松岡伸矢くんの一家は茨城県牛久市に住んでいた。
家族構成は父・正伸さんと妻・圭子さん、子供が長女、伸矢くん(4歳)、
次男(2歳)の5人暮らしだった。
正伸さんはソフトウェア技術者として国産の電算機関関連会社に勤めていたが、牛久で家を買い、
1989年はじめには外資系のコンピュータ会社に転職した。
それまでは深夜残業・休日出勤ばかりで子供達と遊ぶ時間がままならなかったからだ。
1989年3月5日、圭子さんの実母が急死し
翌6日に一家は徳島県小松島市で営まれた葬儀に参列した。
そのあと一家は車で1時間ほど離れた貞光町(現つるぎ町貞光)の圭子さんの親戚宅を訪れ、
この日はここに泊まった。
小松島市から貞光の親戚宅を訪れる際、家族は親類の運転する2台の車に分乗した。
1台目に両親と弟、2台目に伸矢君と姉が乗った。
車のなかで弟が突然「伸矢」と叫んだことが両親にはその後を暗示していたようにみえてならないという。
翌7日の午前8時頃、正伸さんは3人のきょうだいと
(圭子さんの)いとこの子供を連れて近所に散歩に出かけた。
このあたりは標高200mほどの山間部の林道の終点近くにあり、
公道から山の斜面に私道が延びて、その斜面に親戚宅は建てられていた。
まわりに家はない。
正伸さんは朝食前だったので10分ほどで散歩を切り上げている。
子供達ははしゃぎながら、正伸さんについてきていた。
家の玄関までの10メートルほどの石段を登った玄関先まで伸矢くんがついてきていたことを正伸さんは記憶している。
伸矢くんはこの時、もっと散歩したそうだったため、
正伸さんは抱いていた次男を家の中にいた圭子さんに手渡し、玄関先に戻ってみると、伸矢くんの姿はなかった。
この間、40秒ほどである(20秒という情報あり)。
⇒4歳の足で、20秒、40秒でどれぐらい進むのだろうか。
伸矢くんの姿がみえないことに気づいた正伸さんは、すぐに周辺を捜したが、伸矢くんを見つけることができなかった。
それから、家族・親類が近所を捜し回り、地元の消防団もこれに加わったが見つけることができず、
午前10時(昼過ぎとの情報あり)に警察(貞光署)に通報した。
当初は山で迷子になっているのではないかと思われ、この日のうちに山間部で大捜索が行われた。
貞光署からは全署員30名の半数が駆けつけ、県警機動隊、消防署員、地元消防団員に一般市民を加えた100人近くの人を動員、翌8日には200人を動員(G)、
その後3ヶ月捜索を続けたが(のべ1400人という情報あり)、ついに伸矢くんを見つけることはできなかった。
ちなみに伸矢くんは4歳とは思えないくらい、しっかりしていた。
自宅の住所も電話番号も年齢も家族の名前もみんな言えた。
・現場は町道の終点付近で外部からの出入りはほとんどない。
・失踪時、100m離れた畑で農作業をしていた人は車を見かけなかった。
・松岡さん一家が親戚宅に到着したことや、伸矢くんがいたことは外部に知られていない。
・周辺に交通事故の痕跡はない。
貞光署ではそれでも以上の理由から「事件にまきこまれたケースは考えにくい」と徹底した周辺捜索を行った。
伸矢くんが失踪し、捜索が行われると同時に、親戚宅の電話にテープレコーダーをとりつけた。
正伸さん一家が牛久市に帰る前日の16日(特定失踪者調査会HPによると"15日頃夜")、
一本の奇妙な電話がかかってきた(親戚宅へ)。
正伸さんが電話を取ると、「奥さんはいますか」という、語尾のあがる徳島弁独特のアクセントの女性の声がした。
⇒単純な疑問として、奥さん方の親戚の家でなんで正伸さんが電話を取ったのか?
⇒正伸さんが出たとどうしてわかったのか?奥さんとは、圭子さんではなく、親戚の家の奥さん?
圭子さんが電話を替わると、その女性は「ナカハラマリコの母親」だと名乗り、
「成蹊幼稚園の月組の父兄です。幼稚園で見舞金を集めたのですが、どちらに送れば良いのでしょうか。
もう帰ってくるんですか?」と尋ねた。
成蹊幼稚園とは、伸矢くんの姉が通っていた幼稚園だった。
圭子さんは「明日帰る」という旨を伝えたが、
その後「ナカハラマリコの母親」から連絡はなかった。
⇒これ、本来は、阿波弁なんだろうか。関西弁とも近いことから、関西人?
