~ しあわせ宅配便 ~

赤ちゃんから高齢者まで

すべての女性の健康をヨーガの実践を通して、女性の生涯にわたり支援をおこないます。

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冊子 「安座のヨーガ」発売!!

2016年08月02日 10時43分09秒 | お知らせ

冊子「安産おヨーガ」発売しました。

いろいろなマタニティー・ヨーガがございます。

私たちは、妊婦さんにとって一番大事ことは自らが主体的なお産を経験することだと考えています。

妊娠中は体が重い、だるい、気分がめいる…いろいろなことが日々違った症状として現れます。その状態に一喜一憂してしまう心の制御が大事です。心や体の状態に振り回されない心を養うのがヨーガです。

妊娠中を安易に過ごすと子育てがとても大変になります。私たちは可愛い我が子を迎える準備を共にヨーガを実践していきます。

生理学的には、赤ちゃんの思いを受けとめる素直な体と心を作ります。アーサナ(体位)は歪みを正します。筋肉のこりは血液循環を乱し、各細胞に不調和をおこします。アーサナによりそれらを改善します。またアーサナは背骨を通る神経系、自律神経に刺激を与え活性化します。それらは無理なく自然に変化していきます。神経系が調えば、内分泌系も調います。そして免疫力のアップします。

しかし、心に不安があれば、神経系は即座に乱れます。ですから、心とは何者か?不安は何故おこるのか?生きる目的まで考えます。根本的に心と体が不調和な場合は子育ては困難になります。

人は何故生まれるのか?そして苦痛だらけのこの世に中でどのように生きるのか?

究極は何故生まれ、生きる目的…。はっきりすると迷うことはありません。

心身の調和を促していくのが「安産のヨーガ」です。

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命を生きる、それこそが自己実現

2016年08月01日 01時57分29秒 | 日記・エッセイ・コラム

http://blog.goo.ne.jp/etiruka0603/e/746f24c190e16fa579a4bf18dedd553f

 

 

かつて、癌との付き合い方を掲載しました。

これは決して「癌だから」ということだけではありません。

生きていれば、某か苦痛は伴います。しかし、その苦痛は誰かが植え付けたものでもなく、自らが選択したものです。

社会が悪いとか。

環境が整ってないとか。

親が好きにさせてくれなかったから今を生きられないとか。

他者や社会のせいにしないでください。

すべてはあなたが選択したことです。選択した以上、その責任はあなた自身にあります。

だから、常に私の心を野放しにしないように心がけることです。

そして積極的に今持てる知識や力を他者のために使うことです。

これこそが前向きに生きることです。

守りは心を弱くします。積極的に生きましょう。

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さまらさの台所&サットサンガ 3回目開催!!

2016年07月27日 08時55分28秒 | お知らせ

「さまらさの台所&サットサンガ」

何故?調理だけじゃないのか?サットサンガが約2時間もあるのか?何て思われるでしょうね。

毎日三食、何故食べますか。食べる喜びですか。健康のためでしょうか。満腹感を味合うため。

食べることに意識されたことありますか。

以前「千と千尋の神隠し」のシーンで両親が食べ物を貪り食べているうちに豚に変わっていた。食事って貪りやすいですよね。バイキングだと言われたら、食べれるか分からないのにお皿いっぱいてんこもりして食べている人を見かけます。食べ物は心のありようが直接でると気がつきますね。

そこで、大切な食材を優しい心で調理をして、すべてをいただきます。

キュウリ一本は、まず苗を植え付けますが、苗床を整頓しなければなりません。土作りをして畝を作り、植え付けします。そして根を張るまでは水やり、草引き、虫対策などと日々、苗と語り、大切に育てます。収穫までにはどれほどの手間と愛情が注がれているか。私たちは知らないことが多いです。一本のキュウリも私たちの口に入るまでには、多くの人々の手間をいただき、愛情もいただています。私たちは食に対して、感じて、考え、感謝して調理します。

皆で囲む食卓は何とも楽しいものです。

 食べることは楽しいですよね。だからこそ…。大切な時間にしたいですね。

 

