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齋藤研究室

ワークショップ「デリダ×ハイデガー×レヴィナス」(2014年10月11日、早稲田大学)報告

2014-10-14 17:42:15 | Information
ワークショップ「デリダ×ハイデガー×レヴィナス」(2014年10月11日、早稲田大学)報告が下記ハイデガー研究会のホームページに掲載されています。ご一読下さい。

http://heidegger.exblog.jp/23113657/
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第3回日独哲学会議「ハイデッガー像は、どう変わるのか?」

2014-09-25 17:45:48 | Information
ハイデッガー像は、どう変わるのか?:第3回日独哲学会議
Wie verändert sich unser Bild von Martin Heidegger?

第3回日独哲学会議「ハイデッガー像は、どう変わるのか?」が下記のとおり、東京ドイツ文化センター主催・日独文化研究所共催・ハイデガー研究会協力にて開催されます。どうぞご参加ください。

講演会/ワークショップ
2014年12月13日(土)18:00-21:00
2014年12月14日(日)16:00-21:00
東京ドイツ文化センター図書館
日本語とドイツ語
参加無料、要参加登録
問い合わせ:03-3584-3203
yoshitsugu@tokyo.goethe.org

『黒ノート』(“Schwarze Hefte“)とは、ハイデッガーが30年代の初めに書き始め、70年代の初めに書き終えた哲学的手記である。黒い表紙のノートが黒い袋に入れられて他の人が誰も近づけないように大切に保管されていたので、ハイデッガー自身がこの手記を『黒ノート』と呼んでいたのである。その一部は欠けているのだが、全体で30冊以上残されていた。それは、手記とはいうものの、決して個人的な書き物といった性格のものではなく、周到に準備された本格的な哲学的テキストなのである。ハイデッガーは、これを全集の一番最後に出版するように指示していた。

『黒ノート』が出版され、それをめぐるメディアでの議論は、沈静化したが、それは我々が、『黒ノート』を読み考える努力する時期が到来したということである。『黒ノート』が我々にとって真の課題となったということである。『黒ノート』以後もハイデッガーは20世紀最大の哲学者とし残るのか、それとも彼の哲学は悪しき価値観を孕むものとして廃棄されるのか。彼の哲学が破棄されるべきだとして、現代哲学の基盤となっている彼の哲学をそう簡単に廃棄することができるのか。

そのように問いながら我々は今回『黒ノート』を我々の課題として受け止める。そしてドイツから『黒ノート』の編者ペーター・トラヴニー氏本人をお迎えする。日本からは哲学研究の前線で活躍する研究者にお集まりいただく。このように独日の英知を結集して『黒ノート』について議論し、その解明に努め、『黒ノート』が我々をどこに導こうとしているかを見定めてみたい。

プログラム:
2014年12月13日(土)18:00-21:00
講演
ペーター・トラヴニー(ヴッパータール大学)
「『黒ノート』の出版は、ハイデッガーの評価に何をもたらすのか?」
齋藤元紀(高千穂大学)
「『黒ノート』の出版は、ハイデッガーの評価に何をもたらすのか?」

2014年12月14日(日)16:00-21:00 
ワークショップ
(1)ペーター・トラヴニー(ヴッパータール大学)
(2)加藤惠介(神戸山手大学)
「いくつかの区別について」
(3)轟孝夫(防衛大学校)
「ハイデッガー『黒ノート』における反ユダヤ主義の存在史的背景」
(4)三島憲一(大阪大学名誉教授)
(5)中田光雄(筑波大学名誉教授)
「ハイデッガーにおける<ドイツ的なもの>と<フランス的なもの>」

司会:渡辺和典(学習院大学)&関口浩(早稲田大学)
通訳:陶久明日香&岡本美枝

共催:日独文化研究所
協力:ハイデッガー研究会

https://www.facebook.com/events/1572136706347582/
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2014年度シンポジウム「21世紀における哲学的思考の射程――政治・経済・文化を結んで」

2014-09-17 17:59:35 | Information
高千穂大学総合研究所では、2014年度シンポジウム「21世紀における哲学的思考の射程――政治・経済・文化を結んで」を11月29日(土)14:00〜16:30、高千穂大学セントラルスクエア2階「タカチホホール」にて開催いたします。申し込み等の詳細は追って本学ホームページに掲載いたします。どうぞ奮ってご参加ください。

