どんなお笑いコンビにも、カラーはあるもの。
逆に言えば、際立つカラーのないコンビ、カラーを確立できないコンビは、「売れる」ことはむずかしい。
星の数ほど存在するコンビのなかでも、とりわけとんねるずは強烈なカラーを持っています。いや、それは単にカラーという次元を超えて、ひとつの「主義(イズム)」にまで高められてきたんじゃないだろうか。
ブログタイトルに「とんねるず主義」の看板を背負っている以上、筆者自身がその「イズム」の信奉者であるはず・・・と、思いきや、ブログ名の由来はじつは単純に「MLB主義」のパクリだったりします(しかも「MLB主義」見た事ないし)。
しかし、断続的ながらもこの6年間、ほそぼそとブログを続けてきて感じるのは、やっぱりとんねるずというコンビは、強い信念、確固とした理念を持って芸能界の荒海をのりこえてきた一種のエンタープライズなんだな、ということ。時代の変化や周囲の雑音に流されることなく、その理念を頑固一徹に守りつづけてきたからこそ、とんねるずはとんねるずでありつづけてるんじゃないだろうか。
じゃあ、その理念って、なんなのか。それをちょいと具体化して考えてみようじゃないの、というシリーズです(どこまで続くか予定は未定)。
1回目のテーマは「魅力」。
ところで近年、技術の進歩でメディアの幅もひろがり、さまざまな手段でいろんなものを見れるようになってきましたよね。テレビの音声をラジカセで必死に録音したり、明星とか平凡とかの週刊誌の切り抜きをスクラップしていたあの頃(遠い目)からかんがえると、隔世の感があります。
長年のワンフーなら、記憶のかたすみにインプットされているようななつかしいとんねるずの映像なんかも、たま~にネット上で見る機会もあるわけです。もちろん、権利の侵害にあたるようなものの流出はぜーったいに!推奨しませんよ。しませんけど、しかしまあ、だれかがうっかりアップした動画を削除前に偶然目にしてしまう、というのはどうしようもないわけで。
たとえば、お笑いスタ誕時代にやっていたようなショートネタの映像をたまたま目にしたりすると、見た人のコメントがやはり気になって読んでしまう。すると、おそらく若い世代のみなさんでしょう、かなり感銘を受けてくれていたりします。中には「とんねるずのネタ、レベル高っ!」な~んて感動している方もいて、ワンフーおねーさんとしてはうれしくなってしまう。
ただ・・・うれしいのはうれしいんだけど、同時にちょっとだけ複雑な気分にもなっちゃう。
10週勝ち抜きに近づいていたころのネタとかならまだしも、アマチュア時代のネタにそんなに感動されちゃって、いいんだろうか。そもそも、とんねるずのネタは、そんなに「レベルが高い」ものだったんだろうか?
誤解のないように説明しておくと、とんねるずのネタはレベルが低かったなんて主張したいんじゃないんです。だいたい、ネタの「レベル」なんて、わたしには判断できません。デビュー前後のとんねるずを「レベルの高いお笑い」といまの若い世代が感じるのはやむをえないとして、しかしそれだけでは、なにか大事なものを見落としてしまうんじゃないか。そんな危機感みたいなものを、どうしてもぬぐいきれないのです。
たとえば、わたしが初めて見たとんねるずのネタは「青春ホモコント」でした。ひとめぼれしてしまったわけですが、「コントのレベルが・・・」とか「ここんところの演技が・・・」とかいった冷静な理由なんかなにもなく、ただ単純に腹を抱えて笑い、ふたりの若さとかっこよさにキュンときて、わけもなく「好き!」になってしまった。
もっとも、80年代当時は一般人がお笑いを客観的に批評する風潮などまったくなかったから、当然といえば当然だったわけですが。
ファンには周知の事実でしょうが、実際「お笑いスタ誕」においては、とんねるずは審査員(ベテラン芸人さんたち)からかなり厳しいことを言われたりしていました。ブレイクした頃も、若者を中心とした大衆からの圧倒的な人気を得ていたにもかかわらず、お笑い芸人としての正当な評価はほとんどしてもらえなかった。「オレら、偉い人のウケは良くない」と、ノリさん自身が言ってたくらいです。
