観。大きすぎて入りきりません…。


 
 ミュンヘンに向かう途中、フランクフルトの駅前で。ヨーロッパチックな駅舎。


 
 ミュンヘンの観光名所、ホーフブロイハウスで。
 ここはかつて、立のビール醸造所で、今はビアホールとして営業をしている。ミュンヘンビールを呑みつつ。


                
            バンドのおっさん。民族衣装だろうか、みんな半ズボンをはいている。
            彼らからしたら伝統的な格好なのだろうけど、日本人の目から見たらただの変質者…。
            ほろ酔いなのか、おっさんたちのりのりで演奏しています。


 
 ミュンヘンでひときわ目を引く教会の巨大な尖塔と正面門。
 ケルンの大聖堂といいドイツは巨大な建築物が多い、気がする。建築技術の高さは民族性の表れか。


 
 ミュンヘンのドイツ博物館で。


 


 
 ミュンヘンの路上市場。晴れていてとても気持ちのいい昼下がり、
 この日が移動じゃなかったら昼からビールでも呑んでぼけっとしたくなる雰囲気。


 
 

 
 ミュンヘン市庁舎の前で。ドイツは長いこといたのになんで2話だけなんだろうね、フフッ。。。
 次は…、マルセイユです。


更新再開

2007年02月07日 | Around the world 2005-2007
更新再開させます。
今回からは現状を先行して更新を勧めていきます。まずはドイツ編から。
 ドイツ その1 ちょっとだけロマンティック街道 ‐ノイシュバンシュタイン城‐
 http://blog.goo.ne.jp/fanatical_express/e/a7fb2380a269aa5d4bb83735a6b7fba4

トルコ以降は徐々に更新させていきますので、その時ご覧ください。
ではまたよろしく。


ドイツ その1 ちょっとだけロマンティック街道 ‐ノイシュバンシュタイン城‐

2007年02月07日 | Around the world 2005-2007
南ドイツ、あの有名なロマンティック街道の終点の町フュッセン。ここにはディズニーランドのシンデレラ城のモデルといわれるノイシュバンシュタイン城という城がある。今回は世界遺産、ノイシュバンシュタイン城を訪れたときの写真です。


 
 フュッセンの町から歩いてノイシュバンシュタイン城へ向かう途中。
 ドイツ語の次は日本語で「ロマンチック街道」と表記される。
 日本人観光客がよいお客さんのようです。シーズンともなると街道の町は日本人で溢れかえるとか。
 私が行ったときは東洋人といえば韓国、中国人の方が多かったけど。
 木に隠れてしまっているが途中から城は見える。


 
 近くに建つホーエン・シュヴァーンガウ城から見るノイシュバンシュタイン城。
 城を建築させた王、ルードリッヒ2世はこの城から建築風景を眺めていたらしい。


                
                ホーエン・シュヴァーンガウ城の一部。


 
 城のふもとからは馬車で行くことも可能。ドイツの馬は恐ろしくごついです。


 
 正規ルートから外れて山道を歩いてみる。ここにきてやっと雪を見ることができた。


 
 山肌に積もる雪。でも、2月のこの地域なら山を覆いつくすほどの雪が積もっているんじゃ…。
 今年はすごい暖冬です、ちょっとがっかり。


 
 通行禁止の看板を見ないふりして城を見下ろす位置にかかるマリエン橋に行ってみる。
 写真はマリエン橋から見たノイシュバンシュタイン城。


                
                同じくマリエン橋から。


 
 望遠で両サイドを。背後には湖が広がる。


 
 マリエン橋から少し下ったところにあるビューポイントからホーエン・シュヴァーンガウ城を望む。
 背後にはアルプスの山々がそびえている。


 
 段々、城に近づいていく。木の間から城がその雄姿をあらわし始める。


 
 裏正面から見た城。


 
 アイスバーンと化した雪道を歩いて何とか城に到着。城を見あげてみる。
 垂直に切り立った城壁が印象的。


 
 入場口手前から。ノイシュバンシュタイン城の入場は順番制。写真左上の番号にしたがって入城が許される。
 料金は30分のツアーで8ユーロ。もちろん?入りません…。


 
 同じく手前から見た城の様子。


 
 壁面に施された絵。装飾は控えめで白い全体像が城をより高貴に見せる。
 華やか過ぎる装飾画やごつごつした彫刻が施された建築物よりもこちらのほうが好きかもしれない。


 
 逆行の城を見あげつつ帰路につく。
 冬ならではの雪化粧をしたノイシュバンシュタイン城が見たかったけど、まぁなかなか良いものが見られた。
 次は南ドイツ最大の都市、ミュンヘンへ。