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是非にあらず

小手前の安心は無い

松岡伸矢さん行方不明事件

2024年09月21日 10時08分55秒 | 事件
松岡伸矢くんの一家は茨城県牛久市に住んでいた。
家族構成は父・正伸さんと妻・圭子さん、子供が長女、伸矢くん(4歳)、
次男(2歳)の5人暮らしだった。
正伸さんはソフトウェア技術者として国産の電算機関関連会社に勤めていたが、牛久で家を買い、
1989年はじめには外資系のコンピュータ会社に転職した。
それまでは深夜残業・休日出勤ばかりで子供達と遊ぶ時間がままならなかったからだ。

1989年3月5日、圭子さんの実母が急死し
翌6日に一家は徳島県小松島市で営まれた葬儀に参列した。
そのあと一家は車で1時間ほど離れた貞光町(現つるぎ町貞光)の圭子さんの親戚宅を訪れ、
この日はここに泊まった。

小松島市から貞光の親戚宅を訪れる際、家族は親類の運転する2台の車に分乗した。
1台目に両親と弟、2台目に伸矢君と姉が乗った。
車のなかで弟が突然「伸矢」と叫んだことが両親にはその後を暗示していたようにみえてならないという。

翌7日の午前8時頃、正伸さんは3人のきょうだいと
(圭子さんの)いとこの子供を連れて近所に散歩に出かけた。

このあたりは標高200mほどの山間部の林道の終点近くにあり、
公道から山の斜面に私道が延びて、その斜面に親戚宅は建てられていた。
まわりに家はない。

正伸さんは朝食前だったので10分ほどで散歩を切り上げている。
子供達ははしゃぎながら、正伸さんについてきていた。
家の玄関までの10メートルほどの石段を登った玄関先まで伸矢くんがついてきていたことを正伸さんは記憶している。

伸矢くんはこの時、もっと散歩したそうだったため、
正伸さんは抱いていた次男を家の中にいた圭子さんに手渡し、玄関先に戻ってみると、伸矢くんの姿はなかった。
この間、40秒ほどである(20秒という情報あり)。
⇒4歳の足で、20秒、40秒でどれぐらい進むのだろうか。

伸矢くんの姿がみえないことに気づいた正伸さんは、すぐに周辺を捜したが、伸矢くんを見つけることができなかった。
それから、家族・親類が近所を捜し回り、地元の消防団もこれに加わったが見つけることができず、
午前10時(昼過ぎとの情報あり)に警察(貞光署)に通報した。
 
当初は山で迷子になっているのではないかと思われ、この日のうちに山間部で大捜索が行われた。

貞光署からは全署員30名の半数が駆けつけ、県警機動隊、消防署員、地元消防団員に一般市民を加えた100人近くの人を動員、翌8日には200人を動員(G)、

その後3ヶ月捜索を続けたが(のべ1400人という情報あり)、ついに伸矢くんを見つけることはできなかった。

ちなみに伸矢くんは4歳とは思えないくらい、しっかりしていた。
自宅の住所も電話番号も年齢も家族の名前もみんな言えた。


・現場は町道の終点付近で外部からの出入りはほとんどない。
・失踪時、100m離れた畑で農作業をしていた人は車を見かけなかった。
・松岡さん一家が親戚宅に到着したことや、伸矢くんがいたことは外部に知られていない。
・周辺に交通事故の痕跡はない。

貞光署ではそれでも以上の理由から「事件にまきこまれたケースは考えにくい」と徹底した周辺捜索を行った。

伸矢くんが失踪し、捜索が行われると同時に、親戚宅の電話にテープレコーダーをとりつけた。

正伸さん一家が牛久市に帰る前日の16日(特定失踪者調査会HPによると"15日頃夜")、
一本の奇妙な電話がかかってきた(親戚宅へ)。
正伸さんが電話を取ると、「奥さんはいますか」という、語尾のあがる徳島弁独特のアクセントの女性の声がした。
⇒単純な疑問として、奥さん方の親戚の家でなんで正伸さんが電話を取ったのか?
⇒正伸さんが出たとどうしてわかったのか?奥さんとは、圭子さんではなく、親戚の家の奥さん?