***

本シンポジウムの狙いは、現代の日本において哲学することの意義を、政治・経済・文化という三つの側面から検討し、それら三つの側面を結ぶ哲学的思考の射程を浮き彫りにすることにある。
21世紀を迎えた日本は、大きな曲がり角を迎えつつある。かつてのような高度経済成長時代は終わりを告げ、国内人口の減少や経済のグローバル化の流れの影響により産業構造の変化が急速に進みつつある。そうしたなかで政府が打ち出した成長戦略は必ずしも十分な効果を上げているとは言えず、原発震災問題への対応もいまだ後手に回っている。オリンピック招致を盛大に称揚する傍ら右傾化を強める政府の姿勢は、アジアの近隣諸国との軋轢をますます高めている。また伝統文化に加えて、マンガやアニメに代表される現代日本独自のサブカルチャー文化が世界各国で大きな注目を集める一方、国内ではそうした文化の極端な細分化と自閉化が進んでいる。
従来、こうした諸現象に潜む問題は必ずしも全体として考察されてはこなかった。その原因の一つは、専門分化が進むあまり、政治・経済・文化の各側面に通底する思想や原理への目配りが十分になされてこなかった点に求められる。明治維新以後、西欧流の近代化を推し進め、二度の世界大戦を経て今や成熟期に達した現代日本において、長くその土台を形作ってきた思想的基盤を統合的かつ全体的に問い直すべき時が来ている。
本シンポジウムでは、政治哲学・文化哲学につうじた新進気鋭の若手哲学者、大久保歩氏、大森一三氏の二名を招き、本学人間科学部の齋藤元紀氏とともに、現代日本の政治・経済・文化を支えるそれぞれの根本思想を哲学的・思想史的観点から検討しなおすと同時に、それらを横断する哲学的思考の射程を明らかにすることを目指す。

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高千穂大学 総合研究所シンポジウム

日 時: 平成26年11月29日(土) 14:00〜16:30
場 所: 高千穂大学 セントラルスクエア2階「タカチホホール」
テーマ: 「21世紀における哲学的思考の射程――政治・経済・文化を結んで」

講演1.「代表制の危機と表象批判」大久保歩氏(大阪大学)

講演2.「脱成長の経済哲学」齋藤元紀氏(高千穂大学人間科学部教授)

講演3.「文化と消費の哲学」大森一三氏(法政大学)

4.パネルディスカッション 大久保歩/齋藤元紀/大森一三

http://www.takachiho.jp/research/institute.html
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2014年度高千穂大学総合科目B連続講演「危機の時代と哲学の未来」申し込みは9月22日まで。

2014-09-17 15:35:50 | Information

2014年度高千穂大学総合科目B連続講演「危機の時代と哲学の未来」(The Crisis of our Age and the Future of Philosophy)の申込みが、下記の通り9月1日より受付中です。申込み期限は22日まで。定員150名、応募者多数の場合は杉並区民を優先いたします。現代日本を代表する哲学者たちによる大型連続講演。皆様ぜひ奮ってご参加ください。
申し込みは以下から。


ポスターのダウンロードはこちらから。

なお、「広報すぎなみ」9月11日号にも開催案内は掲載中です。

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・募集受講者:150 名(応募者多数の場合には、杉並区民の方を優先いたします)
・申込期間:平成 26 年 9 月 1日(月)(開始)〜22 日(月)(必着)
・申込方法:往復ハガキ、FAX または e-mail に「高千穂大学総合科目 B 受講希望」と明記し、住所、氏名(フリガナ)、年齢、電話番号(FAX の方は FAX 番号)、性別、職業をお書きの上、高千穂大学総合科目係へ。

〒168-8508 杉並区大宮 2-19-1

FAX 03-3313-9034

e-mail sogo@takachiho.ac.jp

※e-mail でお申込みをされた方で受付確認メールが来ていない方は、お手数ですが再度FAX にてお申込みをお願いいたします。(受付確認メールは、受信後 2 日程度で送信予定です)
http://www.takachiho.jp/_1510/course.html
***

