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「当事者」なんて知らない

2005年05月12日 16時47分15秒 | 不登校
 本当にバカバカしいと思います。
 少なくとも自分の関わっている範囲では、「当事者」なんて語、登校拒否または不登校どうして集まった席でも話しません。そりゃまあ、親や専門家が当人を置き去りにするようなことをしてばかりで主体性を主張する場面では「本人を無視しないで」と訴えなきゃなりません。
 ただし、その状況は、ここ数年弱まりました。むしろ、「当事者」だから意見を言え、それもすべての不登校を代表して、できれば気の効いたしゃれた意見を述べてくれ、という要請が強まり、新たな監視とアイデンティティ管理の道具となりつつあるようです。 
 たとえ素朴な好奇心や善意からの質問であっても、「当事者」だからといって特別のアイデアがあるわけでもなく、洗練された表現をするべく訓練を重ねたのでもない。フツ-の人です。「当事者」から何か特別な情報、それも願わくば自分たち非当事者にとって希少価値のある情報、あるいは非当事者の利益にたがわず不快をもよおさない予定調和の情報を聞き出そうとして圧力をかけている人たちは、他人をとやかく言う前に自分が誰なのかもう一度真剣に考察すべきです。
 わたしは「あなたは不登校の当事者でしょう。だったら意見を言いなさいよ」と言われても知りません。「当事者」なんてものになった覚えはないからです。そこまでして他人に情報提供サ-ヴィス労働をしなければならないということはないのです。
 そもそも、「当事者」という意味不明の用語を使い始めたのは、東大のお偉いセンセイだということです。現場がそれを用いており、それがやがてトップにも届いた、というのなら事情は分かりますが、そんなふうに非日常的でリアリティのない言葉を使う義理や義務はないのです。
 以上が、自分のできる自己への配慮です。