気仙沼の被災漁船解体
(前略)人は誰でも悪事を働き、偉大な善行をなす可能性がある。それを冷静に見極めるのが、大人の判断だ。その極限の例証など、誰にも簡単にみられるものではない。地震と津波も同様だ。
いかに人工的に大地を揺すり、高波が押し寄せる有様を実験的にやってみても、漁船が陸地に乗り上げる、などという暴力は、誰にも想像つかないことなのだ。
船はこの想定外の運命を、誰よりも能弁に語った。
過去の不幸や道徳的問題があった場合、その痕跡を「消す」ことが、平和や徳の証(あかし)ではないのである。
幸運にも手にした幸福と共に、降りかかってきた不幸や犯した間違いもまた、個人と社会の一種の精神的財産なのだから、それを長く残して、未来に役立てる勇気が必要だと思っている。
「透明な歳月の光」曽野綾子
今朝の新聞で曽野さんのエッセイを読んだ。そして思ったのは
「あぁ 日本人はイヤなことは忘れたいのだ・・・故に歴史も何も嫌なことは葬ってきた。私たちは子供のころから権力者の都合で知るべきことも知らされてこなかった!」と・・・
曽野綾子さんはいつも本音で書いておられる。読んでいていつも「そうだな~」と思わされます。