講座趣旨

世界のいたるところで、そしてさまざまな分野で「危機の時代」の到来が語られて久しいが、日本もその例外ではない。未曽有の震災と原発事故の被害も今なお癒えたとは言えず、その余波のもと、政治・経済・文化など諸分野において混乱と動揺が引き起こされている。しかし他方、あまりにも繰り返し声高に叫ばれるあまり、私たちはこの「危機」という言葉にもはや無感覚になっているのではないか。そればかりでなく、私たちは真に危機的な現状に対する冷静な眼差しと判断力を失っているのではないか。そしてこのような趨勢は、いまや学問の府、大学にも及んでいるのではないか。
哲学は、しばしばそうした時代の危機と闘う役回りを担ってきた。今をさかのぼること約80年前、第二次世界大戦前夜の「危機の時代」に遭遇した哲学者フッサールは、終わりゆくヨーロッパの学問を憂い、理性という思考の力に希望を託した。フッサールからさらに遡ること約50年前、すでに同時代の学問や教養の衰退に危機感を募らせていた哲学者ニーチェは、反時代的な思考の重要性を説き、自らの書物の副題に「未来の哲学の序曲」と記した。今、この時代において私たちに迫っているのは、いかなる危機なのだろうか。またそうした危機をくぐりぬけて私たちがこれから耳にすることができるのは、どのような調べの哲学なのだろうか。

本講座では、「危機の時代と哲学の未来」と題してわが国を代表する哲学者たちを招き、全14回の連続講演会を開催する。現代における危機の正体を多様な角度から検討するとともに、将来の哲学像を究明することが、本講座の狙いである。

講座予定 時間:毎週火曜日(10:40-12:10) 会場:高千穂大学セントラルスクエア2階タカチホホール

第1回 9月30日 「危機の時代と哲学の未来――本講座の狙いと課題」 齋藤元紀 本学教授
第2回 10月7日 「日本の近代化と啓蒙の意味と課題――人間の心と社会システムの「成熟」を考える――」牧野英二 法政大学教授
第3回 10月14日 「対話としての哲学の射程 ――グローバル時代の新たな哲学運動」 梶谷真司 東京大学准教授
第4回 10月21日 「言葉が開く宇宙――『おくのほそ道』に学ぶ」 魚住孝至 放送大学教授
第5回 10月28日 「現代における心の危機と哲学」 信原幸弘 東京大学教授
第6回 11月4日 「「世界の終わり」と世代の問題」 森一郎 東北大学教授
第7回 11月11日 「民主主義の危機と哲学的対話の試み」 小野原雅夫 福島大学教授
第8回 11月18日 「危機の/と固有性――ハイデガーとジャンケレヴィッチを手がかりに」 斎藤慶典 慶應義塾大学教授
第9回 11月25日 「危機の時代とハイデガー」 高田珠樹 大阪大学教授
第10回 12月2日 「戦争と戦争のあいだ――二十世紀フランス思想のケースから」 澤田直 立教大学教授
第11回 12月9日 「〈アウシュヴィッツ以後〉の哲学」 宮裕助 新潟大学准教授
第12回 12月16日 「はじまりについて」 矢野久美子 フェリス女学院大学教授
第13回 1月13日 「大学の危機と哲学の問い」 西山雄二 首都大学東京准教授
第14回 1月20日 「危機の超克と来るべき哲学――本講座の総括と展望」 齋藤元紀 本学教授

※内容・講師は変更する場合があります。

注意事項
1.受講の際は、講座開始 10 分前までに「受講証」をご提示のうえ、受付を済ませてください。
2.駐車場はございませんので、お車でのご来校はご遠慮ください。なお自転車・バイクは指定の駐輪場に置いてください。
3.公開講座期間中は、「受講証」の提示により本学図書館が利用できます。但し、図書等の貸し出しはいたしません。
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近日刊行『サルトル読本』に寄稿しました

2014-08-24 08:00:08 | Information
『サルトル読本』(澤田直編、法政大学出版局)が10月刊行予定。多方面に今なお影響を与え続けるサルトルの全貌を明らかにする最新論集。錚々たる顔ぶれの執筆陣に交じり、私もハイデガーとサルトルのかかわりをめぐって一編寄稿しました。ご期待ください。

http://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-15069-2.html
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ワークショップ「デリダ×ハイデガー×レヴィナス」

2014-08-12 02:45:11 | Information
ワークショップ「デリダ×ハイデガー×レヴィナス」
日時:2014年10月11日(土)10.00-18.00
場所:早稲田大学戸山キャンパス(文学部)33号館第一会議室
主催:脱構築研究会、ハイデガー研究会、レヴィナス研究会

1964年、若きデリダは高等師範学校にて講義「ハイデガー――存在の問いと歴史」を実施し、エマニュエル・レヴィナス論「暴力と形而上学」(1964年)を発表し、彼らとの哲学的対話を深化させていた。それから半世紀経った今年、デリダの没後10年に際して、これら三人の思想家に関するワークショップを脱構築研究会、ハイデガー研究会、レヴィナス研究会の共同主催で開催する。



