Little Tree

日々のいとなみのなかで感じた子どものこと、季節の移ろいやこころに映る風景

クリスマスプレゼント!!

2006-12-25 14:47:12 | Weblog
みなさま、昨日のクリスマス・イブは、いかがお過ごしでいらっしゃいましたか?

日本人の意外と良いところのように思うのは、
私のようにクリスチャンではなくっても、キリストの生誕を祝う夜を
身近な人や家族と愉しく過ごすことができる…

言ってみれば「良い加減」で「こだわりのない大らかさ」といえば言えるような…

もしかすると、おひとりでお過ごしの方もおいででしょうけれど…
それでもなお、夜空にまたたく星の数ほどの、
人の想いと願いがこめられたあたたかなものが
きっと、必ずどこかにあることを信じることができるような…

目には見えないけれど、このブログを通した
こちら側にいる私のようなものの存在と、そちら側にいらっしゃる方の存在を、

もしかしたら、大きな飛躍なく、感じることのできるような…
お互いに、思い起こすことができるところ…のような気もいたします。

(大いに、異論のあるところとは存じますし…
ものごとは、表裏一体のようで、見方を変えれば、ものは言いようでもあり
単純な良い悪いということでもないと思われ
みなさまのおひとりおひとりのお考えの大切なことも承知の上で
あえてその可能性について、思うところを言葉にしてみたまでです。)



さて、お話を地面に着地させてから…続けるといたいしますと

まず23日には、神奈川LD親の会「にじの会」のクリスマス会に
私とkirikouふたりで参加しました。

今年は、2回目ということで、様子は分かっていましたので
それほど緊張する様子もなく、相変わらずkirikou自身のペースで
自分の主張も、やりたいことも交えながら…
ゲームのお手伝いや、お客さん集めにも積極的に自分から声を出したりして
それなりに愉しく過ごしていたようです。

そして、昨日のクリスマス・イブは、おばあちゃんと一緒に夕飯をいただいて
クリスマスケーキを食べました。

注目のkirikouのクリスマスプレゼントについては…

クリスマス・イブの前日に、アレコレ迷って、
やっとのことで最終的に決めたプレゼントのお願いを、サンタさんあてのメモにして
寝る前に枕元の袋に貼り付けて(毎年我が家では、くつしたではないんです…)
イソイソとしながら眠りました。

実は、今年になって、どうもサンタさんの存在について疑念を抱きだしたようで
(おそらく、上に兄弟のいるクラスの子から、なにやら聞いてきたらしく…)

ことあるごとに「お母さん、サンタさんってホントウにいるの~~?」と
こちらの顔を覗きこみ、さらにはじ~っと真っ直ぐに、私の眼を見つめてくるので

私としても、なんて答えようか少し困ったような…けれど
ここで、はぐらかすにしても、夢やその気持ちは、大切にしたいし…ということがありました。

昨晩も、もう一度、お母さんがプレゼントを買ってくるんでしょう?!
という目つきで

「サンタさん、○○○カードの~~~~~~くれるかなぁ?」

と私に聞いてきましたけれど…
とりあえず、最後までお母さんやお父さんではないよ~~というつもりで

「そうだね~。kirikouのほしいプレゼントを、サンタさんが見つけられるといいね~~!」
と言っておきました。

今朝になって、目が覚めたらしい様子で…

「やった~!!」との声が聞こえてきて…私のところに見せに来ました。

「欲しい物だったの~?」とあえて聞いてみると、ニッコリして「うん!」とのこと。

お目当てのものを手にして、もうそちらにすっかり夢中の様子で
それ以上のことは、もうどうでも良いことのようでした。

まぁこんな風にして、今年のkirikouのクリスマスプレゼントも無事に届いて
ひと安心ということで、ホントウに良かったです!!



