カウンセリングルーム 横手(三鷹)しゃべりば

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第17回三鷹しゃべりばによせて

2007年03月16日 16時37分19秒 | 三鷹しゃべりばに参加して
第17回三鷹しゃべりばによせて

今回、3月10日(土)の開催日まで自分自身が忙しすぎて、余裕のない日々を送っていました。
ところが、そんな私の余裕のなさとはまったく関係のないところで、参加する人は参加するそれだけのことのようです。
長いこと、「しゃべりば」を主催している私の影響が場にも現れるかもしれないから、
ちゃんと生活を安定させなくてはなどと思っていました。
ところが、多くの人は私が安定していようがしていまいが、きちんと自分の意志で参加するのだとわかった時、楽になりました。
しょせん、自分が他人にできることなどほんのわずかなのだとわかって、ますます、
自分のやりたいことをはっきり口に出せるようになりました。
私の思いとは関係ないところで、はっきりイエス、ノウを言ってくれる友を今はありがたく思います。
そして、時々は私に合わせてくれる仲間がいることにも感謝します。

参加してくれた皆様が、少しずつ私を自立へと導いてくれてるようです。
鍛えてくれてるようです。


次回「三鷹しゃべりば」は、6月16日(土)を予定しております。
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第17回三鷹しゃべりばへのお誘い

2007年03月10日 15時17分29秒 | グループカウンセリンク三鷹しゃべりば
春三月。長いこと勤めた会社を辞めてから丸二年の月日がたちました。

それは、ただ自分がやるということでした。
誰に決めてもらうわけでもない、最後にはこの自分がやると決心をして、
決めた道を歩いていく。
この歳になって、や~っとわかりました。
もがいているうちに偉い人が現れて、道が勝手に開かれるかもしれない
などということはなかったのです。
でもそれが自分でわかるまでには、会社を辞めること、そして二年の月日が
私には必要だったのでしょう。

たくさんの皆様の参加をお待ちしております。


日 時  平成19年3月10日(土)午後1時半から午後5時くらいまで
場 所  橋悦子宅
       三鷹市下連雀4-22-17三鷹ガーデンハウス303号
       ℡0422-43-1596 メルアドetutan.ta0215@docomo.ne.jp
参加費  500円(お茶とお菓子がでます。)
       
締切り  3月9日(金) ご参加の方は、メールか電話でお知らせ下さい。
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八戸カウンセリングセンター35周年によせて