ポスターのダウンロードはこちら

10.00-12.00 第1部 ハイデガー×デリダ 司会:齋藤元紀(高千穂大学)
川口茂雄(青山学院大学)「前代未聞、音声中心主義」
峰尾公也(早稲田大学)「ハイデガー、デリダ、現前性の形而上学――その批判の解明」
亀井大輔(立命館大学)「自己触発と自己伝承――デリダの『ハイデガー』講義をめぐって」

13.00-15.00 第2部 レヴィナス×デリダ 司会:藤岡俊博(滋賀大学)
馬場智一(長野県短期大学)「融即から分離へ――ハイデガー講義『哲学入門』(一九二八〜二九年)の聴講者レヴィナス」
小手川正二郎(國學院大學)「暴力と言語と形而上学――「暴力」をめぐるレヴィナスとデリダの対決」
渡名喜庸哲(慶応義塾大学)「デリダはレヴィナス化したのか」

15.30-18.00 第3部 全体討論 デリダ×ハイデガー×レヴィナス 司会:西山雄二(首都大学東京)
藤本一勇(早稲田大学)、宮裕助(新潟大学)
齋藤元紀(高千穂大学)、藤岡俊博(滋賀大学)

発表要旨

川口茂雄(青山学院大学非常勤講師)「前代未聞、音声中心主義」
「音声中心主義」について、あらためて考えてみる。デリダの前期の主要著作、『「幾何学の起源」序説』、『声と現象』、『グラマトロジーについて』では、「音声中心主義phonocentrisme」や「自分が話すのを自分で聴くs’entendre-parler」といった語彙/概念が、論の中心的な賭け金を担っている。のちのデリダの著作ではこれらの語彙は登場しなくなるが、たとえば掛け言葉(駄洒落)がデリダの著述の特徴であり続けたことは、「音声中心主義」にまつわる問題系がデリダ的思索の道筋であり続けていたことを暗示しているのかもしれない。ところで、デリダの駆使するさまざまな概念/語彙は、ハイデガーのそれらを換骨奪胎するような仕方で生まれてきたものが多い。とすると、「音声中心主義」や「自分の声を自分で聴く」は、ハイデガー哲学のなかのどういうモーメントと呼応しているのだろうか? そしてハイデガーの思想は「音声中心主義」なのか? こうした点について、しばし考察をしてみたい。

峰尾公也(早稲田大学)「ハイデガー、デリダ、現前性の形而上学――その批判の解明」
 ハイデガー全集の継続的刊行に伴い、当時の限られた資料によってデリダがなさんとしたハイデガー解釈を、今日より広範な資料を用いて批判的に検討することが可能になってきている。「存在」を「現前性」として規定してきた伝統的存在論に対するハイデガーの「解体」を、デリダは「現前性の形而上学」の「脱構築」として継承した。彼は更に、ハイデガー自身も依然としてこの「現前性の形而上学」の内に留まっているとみなし、ハイデガー哲学に対する脱構築へとこれを展開させる。よく知られたデリダのこの解釈はしかし、一体いかなる点においてハイデガーが「現前性の形而上学」に留まっていると言わんとしているのか。ハイデガー哲学において「現前性」は決して一義的に理解可能なものではなく、彼の問いの移り変わりに応じて多様な仕方で語られているものである。然らば、「現前性」の意味はまさしくそれを論じる際にハイデガーが立てている問いとの関係において見定められねばならない。
 それゆえ本発表では、第一に、前期のハイデガーにとって「現前性(Anwesenheit)」がどのように理解されていたのかを、特にマールブルク期の幾つかの講義ならびに『存在と時間』を通じて確認し、第二に、そうした前期の問いからの変化が生じている後期のテクストにおいて、この概念がどのように理解されているのかを明らかにする。第三に、「ウーシアとグランメー」におけるデリダのハイデガーに対する「現前性の形而上学」という批判の解明を試みる。