さて、ここで、もう少し他のお話を続けさせていただきます。

実は先日、早めにおじいちゃんの百か日の法要をいたしました。

淡々としたなか、おじいちゃんのいない日常が過ぎているというところでしょうか…

おばあちゃんは、すぐ近くに住んでおりますので、何かの用事で顔を見にいったり
行けない日には、なるべく電話で話すようにしております。

おばあちゃんは、お世話好きなとても明るい性格なので、
お友だちもたくさんいて、皆さんがご心配してくださって
いろいろとお声をかけてくださるので
とても心強く、ほんとうにありがたくって助かっています。

おかげさまで、毎日のことを、ほとんどひとりで、
きちんと(私よりもずっとていねいに)こなしているので
少なくとも表面上は、とても元気に気丈に過ごしています。

きっと、そのことにあたって、おばあちゃんが
ほんとうに一生懸命に誠心誠意を尽くして、おじいちゃんのことを支え続けて
私たち家族も、できる限りのことをすることを心がけてきたことで

おじいちゃんは、逝ってしまったけれど、残された私たちの中に
「やるだけのことができた。」と思える何かが宿っているのかもしれません。

これで、すべて満足ということは、もしかしたら
人が生きる中で、求めても求めても、得られるものではないのかもしれず

そのときそのときの、より良きことを目指しながら
そのときそのときを、懸命に生きていければ…
それが、何よりの幸せというものなのでしょうか?

けれど、どんなに努力を重ねても、手の届かないことがあることは確かなことで…


それにしても、そんな中、突き抜けたような明るさを、
周りのみんなにも分けてくれるおばあちゃんは、ほんとうにすごいなぁ
と思っています。

そういえば、おばあちゃんが

「なんだか、おじいちゃんが、いまも生きていて
(どこかに…ということだと思いますけれど)いるような気がする。」と言っていましたっけ。

夫も、何だかそんな感じがするらしく、確かにそうですね…

お仏壇のおじいちゃんの写真は、生きているときそのままの笑顔で
居間のテーブルの横に、座っているような…気がしてきますもの。


時間というものは…

いつしか音もたてずに、流れていくもの…

そうとは知りながら、それでもその流れの中で、ふと空を見上げれば…

何とはなしに、かなしいような…さみしいような…

それでもなお、そんなことの繰り返しを、重ねていくものなのでしょうか?

そんな風に、私のほうが、まだときにオロオロとすることもあって…


短歌の講座に出ているときなど、私よりずっと年齢の上の方々のお歌には
それまでの生きていらした年輪と深い想いを感じさせるものが込められていて

ハッとさせられることやドキッとすることも、しばしばあります。


いつでしたか、いつものように青い空に流れる雲を見上げて、ひとり歩いていると

自分自身の子どもの頃からのことや、kirikouが生まれてからのアレコレや

おじいちゃんやおばあちゃんを含めたたくさんの方々の生きていく有り様が

誰という顔もハッキリとはわからないような、何ともいえない感覚として

頭の中を、これがまるで「走馬灯のように…」というかのように

浮かんでは、通り過ぎていく…ようなことがありました。



そんなとき、どうしてもナミダが出てしまって止まらなくなります…

ほんとうに困ったことに、電車に乗っていても、道を歩いていても…

お気に入りの唄を聴いているときにも…本を読んでいるときにも…

お構いなしに、不意にナミダがあふれてきます…


その何とも言いようのないものの存在に、行き当たって

情けないことに、いまの私は、まだ戸惑うばかりです。

そんな自分に気づいた折も折、日曜の朝の番組で、とても素敵な映像に出会いました。

この2年ほど前から、よく気をつけて観るようになった番組で
そのことを、お話しするのに、チョッと気後れがするいいいましょうか
声を出して申し上げるには、実は私なりに相当の勇気がいるんですけれど…

いつも朝早くに目が覚めれば、TVの前で観たり、できるだけ忘れないように録画予約をしておくのが

NHK教育TVで放送している「こころの時代」です。

お馴染みのない方には、チョッととっつきににくくお感じかも知れませんけれど
「こころ」をめぐる、ほんとうに様々な分野の方々のお話を取り上げていて
特定の宗教ということに限らず、

おそらく人として、とても大切な、とても心に響く素晴らしいお話を、毎回伺えます。

大村はま先生の映像や柳澤桂子さんのお話も、
この番組で偶然に観ることができましたし、宮沢賢治について取り上げた回もありました。

昨日の朝は、「国籍は天にあり」-C・B・デフォレストの生涯から-と題した

故竹中正夫さん(同志社大学名誉教授)のお話を、
白鳥元雄さんがお聞きになったものの再放送でした。

C・B・デフォレストという女性のことも、
お話をなさっている竹中正夫さんのことも、何も知らない私でした。

けれど、竹中先生が丹念にその軌跡を追ってお書きになった
『C・B・デフォレストの生涯---美と愛の探求---』(創元社)のお話の中から
デフォルト先生のお心が、今も生きているかのように、私に伝わってまいりました。

