今回は少し、気合いをいれて~
リタイアしたくても途中に最寄りのJR駅がないコース
出発はJR大野浦駅
いざ東に向かって駅前から歩く
「左 宮内道 妹背滝道 右宮島 広島道」道標
良く見ると表示がおかしい
以前は道の反対側に立っていたらしいが道の拡張工事でここに
せっかく立てるのだったら正しく立てて欲しいね~
西国街道は左へ、宮内道 妹背滝道方面に
大頭神社(おおがしら)と雄滝と雌滝二つの滝がある妹背の滝(いもせ)の入り口
このあたりも区画整理と道路整備が進んで昔の西国街道はどこぉ~
新幹線高架下沿いの道をしばらく歩くと左に西国街道の表示
「歴史の散歩道」の案内看板さびさびだけど
ウォーキングが中心、歴史はおまけの者にとっては案内板ほど嬉しいものはない
チラッと読んで歴史を知り 心はいにしえ、身体は運動 一石二鳥?
「陣場跡」 長州戦役時の幕軍検問所跡
山沿いの街道
土の道が足にやさしい
昔の街道の面影??いっぱい! 気にいった~
気分はわらじを履いて旅する町娘(訂正:おかみさん)
「高畠ため池」江戸時代からある灌漑用ため池 夏前には蓮の花が咲くらしい
「高庭駅家(たかにわのうまや)、濃唹(のう)駅跡」
大野の地を開いたとされる大野5人兄弟の次郎を祭った「新宮神社」
その大野次郎の屋敷があったとされるところ
昔はこのあたりまで海が入り込んでいたらしい
案内板「土井貝塚跡」
三槍社の石垣の横を抜けて・・
高見川を渡る
民家の前を通る街道、広かった街道も時代とともに
両側を払い下げこんなに狭い道になったとか
さらに歩くと、大野5人兄弟の末っ子十郎が開墾したと伝えられる「十郎原」
ここで歩きながら大野5兄弟について
「総領の名前が次郎で、末っ子が十郎・・・5人兄弟ということは・・」
「昔のことだから、あいだは・・・生まれてすぐ死んだんよ!?」
死んだことに勝手にした~ 結構当ってたりして?
道は民家が途切れて、少しさみしい道
竹林や梅林がある道の側に「中山の一里塚碑」
道が開けて中山集落へ
「今川貞世の歌碑」と
「疣観音」
弘法大師がここでお休みされたときに道行く人のイボをとってあげられたと伝わる
お堂を覗くと弘法大師が好きな はったい粉がお供えされていた
ここからゆるやかな上り坂、またまた大野5兄弟の名が残る「四郎峠」
峠の頂上あたり現在の廿日市市エコセンター側に
旧大野村と宮内村の村境の石柱
少し前まではこのあたりはさみしい峠道 別名槍出し(やりだし)
昔は盗賊が出ていたのかもしれないところ
現在は山陽自動車道広島岩国道路が並走
国道2号線の抜け道にもなってトラックや車の往来でさみしくはないが
今では槍が出てくることはないが歩道もないので後ろから車に突かれそう~
自動車道の下を暗~いトンネルでくぐり宮内へ
旧津和野街道の分かれ道に「夜泣き石」
夜になると赤ちゃんの泣き声が聞こえた・・と怖いお話が伝わる
供養のためか、石には南無阿弥陀仏と刻まれている
ここからはつづら折りの昔の西国街道を
広い新道が串刺しにしてまっすぐのびている
出来るだけ昔の道をと
蛇行する道を求めて信号横断歩道無視、車のながれの止まったのを見計らって
道路を右に左に横断しまくり~ 車にひかれなくて良かったぁ
昔からの道沿いは小さな神社があったりして良い感じ
「権現神社」
砂原大橋で御手洗川を渡り、川沿いに下流へ
西国街道の茶屋があったとされる専念寺
専念寺前の一里塚
広島元安橋元標から四里と裏に刻まれている
ここからは御手洗川沿いに・・街道というよ普通の生活道路の歩道歩き
西広島バイパス高架工事、山陽自動車道廿日市JC接続工事が進む下をくぐる
古の道 西国街道を横切る新しい近代的な道
時代とともに道は変わっていくのだ・・感慨にふける
そして今回のゴール JR宮内串戸駅
約2時間30分 およそ15000歩
10キロ近くあると聞いていたので覚悟したが、以外に近いと感じた
大野の歴史の散歩道付近は今まで歩いた中で一番歩きやすく風情あり
もう一度、散歩したい道といえばここ
いつまでもこの道は残して欲しいと思った
リタイアしたくても途中に最寄りのJR駅がないコース
出発はJR大野浦駅
いざ東に向かって駅前から歩く
「左 宮内道 妹背滝道 右宮島 広島道」道標
良く見ると表示がおかしい
以前は道の反対側に立っていたらしいが道の拡張工事でここに
せっかく立てるのだったら正しく立てて欲しいね~
西国街道は左へ、宮内道 妹背滝道方面に
大頭神社(おおがしら)と雄滝と雌滝二つの滝がある妹背の滝(いもせ)の入り口
このあたりも区画整理と道路整備が進んで昔の西国街道はどこぉ~
新幹線高架下沿いの道をしばらく歩くと左に西国街道の表示
「歴史の散歩道」の案内看板さびさびだけど
ウォーキングが中心、歴史はおまけの者にとっては案内板ほど嬉しいものはない
チラッと読んで歴史を知り 心はいにしえ、身体は運動 一石二鳥?
