Little Tree

日々のいとなみのなかで感じた子どものこと、季節の移ろいやこころに映る風景

支援と配慮・・・

2006-06-17 06:40:24 | Weblog
「母なるものとは?」について、皆さまからほんとうにいろいろなお話を伺えてネットの素晴らしさを痛感しております。

おそらく私一人の中では、こんなに深く広い視点から
このことを考えることはできなかったと思います。

その意味で、皆さまにはほんとうに感謝しております。

それでも、なお自分のなかに浮かぶこの想いが何なのかを
もう少し考えてみたいと思っています。

それに先立って、まず思い浮かぶこととして(まだ整理できていないことですが)

支援とは?配慮とは?について簡単にお話します。

支援とは「支えて援けること」という字のとおりでしょうか?

配慮とは「こころや気や目を配ること」でしょうか?

あくまで、言葉の解釈であって、いざ自分にとってどんな意味を持っているのか?

実際のどんな行為や心構えを持って、そのことを行うのか?


このことは、自分の子どもに対しても夫に対しても
高齢になった親のことに対しても、自分のありかたにおいても

これからも、ずっと考えながら対応していく課題であると思います。

さて、子ども自身の現在の状況と、子どもと私の関係と
私自身の課題とが、すべてリンクしていることは承知の上で

何とか、何かをクリアにしていくことからはじめたいと思います。

なぜ、このことをことさら申し上げようと思うのかは
たぶん、私のこころの奥底にある何かがそうさせるのだろうとしか
いまのところ申し上げられませんが…よかったら、お付き合いください。


皆さまの目から見えている問題はkirikouの「学校に行きたくない」
という訴えだと思います。

それに対する、私や通級や担任の先生の見解を踏まえて
kirikouから出ている言葉を、考慮すると

本人の持つ特性から、他者からの刺激に過敏であることと
同時処理が苦手なことから来る行動の遅れや、生活自立の未熟さから
学校生活での、不適応状態にややなりつつある。

家庭では、本人の心理的および生活支援を心がけること

学校では、本人からの発信を促し、また自己理解と他者理解を広げるような
声賭けと指導と配慮を続けることが大切である。

あえて、客観的な視点で申し上げているのは

実は、私自身が子どもに対してのめり込みすぎるところがあり
あえて、「やさしいお母さん」だけではない
客観的な立場が必要に思われるためです。

母子関係では、お互いに強い「依存関係」にあるため

『依存と自立』を繰り返しながらも、お互いの自立を図ることが
必要になっている。

子どもの「困り感」の発信が弱いため
先回りして、手を差し伸べてきた傾向が強いので

子ども自身が、「自分の困り感」を意識して
自分なりに「発信し」自分なりの「対処方法」「解決能力」を
身につけるためのスキルを、これから意識していく必要がある。


さて、私自身の課題ですが…そのことを考える上で
ふたつのことが、まず問題になります。


ひとつめは、自分自身がかつて「登校拒否」や「過食や拒食症」に陥った
経験があるということ→うつ傾向に陥りやすいこと

さらに、現在40代後半という年齢にあり
どこかに「自分の死んだあと、どうするのか?」という
おそらく強い不安や焦燥感を感じているということがあります。


おかげさまで、学校現場でいま可能な限りの支援をしていただいていることと

いろいろな親の会の方々や、ネットを通じてコミュニケーションの取れる皆様との
関係があって

いまの自分の中でのバランスが保たれているという気がいたします。


さて、いまとても気になっている本が、久保紘章先生のお書きになった

「セルフヘルプ・グループ―当事者へのまなざし―」です。

明石洋子さん氏田照子さん鈴木正子さんなどの、母親として活動していらっしゃる方々の
想いや生き方が、私にはとても身近なものに感じられるからです。


人を支えるということの意味を、改めて考えてみようと思うのは

杖が、なければ歩けない人にとっての杖の必要性と

杖を、いつか必要としない生き方を選択することが可能な場合があるのか?

それは、本人の中での課題との折り合いと

周りとの関係や環境整備をすることで解決を図っていくことができるのか?

あとどれくらい私に時間があるのかを、常に心のどこかで思いつつ

今できること、そして少し先のことを考えていきたいと

心の奥底からささやく声に、素直に従いたいと想っている私がいるのです。


そんな母を、kirikouはどんな風に感じているのでしょうか?

