いきなりチョークは投げるは、ビンタはかますは、おまけに足蹴りはあるは、怒らせたら夏の暑さも冬の寒さも吹き飛んでしまうようなカマキリ先生に、小学校の頃、3年間たて続けにお世話になった。その先生がつい最近も手紙をくれた。時おり、タイミングを見計らっていたかのように、こちらがついたるんでいたりすると、太字の万年筆で書いた骨太の文章で喝を入れてくるのである。
カマキリと自称するだけあって、目がそれだけで独立しているかのようである。あの目なら、こちらがどこにいようと、その動きを察することができるのであろう。ただし、なかなかの男前ではある。物理的年齢からいえばもう初老の域も脱しているが、たぶん今もダンディであろう。
文面には落語のような洒脱さがみなぎり、しかもそんじょそこらの知識人を寄せ付けないこわさがある。言ったことを自ら行動で示すからだと思う。読んだほうは、微笑みながらも、どうやら先生はまた動くらしいという心持になる。懐に爆弾を抱えているような文章だ。
カマキリは、ある日突然、大衆食堂をやると言い出し、うそかと思っていたらとうとう新宿の若松町に「山のべ」という飯屋を開いてしまった。呼ばれて、二回ばかり訪ねたことがある。やはり、味のほうはとても褒められたものではなかった。それでも、「ポロポロ」の田中小実昌がよく酒を飲みにきたらしい。近くに住んでいたのでしょう。それに、先生も大の飲兵衛だったから。
手紙と一緒に、とっておきのオリジナル季刊ニュースレターが入っていた。早速読んでみて、終わりのところでガツーンと脳髄に来た。こう書いてあったのである。
「この文を書いている間、心臓のこと、肺のことを忘れていました。処が、拍動も呼吸も止まりませんでした。まさに、護られて、生かされている訳です」
たしかムカデは、どうやって足を踏み出そうかと考え始めると拉致があかない、と何かに書いてあった。僕らもそうだ。
ほんとだ、ちゃんと生きているではないか。ふとそう思ったのは、コンパで無理やり酔わされて、四谷の土手から転げ落ちたことに翌日気づいて以来数十年ぶりのことである。
さて宇宙のどこかに向けて感謝したいと思うが、気持ちが通じるだろうか。
カマキリと自称するだけあって、目がそれだけで独立しているかのようである。あの目なら、こちらがどこにいようと、その動きを察することができるのであろう。ただし、なかなかの男前ではある。物理的年齢からいえばもう初老の域も脱しているが、たぶん今もダンディであろう。
文面には落語のような洒脱さがみなぎり、しかもそんじょそこらの知識人を寄せ付けないこわさがある。言ったことを自ら行動で示すからだと思う。読んだほうは、微笑みながらも、どうやら先生はまた動くらしいという心持になる。懐に爆弾を抱えているような文章だ。
カマキリは、ある日突然、大衆食堂をやると言い出し、うそかと思っていたらとうとう新宿の若松町に「山のべ」という飯屋を開いてしまった。呼ばれて、二回ばかり訪ねたことがある。やはり、味のほうはとても褒められたものではなかった。それでも、「ポロポロ」の田中小実昌がよく酒を飲みにきたらしい。近くに住んでいたのでしょう。それに、先生も大の飲兵衛だったから。
手紙と一緒に、とっておきのオリジナル季刊ニュースレターが入っていた。早速読んでみて、終わりのところでガツーンと脳髄に来た。こう書いてあったのである。
「この文を書いている間、心臓のこと、肺のことを忘れていました。処が、拍動も呼吸も止まりませんでした。まさに、護られて、生かされている訳です」
たしかムカデは、どうやって足を踏み出そうかと考え始めると拉致があかない、と何かに書いてあった。僕らもそうだ。
ほんとだ、ちゃんと生きているではないか。ふとそう思ったのは、コンパで無理やり酔わされて、四谷の土手から転げ落ちたことに翌日気づいて以来数十年ぶりのことである。
さて宇宙のどこかに向けて感謝したいと思うが、気持ちが通じるだろうか。