圭子さんが電話を替わると、その女性は「ナカハラマリコの母親」だと名乗り、
「成蹊幼稚園の月組の父兄です。幼稚園で見舞金を集めたのですが、どちらに送れば良いのでしょうか。
もう帰ってくるんですか?」と尋ねた。
成蹊幼稚園とは、伸矢くんの姉が通っていた幼稚園だった。
圭子さんは「明日帰る」という旨を伝えたが、
その後「ナカハラマリコの母親」から連絡はなかった。
⇒これ、本来は、阿波弁なんだろうか。関西弁とも近いことから、関西人?
⇒圭子さんから成蹊幼稚園、月組と伝えたのが正しいか。
⇒もう帰ってくるんですか?の言い方は、茨城に住んでいるということか。
⇒茨城の住所を知りたかった?

見舞金についてこちらから尋ねることもできず、しばらく黙っていたが、
数日たって幼稚園に問い合わせてみたところ、見舞金を集めたという事実はなく、
ナカハラマリコという名前の子供もいないことが判明した。 
⇒徳島県で多い苗字ではない。

後から考えると、正伸さんから電話を替わる時に
「誰かわからないけど、徳島弁だよ」
と言っており、茨城県にいて松岡さんの親戚宅の電話番号を知っているのも不自然である。
また徳島県にいて伸矢くんの(姉の)幼稚園の名前まで知っているのはおかしかった。
松岡さん一家の事情に内通している者の電話だと言えるが、これが手がかりとなることはなかった。
⇒上記、母親が伝えたとするなら、なぜ、姉の幼稚園を行ったのか?
⇒上記、伝えてないとして、なぜ、姉の幼稚園なのか?
⇒新聞でも報道されており、当時はタウンぺーも存在していた。
⇒なんのためのTELと言うのは、謎が残る。


その後、正伸さんは会社勤めを辞め、自営業に切り替えた。
捜索の時間を少しでも持てるようにするためである。

50回を超えるテレビ出演で情報提供を求め、自宅の電話番号も公表した。
目撃証言は多くよせられ、信憑性の高いものもあった。
それらは全国津々浦々で目撃されていた。


(以下、その例)

1990年4月

徳島の主婦 「市内で伸矢くんを見た。まず間違いない」

この連絡は正伸さんの家に直接入り、すぐにその人物と会って、その後、
徳島県警本部に証言に出ていた子供の人物特定を依頼した。
しかし、そのあと本部から連絡はなく、正伸さんが電話を入れると、
担当の警部は「私の父が亡くなり、ばたばたしていましたので・・・」と言った。

その後、手がかりなし。


1990年

「山形米沢市にあるデパートの前で、テレビで見た伸矢くんとそっくりの男の子をみた」
この証言を聞き、正伸さんは米沢市に向かい、デパート周辺でビラ配りをしたところ、
「この子なら上杉公園で見た」という情報を得ることができた。
この証言の主婦によると、公園内の売店にいたということだが、その先はわからなかった。


1991年

「四国霊場88ヶ所の第21番目の「太竜寺」で白装束に身を包んだ5~6歳の少年を連れた親子連れを目撃した。
子供に付き添っていた男女は普通の身なりで、子供の両親にしては年が離れすぎていた」 
圭子さんがこの証言を聞いて、87、8番目の寺でその3人の姿を待ちつづけたが、とうとう現れなかった。


??年 

北海道の倶知安町に住む老人 
「伸矢くんと名乗る子供を内地(本州)からもらってきたという人を知っている」
これも決め手にはならなかった。


1997年

OL 「横浜の地下鉄で見た」

この証言によれば、帰宅途中のOLが、電車の横に坐った少年が「鳥肌のたつほど、正伸さんに似ていた」と言い、
少年については「苦労しているようで、身なりも良くなく、手首に巻いてある包帯から傷が見えたので気になった」という。
心配になったOLは少年に声をかけ「おじさんにいじめられる」という話を聞いている。

OLは「困ったことがあったら、お姉さんに電話して」と電話番号を渡し、
その後1度だけ電話があったが、手がかりにはならなかった。
⇒行方不明から8年後、12歳ぐらいを推測できるがはたしてどうだろうか。


1998年

中国地方にあるレンタルビデオ店店員 
「手首に傷のある男の子で、現在の伸矢くんの想像写真にそっくりの少年が、
『タイタニック』のポスターを買っていった。少年は店の出入り口付近で、
まるで監視しているかのように立っているヤクザ風の男に『タイタニック』のポストカードを見せ、
”これでいいの?”といった感じで確認した後、レジに来た」
応対した店員はすぐに店長に報告、店長は表通りに2人の姿を捜しに走って行ったが、
すでにその姿はなく、警察に通報したという。
その後の手がかりはなし。
⇒行方不明から9年後、こちらも同様にどうだろうか。
⇒97年の目撃証言の子と同一人物なのだろうか。


