春と秋だけに公開されている京都・鹿ヶ谷の霊鑑寺門跡に行きました。近くには桜が満開の
哲学の道があって観光客が多かったです。
霊鑑寺寺史
江戸前期の承応3年(1654)後水尾院(天皇)が皇女多利宮(谷宮、法名は浄法身院宮宗澄尼)を
開山として創建した。廃寺となっていた三井寺別院の如意寺の本尊である如意輪観音と霊鏡を
併せて祀ったことから霊鑑寺と名付けられた。代々、皇女が住持となり「谷御所」「鹿ヶ谷御所」
と呼ばれる。貞享4年に後西院(天皇)の旧殿を賜って現在地に移転した。寺領120石。臨済宗南禅寺派。
石段をのぼったところに表門がある。江戸中期の宝暦2年頃の建立
御玄関
書院 御西院(天皇)の旧殿(御休息所と御番所) 奥に見えるのは本堂
ピントが合わなくてちょっと見にくいですが書院の中
書院の東、小高くなったところに徳川家斉寄進の本堂があります。本尊は如意輪観音(秘仏)
明日は霊鑑寺境内の庭園をUPします。
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霊鑑寺寺史
江戸前期の承応3年(1654)後水尾院(天皇)が皇女多利宮(谷宮、法名は浄法身院宮宗澄尼)を
開山として創建した。廃寺となっていた三井寺別院の如意寺の本尊である如意輪観音と霊鏡を
併せて祀ったことから霊鑑寺と名付けられた。代々、皇女が住持となり「谷御所」「鹿ヶ谷御所」
と呼ばれる。貞享4年に後西院(天皇)の旧殿を賜って現在地に移転した。寺領120石。臨済宗南禅寺派。
石段をのぼったところに表門がある。江戸中期の宝暦2年頃の建立
御玄関
書院 御西院(天皇)の旧殿(御休息所と御番所) 奥に見えるのは本堂
ピントが合わなくてちょっと見にくいですが書院の中
書院の東、小高くなったところに徳川家斉寄進の本堂があります。本尊は如意輪観音(秘仏)
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