亀井大輔(立命館大学)「自己触発と自己伝承――デリダの『ハイデガー』講義をめぐって」
 昨年刊行された『ハイデガー――存在の問いと歴史(1964−65)』は、初期デリダがどのようにハイデガーを読解したかを明らかにする講義録である。従来の『グラマトロジーについて』や『哲学の余白』などで読める初期デリダのハイデガーをめぐる議論は、断片的・部分的なものにとどまり、その全貌はみえにくかった。しかし本書は、現存在の固有性、存在論的差異、「現前の形而上学の脱構築」、隠喩、本来性/非本来性、といった重要な論点を提出しつつ、デリダのハイデガー理解の道筋を具体的・全体的に描き出すものであり、初期デリダとハイデガーとの関係を考察する上で欠かせない資料である(さらには、「ウーシアとグランメー」はこの講義の続編として位置づけられることで、より十全な理解が可能となる)。
 さて、本書の後半部では、『存在と時間』第二部の時間性と歴史性の問題についての読解が繰り広げられている。そのなかでデリダは、『存在と時間』第74節に登場する自己伝承(Sichüberlieferung)という概念に注目し、それを「自己触発」(Selbst-affektion)――周知のように、『カントと形而上学の問題』において登場した概念――の別の側面として解釈している。デリダにおいて「自己触発」は、他なるものの触発を同時的に含んだ自己の触発として捉え直されることで、「差延」の運動を表わす用語のひとつとなっているが、本書の議論は、この概念が歴史性としての側面をもち、「反復」の問題と結びついた「自己」の「伝承」でもあるということを示している。
 本発表はこうした議論に注目する。それを考察するために、まず準備的作業として『ハイデガー』講義におけるデリダの『存在と時間』読解の道筋を簡潔に辿ったうえで、次に自己伝承としての自己触発の議論に焦点を絞りこんでデリダの解釈とその内実を明らかにし、それによってデリダの自己触発の概念に歴史の次元を読み取ることにしたい。こうした読解によって、初期デリダの脱構築論にハイデガーが不可欠な位置を占めていることがあらためて明確になる。たとえば『声と現象』の反復可能性や〈自分の声を聞く〉などの問題系は、以上のハイデガー解釈を前提としつつ、ハイデガー哲学を批判の射程に含んだ議論であることが判明すると思われる。

馬場智一(長野県短期大学)「融即から分離へ――ハイデガー講義『哲学入門』(一九二八〜二九年)の聴講者レヴィナス」
 フライブルク留学に関して、レヴィナスはフッサールに会いに行き、ハイデガーを発見したと回想している。留学の最後の時期にハイデガーの推薦状を得てダヴォスに行き、カッシーラーとハイデガーの間の世紀の討論を目の当たりにしたレヴィナスは、パリから来たガンディヤックらに『存在と時間』の解説を長々としてみせたという。すでにこの名著の枢要を自らのものにしていた若きレヴィナスは、このダヴォスセミナーの直前にフライブルクで行われていた講義をどのように聴いたのだろうか。いわゆる形而上学期に入っていたハイデガーは、一九二七年の主著とは違った歩みを見せ始めていた。おそらくレヴィナスはこの講義をかなり批判的に捉えていた。その痕跡を『時間と他者』のなかに読み取ることができる。『哲学入門』で展開される相互共存在および分有の論理は、『全体性と無限』で展開される「分離」という発想がもつ批判の射程に完全に含まれている。本発表では、以下の点を検討しながら、『哲学入門』で示された共存在概念との全面的対決のなかでレヴィナスの分離概念を捉え返してみたい。1.『時間と他者』(一九四八年)とヴァールが『哲学入門』を扱ったソルボンヌ講義(一九四六年)の関連。2. レヴィナスが行った融即概念の検討(レヴィ・ブリュール、ルイ・ラヴェル)と『哲学入門』における相互共存在。3.『哲学入門』に一部を依拠したハンス・ライナー『信の現象』とレヴィナスによる書評。最後にこの「対決」を踏まえ、共同性に関する二つのタイプの思考の相違について考えてみたい。