2007年03月05日 15時04分53秒 | 八戸ワークショップ
「わからなさ」と「大好き」を頼りに

                            橋悦子

この度は、八戸カウンセリングセンター設立35周年、おめでとうございます。
私はこの喜ばしい記念を機会に、改めて自分とカウンセリングとの関わりについて、振り返ってみたいと思います。
唐突ですが、カウンセリングといえばすぐ私には「わからなさ」あるいは「大好き」という、この二つの言葉が思い浮かびます。他に適切な表現があればそれに変えたいのですが、本当に単純な、この言葉が示すような感じだけをを頼りに、カウンセリングと関わってきた気がして仕様がないのです。
忘れもしない、私が日本カウンセリングセンターに通い始めたのは平成8年の春、工藤先生が青森から上京されてセンターの世話人となられた時のことです。それまで色々な自己啓発のセミナーに興味を引かれ通ってはいたのですが、きちんとした法人組織のカウンセリングセンターに通ったのは、こちらが始めてでした。そして、こちらでの工藤先生との出会いこそが私をそれからのカウンセリング人生に導く、大きな原動力になったのです。あの、先生と入門の時体験した訳のわからない時間があればこそ、探究心(好奇心)旺盛な私はいったいこのわからなさは何?に引かれ、すぐさま入門終了後、誰一人知る人もいない、夏の東北ワークショップに申し込んだのです。もっとも人は知らないけど、土地は知ってるというか、秋田生まれの私にとって、青森出身の先生が世話人で、ワーク(以後ワーク)は宮城県の蔵王という安心感もあったのでしょうが、何よりも、あの時の先生がかもし出してくれた、「わからなさ」に一目惚れしてしまったのです。
 そして、初のワークは東北は蔵王で迎えたのですが、ここでも忘れることのでない大きな出会いが待っていました。それは同室のお二人、谷津さん、そして川村さん親子との出会いです。この時の私は風邪のせいか(工藤先生には知恵熱と言われたような?)39度以上の高熱を出して、ワークにはほとんど出ることができずに、4日間部屋で寝たっきりでした。長いこと一人暮らしの私はそれまで、どんなに熱を出そうが、怪我をしようが他人には甘えられない、自分のことは自分でと言い聞かせて生きてきたのでしょうか、他人におまかせなどということは皆無の生活をしてきました。それなのに知らない土地で、その上初めて会った人たちにも関わらず、甘えなければ乗り切れない状況にいたのです。気がつくと、川村さんが熱いタオルで体を拭いてくれていました。そして、宿の食事を食べることのできない私に、桃を買ってきては皮をむき、食べさせてくれました。その時のつめたい桃の美味しさといったら…….どんな薬よりもありがたい、あったかな桃でした。傍らで、谷津さんが微笑んでいました。私は、初めてそこで母ではない人に甘えるという、体験をしたのです。お二人とは、今では家族以上の心の結びつきがありますが、「大好き」なワークが、お二人の地元、東北は宮城の地から始まったのでした。
 それからさらに一年後の夏、今度は三鷹での出来事です。当時「和仁ワーク」なるものが東京ではあって、たった一度きりではありましたが、我が家が会場となった日のことです。参加された方の中に見るからにいかつい、煮ても焼いても食えそうもない男性がいらして、その人こそが馬場さんでした。なるべく関わりを持ちたくない人、なんでこの人うちに来たんだろう、いったい誰の知り合い?いやだなぁもう~が、その時の彼への第一印象。大好きなワークが大好きでいられなくなるような、心がざわざわする、そんな出会いでした。いくらワークの中とはいえ、この家の主の私がなんでこんな目にあうの、とっとと帰ってよおじさん、と心の中でつぶやいてもいました。それほどに強烈な彼の印象。
なのに彼の一言、「高橋さんは、枝葉のことばかりを言っていて、肝心の幹には何もふれていない」この言葉が私の探究心(好奇心)に火をつけてしまったのです。今となっては当たり前で、もう仲間うちとは話すことすらなくなってしまった「枝葉と幹」ですが、当時はこれを知りたくて知りたくて、その言葉のもつ意味をわかりたくて必死でした。これがわかれば、この感じをきちんとつかんで表現できたなら.....人の話しを聞くことに近づける気がしたのです。正に馬場さんが、初対面なんのその、他人の家なんのその、少しも臆することなく私に向かってくれたお陰なのです。そのうち、乱暴だけどこのおじさんはちゃんと学習してる人、いい加減にカウンセリングに取り組んでる人ではないのだということが感じられて、猛スピードで彼との交流が始まりました。そこからのカウンセリングの学習は彼抜きでは成り立たないほどに、私の身近にはいつだってどっしりと、彼がいました。ありがたい存在です。
 そんな馬場さんとの出会いから月日が流れること5年はたったでしょうか、今でも若き青年、菊田さんとの出会いがかの目白でありました。当時彼は東北の著名な大学を出たばかりの繊細な文学青年、ちょっとうつむき加減で、言葉はいつだって控えめで、あら、いたの!が当時の彼の印象。そんな彼をいたずら気分も手伝って、チクリチクリと突っ込むのが私の小さな楽しみでもありました。しかし、そんな彼の10代の頃から続いていたであろう重いふたが、とっぱられる日がやってきたのです。彼の心に秘めた情熱が、解き放される日がやってきたのです。それは、彼が長い時間をかけて誰よりも真剣にカウンセリングの学習に取り組んだ結果であり、自分の皮を1枚1枚と剥いでいくような、そんな苦しみの中から生まれたものでした。ブログ『泉を聞く』は、そんな彼の心の奥の叫びとして誕生しました。どこから読んでも、何に目を通しても、詩でも写真でも評論でもエッセイでも、「菊田和弘」その人をしっかりと感ぜずにはいられません。毎朝彼のブログに目を通すことが、今では私の日々の楽しみとなりました。カウンセラーという文字は彼にはもう遠くなりましたが、今でも大切な私のカウンセリング仲間です。そして、我が家で行われている「三鷹しゃべりば」というワークの第1回目からの出席者でもあります。
 最後になりました。彼女に出会ったことこそが、私のこれまでのささやかな人生、最大の喜びです。どんな言葉をもっても足らないくらいに、お世話になりました。いつだって生きるお手本でした。彼女と話すと、不思議なくらい体の奥底からエネルギーが沸いてきました。別れた後に、すぐまた会いたくなりました。自分がこのままの自分でいいのだと、心から思えました。何をしても何を読んでも何を見ても、彼女の存在を感じていました。だから東京から彼女が去った後、私にはもう何もなくなった気がして、しばらくボ~っとしていました。自分でやれることなど、何ひとつないような気がしてなりませんでした。この広い東京に一人ぽっちになってしまった、そんな気分でした。それくらいに私には大きな存在であり、わずか4年の間でしたが、大切なものをたくさんもらいました。そんな彼女が沖縄に帰って半年たった頃でしょうか(昨年の秋)、いつも通り、八戸カウンセリングセンター主催の十和田湖ワークがありました。そこで彼女そっくりの23歳の青年に出会いました。彼と話しているうちに、私が東京に一人でいる意味がわかりました。それは、彼女大山さんから一人立ちできた日でもありました。
 私は「大好き」なたくさんの人たちにささえられ、「わからなさ」のままに、昨年まで八戸カウンセリングセンター主催、十和田湖ワークの世話人をさせて頂きました。そこで出会ったすべての方々、こんな私を6年もの間世話人として育ててくれた八戸カウンセリングセンターの皆様の懐の大きさ、そして偶然と呼ぶにはあまりの偶然ですが、前出の方々すべてが八戸ワークに参加頂いたという必然(どうか、こう呼ばせてください)に、心より感謝いたします。誰おひとりかけても今の私はなかったのだと、断言できます。ありがとうございます。そして本当に最後になりましたが、八戸カウンセリングセンターの益々のご発展をお祈りいたします。

 
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