⇒圭子さんから成蹊幼稚園、月組と伝えたのが正しいか。
⇒もう帰ってくるんですか?の言い方は、茨城に住んでいるということか。
⇒茨城の住所を知りたかった?
見舞金についてこちらから尋ねることもできず、しばらく黙っていたが、
数日たって幼稚園に問い合わせてみたところ、見舞金を集めたという事実はなく、
ナカハラマリコという名前の子供もいないことが判明した。
⇒徳島県で多い苗字ではない。
後から考えると、正伸さんから電話を替わる時に
「誰かわからないけど、徳島弁だよ」
と言っており、茨城県にいて松岡さんの親戚宅の電話番号を知っているのも不自然である。
また徳島県にいて伸矢くんの(姉の)幼稚園の名前まで知っているのはおかしかった。
松岡さん一家の事情に内通している者の電話だと言えるが、これが手がかりとなることはなかった。
⇒上記、母親が伝えたとするなら、なぜ、姉の幼稚園を行ったのか?
⇒上記、伝えてないとして、なぜ、姉の幼稚園なのか?
⇒新聞でも報道されており、当時はタウンぺーも存在していた。
⇒なんのためのTELと言うのは、謎が残る。
その後、正伸さんは会社勤めを辞め、自営業に切り替えた。
捜索の時間を少しでも持てるようにするためである。
50回を超えるテレビ出演で情報提供を求め、自宅の電話番号も公表した。
目撃証言は多くよせられ、信憑性の高いものもあった。
それらは全国津々浦々で目撃されていた。
(以下、その例)
1990年4月
徳島の主婦 「市内で伸矢くんを見た。まず間違いない」
この連絡は正伸さんの家に直接入り、すぐにその人物と会って、その後、
徳島県警本部に証言に出ていた子供の人物特定を依頼した。
しかし、そのあと本部から連絡はなく、正伸さんが電話を入れると、
担当の警部は「私の父が亡くなり、ばたばたしていましたので・・・」と言った。
その後、手がかりなし。
1990年
「山形米沢市にあるデパートの前で、テレビで見た伸矢くんとそっくりの男の子をみた」
この証言を聞き、正伸さんは米沢市に向かい、デパート周辺でビラ配りをしたところ、
「この子なら上杉公園で見た」という情報を得ることができた。
この証言の主婦によると、公園内の売店にいたということだが、その先はわからなかった。
1991年
「四国霊場88ヶ所の第21番目の「太竜寺」で白装束に身を包んだ5~6歳の少年を連れた親子連れを目撃した。
子供に付き添っていた男女は普通の身なりで、子供の両親にしては年が離れすぎていた」
圭子さんがこの証言を聞いて、87、8番目の寺でその3人の姿を待ちつづけたが、とうとう現れなかった。
??年
北海道の倶知安町に住む老人
「伸矢くんと名乗る子供を内地(本州)からもらってきたという人を知っている」
これも決め手にはならなかった。
1997年
OL 「横浜の地下鉄で見た」
この証言によれば、帰宅途中のOLが、電車の横に坐った少年が「鳥肌のたつほど、正伸さんに似ていた」と言い、
少年については「苦労しているようで、身なりも良くなく、手首に巻いてある包帯から傷が見えたので気になった」という。
心配になったOLは少年に声をかけ「おじさんにいじめられる」という話を聞いている。
OLは「困ったことがあったら、お姉さんに電話して」と電話番号を渡し、
その後1度だけ電話があったが、手がかりにはならなかった。
⇒行方不明から8年後、12歳ぐらいを推測できるがはたしてどうだろうか。
1998年
中国地方にあるレンタルビデオ店店員
「手首に傷のある男の子で、現在の伸矢くんの想像写真にそっくりの少年が、
『タイタニック』のポスターを買っていった。少年は店の出入り口付近で、
まるで監視しているかのように立っているヤクザ風の男に『タイタニック』のポストカードを見せ、
”これでいいの?”といった感じで確認した後、レジに来た」
応対した店員はすぐに店長に報告、店長は表通りに2人の姿を捜しに走って行ったが、
すでにその姿はなく、警察に通報したという。
その後の手がかりはなし。
⇒行方不明から9年後、こちらも同様にどうだろうか。
