三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

主の洗礼の祝日ミサ

2013年01月16日 | ミサ聖祭
カトリック府中教会の聖家族像
(住所:東京都府中市府中町1-40-11)

新年早々、安倍晋三が「世界で最も品性下劣な国づくり」に燃えている。村山談話を破棄し、過去の戦争犯罪を否認する意向だ。早速、ニューヨーク・タイムズは社説(1/3付)で安倍の妄想を厳しく批判した。同紙によれば、安倍を「right-wing nationalist(右翼の国家主義者)」と断じ、その「shameful impulses(恥ずべき衝動)」によって、「serious mistake(重大な過ち)」を犯すだろうと非難。だが、ニッポンのメディアは「アベノミクスで経済再生」と浮かれている。世も末だ。

1月13日(日)、府中教会で主の洗礼の祝日ミサに与った。聖堂内の「馬小屋」は片付けられていた。午前8時、ミサ開祭。福音朗読は、イエスが洗礼を受ける場面(ルカ3・15-16、21-22)。主任司祭のビッフィ・マウリツィオ神父は、「洗礼によって人は新しく生まれ変わり、神様と共に生きる。なぜイエス様は洗礼を受ける必要があったのでしょうか。イエス様はご自分を水に沈める必要はなかったが、洗礼で神様に全てを献げ、神様が望む道を歩まれたのです」と話された。

「水の中に沈んで小さくなる。人がこのような謙遜を示す時、神様の喜びの声が聞こえてきます。イエス様は洗礼を通して、私たちに謙遜な生き方、神様と人のために自分の人生を送ることを教えてくださったのです」。私は以前から「主の洗礼」の意味が分からなかったが(注)、今日の神父様のお説教をうかがって、ようやく腑に落ちた。さて、この日のミサ後、私はスモールクワイア(イエスのカリタス修道女会聖歌隊)のコンサートへ行くことにした。会場は多摩教会である。


降誕節中のカトリック府中教会聖堂

(注):『カトリック聖書新注解書』(エンデルレ書店・1980年)によると、主の洗礼は「メシアとしてのイエズスの使命開始を告げる決定的瞬間。洗礼そのものは表示の機会に過ぎない」とある。しかし、私が不思議に思っていたのは、洗礼そのもの、特に神の子が「沈む」という行為だった。

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲2(典礼聖歌207-210。栄光の賛歌は読誦)、入祭:典礼聖歌23「栄光は世界におよび」、奉納:典礼聖歌96「この水を受けた」、拝領:典礼聖歌183「われらはシオンで神をたたえ」、閉祭:典礼聖歌140「全世界に行って」。
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