つまり、どういうことかというと、ブレイク当時のとんねるずというのは、「学生の宴会芸レベルの、人気だけが先行するチャラけたアイドル」とみなされていた。それが一般的な見方だったのだろうと思います。おそらく世間のほとんどの人は、1、2年ですぐ消えるだろう、くらいに思ってたんじゃないかな。名付け親の井原高忠さんでさえ、後年のとんねるずの成功に驚いたと言います。
でも、ファンからすれば、芸のレベルがどーのなんてどーでもよかった。とんねるずのショートコントはとにかくおもしろかったし、それ以上に、ふたりのむちゃくちゃぶりが最高だった。ふたりのカッコ良さにときめいた。ふたりの背のデカさに圧倒された。ふたりの仲の良さに熱狂した。言いたい大人には言わせておけ、これこそオレたち、わたしたちの新しい笑いなんだ!・・・そんな想いでブラウン管のむこうの彼らを応援したのです。
「それ以上に」を強調したのには、理由があります。なぜならこの「それ以上に」こそがカギだから。
先に結論を言ってしまうと、とんねるずの最大にして唯一無二の魅力とは、彼らの「人間力」にある、ということです。
またまた念のため言っておきますが、わたしはとんねるずのネタが大好きです。コントも、トークも、なにもかも、最高だと思ってる。長い歳月のなかでふたりがその芸を着実にみがいてきたことも確かです。ただ、とんねるずにおいては、何(what)をやるかということより、どう(how)やるか、ということの方が重要視されてるんじゃないか、という気がするのです。
デビュー当時の彼らのネタは、まさしく学生の宴会芸だった。それをそのままテレビでやってあれほどの人気が出るわけがない。それに、ちょっとくらいカッコいいからってあんなにブレイクするはずもない。
わたしたちは、彼らの「人間力」に魅了されたのではないでしょうか。「体育会系」なんてありきたりな言葉でひとくくりにはできない何かが、ふたりにはあります。芸人である前に人間として、彼らはとても強く、そして健康です。いじめっこキャラ、なんて言われたこともあったけど、その批判はいまいち理解できなかった。誰かをいたぶっているように見えても、必ずどこかでしっかりとフォローすることをとんねるずは忘れない。むしろ、人間の弱さへの共感をとんねるずほど深く表現する芸人はあまりいないんじゃないか。
「情に厚い」。とんねるずを形容しようとすると、いつも最初にこのフレーズがうかびます。それは、不思議だけれど、若いころからふたりに備わっていた資質であり、30年以上たったいまもなおふたりが持ち続けているものです。そしてもっと不思議なことに、タカさんにもノリさんにも完全に同じことが言える。このボトムラインをふたりが完璧に共有できているからこそ、そこから「とんねるずイズム」も芽吹いてくるのかもしれません。
ふたりの情の厚さ、人間力は、とんねるずのひとつひとつのネタに自然にしみこんでいるようです。それが一種の波長のようになって、見ているこちらに伝わってくるのです。
ネタのレベルということで言えば、いまの若い芸人さんたちのほうがとんねるずよりもずっと上手い。ネタも作り込まれてるし、技術力や演技力もあるし、それをほとんど自分たちで書いてるなんて聞くと、素直にすごいなあと思う。
ただ、お笑いが単に技術力を測って評価されるだけのものになってしまうのは、すこしさびしいという気がします。ましてや客自身が、笑うより先に「客観的に分析」なんてしちゃう時代には、芸人もスケールが小さくならざるをえないのかもしれないな、と同情さえしてしまう。
とんねるずが、ふたりならんで、笑っている。その姿だけで、見る者の心を強くひきつける。
結局、大事なのは、そこなんじゃないだろうか。ただそこにいるだけで、問答無用に理由もなく、人をひきつける磁力。人間としての力。そういうものを、いつの時代もわたしたちは求めるものだと思う。
80年代というイノセントな時代に、とんねるずという圧倒的な「人間力」を持つコンビにめぐりあえたというのは、自分でかんがえていた以上に幸福な経験だったのかもしれません。