⇒97年の目撃証言の子と同一人物なのだろうか。
2000年
圭子さんの親友の知り合い
「伸矢くん失踪の翌月、徳島県の日和佐の海岸で伸矢くんらしき男の子を見た。
30代後半の男が子供を抱いているのだが、親子にしては不自然な感じを受けた。
親なら子供に何かしら話しかけたりするものだが、まったく言葉をかけたりしなかった。
男の子の顔も伸矢くんによく似ていた」
目撃者は徳島育ちで、伸矢くんが行方不明になっていたことを当時から知っていたので、
男の子の顔を覗き込んで確認しようとすると、男は子供を隠すように姿勢を変え、
その場から白い乗用車に乗って立ち去ったと言う
⇒個人的な意見が入ってるが言葉をかけなくても不自然ではない。
ー---------------------------------------
情報がすくなく推測にすぎないが行方不明とするのが答えだろうか。
現場を見る限り、この場所での連れ去りと言うのは、考えずらいものではないだろうか。
徳島の田舎町で、あの日、たまたまいたという子供を狙うことができるだろうか。
衝動にかられての犯行は、確かにあるのだろうがどうもそれも低い気がする。
仮にそうだとするなら、近くの住人の可能性ということになる。
誰かに連れらされたと仮定した目撃情報があるが特に有力だと思われる97年、98年は
行方不明から8年以上経ってのことである。
4歳の頃の写真と8年以上経ったころとどうだろう。
似ている子供かもしれないし、本物かもしれない。
あの日、一人で歩き、近くの崖に落ちたのか、山側へ行ったのか、親戚の家の敷地内のどこかなのかは、
今もわからない。
【参考】
芦田愛菜さん
5歳
http://blog.livedoor.jp/koyakukoyaku/archives/50318074.html
12歳
https://www.daily.co.jp/gossip/2017/04/21/0010116056.shtml?ph=1
鈴木福くん
5歳
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2101/09/news027.html
12歳
http://blog.livedoor.jp/koyakukoyaku/archives/50664648.html
行方不明場所
https://www.google.com/maps/place/34%C2%B001'45.9%22N+134%C2%B003'25.0%22E/@34.0294028,134.040028,15z/data=!3m1!4b1!4m13!1m6!3m5!1s0x3553ca4b5b17dcd3:0xf1e9b218d292323!2z6LKe5YWJ6aeF!8m2!3d34.0393677!4d134.0587873!3m5!1s0x0:0x9f3fd4984eca97d4!7e2!8m2!3d34.0294036!4d134.0569369?hl=ja
家族構成は父・正伸さんと妻・圭子さん、子供が長女、伸矢くん(4歳)、
次男(2歳)の5人暮らしだった。
正伸さんはソフトウェア技術者として国産の電算機関関連会社に勤めていたが、牛久で家を買い、
1989年はじめには外資系のコンピュータ会社に転職した。
それまでは深夜残業・休日出勤ばかりで子供達と遊ぶ時間がままならなかったからだ。
1989年3月5日、圭子さんの実母が急死し
翌6日に一家は徳島県小松島市で営まれた葬儀に参列した。
そのあと一家は車で1時間ほど離れた貞光町(現つるぎ町貞光)の圭子さんの親戚宅を訪れ、
この日はここに泊まった。
小松島市から貞光の親戚宅を訪れる際、家族は親類の運転する2台の車に分乗した。
1台目に両親と弟、2台目に伸矢君と姉が乗った。
車のなかで弟が突然「伸矢」と叫んだことが両親にはその後を暗示していたようにみえてならないという。
翌7日の午前8時頃、正伸さんは3人のきょうだいと
(圭子さんの)いとこの子供を連れて近所に散歩に出かけた。