“はは”が想うkirikouと、kirikou自身が想うkirikouとが違うように

kirikouの想う“はは”のことを、私には想像できないかもしれません。

それでも、親子としてこの世にめぐり合えたこと

私の子どもとしてkirikouがこの世に生まれてきたことを

こんなにも、うれしく幸せに思えることが

私に、大きな驚きと不思議な感覚をもたらしてくれることだけは
たしかなことに思われます。


自己満足に陥らないように、皆さまからのいろいろなお言葉を胸に受け止めつつ

また、一歩ずつ一歩ずつ道を探していきたいと想っています。


この頑固さと一途さと真っ直ぐにしか行けない不器用さが

たぶん、私らしさの本質に近いものかもしれませんね…


柔軟性とリラックスと自然体と余裕と笑顔を忘れずに…

今日も、一日をスタートします!!


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12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
スクーリング (ROSE)
2006-06-17 15:35:50
なのですね・・・

いつも 前向きな風待人様。

お子様もそんなお母様の背中を

見ながら きっと色々な事を感じている

のでしょうね~

風待人様の夢とお子様の未来は

きっと繋がっているはず

お互いに光を当てながら 進んで行けたら

素敵ですよね!!

また 遊びに来させてくださいね♪
返信する
スクーリング (ROSE)
2006-06-17 15:35:50
なのですね・・・

いつも 前向きな風待人様。

お子様もそんなお母様の背中を

見ながら きっと色々な事を感じている

のでしょうね~

風待人様の夢とお子様の未来は

きっと繋がっているはず

お互いに光を当てながら 進んで行けたら

素敵ですよね!!

また 遊びに来させてくださいね♪
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すみません (ROSE)
2006-06-17 15:58:25
投稿ダブってしまいました~

ごめんなさい。



スクーリングも→だったのですね。 でした。
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「想い」 (虎右衛門)
2006-06-17 17:34:36
明石・氏田・鈴木さん方とは時折、お話しする機会がありますが、風待人さんのブログからお受けする印象と同じような想いを感じることがあります。それが、「母なるもの」の一つの側面かもしれません。
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ごめんなさい (リリアン)
2006-06-17 21:44:11
この日記を読む限り、私が先にコメントしたことは不要に感じられました。お子さんを心から愛し、笑顔で過ごそうとなさっています。私にはそれができなかったものですから、つい、よけいなことを書き連ねてしまいました。先ほど私がお送りした文は、読み流してください。毎度のことながら、書き込んだあとに落ち込む私です。どうかご容赦くださいませ。
返信する
リラックスと自然体 (arzt7)
2006-06-18 01:24:38
御無沙汰しております。

私のほうは、仕事に追っかけられつつ、

どうにかブログ更新を続けている日々です。



風待人さまの、お子さんとの関わりについての日々の記事、

かげながら拝見していました。



自分自身で感じることですが、

身体のコンディションがよく、

リラックスしてほどほどに脱抑制をした状態が、

前向きなアイディアがひらめくものかなあと感じています。

風待ち人さまもぜひ、コメントにありましたように

「柔軟性とリラックスと自然体と余裕と笑顔」と大切にして

お過ごしください。



以前、「感情は不確実性への対応戦略」と伺いましたが、

その場その場の感情は、

一番必然性のあるものなのかもしれません。

バランスさえ保っていれば、

その時の自分の感情を大切にして

生活していくことで、

実りのある人生につながっていくのではないかと感じています。

私自身、そのような人生を送っていきたいなと思っています。
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「ひとりではない」という安心感!! (風待人)
2006-06-18 06:47:12
ROSE さま



クオリア日記からいらしてくださって、うれしいです。



自分のブログは、どこか肩に力が入ってしまい構えてしまう傾向があります。



もっと自然体で書きたいのに・・・できていないのかもしれません。



あちらのほうが、ひょっとして素直に書けている・・・かも。



「光を当てながら」・・・というのは、すごくいい響きですね~



いろいろな方が、お話してくださることが

きっと素敵なことなんだろうと、いま気がつきました!



またいらしてくださいね!



虎右衛門 さま



そうでいらっしゃいますよね・・・!



(今年の岐阜には、やっぱりスクーリングで行けません・・・)



明石さん氏田さんは講演会で、鈴木さんは本とビデオでですが

お話を伺いました。



その何万分の一くらいのことしか、まだできてはいませんが

おそらく、想いの元は同じなのかもしれませんね・・・



お名前は、存じ上げませんがお近くにいらっしゃる素敵な方も・・・



いつかお目にかかってお話したいと想います!



リリアン さま



お話くださったことは、とてもありがたかったです。



私は、周りが見えなくなってしまいがちで

想うこととできることのバランスを、見極めて

いま何をしていくかを、常にモニターできるといいなぁと想っています。

できていないこともわかって、それでも今できることをやっていこうと想うこと

そのためには、ひとりで考えるのではなく

皆さまとの、関係がたぶん必要なんだと思います。



よろしかったら、またコメントしていただけますよう

どうぞ、よろしくお願いいたします。



arzt 7 さま



バランスが、きっとキーワードかもしれませんね!



