レッドダスト

レッドダスト

負担が掛し悲しん

2016-10-25 14:51:35 | 日記

Hello!! 兄の部屋へ出入りしているおばあさんの立てる音が聞こえ、目が醒める。
 覗いてみるとかなり重そうな荷物(ダンボール)を運ぼうとしていた。放っておくわけにもいかないかなと、眠い頭を冷水で驚かしつつ徐々に現実の世界に足を踏み入れる。

 正直に言って、目覚めの一発にいきなりこんなことを手伝わされたら面倒だとばかり思っていた。
 しかし、おばあさんの必死で困り果て少でもいるかの顔を近くに知りつつ、見て見ぬ振りは難しい。
 しかも動かそうとしていた荷物はかなり大きく多分に重量もあるようで、一人で持ち上げでもしようものなら膝や腰にるだろうし――後で私が確認した限りでは、やはりおばあさん一人ではまず不可能なくらいの重量だった――、ひょっとしたら心臓に悪いのではないか?
 ズボンを履きベルトを締め、たまたま通りかかった調子でこちらにまだ気づいていない相手に声を掛けることにした。

 途中々々で何度も放り出したくなってしまう(別に本人が実家に帰ってくるでもないのに何故部屋の整理をするのか、連絡があってからでもいいのでは)仕事だったが、やはりおばあさんの顔をふと見るとここで面倒臭がって止めるわけにはいかないなあと感じさせられ、やっぱり部屋を出てしまおうかもしくは「今日はもう止めちまおうよ」と、迷いながらに幾度もかの説得が結局二の足を踏むことになる。
 仕事が終わりお好み焼きを作ってもらう。古い牛肉を使い切れてこれはこれで良かった。いつもの通り安定した味であるが、感謝の言葉がトッピングについていた。
 
 次に下駄箱中段の空白スペース(何と言うのか分からん)を片付けないかとの、勢い付いたおばあさんから提案。
 一度掃除心に火がつくと、意外と止め時を見失うほどにのめり込んでしまうことにもなるというものだ。その際一計を案じ、普段非協力的な当事者の妹にも参加してもらうための方策をおばあさんに伝授した。
 彼女の、本人もとうに存在を頭から抹消している古びて汚れた雑誌類や小物、どっかの心理セミナーから送られてきた案内書、下半分がちぎれ当然中の入っていないスナック菓子の外装用の型紙パックやら、くるりと内側に丸まり筒状になったコミックス、ラベルがとうに剥がれ伸びきった音楽テープといったものが、全く整理されることなく乱雑に下駄箱の中段に置いてある。

 ゴミ捨て場といってもいいくらいで、処理に困った物たちが一時的に避難する場所になっているのだが、大小様々の物品は『サイダーハウス・ルール』(ジョン・アーヴィング)「セント・クラウズ」のホーマー・ウェルズの持ち物のように、【いつまでもそこに――時に何度かは手に持たれ、数秒間のそのものの行く先についての思いがなされたとせよ、やはり(確実に)一時間後には――あった】
 とても良い考えを頭に浮かべ、私はなにやら上機嫌だった。


気が乗思いま

2016-10-25 14:50:32 | 日記



夢を振り返って:破天荒・ファンタジー不良マンガとは島本雅彦っぽい漫画のことだ。彼の作品はあまり読んだことはないが……

そのときが初めてとは言韓國人蔘えませんが、彼に対して抱えていた疑惑の塊の鼓動が限界の地点を超え、破れたそれは血を流し始めたのです。
 と過ぎても聞こえる不穏な表現ですけれど、私の中では俄[ニワカ]に信じがたいと思われる行動の数々が、いずれ憎悪の対象になっていくのではと確信に近いものに目の前を暗くさせながら。
 しかし敢えてごまかしてでも今は何とか先延ばしにしたほうがいいかもしれない、と。まずは、現実の問題を解決しなくてはいけません。

 結局、根拠もなく闇雲に探し回っていた相方が折れた形になり、乗り合いタクシーを見つけホテルまで送ってもらったのです。
 乗り合いタクシーの中では少し面白いことがあったのですが、どうにもらないのでまた機会があれば記すことになるとす。
 ホテルへと帰りフロントで鍵を受け取ったときには、余程逃げてしまったのかまた事故にでもあったのではないかと心配している様子で、女主人はカウンターの脇に出した椅子に落ち着かなく座っていたのでした。
 部屋に帰るといくらか気持ち治まりました。とりあえずベッドに腰かけながら、その日の強い日差しによって洗濯臭も消え少し硬くなった服を、いちいち確認して再びバックパックへ。簡単な食事を部屋で摂ると後は何もなく夜は更けて高麗蔘いきました。
 次の日我々は国境を越え、なんとなくそれと決めた目的地のペナン(マレーシア)へと向かうことにしました。
 早速代理店を探し当て(とはいっても、本当はだいぶ探して見当違いの場所で見つけたのでした)、350Bでペナン行き午後十二時発のチケットを意外にあっさり、今までと較べると拍子抜けするほど早く手に入ったのです。
 ところがバスの到着を待っていた我々には待てど暮らせど一向に到着の気配なく、かといって十二時発と書いてあるのにいちいち聞きに行くのも間抜けですので、彼の文句やら独り言を隣りで聞き、私も何をどうすることも出来ず内心穏やかではありません。
 三十分後でしょうか、感覚的にはあまりに待たされていたので一時間半くらいに思えるのですが、短針はわずかに動いただけで長針が指した先は真下を向いていましたので間違いないのです。
 気を揉んでいたのは我々だけだったのかもしれません、後ろにいた職員っぽい人たちは談笑をしながらタイ式将棋に興じて(中国式将棋かもしれません)いたのですね。
 やがてチケットを購入する際に訊ねた女性が小走りに来て、おそらくバスが来ましたよとでも言葉とジェスチャーで必死に伝えてくれているよう。
 言葉のまるっきり通じない日本人に対し、自分が引き受けた客だからバスに乗るところまでは何とか責任を持ってやろうという彼女の態度は、確かに仕事だから当然といえば当然のこと韓國人蔘なのかもしれませんが、大袈裟に言えばそのときの私にとっては仏心に等しく感じられるものでした。