2000年

圭子さんの親友の知り合い

「伸矢くん失踪の翌月、徳島県の日和佐の海岸で伸矢くんらしき男の子を見た。
30代後半の男が子供を抱いているのだが、親子にしては不自然な感じを受けた。
親なら子供に何かしら話しかけたりするものだが、まったく言葉をかけたりしなかった。
男の子の顔も伸矢くんによく似ていた」
目撃者は徳島育ちで、伸矢くんが行方不明になっていたことを当時から知っていたので、
男の子の顔を覗き込んで確認しようとすると、男は子供を隠すように姿勢を変え、
その場から白い乗用車に乗って立ち去ったと言う
⇒個人的な意見が入ってるが言葉をかけなくても不自然ではない。


ー---------------------------------------
情報がすくなく推測にすぎないが行方不明とするのが答えだろうか。
現場を見る限り、この場所での連れ去りと言うのは、考えずらいものではないだろうか。
徳島の田舎町で、あの日、たまたまいたという子供を狙うことができるだろうか。
衝動にかられての犯行は、確かにあるのだろうがどうもそれも低い気がする。
仮にそうだとするなら、近くの住人の可能性ということになる。

誰かに連れらされたと仮定した目撃情報があるが特に有力だと思われる97年、98年は
行方不明から8年以上経ってのことである。
4歳の頃の写真と8年以上経ったころとどうだろう。
似ている子供かもしれないし、本物かもしれない。

あの日、一人で歩き、近くの崖に落ちたのか、山側へ行ったのか、親戚の家の敷地内のどこかなのかは、
今もわからない。


【参考】
芦田愛菜さん

5歳
http://blog.livedoor.jp/koyakukoyaku/archives/50318074.html

12歳
https://www.daily.co.jp/gossip/2017/04/21/0010116056.shtml?ph=1

鈴木福くん

5歳
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2101/09/news027.html

12歳
http://blog.livedoor.jp/koyakukoyaku/archives/50664648.html



行方不明場所
https://www.google.com/maps/place/34%C2%B001'45.9%22N+134%C2%B003'25.0%22E/@34.0294028,134.040028,15z/data=!3m1!4b1!4m13!1m6!3m5!1s0x3553ca4b5b17dcd3:0xf1e9b218d292323!2z6LKe5YWJ6aeF!8m2!3d34.0393677!4d134.0587873!3m5!1s0x0:0x9f3fd4984eca97d4!7e2!8m2!3d34.0294036!4d134.0569369?hl=ja




柴又女子大生放火殺人事件

2020年10月05日 20時16分08秒 | 事件
【推察1】

15:50~

犯人は玄関より被害者宅へ入る。
呼び鈴を鳴らし、入ったわけではない。
被害者は、母親が出てすぐパジャマから着替えをし自分の部屋か。

犯人はスリッパを履き、リビングへ。キッチンを通り、居間へ。
タンスを物色か。旧一万円札を盗む。
犯人にとっては、欲しいもの。あるいは珍しいものだったのか。
あるいは、殺害後に物色か。

犯人は二階へ行き、一番奥にある被害者の夫婦の寝室に行ったか。
スリッパは揃えて部屋へ侵入。
スリッパは、普段の犯人のクセか犯人自身の家でのルールなのか。

物音に気付いた被害者は、被害者の夫婦の寝室と隣接する襖を開けた。
まさか出張中の父親かあるいは母親なのかと思ったか。
するとそこには犯人がおり、見つかり、もみ合いになり、殺害される。

犯人は、誰かがいると思っていたのか。
ふいに殺害をしてしまったのか。

気が動転していたもののふと目についた仏壇のマッチ箱をとり
スリッパを履かずに1Fの居間へ。
被害者の部屋にあったお金は、見なかったのか。慌てていたのか。

押し入れに火を放ち、キッチンを通りすぐ横のパソコンにも火を放ち
マッチ箱は玄関に置き、逃走。
返り血を浴びた?カッパを燃やした?

面識なし。窃盗犯。被害者はいるとは知らず?