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私は何故生まれたのか、そして死を迎えるのか。

2016年07月20日 15時50分14秒 | 日記・エッセイ・コラム

私は何故私として生まれたのか。

丹波の山奥を選んだのか。思えば思うほど不思議に思えます。

多くの人と関わり縁をいただき守られてきたのだろうか。

66年の年月は、私自身が選択肢、好まざるとも無意識に選んできたこともあるような気がします。

あるがままという言葉があるが本当にその道は自由な道だったのだろうか。経験からの記憶に翻弄されていただけではないのかと思うことがある。

自由な道に進むには、生まれてきた訳を知らなければならない。

http://www.mahayogi.org/tokyo/yoga/ys2-13/

じっくりお読みください。

 

 

 

 

 

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月に還る

2016年07月19日 23時33分45秒 | 日記・エッセイ・コラム

人は月から生まれ月に還ると言われます。

今夜の月です。よい旅立ちになったことでしょう。

一昨年の10月に癌の宣告を受け、周囲のことを整理し、奥様を案じて案じて、我が孫を護りたいと言う思いを強くもち続けられました。只、皆のために生きて来られた大切な方が月へと旅立ちました。

人はいつかは死が訪れます。私たちは、この世の肉体は脱ぎ捨て新たな旅立ちをすると言います。悲しむことはない、新たな旅立ちとして喜びとして受けとめると信じてきています。

しかし、側にいなくても大切な人っていますよね。その人の形がこの世から無くなってしまうことは、やはりしんどくて、辛いことです。ひたすたら、この世に未練を残さずご安心してくださいとご冥福を祈るしかありません。

どのような死を迎えたにしろ、その瞬間に何を見たか。大切な人は神を見られたことでしょう。

ママたちはそのことをよく心に言い聞かせて、日々を大事に生きてください。

子どもたちにとって、ママがいることだけで、そこに在ることが安心なのです。そして今をどのように生きたかが子どもたちの生きる糧となります。どうか心身を大事に生きてください。

それは、お釈迦さまが説かれた八正道の5番目「正命」です。正しいとは、真理にあった、調和のとれた生き方のこと、考えや見方、行動をさします。正命は日常生活を真理にあてがえ、皆と調和して生きることです。調和は「私」ではなく「あなた」を徹底することです。エゴを戒め真理に心を留めて暮らすことです。

結局、難しく考えずシンプルに生きることです。

 

 

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「丹波の恵み」農業体験実施

2016年07月19日 08時15分31秒 | 日記・エッセイ・コラム

「丹波の恵み」農業体験2回目を実施しました。

主催者の農家さんが今後のことも考え、丹波新聞社の取材を受けられたようです。

大きく取り上げていただき感謝します。しかし、まだまだ企画というところには達しておりません。

最終的には、農業の素晴らしさを感じてもらい、自給自足、自然とともに生きることの大事さを幼い頃に感じ。学びの糧として欲しい…。おばあの願いなのです。しばらくは地道に進むことになるでしょう。環境を整えるのも大事です。多くの人の助けも必要でしょう。タイミングというか時を待つことも大事です。

野菜作りはいいですよ。毎朝、4時起きしてお祈りしてから畑にでる。追い肥をしたり、野菜の世話をしたり、一本一本の野菜を丁寧に観ていく、そして今日の食材として収穫する。6時には終えて朝食の用意…。太陽が沈みかけるまでは自由時間…。これからはこのような暮らしがしたいですね。これもおばあの夢です。

お手伝いをしれくれる人たちや農業に興味のある方達の住まいとして、離れ家、納屋の二階の八帖を提供する。近くの農家さんの手伝いをしながら、農業体験し学び、農業に携わる若者たちが増えるといいな。

依存の強い人たちは、どうしても心のバランスを崩しやすです。そのような人たちも受け入れ、自然と共に過ごし、野菜作りを通して心と向き合うそんなこともできたら…。土を触り、種をまき、実るまで世話をしながら日々過ごす…。おばあのこれも夢…。

