先週の土曜日はセントパトリックスデーという事で
あいにくの天気にも関わらず各地で色々なイベントが
催されたのではないでしょうか。
自分もアイルランド音楽を専門に演奏していた時には
様々な所で演奏をしていましたが
中でも毎年この時期になると思い出すのは
当時の駐日アイルランド大使
ジェームズ・シャーキーさんの事です。
多分 今の大使の前々任者位だと思いますが
音楽をはじめとする芸術方面に関心の高い方で
日本とアイルランドの友好を深めようと
様々な事を自ら率先して
動いていたと記憶しています。
今ではすっかり定着したセンパトのパレードも
シャーキー大使の在任中に
大使公邸のある六本木で初めて開催されました。
おそらくそれに関しては
大使の意向が大きく影響していたはずです。
そしてご自身ドニコール生まれという事もあって
伝統音楽にも関心が高く
中でもハープがとても好きな方でした
何がきっかけだったか記憶が
定かでは無いんですが
ある時期から何かと声をかけていただいて
六本木の公邸に行く機会が増えました。
多い時は1年に5~6回位は行ってかもしれません。
皇族方を招いての催しや
チーフタンズやジェームス・ゴールウェイなど
来日したアイルランド関係者の
レセプションパーティー
中には小泉八雲の子孫の人を呼んでの
イベントなんていうのもありました。
そして毎年セントパトリックスデー当日には
六本木の公邸を解放してパーティーがあり
昼と夜 各2~3時間ずつ
沢山の関係者や著名人を招待していました。
お客さんは基本的にその間の出入りは自由で
各自都合のいい時間に来て
好きな時間に帰るというスタイルです。
また立食形式なので皆さん自分でお皿を持って
食べ物や飲み物を調達していたと思うんですが
自分にはその公邸の部屋の一画で
ハープを演奏して欲しいという要望で
2~3年の間 毎年3月17日には
ハープを持って伺ってました。
テレビで知ってる人から
演奏中突然声をかけられ楽器の事を聞かれて・・
なんていう事もあったり楽しい経験でした。
そして現在も続いているエメラルドボールにも
同じくハープを演奏しに行ってました。
思い出深いのは ご招待客として
秋篠宮ご夫妻がいらしてて
多分丁度ご結婚するかしないか
という時だったと思うんですが
世の中 紀子様ブームみたいな感じになっていて
マスコミが大勢押し寄せて
ホテルの外に待機していた事です。
自分はそれをしり目に
緑のドレスに金のハープのブローチをつけた
まだ若かった紀子さんを間近で見られました
ご夫妻には2度お会いしたんですが
2回目の時には ハープやその時に一緒だった
アイルランドの女性歌手メアリー・ダンが持ってた
バウロンについてもご質問されたりしてましたね。
あとセンパト関連以外で何と言っても印象深いのは
皇后陛下を公邸にお招きして
"俳句を詠む" みたいな催しに
ハープを演奏しに行った時の事。
まず全員揃って部屋で待機してて
そこにお付きの人が
まず先にエレベーターで上がってきて
「ではこれからいらっしゃいますので」
と言いに来た後 大使を含む全員で
エレベーターの所に並び
扉が開いて皇后様が出てくるのを待つという・・・
何だ知らないけど
えらく緊張したのだけははっきり覚えてます ^_^;)
まず最初に大使が挨拶した後
大使自身がそこに並んでた1人1人を
美智子さまに紹介してくれました。
他に多分有名な
俳人だと思われる人や学者などが数人いて
皆で俳句を詠み合うんですが
確かほとんど日本語が喋れなかったはずの大使は
じっとそれを聞いてました (笑)
そして途中の休息時間に 自分と先にも紹介した
メアリー・ダンとで演奏を歌を披露するという趣向。
すぐ前のソファーに座ってる皇后様はじっと聴いていて
終わってからは拍手をいただき
「自分もアイリッシュハープを持っていますがあまり弾いてません」
みたいな事をおっしゃってて
ご自宅では主にピアノを弾く みたいな事も言ってました。
その後の立食の時間には
直接話をする機会もありとてもいい思い出です。
この企画は大使側から宮内庁に申し出たらしく
形としては公務では無くプライベートの活動になるので
宮内庁からはあまり他言はしないで欲しい
みたいな要請があり
公に話すのは実はこれが初めてです。
でもその割には乗ってきた車の前後には
厳重にパトカーが着いてて
かなり目立ってたんですけど、、笑
まぁ しかしもうあれから
随分と長い年月もたっているし
当時はブログだとかツィッター
なんていう概念も無かったので
もう解禁してもいいのではと思っています。
また個人的な事ですが
母方の祖父は実は自分が
生まれる前に亡くなったんですが
何と宮内庁に勤めていたことがつい最近判明して
じゃあ ますます いっか みたいな 、、、笑
でもこうして色々思い出してみても
シャーキー大使にはご自身が持ってた
アイリッシュのレコードをお借りしたり
本当にお世話になったなぁ という実感です
大使が就任していたこの時期に東京で最初の
アイリッシュパブが出来
初の本格的なアイルランド演奏家の
コンサートが開かれたりと
日愛の関係にとっても
エポックメーキングな時期でした。
そしてまさにそういう時に
シャーキーさんが駐日大使を務めていたというのは
まったくの偶然とは思えません。
もし別の 音楽にも興味が無く
あまり積極的に動かない人だったら
随分と違った状況に
なっていたのではないでしょうか。
現に数年後 別の大使に変わってから
一時期停滞ムード
みたいな感じになったりもしました。
シャーキー大使の遺産と言ってもいい
センパトのパレードも今では日本中に広まり
当時では考えられないほどあちこちで
アイリッシュ音楽が演奏され続けています。
シャーキーさんが
今どうされているのかは分かりませんが
いつかまた日本に来てもらって今の盛り上がりを
是非観てもらえたらなぁ なんてつくづく思います。
きっとご自身 誇りに感じてもらえるはずですからね。
髭をたくわえた貫禄のある方がシャーキー大使で
横にいるアジア系の女性は大使夫人