このあたりは標高200mほどの山間部の林道の終点近くにあり、
公道から山の斜面に私道が延びて、その斜面に親戚宅は建てられていた。
まわりに家はない。
正伸さんは朝食前だったので10分ほどで散歩を切り上げている。
子供達ははしゃぎながら、正伸さんについてきていた。
家の玄関までの10メートルほどの石段を登った玄関先まで伸矢くんがついてきていたことを正伸さんは記憶している。
伸矢くんはこの時、もっと散歩したそうだったため、
正伸さんは抱いていた次男を家の中にいた圭子さんに手渡し、玄関先に戻ってみると、伸矢くんの姿はなかった。
この間、40秒ほどである(20秒という情報あり)。
⇒4歳の足で、20秒、40秒でどれぐらい進むのだろうか。
伸矢くんの姿がみえないことに気づいた正伸さんは、すぐに周辺を捜したが、伸矢くんを見つけることができなかった。
それから、家族・親類が近所を捜し回り、地元の消防団もこれに加わったが見つけることができず、
午前10時(昼過ぎとの情報あり)に警察(貞光署)に通報した。
当初は山で迷子になっているのではないかと思われ、この日のうちに山間部で大捜索が行われた。
貞光署からは全署員30名の半数が駆けつけ、県警機動隊、消防署員、地元消防団員に一般市民を加えた100人近くの人を動員、翌8日には200人を動員(G)、
その後3ヶ月捜索を続けたが(のべ1400人という情報あり)、ついに伸矢くんを見つけることはできなかった。
ちなみに伸矢くんは4歳とは思えないくらい、しっかりしていた。
自宅の住所も電話番号も年齢も家族の名前もみんな言えた。
・現場は町道の終点付近で外部からの出入りはほとんどない。
・失踪時、100m離れた畑で農作業をしていた人は車を見かけなかった。
・松岡さん一家が親戚宅に到着したことや、伸矢くんがいたことは外部に知られていない。
・周辺に交通事故の痕跡はない。
貞光署ではそれでも以上の理由から「事件にまきこまれたケースは考えにくい」と徹底した周辺捜索を行った。
伸矢くんが失踪し、捜索が行われると同時に、親戚宅の電話にテープレコーダーをとりつけた。
正伸さん一家が牛久市に帰る前日の16日(特定失踪者調査会HPによると"15日頃夜")、
一本の奇妙な電話がかかってきた(親戚宅へ)。
正伸さんが電話を取ると、「奥さんはいますか」という、語尾のあがる徳島弁独特のアクセントの女性の声がした。
⇒単純な疑問として、奥さん方の親戚の家でなんで正伸さんが電話を取ったのか?
⇒正伸さんが出たとどうしてわかったのか?奥さんとは、圭子さんではなく、親戚の家の奥さん?
圭子さんが電話を替わると、その女性は「ナカハラマリコの母親」だと名乗り、
「成蹊幼稚園の月組の父兄です。幼稚園で見舞金を集めたのですが、どちらに送れば良いのでしょうか。
もう帰ってくるんですか?」と尋ねた。
成蹊幼稚園とは、伸矢くんの姉が通っていた幼稚園だった。
圭子さんは「明日帰る」という旨を伝えたが、
その後「ナカハラマリコの母親」から連絡はなかった。
⇒これ、本来は、阿波弁なんだろうか。関西弁とも近いことから、関西人?
⇒圭子さんから成蹊幼稚園、月組と伝えたのが正しいか。
⇒もう帰ってくるんですか?の言い方は、茨城に住んでいるということか。
⇒茨城の住所を知りたかった?
見舞金についてこちらから尋ねることもできず、しばらく黙っていたが、
数日たって幼稚園に問い合わせてみたところ、見舞金を集めたという事実はなく、
ナカハラマリコという名前の子供もいないことが判明した。
⇒徳島県で多い苗字ではない。
後から考えると、正伸さんから電話を替わる時に
「誰かわからないけど、徳島弁だよ」
と言っており、茨城県にいて松岡さんの親戚宅の電話番号を知っているのも不自然である。
また徳島県にいて伸矢くんの(姉の)幼稚園の名前まで知っているのはおかしかった。
松岡さん一家の事情に内通している者の電話だと言えるが、これが手がかりとなることはなかった。
⇒上記、母親が伝えたとするなら、なぜ、姉の幼稚園を行ったのか?
⇒上記、伝えてないとして、なぜ、姉の幼稚園なのか?