これらを継続するには、お手伝いをしてくれる人たちが大勢いるといいな。だって、私は66歳ですから。ひとりではできないことです。気が向いたら、興味のある方は話しにきてください。

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散歩

2016年07月17日 09時31分57秒 | 日記・エッセイ・コラム

 

 純白のダリア

この花の名前は知りませんが可愛いので撮ってみました。

キウイフルーツです。 

ひまわりが屋根まで…大きく育ちました。

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丹波にいます。

2016年07月16日 17時32分17秒 | 日記・エッセイ・コラム

病み上がりですが母が心配をするので顔を見せに金曜日の夜から来ています。

野菜作りにいきずまりを感じています。二週間に一回は野菜たちに気の毒ですね。

以前は母が草引きや世話をしてくれましたが年のせいか動けなくなりました。

東大阪の茄子やゴーヤは良く育ちますが、丹波の畑は手が入っていないだけ気の毒です。

何でも、その物に集中して心を添えていかないと健全に育ちませんね。

子育てもそうです。仕事だから仕方がない、病気だから仕方がない、子どもには関係のないことです。母がいないその事実は子にとっては寂しいさには変わりません。消極的ネグレクトというそうです。

かつて、私も夫、その両親、弟、妹そして我が子5歳と3歳が一緒に暮らす大家族でした。姑が急死したため、家業を手伝うことになりました。3歳の子は公園も行く時間がありませんでした。芯から優しい子どもでしたから、母の側でゴザを引いてひとり遊びをしてくれる良い子でした。私も家業と職人さんたちへの配慮など、そして家事といっぱいいっぱいでした。仕方がないと思っていました。しかし、我が子はひたむきに自分を出せない子になっていました。その結果が現れたのが中学2年生でした。高校に入学するまで続きました。何がそんなに腹が立ち、やる気も起こらず、何もしようとしないのかと、尋ねました。「僕もわかへんのや」と答えました。この答えはせいっぱいの訴えだったのでしょう。辛かったやなと感じましたが、すでに手遅れですよね。しかし、彼なりにどんどん自らの思いを整理していきました。そして希望の高校に入学できました。それで何とかなった訳ではありません。長い間に培われた性格、思考傾向は変われるものではありません。それでも、彼自らが克服していくしかないのです。もがく、我が子の姿を静かに見守るしかありませんでした。私の忍耐力が養われた時でした。したがって、子育ては自分(母自身)育てだと確信しています。

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本当の幸せ探し!

2016年07月16日 08時21分42秒 | お知らせ

http://hukumusume.com/douwa/betu/world/03/01.htm引用させていただきました。

青い鳥

 



青い鳥
メーテリンクの童話

 むかしむかし、あるところに、まずしい二人の子どもがいました。
 お兄さんの名前はチルチル、妹の名前はミチルと言いました。
 クリスマスの前の夜のことです。
 二人のへやに、魔法使いのおばあさんがやってきて言いました。
「わたしの孫が、今、病気でな。しあわせの青い鳥を見つければ病気はなおるんじゃ。どうか二人で、青い鳥を見つけてきておくれ」
「うん、わかった」
 チルチルとミチルは鳥カゴを持って、青い鳥を探しに旅に出ました。
 チルチルとミチルがはじめに行った国は、『思い出の国』でした。
 二人はこの国で、死んだはずのおじいさんとおばあさんに出会いました。
「人は死んでも、みんなが心の中で思い出してくれたなら、いつでもあうことができるんだよ」
 おじいさんは、そう言いました。
 そして、チルチルとミチルに、この国に青い鳥がいることを教えてくれました。
 ところが、『思い出の国』を出たとたん、青い鳥は黒い鳥に変わってしまいました。
 チルチルとミチルは、つぎに病気や戦争など、いやなものがいっぱいある『夜のごてん』に行きました。
 ここにも、青い鳥はいました。
 でも、つかまえて『夜のご殿』を出たとたん、青い鳥はみんな死んでしまいました。
 それから二人は『ぜいたくのごてん』や、これから生まれてくる赤ちゃんがいる『未来の国』に行きました。
 どこにも青い鳥はいましたが、持ち帰ろうとすると、みんなだめになってしまうのです。
「さあ、起きなさい。今日はクリスマスですよ」
 お母さんのよぶ声が聞こえました。
 目を覚ますと、二人は自分たちの部屋のベッドの中にいました。
 青い鳥を探す旅は、終わったのです。
 チルチルとミチルは、とうとう青い鳥をつかまえることが出来ませんでした。
 でも、チルチルとミチルが、ふと鳥カゴを見ると、中に青い羽根が入っているではありませんか。
「そうか、ぼくたちの飼っていたハトが、ほんとうの青い鳥だったんだ。しあわせの青い鳥は、ぼくたちの家にいたんだね」
 二人はお互いに顔を見合わせて、ニッコリしました。
 魔法使いのおばあさんは二人に、しあわせはすぐそばにあっても、なかなか気がつかないものだと教えてくれたのです。