ファイアーさんの記事を読むと、なぜ自分がとんねるずを目指してきたのかわかる気がして、自分を見つめなおす機会になっています。
これからもちょくちょく遊びにきます。
私はファイアーさんのように細かい分析はできないので、ただ一言、これに尽きます。
2人の『人間力』。
『魅力』とかよりももっと壮大な何かを感じる言葉。
私は特に2人の『仲の良さ』に魅了され続けているんだけど、それが世間に広く認知
されるようになったのって、ほんとココ数年ですよね。
要は2人の『人間力』の中にさらに余裕ができてきたからなのかなぁと思ってみたり。
がむしゃらに走り続けてきた2人には、飄々としているようには見えても実際には常
に気持ちを張りつめてきたと思うんです。
じゃなきゃ芸能界で25年も同枠の冠番組を続けるなんてできない。
それがここ数年、色んな意味で気持ちにゆとりができたのかなと。
レギュラーが週一で引退だ解散だと外野は相変わらずうるさいけど、2人にとって今は
そんなゆとりの中で人間力を解放しているような気がします。
先日のBDパーティー、憲さんが入ってきた瞬間の貴さんの笑顔は、花嫁が衣装替えをして
入ってきた瞬間の花婿のようでしたね。
あんな嬉しそうに愛方を見るコンビ…私には他に思い浮かびませんww
人間的魅力でTVの前の視聴者を釘付けにしたような気がします。
人間的魅力というのは実は我々の周りにも居ると思うんですよね。
話が面白い、料理が上手い、スポーツが上手、歌が上手い・・・etc
これって実はとんねるずですよね。
秋元プロデュースでとんねるずはデビューした訳ではありませんが、
クラスに居る普通な女の子がおニャン子だったように、
とんねるずもちょっと近所に居る兄貴という親しみ深さが今でも魅力だと思います。
楽しい時はガハガハ笑い暴れ、
ちょっとシャクに触る人相手には「テメー」と叫んだり蹴りを入れたり、
可愛い子相手にはデレデレする。
そういえばザキヤマが熱湯おでん食べた時、そっと口の中に氷を入れて
あげた事を思い出しました。優しさが溢れた瞬間でしたね。
彼らの言動一つ一つが我々の思いと一致し共感出来る限り彼らの活躍は
終わる事無い気がします。
ネタは良し悪し、好き嫌い、新しい古いありますが、
人間的魅力に取り付かれるとそれは辞められませんよね。
「雨の西麻布」の年のお生まれですか~
まさにとんねるずがブレイクした年から共に育ってこられたということですね。
弥平さんの言葉、胸に沁みました。
今後ともよろしくお願いします^^
まったく同意!
最近、特にレギュラーが週一になったあたりから、なんだかふたりの「余裕」を感じるんですよね。
今回この記事を書いたのも、タカさん誕生パーティでのふたりの姿にインスパイアされて、です。
タカさんの「憲武がこの場にいなくて残念」ていう言葉が、お世辞とか社交辞令じゃなく、
本当にそう思ってるんだなって感じられるのがうれしい。
お色直し、ほんとそんな感じだった!
あと、ノリさんが言おうとしてることを、すぐタカさんが察するのなんかも、
長年連れ添ってるからこそなんだな~って思っちゃいます♪
ちょっとシャクに触る人相手には「テメー」と叫んだり蹴りを入れたり
そうなんですよね、正直なんだな、すごく。
ポジティブな事だけじゃなくて、筋の通らない事があったら
素直に怒ってしまうというのも、ひとつの人間力なのですね。
それが世間には「わがまま」と映るんだろうけど。
(まあ実際わがままな所もあるんでしょうけどw)
ザキヤマさんの場面は、忘れてたなあ。ムダベストテン?
優しいですよね。
後輩いじめなんてなぜ言われるのか、理解に苦しむんだよなあ。
>ネタは良し悪し、好き嫌い、新しい古いありますが、
人間的魅力に取り付かれるとそれは辞められませんよね
いい言葉ですね。
おっしゃる通りだと思います。
「生き方」を教えてくれた・・・ってすてきですね。
わたしも、そうかも。
とんねるずは(タカさんは?)ほんとよく怒ってましたねw
そこが愛しいのかもしれませんね。