小手川正二郎(國學院大學)「暴力と言語と形而上学――「暴力」をめぐるレヴィナスとデリダの対決」
 2014年は、デリダ没後10年にあたるだけでなく、デリダのレヴィナス論「暴力と形而上学」(1964年)発表から半世紀という節目にあたる。筆者はこれまで、「暴力と形而上学」に端を発するレヴィナスの「デリダ的読解」への応答を、『全体性と無限』の再読解を通じて試みてきた(拙論「レヴィナスにおける他人(autrui)と〈他者〉(l’Autre)――『全体性と無限』による「暴力と形而上学」への応答」、『哲学』第65号、日本哲学会、2014年参照)。本論は、この一連の応答の試みをより包括的な視点から再吟味し、『全体性と無限』以後のレヴィナスの歩みを視野においたうえで、「暴力」をめぐるレヴィナスとデリダの議論がいかなる点で異なり、いかなる点で(互いに対して)より厳密と言えるのかを、具体的な形で提示することを試みる。
 まず、レヴィナスの「デリダ的読解」に対して『全体性と無限』の真の論点を浮き彫りにする。(1)レヴィナスは、他者(l’autre)を他人(autrui)に縮減する人間中心主義者であるのではなく、他人との関係の分析において〈他者〉(l’Autre)という概念の必要性を論証している。(2)『全体性と無限』は、「他者への暴力」ではなく、自我に働きかける〈他者〉の暴力および非暴力(「自我への暴力/非暴力」)を主題としている。(3)レヴィナスは、言語を、他者を名指す暴力に縮減することなく、言語の名指し機能を特権化する言語論に対抗しうる肯定的な言語論を提起している。本論は、とりわけ三つ目の論点がいかなる具体性・厳密さのもとで提示されうるかを後期レヴィナスの歩みも射程に入れたうえで論ずる。そのために、こうしたレヴィナスの論点との対比のもとで、「暴力と形而上学」やデリダの後の論考に見られるデリダ独自の暴力論の展開可能性を具体的な形で示す。このようにしてデリダには欠けているとされてきた体系的議論を再構成し、具体的な事柄に即してレヴィナスの議論との体系的な比較をなすことが可能となる。最終的には、「暴力」をめぐるそれぞれの洞察が、現実の「暴力」的な事象に、いかなる角度からいかなる厳密さでもって迫っていると言えるのかを検討したい。

渡名喜庸哲(慶応義塾大学)「デリダはレヴィナス化したのか」
 今日的な視座からデリダ×レヴィナス(×ハイデガー)の関係を再考するにあたり、まずもって、前二者の死後に公刊された講義録や講演の記録などによって徐々に明らかになりつつあるコーパスに目をやる必要がある。なかでも、本発表は、レヴィナス『著作集』第一巻「捕囚手帳」にある「現存在かJか」との二者択一から出発したい。この一文は、戦中の捕囚収容所でつづられていた手帳に見られるもののため「ユダヤ教(judaïsme)」が略字で書かれているが、そこにはハイデガーに対する態度決定と「ユダヤ的存在」なるものを自らの哲学の骨格としようとするレヴィナスの意気込みが見てとられよう。ところで、この文句が惹起する問題系は、レヴィナスがその後に展開してゆくその哲学的企てがいかなるものであったかを再考する必要性を示唆するばかりでない。« Jewgreek »と« greekjew »とについて、あるいは「アテネ」と「イェルサレム」について、デリダの「暴力と形而上学」が一見すると脱構築したかに見えるにせよ、この問題系全体は、今日――デリダの「仏語圏ユダヤ人知識人会議」参加および2000年のデリダ・コロック「ユダヤ性(Judéités : questions pour Jacques Derrida)」の後で――もう一度考えなおすべきように思われる。とりわけ80年代以降のデリダが「正義」や「メシアニズム」等の「レヴィナス的な」語彙を用いるようになり、ユダヤ系の思想家への言及を増やしていっているのが事実だとすれば( « Interpretations at war », Les yeux de la langue, etc.)、なおさらそうであろう。なかでも正義、許し−救済−和解、メシアニズム、贈与/犠牲といったさまざまな論点において、後期デリダとレヴィナスが見せる周知の近しさについて改めて検討しなおす必要がある。ちなみに、こうした主題は何某の哲学者における「ユダヤ性」云々に還元されない。レヴィナスが「捕囚手帳」において、ハイデガーの「被投性」を「遺棄(déréliction)」と訳し、これに「父」による「任命」を対置し、さらにそこに「救済」を読みとっていたことを考えると、そこから、デリダ×レヴィナス×ハイデガーを考える際に重要な一つの視角が得られるだろう。

下記ハイデガー研究会、脱構築研究会、レヴィナス研究会のホームページもあわせてご覧ください。
http://heidegger.exblog.jp/22723521/
http://www.comp.tmu.ac.jp/decon/index.html
http://levinasjp.exblog.jp/20999820/
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第3回パイデイア哲学カフェ@すぎなみ

2014-07-12 21:56:09 | Information
第3回パイデイア哲学カフェ@すぎなみが下記のとおり開催されます。
試験の終わった大学生のみなさん、ウィークディは忙しい社会人のみなさん、地元杉並のみなさん、そして哲学対話に関心を寄せるみなさん、今回はたっぷり2時間で設定しました。ご遠慮なくぜひどうぞ!