おしまい

 

この童話を読まれて何を感じました。

昔話は何かを知らせる、何かを感じ取る。そんなお話が多いように思います。

夏休みに入ります。忙しいとは思いますがお子さまとひと時、童話を読み、お話をして、すこしの時間を静かに主人公になって感じてみてはいかがでしょうか。これも子どもと行なう瞑想のような気がします。

夏の夜長…お楽しみください。

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子育てに何が必要!!

2016年07月14日 08時32分42秒 | 日記・エッセイ・コラム

私は子育て…何が必要なのかと考えました。

子どもは何者…男の子、女の子、これらは私のものか?では絶対的に子どもに対して全責任をとれるのか?私は子どものすべてを知っているか?

何も知らないことに気がつきました。責任は取れないかもしれないが寄り添い、心を感じることはできる。命が危うくなったとき我が身を差しだせる距離に居る。只、口にはしないが幸せであって欲しいと願う。そして素直に正直に生きて欲しいと日々願いもする。人として彼女、彼を護るだけ…。私の役目でもある。と覚る。

子どもは私の分身ではない、そして子どもの心の中は計り知れない。何を考え。何を思い。何がしたいのか。

あなたは分かりますか。

それよりも、子どもって2カ月からすでに母の口真似をします。仕草の真似、兄弟を叱り戒めている姿など…唖然としたことありませんか。ならば、母の真似をするのだから、母が素直で正直に生きればいいということになりませんか。

そして反抗期に備えて、義務と権利をしっかり区別して体で感じるような生活の営みが大事だと思えるのです。

思春期は口数減らず、いっちょまえに理屈を言います。そして権利を主張してきます。その時、母は毅然として義務を主張できるよう日々の生活を正しておきませんか。理屈は子どもの方が正しい時があります。世の中の汚れた計らいを知らないからです。大事にしてあげたい言い分です。頭ごなしに押さえつけても、後で母への風当たりが強くなるだけです。

母がしてあげられることは、母自身が純粋な心で生活ができることです。

かつて、お釈迦様は苦集滅道という教えを説かれました。苦集滅は日常生活に起きる苦の種を善悪で判断せず、真理をあてがえて判断し行為する、それも実践しながら「道」正しく見る…これがまず大事です。自我ではない純粋な意識が必要になります。言葉も思いも行為も正されるでしょう。そして5番目に「正命」正しい命と書きます。命は生きる人生を指します。人生は日々の営みです。生活を正すことです。ここでも義務と権利をどのように解釈し行為するかになります。

高校生になれば、このようなことについてしっかり話し合えるようになります。中学生でも母が実践してきていれば、噛み砕き優しい言葉で話し合えるでしょう。

情報を貪り、書物を読むだけでは?知ることと感じることは天と地ほどの違いがあります。その内容をよく考え、実践してみます。そして私の思いと行為にあてがえ、識別します。この繰り返しをしていきます。

妊娠中からお腹の子どもと語らいを初めてください。それが「安産のヨーガ」の醍醐味です。

 


これが双方の幸せとなることでしょう。

ご参考まで  右にブックマークがあります。その「読んで学ぶヨーガ」をご覧ください。

 

 

 

 

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