道の道とすべきは常の道にあらず
☆これこそ人間の踏み行うべき正しい道であると、人間が主張し力説し行動しているような道は、永遠に変わることのない正しい道なんかではありゃしない。(友田不二男訳)
私はこの老子第1章に出会ってからつい最近まで、次のような自分に置き換えてこれを読んでいました。
――――あっちこっちにぶつかりながらも、もうすぐ40歳になろうとした頃に出会ったカウンセリングの世界。
最初の5、6年はただ、ただ楽しくて仕様がなかったけど、いいえ、今でも充分なくらいワクワクで、これより私をワクワクさせるものなど思いつきもしないのだけど、それでも時々、夜中に起きだしては、今度こそはカウンセリングをやめるんだ、こんなに淋しい思いをするくらいなら誰が止めても(誰も止める人などいないけど)やめてやる~と自分に言いきかせては、現実には一度もやめたことのない日々を送ってきました。
もういい!もう~こんな一人ぼっちはたくさんだ!などとこぶしで壁をガンガンたたきながら一人の生活を恨み、なんとか皆が納得するようなすんなり田舎に帰る道はないものかと、
探し続けた日々もありました。
しかしそんな日々でさえ、朝になると決まって、何事もなかったかのようにカウンセリングの中にいました。
これほどまでに自分を夢中にさせるものに出会えたこと、これこそが長い間かかって出会えた私の“道”なのだと思ったところで、そんなものはわかりはしない。また生きてゆけば、これをあっさり捨てるようなものに出会ってしまうかもしれない。あるいは、出会わないとして、やめてしまうかもしれない。
人間が、これこそ私の“道”などと言ったところで、それくらいのものだと読めたときに、肩の力が抜けました。
と、こんなふうに第1章を読んでいたのですが、『老子を読む会』に出席するあたりから、この読みが変わってしまいました。もちろん“友田老子”は、これまで何度も何度もこの1章だけは読んでいたにもかかわらず。
―――――毎日がでこぼこでいい加減で、誰から見ても少しもりっぱではなくて、あいも変わらず一人ぼっちで、自分のためにだけ夕飯を作っては食べ、夜中にはこれまた暇をみつけてはモガイテばかりの日々だけど、それでも私自身が、自分の足で歩いている感じのする一日一日を生きている。
そんな日々の中、ふと足を止めて振り向いたときに、もしかしたら、本当にもしかしたら、何かしらの道になっているかもしれない。なっていないかもしれない。
それくらいのことなのだと。♪~♪
☆これこそ人間の踏み行うべき正しい道であると、人間が主張し力説し行動しているような道は、永遠に変わることのない正しい道なんかではありゃしない。(友田不二男訳)
私はこの老子第1章に出会ってからつい最近まで、次のような自分に置き換えてこれを読んでいました。
――――あっちこっちにぶつかりながらも、もうすぐ40歳になろうとした頃に出会ったカウンセリングの世界。
最初の5、6年はただ、ただ楽しくて仕様がなかったけど、いいえ、今でも充分なくらいワクワクで、これより私をワクワクさせるものなど思いつきもしないのだけど、それでも時々、夜中に起きだしては、今度こそはカウンセリングをやめるんだ、こんなに淋しい思いをするくらいなら誰が止めても(誰も止める人などいないけど)やめてやる~と自分に言いきかせては、現実には一度もやめたことのない日々を送ってきました。
もういい!もう~こんな一人ぼっちはたくさんだ!などとこぶしで壁をガンガンたたきながら一人の生活を恨み、なんとか皆が納得するようなすんなり田舎に帰る道はないものかと、
探し続けた日々もありました。
しかしそんな日々でさえ、朝になると決まって、何事もなかったかのようにカウンセリングの中にいました。
これほどまでに自分を夢中にさせるものに出会えたこと、これこそが長い間かかって出会えた私の“道”なのだと思ったところで、そんなものはわかりはしない。また生きてゆけば、これをあっさり捨てるようなものに出会ってしまうかもしれない。あるいは、出会わないとして、やめてしまうかもしれない。
人間が、これこそ私の“道”などと言ったところで、それくらいのものだと読めたときに、肩の力が抜けました。
と、こんなふうに第1章を読んでいたのですが、『老子を読む会』に出席するあたりから、この読みが変わってしまいました。もちろん“友田老子”は、これまで何度も何度もこの1章だけは読んでいたにもかかわらず。
―――――毎日がでこぼこでいい加減で、誰から見ても少しもりっぱではなくて、あいも変わらず一人ぼっちで、自分のためにだけ夕飯を作っては食べ、夜中にはこれまた暇をみつけてはモガイテばかりの日々だけど、それでも私自身が、自分の足で歩いている感じのする一日一日を生きている。
そんな日々の中、ふと足を止めて振り向いたときに、もしかしたら、本当にもしかしたら、何かしらの道になっているかもしれない。なっていないかもしれない。
それくらいのことなのだと。♪~♪