テーマ:「ほんとうの友だちとは?」

日時:2014年8月2日(土)16:00-18:00

場所:高千穂大学セントラルスクエア4階カフェテリア(*エレベーターで4Fまで上がり、カフェテリア奥までお越しください)

http://paideiatakachihophilosophy.wordpress.com/

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講演「哲学的対話の可能性」のお知らせ

2014-07-08 16:19:38 | Information
2014年7月10日、川崎市多摩区PTA連絡協議会セミナーにて「哲学的対話の可能性−『子供の哲学』を中心に」と題してお話します。
哲学対話の楽しさ、ぜひ感じとっていただけたらと思います。

日時 7月10日(木) 9:30-11:30
場所 川崎市多摩区役所(多摩区総合庁舎)5階 第1・第2学習室にて。








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連続講演「危機の時代と哲学の未来」講演者・題目・日程のお知らせ

2014-07-08 15:36:48 | Information
高千穂大学秋期総合科目B「危機の時代と哲学の未来(The Crisis of our Age and The Future of Philosophy)」講演者・題目・日程がこのほど下記のとおり決定いたしましたので、お知らせいたします。





講座予定
月日 内容 講師名 備考
第1回 9月30日 「危機の時代と哲学の未来――本講座の狙いと課題」 齋藤元紀 本学教授
第2回 10月7日 「日本の近代化と啓蒙の意味と課題――人間の心と社会システムの「成熟」を考える――」 牧野英二 法政大学教授
第3回 10月14日 「対話型の哲学の未来――「哲学をすべての人に」」 梶谷真司 東京大学准教授
第4回 10月21日 「言葉が開く宇宙――『おくのほそ道』の時-空間」 魚住孝至 放送大学教授
第5回 10月28日 「現代における心の危機と哲学」 信原幸弘 東京大学教授
第6回 11月4日 「世代の問題」 森一郎 東北大学教授
第7回 11月11日 「民主主義の危機と哲学的対話の試み」 小野原雅夫 福島大学教授
第8回 11月18日 「危機の/と固有性――ハイデガーとジャンケレヴィッチを手がかりに」 斎藤慶典 慶應義塾大学教授
第9回 11月25日 「危機の時代とハイデガー」 高田珠樹 大阪大学教授
第10回 12月2日 「戦争と危機意識」 澤田直 立教大学教授
第11回 12月9日 「〈アウシュヴィッツ以後〉の哲学」 宮裕助 新潟大学准教授
第12回 12月16日 「はじまりについて」 矢野久美子 フェリス女学院大学教授
第13回 1月20日 「大学の危機と哲学の問い」 西山雄二 首都大学東京准教授
第14回 1月27日 「危機の超克と来るべき哲学――本講座の総括と展望」 齋藤元紀 本学教授
※内容・講師は変更する場合があります。

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現代の日本を代表する哲学者たちによる全14回の連続講演。2014年9月30日より、毎週火曜日10:40-12:10に高千穂大学セントラルスクエア2階タカチホホールにて開催いたします。参加無料・要予約。募集受講者は150名。応募者多数の場合には、杉並区民の方を優先いたします。講演内容・日時、ならびに申し込みの詳細については追ってお知らせいたします。ご期待ください。

*なお、内容・講師は変更の場合があります。

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講座趣旨
世界のいたるところで、そしてさまざまな分野で「危機の時代」の到来が語られて久しいが、日本もその例外ではない。未曽有の震災と原発事故の被害も今なお癒えたとは言えず、その余波のもと、政治・経済・文化など諸分野において混乱と動揺が引き起こされている。しかし他方、あまりにも繰り返し声高に叫ばれるあまり、私たちはこの「危機」という言葉にもはや無感覚になっているのではないか。そればかりでなく、私たちは真に危機的な現状に対する冷静な眼差しと判断力を失っているのではないか。そしてこのような趨勢は、いまや学問の府、大学にも及んでいるのではないか。
哲学は、しばしばそうした時代の危機と闘う役回りを担ってきた。今をさかのぼること約80年前、第二次世界大戦前夜の「危機の時代」に遭遇した哲学者フッサールは、終わりゆくヨーロッパの学問を憂い、理性という思考の力に希望を託した。フッサールからさらに遡ること約50年前、すでに同時代の学問や教養の衰退に危機感を募らせていた哲学者ニーチェは、反時代的な思考の重要性を説き、自らの書物の副題に「未来の哲学の序曲」と記した。今、この時代において私たちに迫っているのは、いかなる危機なのだろうか。またそうした危機をくぐりぬけて私たちがこれから耳にすることができるのは、どのような調べの哲学なのだろうか。
本講座では、「危機の時代と哲学の未来」と題してわが国を代表する哲学者たちを招き、全14回の連続講演会を開催する。現代における危機の正体を多様な角度から検討するとともに、将来の哲学像を究明することが、本講座の狙いである。
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第2 回パイデイア哲学カフェ@すぎなみ「大人とはなにか?」開催のお知らせ

