ここではないどこかへ -Anywhere But Here-

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武相荘(旧白洲邸)へ

2006-08-14 21:38:02 | 
晴れ。

十数年前に結婚して初めて住んだのは町田市の鶴川というところだった。
小田急線の鶴川駅からバスに乗り鶴川団地を抜けて10分ほどのところにある新築アパートは、
地元の農家の大家さんが広い敷地の一部をつぶして建てたものだった。
隣は竹やぶで、季節になると大家さんが筍をおすそ分けに持ってきてくれるようなところだった。
だから、高度成長で鶴川団地ができるまでのあの一帯は、多摩ののどかな山村が広がっていただろうことは容易に想像がつく。

かつて私たちが住んでいたところからそう遠くないところに白洲次郎、正子夫妻が終の棲家とした家があると知ったのは最近も最近。
白洲次郎という人の存在を知ったのもごく最近のことで、住んでいた当時は近くにそんな人たちが住んでいたとは
(少なくとも晩年の正子が暮らしていたころはまだ鶴川にいたのだ)知らなかった。

最近になってNHKで紹介されたり「占領を背負った男」という本が出て本屋の店頭をにぎわしているせいか、
ちょっとした白洲ブームになっているが恥ずかしながら私自身そのブームのおかげで知ったぐらいである。

学校ではどういうわけか近代史というのを教えない。
高校の日本史では明治維新ぐらいまでで終わって、後は教科書を読んでおけという。
理由は試験に出ないから。
でもそのおかげで私を含め現代の日本人の多くは現在の日本を形作った近代の歴史、
とりわけ戦中、戦後史については通り一遍のことしか知らないのではないか。

今もって靖国問題をはじめあの戦争に絡んだ問題が大きな問題になっているということもあるし、
思想的なイデオロギーは別にして、日本の近現代史をきちんと知るということは
ある意味で現代に生きる日本人としての務めだろうと思い、
そのあたりの歴史に造詣の深い友人にもいろいろと教えを請いながら、去年ぐらいから戦中戦後史を勉強している。
白洲次郎氏にまつわる著作についても、その友人から一度読んでみなよと紹介されていた。

その過程で夫妻かつてが鶴川に住んでいたというのを知り、
しかも最近その旧宅がギャラリーとして一般に公開されているのを知って
土地勘のある場所だけに早速訪れてみたということなのである。

白洲夫妻のことはまた別の機会に書こうと思うが、夫妻が鶴川に住み始めたのは
太平洋戦争が始まる直前の昭和15年ごろのことらしい。
日本はやがて戦争に負け食糧難が来るであろうことを予見した次郎が、百姓生活をするべく引っ越した土地が鶴川だったのだ。

武蔵と相模の境の意と無愛想とを引っ掛けて「武相荘」と名づけられた白洲邸は、
住宅街の中にある今となっては、意外なほど森閑とした雑木林の中にしっとりとたたずんでいる。
自然の野草が生い茂り雑木林で鳴く蜩の声を聞いていると、ここが町田の鶴川かと思うほどである。

「趣味(hobby)は違っていたが趣味(taste)は同じ」だったという夫妻の旧家には、
正子が集めた陶芸や書籍、次郎愛用の品が溶け込むように展示されている。
ここだけは気温が2,3度低く感じるほど外の世界から隔絶された感のあるたたずまいで、
しばし喧騒を忘れてのんびりとした時間を過ごした。

在野から日本の行く末を憂えた気骨ある先達は、東京郊外のこの場所でどんな思索にふけったのか、
そんなことを少し思ってみる。


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