仙台フィル 207回定期

2006年01月14日 23時27分27秒 | 巻八 ショスタコーヴィチが私に語ること
江村哲二:~武満徹の追憶に~「地平線のクオリア」オーケストラのための
ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲 第1番 ハ短調 op.35
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 ニ短調 op.47
指揮:大野和士
ピアノ:シモン・トリプチェスキ
トランペット:森岡正典

---------- ♪♪♪ -----------

新年だけに、着物の女性もちらほら。俺はいつもの軍装…。
隣の席の麗しき女性、こんなプログラムに一人で来るからには
よっぽどショスタコが好きなんだよね。お近づきになr…。

1曲目。
現代音楽については、知った風なことを言わない事にしてるので、
「よくわかりません」。

2曲目。ショスタコーヴィチ様のピアノ協1番。
この曲はとことんまでハチャメチャ(死語?)になったもん勝ちだと思ってるが、
「やってくれた」。終楽章は笑っちゃうくらい加速加速。
それでも破綻しない、収拾つかなくない。綱渡りのようなドキドキ感。
音楽聴いてこんなに動悸が激しくなったのは初めてだが、
これも自分の経験不足のせいか。
あと、独奏の二人(ピアノとトランペット)、いい色気だったと思う。
この曲にエロさは大事。
「いくイクいくダメダメまだダメ~っ!協奏曲」にふさわしい官能の感触。
それにしても、この曲の自作自演、生で聴きたかった。
これをクソ真面目な表情で弾いてるショスタコ…。

3曲目。ショスタコーヴィチ様交響曲第5番。
全体的に速めのテンポで、特にアレグロ系の部分はすごい推進力。
この勢いで、大野さんの振る4番とか8番とか10番とか11番あたりを生で聴きたくなる。
この交響曲は、「革命」や「勝利」や「運命」なんていう言葉と結び付けられることがあるけど、
このフィナーレは決して輝かしい結末なんかじゃないことだけは改めてわかった。
あえて言うなら、この曲は「変わらない日常」。
どんなにあがいても泣いても笑っても、
そこに生きているイマを、実は淡々と教えてくれるんじゃないのか。
例えば演奏会が終わって外に出たとき降りしきっていた冬の雨、のように。
いつも変らず。

今夜の演奏は、フィナーレに過剰な力点をおくことなく、
むしろ3楽章の清澄の流れを引き継いだ感覚。
だから、そんないろんなことまで考えてしまった。

---------- DSCH -----------

今日はS席で観る価値があったな~。
もちろんこんな戯言は、おんがく素人としての自分の感想。
「音楽を知ってる人」には、他にもいろいろ評価があるんだろうが。

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