2014-06-13 17:48:44 | Information
第2 回パイデイア哲学カフェ@すぎなみ開催のお知らせ

大好評を受け、第2 回パイデイア哲学カフェ@すぎなみ、6月27日(金)17:00より、高千穂大学セントラルスクエア屋上にて開催します!

今回のテーマは、前回のカフェで多くの意見があがった「大人とはなにか?」。

「大人」と聞いて、みなさんは何を連想しますか。頼りがいや包容力のある憧れの存在でしょうか。それとも、どこか一抹の寂しさを覚えなくもない存在でしょうか。法の上では一般に20才からが成年とされていますが、ただ年齢を重ねただけで「大人」と言えるわけでもなさそうです。

ほんとうの「大人」の意味、夕風に涼みながら、都心のビルを向うに眺めて、ちょっぴり「大人」気分でみんなで考えてみましょう。





哲学カフェとは

1992 年にフランスで始まった哲学カフェ。その後、カフェ活動に共感する人たちによってだんだんと広まり、現在では、フランスのみならず日本をはじめ世界各国で開かれるようになりました。哲学カフェに決まったスタイルはありません。ファシリテーターという名の進行役のもと、あるテーマについて自由に話し聴き考えていきます。参加資格もフリー。その名のとおり、コーヒーやティーを片手にゆっくりお話して思考するひとときをすごします。哲学や文学、商学や経営学、ボクシングやマイクロシーベルトやベースギターについての知識はまったく必要ありません。哲学カフェは知っていることを競い合う場ではないからです。

カフェマナー
ただしマナーはありますのであしからず。3 つのルールを守りましょう。
1. 話し手・聴き手は みな平等
カフェの時間は、年齢や身分や職業や男女の違いなどによる目上目下の差は消えます。一人一人はかけがえのない対等な話し手・聴き手となり、いつもは偉い社長さんや先生もカフェの時間は偉くなくなります。
2. じっくり聴いて わかりやすく話す
話を聴くときは最後まで聴き、話すときにはむずかしいことばを使わずにわかりやすくまとめて話しましょう。話の途中でことばにつまってしまったら、どうぞ遠慮なく小休止してください。
3.イチに応答 ニに応答 サンシがなくて ゴに応答
自分の意見を言うときには、他の人が述べた意見に関連させて話すようにしましょう。他の人は全員に向けて「ノックノックコンコン」と話をします。それに応答するように心がけましょう。「は~い、どなたですか?わたしの思考をノックするのは~」って感じで受けとめて話を始めてください。

ファシリテーターは、全員が対話に参加でき、生き生きと対話が流れるようにお手伝いをする黒子(『黒子のバスケ』のクロコよ)です。知識や意見を押しつけることも発言を強要することもありません。ご安心ください。

Let’s join us !! さあ哲学カフェのはじまり、はじまり !!

2014 年 6 月 27 日(金)
17:00~18:30
高千穂大学セントラルスクエア屋上*
*エレベーターで4Fまで上がり、右手の階段からお越しください。
*なお雨天のさいは4Fカフェテリアにて開催します。

予約不要・参加自由・飲み物( コーヒー・紅茶・お水)無料*
* カフェで楽しいひとときをすごしていただけましたら運営費のチップ代わりにお一人ワンコイン(100 円ほど)いただければ幸いです。

主催: 高千穂大学哲学研究会パイデイア
世話人: 齋藤元紀・松丸啓子・染谷昌義・木村正人
問い合わせ先: paideiatakachihophilosophy@gmail.com
Twitter: https://twitter.com/PAIDEIA_TUSP
Facebook: http://www.facebook.com/paideiatakachihophilosophy
URL: http://paideiatakachihophilosophy.wordpress.com/
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