学校のない社会 大学のない世界

学校のない社会、大学のない世界に興味・関心のある方、ともに集いましょう。大学教員によるトラックバック等はご遠慮ください。

コメント

2005年05月14日 22時16分33秒 | 不登校
このエントリはイナカぐらしも7ねんめ@weblyloghttp://fuyafuya.at.webry.info/200505/article_6.htmlのコメント欄へのカキコです。書いているうちに長くなったので、リンクでお知らせすることにします。


 はじめまして。TBありがとうございます。ふやふやさん、いなばさん。

 今回シュ-レが団体名で抗議をしたのは、東京シュ-レや不登校新聞など関連団体の名前が実名で使われたからだと思います。
 差別というのは根深いもので、ちょっと周りの圧力が弱くなったかなー、と思ったとたんバックラッシュの嵐がやってきたりするものです。
かつて国の予算をつけて部落改善事業が行われ、多少なりとも貧しさや弊害から抜け出たは「模範村()」とされました。それでも通婚拒否はなくならなかったそうです。(高橋貞樹「被差別一千年史」岩波文庫)
 不登校・フリ-スク-ルについても、同種の差別が新たに復活しないとも限りません。集団的な抗議は集団的な差別をなくするために必要だということです。なぜならば、貴戸さんのあの書き方では、取材をされる側の方の所属団体名のうち、シュ-レと関連団体のみが実名で晒された状態になっています。また、本人のみならず親の仕事や活動についても詳細に書かれたところもあります。これが新たな差別・偏見となり、登校(受容)中心社会の就職拒否・結婚拒否を生まない保障はないのです。もし行われば、孫が10年以上も祖父母に会えない悲劇も生じるリスクもあります。また、こういったことはおいそれとHPに載せられません。差別したくてうずうずしている相手を刺激しかねないし、本人を不安と絶望においやりますから。また本は論文とちがって向こう10年15年と利用される情報ですから、より強い抗議になっても当然でしょう。
 
また、やはり東大の院に在籍の人による調査だということで、国を個人が相手にするたいへんさがあります。(本のうしろのほうで調査費が降りるようになったとの記述がありますが、これは多分国の予算から出ているのでしょう。)ここは、国民に結社の自由があり、労働者に団結する権利があるのと同じように、無視されたり軽んじられたりするリスクを減らすために集団で抗議したほうがよい、という実務的な判断が働いたものとわたしは推測しています。たこれを個人的なトラブルに終わらせずに社会的な問題として考えたい意向もあったりして、集団で抗議を行ったのではないでしょうか? これは妥当な判断だと思いますよ。セクハラやパシリではないけれど、身分が上だったり強力な後ろ盾のある者が相手だと、なかなか「嫌です」「やめてください」とはいえないものです。必死になってガマンして、いいほうに解釈をしようとして、それでもどうしてもできなかった、というのが真相ではないでしょうか? 多分被害者たちは、HPの文書に出ている以上の苦痛があったはずです。

それから、「不登校は終わらない」のサブタイトルが選択否定論だったことも反発を招く理由だったのではないかと。かつてサッチャ-が「他に選択の余地はない」という政策をかかげて、世界のフリ-スク-ルの草分け・サマ-ヒルをつぶそうとしました。
 。それに対して、イギリスのほかアメリカ・オ-ストラリア・日本など世界各地のホ-ムスク-ラ-やフリ-スク-ラ-たちが手紙やメ-ルを送り「つぶさないで!」と訴えたのです。結果、なんとかサマ-ヒルはおとりつぶしをまぬがれました。奥地さんが貴戸さんの情報にピリピリするのも無理からぬ気がします。シュ-レもまた、「公教育否定」として文科省とは対立関係が続いているので。もしもお上に弱い日本でNPO認証を取り消されたら、これまでの努力が水の泡になってしまいます。