【推察2】
15:50~

室外機の音に異常があるなどと訪問をした。
訪問客であることからまた、雨でもあったため、スリッパを履かせた。
エアコンは、1Fの応接間と2Fの殺害現場にある。
1Fのエアコンには異常がないと言い、あるいは最初から2Fに異常があるかもしれないと言い
2Fの殺害現場に行く。被害者を突然、襲うが抵抗にあい、殺害。

ふと、仏壇に目をやるとマッチ箱がありスリッパを履かずに
1Fの居間へいき、押し入れに火を放ち、キッチンを通りすぐ横のパソコンにも火を放ち
マッチ箱は玄関に置き、逃走。
旧一万円札のみなくなっていたということは、窃盗犯に見せたかった?
返り血を浴びた?カッパを燃やした?

顔見知り程度の知り合い?街の電気屋など?






柴又女子大生放火殺人事件

2020年09月27日 18時40分51秒 | 事件
【疑問】
■スリッパで進むと1Fの居間を通らないといけないため、普通なら居間の前で脱ぐはずが
2Fの夫婦の居間(遺体があった居間)の前にあったのはなぜか?
順子さんの父親は、このスリッパについて、玄関から1階の和室までの行き来にしか使わなかったものであるとして、
「私しか使わないスリッパでした。それも1階でしか使わなかった。なぜそれが2階に、それも揃えて置かれていたのか」と証言している。
⇒招いたのではない。顔見知りでもない。スリッパを履いたのは、濡れていたから?
⇒友人ほど親しくはない。例えば街の電気屋が訪問?

■放火をしているが被害者の遺体または遺体付近に火を放つものと考えるが
2Fの夫婦の居間(遺体があった居間)の仏壇にあったマッチ棒を持ち去り、
1Fの居間の押し入りに放火をしたのはなぜか?
⇒放火はそもそも考えてはいなかった?1Fの居間に証拠が?⇒レインコートを燃やしたかった?

■犯行前の目撃証言は多いが犯行後の目撃証言が少ないのはなぜか?
⇒車だったのか?意外と近所?








柴又女子大生放火殺人事件

2020年09月26日 09時05分54秒 | 事件
【犯人像】

【心霊】『陰陽師事件現場 霊能捜査』柴又女子大生放火殺人事件 前編 〜真犯人の名前〜【橋本京明】【閲覧注意】
https://www.youtube.com/watch?v=JxbqyoPxPFU

【心霊】『陰陽師事件現場 霊能捜査』柴又女子大生放火殺人事件 後編 〜真犯人の名前〜【橋本京明】【閲覧注意】
https://www.youtube.com/watch?v=gS3t40s4GVY


異能の主婦
https://news.biglobe.ne.jp/entertainment/0609/sgk_170609_3891665893.html


超能力捜査官のテレビで上智大生を殺害した犯人を透視してたけど、犯人はオレンジのトラックに乗ったトラックの運転手っていってたよ。
で、結婚してて子供もいるっていってた。たてやまたつみだったら当たってるかも。口に怪我をしてる


霊能者が霊視した結果はというと、「昼も夜も関係なく男がずっと見ている」、
「事件当日は雨が降っていて寒い日、黒い長袖のシャツ、濃い色のズボン、黒い布製の靴を身に付けている。」、
「カバンからテープを取り出して手足を拘束してずっと話しかけている」、
「ライターのカチカチする音が聞こえる。火を放ったのは居間。」。


レスラー氏 プロファイリング
犯人は19歳~23歳の若い男。妄想癖をもつ可能性がある。
被害者とはほんの顔見知りの関係。
自分の妄想のなかで一方的に、被害者との架空の恋愛関係を成立させている
この「架空の恋愛関係」のことを恋愛妄想(エロトマニア)という。被害者に対して勝手に恋愛感情を抱き、
最後には被害者を死においやってしまう恋愛妄想。プロファイリングの中では「恋愛妄想を動機とする殺人」として位置づけられるものだ。


警視庁、事件当時のある捜査関係者は、通りすがりでも普通の物取りでもない。
亡くなった女子学生と犯人の間には何らかの因果関係があるのではないか。
根拠して次の4点
・ものやお金は盗まれておらず、乱暴された形跡はない。
・人目につきやすい夕方にかなり短時間で犯行を行っており、事前に被害者の家の状況を把握していた可能性がある。
・遺体に布団をかけているのは犯人の被害者に対する良心のとがめや可哀想だからという気持ちの表れ。
・殺害後の放火には証拠隠滅という目的もあるが殺害した上に焼いたという行為には、被害者に対する犯人の強い感情も窺われる。
http://www.maroon.dti.ne.jp/knight999/sibamata.htm