⇒新聞でも報道されており、当時はタウンぺーも存在していた。
⇒なんのためのTELと言うのは、謎が残る。
その後、正伸さんは会社勤めを辞め、自営業に切り替えた。
捜索の時間を少しでも持てるようにするためである。
50回を超えるテレビ出演で情報提供を求め、自宅の電話番号も公表した。
目撃証言は多くよせられ、信憑性の高いものもあった。
それらは全国津々浦々で目撃されていた。
(以下、その例)
1990年4月
徳島の主婦 「市内で伸矢くんを見た。まず間違いない」
この連絡は正伸さんの家に直接入り、すぐにその人物と会って、その後、
徳島県警本部に証言に出ていた子供の人物特定を依頼した。
しかし、そのあと本部から連絡はなく、正伸さんが電話を入れると、
担当の警部は「私の父が亡くなり、ばたばたしていましたので・・・」と言った。
その後、手がかりなし。
1990年
「山形米沢市にあるデパートの前で、テレビで見た伸矢くんとそっくりの男の子をみた」
この証言を聞き、正伸さんは米沢市に向かい、デパート周辺でビラ配りをしたところ、
「この子なら上杉公園で見た」という情報を得ることができた。
この証言の主婦によると、公園内の売店にいたということだが、その先はわからなかった。
1991年
「四国霊場88ヶ所の第21番目の「太竜寺」で白装束に身を包んだ5~6歳の少年を連れた親子連れを目撃した。
子供に付き添っていた男女は普通の身なりで、子供の両親にしては年が離れすぎていた」
圭子さんがこの証言を聞いて、87、8番目の寺でその3人の姿を待ちつづけたが、とうとう現れなかった。
??年
北海道の倶知安町に住む老人
「伸矢くんと名乗る子供を内地(本州)からもらってきたという人を知っている」
これも決め手にはならなかった。
1997年
OL 「横浜の地下鉄で見た」
この証言によれば、帰宅途中のOLが、電車の横に坐った少年が「鳥肌のたつほど、正伸さんに似ていた」と言い、
少年については「苦労しているようで、身なりも良くなく、手首に巻いてある包帯から傷が見えたので気になった」という。
心配になったOLは少年に声をかけ「おじさんにいじめられる」という話を聞いている。
OLは「困ったことがあったら、お姉さんに電話して」と電話番号を渡し、
その後1度だけ電話があったが、手がかりにはならなかった。
⇒行方不明から8年後、12歳ぐらいを推測できるがはたしてどうだろうか。
1998年
中国地方にあるレンタルビデオ店店員
「手首に傷のある男の子で、現在の伸矢くんの想像写真にそっくりの少年が、
『タイタニック』のポスターを買っていった。少年は店の出入り口付近で、
まるで監視しているかのように立っているヤクザ風の男に『タイタニック』のポストカードを見せ、
”これでいいの?”といった感じで確認した後、レジに来た」
応対した店員はすぐに店長に報告、店長は表通りに2人の姿を捜しに走って行ったが、
すでにその姿はなく、警察に通報したという。
その後の手がかりはなし。
⇒行方不明から9年後、こちらも同様にどうだろうか。
⇒97年の目撃証言の子と同一人物なのだろうか。
2000年
圭子さんの親友の知り合い
「伸矢くん失踪の翌月、徳島県の日和佐の海岸で伸矢くんらしき男の子を見た。
30代後半の男が子供を抱いているのだが、親子にしては不自然な感じを受けた。
親なら子供に何かしら話しかけたりするものだが、まったく言葉をかけたりしなかった。
男の子の顔も伸矢くんによく似ていた」
目撃者は徳島育ちで、伸矢くんが行方不明になっていたことを当時から知っていたので、
男の子の顔を覗き込んで確認しようとすると、男は子供を隠すように姿勢を変え、
その場から白い乗用車に乗って立ち去ったと言う
⇒個人的な意見が入ってるが言葉をかけなくても不自然ではない。
ー---------------------------------------
情報がすくなく推測にすぎないが行方不明とするのが答えだろうか。
現場を見る限り、この場所での連れ去りと言うのは、考えずらいものではないだろうか。
徳島の田舎町で、あの日、たまたまいたという子供を狙うことができるだろうか。
衝動にかられての犯行は、確かにあるのだろうがどうもそれも低い気がする。
仮にそうだとするなら、近くの住人の可能性ということになる。
誰かに連れらされたと仮定した目撃情報があるが特に有力だと思われる97年、98年は
行方不明から8年以上経ってのことである。
4歳の頃の写真と8年以上経ったころとどうだろう。
似ている子供かもしれないし、本物かもしれない。
あの日、一人で歩き、近くの崖に落ちたのか、山側へ行ったのか、親戚の家の敷地内のどこかなのかは、
今もわからない。
【参考】
芦田愛菜さん
5歳
http://blog.livedoor.jp/koyakukoyaku/archives/50318074.html
12歳
https://www.daily.co.jp/gossip/2017/04/21/0010116056.shtml?ph=1
鈴木福くん
5歳
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2101/09/news027.html
12歳
http://blog.livedoor.jp/koyakukoyaku/archives/50664648.html
行方不明場所
https://www.google.com/maps/place/34%C2%B001'45.9%22N+134%C2%B003'25.0%22E/@34.0294028,134.040028,15z/data=!3m1!4b1!4m13!1m6!3m5!1s0x3553ca4b5b17dcd3:0xf1e9b218d292323!2z6LKe5YWJ6aeF!8m2!3d34.0393677!4d134.0587873!3m5!1s0x0:0x9f3fd4984eca97d4!7e2!8m2!3d34.0294036!4d134.0569369?hl=ja