奥地さんは、いまFONTE(元不登校新聞)に連載中の「不登校の歴史」に詳しいのですが、稲村系医療の旧内務省的な発想によるすさまじい乱脈医療、医原病に登校拒否者が苦しめられた歴史があります。それに対して専門家や科学を絶対視しないことによって死すれすれまで行くこともあった強制入院・不必要入院・不適切な薬の過剰投与などから「選択」の打ち出しによって身を守ってきた経緯があるわけです。
また、シュ-レは長持ちしているフリ-スク-ルです。せっかく独特の理念をかかげながら、そもそも少数派の不利さも手伝い、時に地元の反対運動に苦しめられ、いったいいくつのフリ-スク-ルやスペ-スが消えていったでしょう。わたしの知り合いのスタッフは月4万円で、別の知り合いは月7-8万円の給与と保障・手当てナシでフリ-スク-ルのスタッフをしています。かつてわたしが生徒としてまたはスタッフとして関わったところも2-3年でつぶれたところが3箇所あります。国や自治体の予算もなかなかつかないため、経営は難しい。おおかたのフリ-スク-ルやスペ-スは、オフィスビルの一室だったり、公民館を週に数度使う形だったり、主宰者が自宅の一室を開放したりしています。シュ-レのように独立した立派な建物を複数もっているのはむしろ珍しいほうだと思います。主宰者とスタッフは子どもたちの相手や親の相談のほか、生活のためにコンビニやファミレスでアルバイトをしている人たちもおり、経営基盤は不安定なのです。
 奥地さんはリベラルで柔軟で寛容な人です。それを怒らせたのは、貴戸さんの記述のしかたに不誠実な点や事実誤認または歪曲と思える箇所があったから。それに、「中立・客観」でなくとも「共感」をよそおった差別性がはらまれていたからだとわたしは見ています。

 次に調査の有毒性について。これは調査に関する領域では昔から論じられてきたことだ、と関西のある私大で社会学を教えている友人から聞きました。
 十代のころから登校拒否親の会、フリ-スク-ル、フリ-スペ-ス、それに引きこもりの当事者グル-プなどいろいろなところでジャ-ナリストや学者の調査に出くわしました。一部の例外は除いて、たいていの場合、「報道の自由」「研究の自由」に名を借りた象徴暴力でした。
 そもそも作ってあった仮説・スト-リ-どおりに書く。多くの読者に受け入れられるためと称して批判精神のかけらもない記事しかない、といったのはまだカワイイ。中には、「プライバシ-は守るから」と約束をしたにも関わらず、顔にモザイクはかからず、声は変声してもらえず、名前や「○○町△丁目」といった細かい住所まで報道された例もあるのです。個人的に抗議をしてもそもそも恥ずかしいことであったり、立場が弱いので団体として代表の方が抗議をしています。で、そうすると事情を知らない人から見ると、「リ-ダ-が独裁者みたいになっている」「閉鎖的な団体で、被害妄想でもありそう」ということになるのです。だけど違うんです。
 取材側に「多くの人に自分たちの気持ち・立場を知ってもらいたい」という気持ちを尊重してくれと言う話、取材される側として賛成できます。ただし実際には、取材側も仕事ですから非情になると思いますよ。以前テレホンアポインタ-と外回りの営業を経験しましたが。そこでの勧誘スキルは、とても友人や家族に使えるものではありません。貴戸さんも、東大社会学のギルド(?)に伝わる人にNOと言わせない技や、自分なりの工夫をしているはずです。なかなか素人に見破ったり断ったりできるものではないのかもしれません。
 実は、うちの姉妹ブログにも社会学系の調査の人がやってきたことがあります。その人の勧誘はスゴかったですよ。そのへんのナンパよりは巧みでした。自分のことを悲劇の英雄にしたてて紹介してみたり、「わたしは調査のために他人を犠牲にする気はありません」なんていい人ぶったメ-ルっをよこしたりします。要するに主観的には犠牲を出す気はなくても、客観的な結果は知らないよ-って言っているわけですね。日本社会をよくするための調査にぜひ協力してしてください、なんて日本語の見本みたいな正しそうな文書を送ってくるところを見て、何かとてつもなく重要でよいことをしているようなム-ドをあおって、人の友人・知人を紹介してくれとせがむのです。とても悪い予感がしながら、何とか協力しようとしたのですが、さすがは関西。調査=悪という図式が行き渡っておりまして、大変な事態になりました。「調査」と聞いただけで失語症状態になる人、大声でいきり立って怒る人、体ごと逃げ出す人が続出。調査依頼のメ-ルへの返事には「差別主義者」「同性愛者差別主義者」と書かれている。
その方は国の大学院を出た先生だったので、国への忠誠と友愛とに引き裂かれてなんだかもうメチャクチャになってしまいました。ナンパと似ているけれど、調査の人がはじめは面白いいい人していたのに、段々と荒れてゆくのも分かりました。
自分にとってはブログ友もリアル友も両方とも大事にしたいのに、どうしたらいいのか分からない状態のまま、食後に戻したりしていました。夜も寝つけないなど、調査の害毒が体じゅうにまわった状態でした。もう死にたい、とさえ思いました。 
 その後、なんとか調査と縁が切れたとき、幾人かの友人とも復縁でき、やっと生きた心地がしました。今度から絶対に調査に協力したらアカン、と考えざるをえませんでした。
 その後差別や生物的な調査に関する資料を読み、調査を原因とする病もあるのではないかとイリイチの医原病にならって調原病のエントリ-を書いた次第です。