「陣場跡」 長州戦役時の幕軍検問所跡
山沿いの街道
土の道が足にやさしい
昔の街道の面影??いっぱい! 気にいった~
気分はわらじを履いて旅する町娘(訂正:おかみさん)
「高畠ため池」江戸時代からある灌漑用ため池 夏前には蓮の花が咲くらしい
「高庭駅家(たかにわのうまや)、濃唹(のう)駅跡」
大野の地を開いたとされる大野5人兄弟の次郎を祭った「新宮神社」
その大野次郎の屋敷があったとされるところ
昔はこのあたりまで海が入り込んでいたらしい
案内板「土井貝塚跡」
三槍社の石垣の横を抜けて・・
高見川を渡る
民家の前を通る街道、広かった街道も時代とともに
両側を払い下げこんなに狭い道になったとか
さらに歩くと、大野5人兄弟の末っ子十郎が開墾したと伝えられる「十郎原」
ここで歩きながら大野5兄弟について
「総領の名前が次郎で、末っ子が十郎・・・5人兄弟ということは・・」
「昔のことだから、あいだは・・・生まれてすぐ死んだんよ!?」
死んだことに勝手にした~ 結構当ってたりして?
道は民家が途切れて、少しさみしい道
竹林や梅林がある道の側に「中山の一里塚碑」
道が開けて中山集落へ
「今川貞世の歌碑」と
「疣観音」
弘法大師がここでお休みされたときに道行く人のイボをとってあげられたと伝わる
お堂を覗くと弘法大師が好きな はったい粉がお供えされていた
ここからゆるやかな上り坂、またまた大野5兄弟の名が残る「四郎峠」
峠の頂上あたり現在の廿日市市エコセンター側に
旧大野村と宮内村の村境の石柱
少し前まではこのあたりはさみしい峠道 別名槍出し(やりだし)
昔は盗賊が出ていたのかもしれないところ
現在は山陽自動車道広島岩国道路が並走
国道2号線の抜け道にもなってトラックや車の往来でさみしくはないが
今では槍が出てくることはないが歩道もないので後ろから車に突かれそう~
自動車道の下を暗~いトンネルでくぐり宮内へ
旧津和野街道の分かれ道に「夜泣き石」
夜になると赤ちゃんの泣き声が聞こえた・・と怖いお話が伝わる
供養のためか、石には南無阿弥陀仏と刻まれている
ここからはつづら折りの昔の西国街道を
広い新道が串刺しにしてまっすぐのびている
出来るだけ昔の道をと
蛇行する道を求めて信号横断歩道無視、車のながれの止まったのを見計らって
道路を右に左に横断しまくり~ 車にひかれなくて良かったぁ
昔からの道沿いは小さな神社があったりして良い感じ
「権現神社」
砂原大橋で御手洗川を渡り、川沿いに下流へ
西国街道の茶屋があったとされる専念寺
専念寺前の一里塚
広島元安橋元標から四里と裏に刻まれている
ここからは御手洗川沿いに・・街道というよ普通の生活道路の歩道歩き
西広島バイパス高架工事、山陽自動車道廿日市JC接続工事が進む下をくぐる
古の道 西国街道を横切る新しい近代的な道
時代とともに道は変わっていくのだ・・感慨にふける
そして今回のゴール JR宮内串戸駅
約2時間30分 およそ15000歩
10キロ近くあると聞いていたので覚悟したが、以外に近いと感じた
大野の歴史の散歩道付近は今まで歩いた中で一番歩きやすく風情あり
もう一度、散歩したい道といえばここ
いつまでもこの道は残して欲しいと思った
赤い鳥居の前(滝の下信号)に
直接出たと思います。
たしかに、区画整理で
もとの道が とぎれとぎれになっていますね。