どちらかに行き過ぎると、必ず反対方向にゆり戻しがくるような・・・



その振幅が激しいと、無理が出てくるかもしれませんが・・・



人間の身体も、本来その微妙で美しすぎるようにも見える

絶妙なバランスの上に、成り立っているのかもしれません。



いろいろな感情が表れることの

意味やオモシロさにも、ぜひ新しい境地が拓けることを

期待しています。



お忙しい中で、こちらにいらしていただけたこと

私にとっては、ほんとうに心強いです!!
返信する
誰でも悩むこと・・ (あおい)
2006-06-18 17:48:42
こんにちは。寄り道させて頂きました。子どもを育てる事の難しさ、親なら誰もが経験してきました。風待人さまのブログから感じとった事の中から、私の考え(経験から)を言ってみます。子育ては、言葉ではない、言動で親が身をもって行動することで、理想像を追う事でも、大学に行って学ぶ事でも、本や資料を読みあさる事でも無いと思います。もっと身近な日常にこそ子育ての根本があるのではないでしょうか。朝、学校に行く時は笑顔で送り出し、家に帰ればいつもお母さんが居る。それだけの事でも子どもはどれほど安心することでしょう。私が感じるところでは、息子さんに底知れぬ不安感が感じられます。お母さまの興味、勉学を私が否定する事など出来ませんが、今は賢くなるよりも心身が丈夫で、安らぎのある家庭つくりが第一かと思いますが・・。昔から云うじゃないですか・・「つ」がある間に「躾」をする。と。「つ」とは一つ、二つ、三つ・・・・・・九つのことで、「十」はもう「つ」はつきません。十歳までに人間の基礎が出来ると云うことのようです。すでにお読みかも・・「佐賀のかばいばあさん」徳間文庫から。ただのおばさんが長々とお邪魔しまし

た。
返信する
Unknown (いちご)
2006-06-18 21:02:21
風待人さん

いつも あちらの掲示板では 声をかけてくださってありがとうございます。

風待人さんに声をかけていただいて 感謝しています。

ここ数日 こちらのブログ拝見していませんでした。



今日のブログに 支援と配慮という言葉で

私のわかる範囲でお役に立てればと思い書き込みさせて

頂きます。

どちらも 対象のために考えすることですよね。

看護では 支援となると違ったとらえをします。

それは ただ気を目を配るではなくて

つまり、対象となるものの力を引き出しつつ 支えるですよ。

そういう点では 配慮は 対象の力を引き出して支えるという

ニュアンスではなくなるのではと考えます。

老人でも 小児でも 成人でも 個々の対象の持ってる力を引き出し支えるということです。



支援するときの大切なのは お互いパートナーシップであるということです。

ブログで お子さんとのやり取りを

読ませていただきましたが

親的支援は 頑張られている感じます。

病気を受け入れ生活すということは

どんな対象であっても 一方的ではよくないです

でも、風待人さんは会話をし

それを ちゃんとされていると思います。

なかなかできないですよ。 病院でみていると

情報入手も大切ですよね、環境支援を変えていくには

社会システムをしらないと なかなか環境支援にアプローチするのも難しいです。

自分の子供を考えることから 同じ立場の子供を考えることへ

そして 環境整備にもつながるプロセスだと私は思ってます。

お子さんは その日その日こと考え生活するので一杯ですよね

お母さんの立場になると 短期的な目標 長期的な目標が

交互に目の前にたちはだかりますよね。



毎日頑張っていると思いますので

私は 頑張ってとはいいません

長期戦ですので パワーをフルに使わず ちょっとずつ使い

生きていきましょう



パートナーシップです!!

















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違いを認めつつ、分かり合う努力・・・ (風待人)
2006-06-19 00:14:09
あおいさま



貴重なご意見をありがとうございます。



大切なことは同じはずでしょうが

ときに、それぞれの事情があるのも確かです。



ネットの素晴らしさを知ると同時に、限界にも、気づきつつ

でも、できる限りの努力をしていきたいと想っています。



「佐賀のかばいばあさん」は途中まで読みました。



私は、映画「阿弥陀堂だより」のおうめばあさんが大好きです。



目の前に現れたことに対して、自分の想うことに素直に向かっていくことで

よい悪いでは判断しきれない何かもっと違う世界がひらけてくるような

気がしています。



これからの私たちをどこかで見ていていただけると

うれしいです。



またお話お聞かせください。



いちごさま



私もまだ両者の理解が整理できていません。



たとえば、高齢者について

まだ残された機能があるとき、少しでもそれを使えるように配慮すること

機能の消失部分には、きちんとした支援が必要であるとイメージしました。



その加減はとてもむずかしいとは思います。



どちらにしても、その人が受け入れられている、

認められていると感じられることは、とても大切でしょうね・・・
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