(参考までに、
 C・B・デフォレスト先生は、日本の仙台にお生まれになって
 その後、アメリカ人宣教師としてアメリカで学ばれたのち
 神戸女学院の教育と日本の福音伝道のために三五年間働き、
 また戦争中は帰米して日本人収容所で日本人のために真摯に尽くされました。
 そして一九七三年に地上の生涯を終え、
 今は日本の地に眠っていらっしゃるそうです。)

戦争中の難しい時代の日本にあって、女子の教育にご尽力なさったこと
さらに、アメリカの日本人収容所での献身的な活動のお話から、

クリスチャンであるということの確固たる信念がおありの上に
それだけでなく、日本人という宗教的にも異なるものをもつ人々にも
同じように、強い意志とあたたかいお心を持って接していらした
デフォレスト先生のお姿が、生き生きとよみがえるとともに

ほんのささやかな暮らしをしている私にも、
生きるうえでの大きな勇気を与えてくださるように、感じられました。

私にとっては、どこからかチ力ラが湧いてくるような
とてもうれしい素敵なクリスマスプレゼントをいただいたような気がしています。


皆さま、それぞれのお心にも、素敵なプレゼントが届きますように!!



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2 コメント

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メリークリスマス! (hama-wind)
2006-12-25 22:44:15
こんばんは~!
そうでしたね…もう百か日を無事にすまされたんですね?ご苦労様でした…。
実はうちも先日義母をなくしたばかりで…。
でも僕がこう言うのもなんですが、やれることはぎりぎりセーフでやれたかなと? 後悔することも数々ありはするんですけどね(泣)
逝ってしまった時には、大きな喪失感とほのかな満足感…でしょうか。守るべきを失ってしまうって、やはり辛いですが…でも自分なりにであっても最善を尽くしたつもりなので、ほのかな満足感もあったのだと思います。

時は待ってくれません…。あるいは自分が逝くための準備を着々とすすめているばかりなのかもしれませんが…最後に笑えたらいいと思います。
返信する
いろいろなことがあって、大変でいらしたことと思います・・・ (風待人)
2006-12-26 00:06:00
hama-wind さん

最善をお尽くしになって旅立たれたとはいえ
奥様は、さぞかし気を落としておいででしょうね・・・

こころより、お悔やみ申し上げます。

もう少し時が経って、違う形のさみしさが訪れることもあるかもしれませんが
hama-wind さんがお側にいらしたら、きっと大丈夫ですね。

夫がひとりの男で、姉妹とおばあちゃんやおばさんや私・・・
とkirikouが一番身近な孫でしたので・・・
様々なことを引き受けて、大変だったと思います。

kirikouは、ほんとうに感情が吹き出るように
おじいちゃんの亡くなったことが悲しくって仕方がなかったようで
式の最中にも、おお泣きしていました。

夫は、お骨を抱いて帰る車の中で
それまでで一番悲しくなって、はじめて涙が出たと言っていました。

胸を張って、送り出すことは、
やっぱり、なかなかできないものなのでしょうね・・・

おじいちゃんの場合は、家族が見守る中で
ほんとうに最後の最後まで、命を生ききって旅立ったような気がします。

その意味では、きっと大往生といえるのかもしれません・・・

そんな生き方ができたこと
そんな生き方を、家族として身近で見守ることができたことを
こころから感謝しようと、今は思うことにしています。

アタマでは整理がつくような気がしても
感情というものは、なかなか思うようにいかないこともあるような・・・

自分のことも、いざとなると・・・その日まで
絶ちがたいものを抱えて、それをどうにか片づけていけるのかしら?と
ついつい考えてしまう今日この頃デス。

何やかやと気疲れすることもおありでしょうし
まだ一時、いろいろとすることもあるようなので
お疲れが出ませんように、お気をつけてお過ごしください。
返信する

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