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「ひきこもり」に何を見るか

鈴木國文、古橋忠晃、ナターシャ・ヴェルーほか編著,2014,『「ひきこもり」に何を見るか──グローバル化する世界と孤立する個人』青土社('17.8.14)

 一口に「ひきこもり」と言っても、精神疾患、発達障がいに起因するものから、虐待、いじめ等によるもの、はてさてはインターネットによる匿名的コミュニティへの逃避等々、その内実は多様である。「ひきこもり」の問題が、国際比較の俎上にのぼるとすれば、各国の基層的な家族文化(平等主義的核家族制、家父長制的直系家族といった形態的文化から、親子の自立規範のあり方まで)や、「ひきこもり」を経済的に可能にし、また促進する、親世代の余剰資産、子世代の貧困、以上のような背景要因の差異を検討する点にあるといえるが、本書は、そうした問題意識で編まれたものではない。
 そもそも、フランス社会は、北部の平等主義的核家族制から南部の家父長制的直系家族制に至るまで、多様な家族文化を内包する、ヨーロッパでも特異な国ゆえ、日仏比較するには問題がある。比較の対象として、日本と同質の家族文化をもつ国々は、ドイツに加えて、南ヨーロッパ、東アジアに集中しており、それらの国々との国際比較であれば、有意な発見があったのではないだろうか。残念ながら、日本とフランスの「ひきこもり」に共通する因子は、精神疾患、発達障がい、インターネットによる匿名的コミュニティへの逃避、以上に過ぎないように思う。本書の執筆者は、精神医学者が中心であり、以上のような社会学的・人類学的視点が欠けているのが惜しまれる。


目次
第1部 ひきこもりと今日の社会
同時代人としての「ひきこもり」
メンタルヘルス―自律条件下の社会関係と個人差
自律と自給自足―政治的・道徳的概念から個人の「社会病理」へ
フランスと日本の「ひきこもり」の心的構造
敷居の乗り越え―成年期への移行における障害と中断について
出ていくか留まるか―「ひきこもり」を理解するための四つの手がかり
第2部 日仏のひきこもり事例を踏まえて
「ひきこもり」の多様な形態とその治療
青年の「ひきこもり」―ひとつの否定的選択として
ひきこもりの精神分析―幼少期のコンテイニング不全から生じる誇大なナルシシズムと受動的攻撃性
心理的かつ社会的な脱‐連接
発達障害者と「ひきこもり」当事者コミュニティの比較―文化人類学的視点から
学校恐怖症とその変化形―学校保健の現場から

いまや世界的な話題となっている「ひきこもり」。研究の前線に立つ日本とフランスの第一人者たちが、精神医学・社会学・人類学・哲学などの多様な領域から、ラディカルな考察と豊富な事例を通じて、現象の深層に光を当てる。今日の社会の問題点のみならず、この現象のポジティヴな可能性をも探る新たな挑戦。ひきこもり現象のなかに、今を生きるための鍵を探る。

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