2013年9月20日発売北大路書房
ケースで学ぶ犯罪心理学
越智啓太/著
本体価格:1,900円+税
第9章 放火
(5)他の犯罪の隠蔽のための放火
柴又上智大学生殺人放火事件



柴又女子大生放火殺人事件

2020年09月21日 21時00分11秒 | 事件
【目撃情報】

事件発生約10日前の1996年8月末、午前0時頃、送別会からの帰宅途中、男に後をつけられたため駅まで戻った。

【犯行前】
①事件3日前の正午過ぎ、40歳ぐらいの中年男が近くの何軒かの家に入りこんで追い返されたり、
 他人の家の門前でライターをいじるなど不審な行動を取っていた。

②事件前日の8日午前5時頃、被害者宅近くの掲示板付近で「ふざけんな、ぶっ殺すぞ!」と叫び、軍歌を歌いながら自転車で走り去った男。(「週刊文春」1996年9月26日号)

③午前9時から午後3時までの6時間、金町公園周辺をうろついていた白い手袋の男。

④⇒①午後1時頃、被害者宅付近で主婦を尾行し、家の前でライターをいじり、体操をしていた40歳前後の男。?

⑤事件の数時間前、京成高砂駅で「柴又3丁目はどこですか?」と道を尋ねていた男。
⇒事件当日午後4時頃、黒傘をさして現場近くに立っていた中年男。これと似た男が事件当日朝、
 京成高砂駅(柴又駅の隣駅)付近で柴又3丁目への行き方を主婦に尋ねている。
?⇒午後4時頃、道路に立って被害者宅の様子を窺っていた40代ほどの男。

⑥午後4時頃、被害者宅の南側で自転車を乗り回していた30代前半ほどの男。

⑦事件前、被害者宅を見ていた男。30代後半、身長約160センチ、やせ形。黄土色のレインコートと黒ズボン姿(毎日新聞)
⇒近所の女性の新証言から、「ベージュのコートを羽織り、顔はつり目で、短髪で黒髪でやせ形の男」のイラストを警察が公開。
 犯人らしき男を目撃した近所の女性は、犯行時間の直前、雨の中、傘も差さずに
 小林順子さんの自宅の表札をジッと見つめていたことを証言したのです。
 その男は電柱の影に隠れるように立っていた。


【犯行後】
③?⇒事件当日の午後4時30分から40分頃、雨の中を傘も差さず現場付近から駅の方面へ走って行った20〜30代ほどの男。
   ?⇒白いシャツの男

③⇒事件当日の午後4時半頃、現場近くから、土砂降りの中、白い手袋をした20代後半から30代前半の男が、
 傘も刺さずに柴又駅の方向に向かって走り去った




【間取り】
http://blog.livedoor.jp/poseidon22/archives/51840204.html



【小林順子さんについて】

上智大学外国語学部4年
「将来、マスコミ関係の仕事をしたい」との希望を抱き、2日後には留学のため、アメリカ・シアトル大学へ留学する予定だった。
大学1年の時から地方の中学生に英語を教えるサークルに所属。
ゼミでは「東南アジアの文化」を専攻。
成績はほとんどAで留学の選考試験も上位に入り、第一志望のシアトル大学にすんなり決まっていた。
アメリカに留学中の先輩と3年越しの交際が続いていた。
家庭教師の他にも地方放送局でアルバイトをしており、明るい性格で人に嫌われるような女性ではなかったという。

事件の2日後、留学でアメリカに旅立つ予定だった。荷物を開くと、中から筑紫哲也さんの著書、中島みゆきさんやミスターチルドレンの曲を録音したカセットテープなどが見つかった。
(母親より)



【当時のニュース】
https://www.nicovideo.jp/watch/sm21266753


【報道記者】
取材メモには近所の住民や捜査幹部からの情報として、順子さんについて
「英語大好き 明るい子 あさって留学予定 アメリカ出発の予定だった」と記されています。
また、留学前にどうしても日本のとんかつを食べようと、自宅近くのとんかつ店に家族で行ったこと、
姉と日本の思い出に銭湯に行ったこと、「自分は絶対にホームシックになるだろう」…
留学の寂しさをにじませていた日記の内容もありました。日記は9月8日、事件前日までしたためられていました。
順子さんは将来メディア関係の職業を志望していたといいます。事件に巻き込まれなければ、我々と取材の現場をともにしていたかもしれません。
http://www.1242.com/lf/articles/72371/?utm_source=antenna&cat=life&feat=hatanaka



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