オショロコマの森ブログ5

渓流の宝石オショロコマを軸に北海道の渓流魚たちと自然を美麗画像で紹介します、

もう一つの真珠湾奇襲、そして秘密保護法

2013-12-08 09:46:55 | 渓流魚、蝶、自然
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もう一つの真珠湾奇襲、そして秘密保護法

今日、2013年12月8日は今から72年前、太平洋戦争が勃発した日である。終戦記念日と異なり、敗戦国日本ではとりたてて記念行事などが行われることはない。今から72年前の1941年12月8日未明、日本海軍の空母艦隊から発進した航空機部隊が真珠湾に停泊中のアメリカ太平洋艦隊を急襲した。まったくの奇襲で日曜日の早朝であり、米国政府は奇襲を予測していたのでは?との見方もあるが、少なくとも現地の米軍には何も情報がなかったようでどうすることもできず、一旦壊滅状態になった。
しかしこの時、真珠湾の浅い海底に沈んだ戦艦8隻中6隻は、無事であった港湾施設を利用して引き上げられ、修理され速やかに戦場に復帰している。米空母3隻は真珠湾におらず難をのがれ、結局米国にとって実害はさほどのものではなかったのである。

この時の日米両方から撮影された多数の写真は、みなさんあちこちで見飽きるくらい見ていることでしょう。特にアメリカ側から撮影された写真は枚挙にいとまがないほどたくさんある。一方、日本側から撮影された写真は当時の種々の機密保護法のもとに大本営の厳重な報道管制もあったせいか、きわめて少ない。

大石均氏は、あるとき古本屋で珍しい写真を見つけた。あまりにも迫力がある写真に圧倒されおもわず購入した。それは真珠湾で日本機により攻撃されている飛行場を日本機が超低空で撮影したらしいもので、いまだ公表されたことがない、いかにも珍しい写真であった。その後ヤフーオークションで偶然みつけた真珠湾と思われる飛行場爆撃の写真も入手された。

今回、大石氏から私のところにそれらの写真が送られてきて、この写真が本当に真珠湾攻撃の祭、日本機によって撮影されたものか同定してほしいとのことであった。(ごく一部の人たちの間では、私は趣味としての相当な戦記マニア、飛行機マニアとされているようです。父が海軍航空兵であった影響と思います。)
この写真を私のブログに使用してもよいとの了承を得て下記の記事を作りました。

彼のメールに下記のごとく返信しました。

メールと珍しい写真拝見しました。 


写真1 これは攻撃され炎上中の真珠湾ホイラー飛行場と思われます。日本機から撮影された極めて貴重な写真です。(過去にこの写真のみ週刊誌新潮に採用され掲載されたことがあるようです。)




写真2 この写真では 最前列に カーチスP-40 がみえますがこれは映画パールハーバーで零戦と戦ったシーンがかなり出てくるので実際に真珠湾にいたのでしょう。 P36フォーク 、F4F ワイルドキャット がめだち後方には双発のB-25ミッチェル 、最後尾には炎上中の大きな機体の翼がみえますが 大型爆撃機 B-17 でしょうか。 B-17があまり真珠湾らしくないと考える人がいるかもしれませんが当時B-17 はハワイにかなり配置されていたようです。海が見え、そこに水柱が上がっているようにも見えるのは真珠湾をおもわせますが。


写真3と写真4は、ほぼ同じところを、やや時間をおいて撮影されたものでしょうか。

写真3 ここにはは海軍の艦上戦闘機 F4Fのほか 、 P36フォーク B-25ミッチェル など見えますが 陸軍機のP39 エアコブラが目につき これがあまり真珠湾らしくないかもしれません。





写真4 は海軍のF4F のほか F2A バッファロー4機、P36フォーク、B-25 は真珠湾らしいのですが よくみるとP39 エアコブラ1機 が混じっています。この P-39 が真珠湾らしくないかもしれません。


もしかすると、写真3 写真4 は真珠湾攻撃の同日 台南航空隊が当時の米軍には信じられないような長距離を飛んでフィリピンのクラークフィールド飛行場とイバ飛行場を奇襲し、壊滅させたときの写真ではないでしょうか。( ただ、私のこの判断が正しいかどうか完璧な自信はありません。 )台湾-フィリピン往復という長距離攻撃を日本機ができることを大本営はきっと秘密にしたかったのでしょうか、真珠湾はあれほど大々的に報道した反面、こちらはさほど報道されていないようです。この攻撃のことを知らない人も多いのではないでしょうか。
この攻撃は奇襲に参加した零戦パイロットで撃墜王、坂井三郎氏の大空のサムライにくわしくでています。

私は、真珠湾攻撃よりも艱難辛苦の末、前人未踏の長距離を飛んでフィリピンに到達し攻撃を行い、空中戦まで行い、さらに再び長距離を飛んで台湾まで帰投したこの攻撃のほうがより強い感動をおぼえました。フィリピンを脱出したマッカーサー元帥は回顧録で、この日の日本機が台湾から飛んできたとは到底考えられない。きっと空母から発進したに違いないと述べています。開戦前から、この攻撃を念頭に研究が進められ巡航速度115ノット、零戦のエンジンではシリンダー爆発ぎりぎりの混合比でエンジン回転数毎分1700回転程度に押さえ、毎時67リットルのガソリン消費量でゆけば、この長距離攻撃がぎりぎり可能とされました。このような苦労のすえ当時では考えられないような長距離渡洋攻撃がなされたのでした。

子供のころ、血わき肉おどる感動で戦記雑誌 丸 でこの攻撃記録を一気読みしたことを思い出します。
この攻撃は もうひとつの真珠湾奇襲 といっても良いかもしれません。




ところで、西欧列強が植民地支配に悪逆のかぎりをつくし、それに飽きてきた頃、遅れてきた帝国主義国家、性悪国日本が一方的に戦争を起こし、近隣諸国の方々に多大の迷惑をかけたあげく、悪は敗れるといったパターンで連合国に完敗したと世界各国の人々はもちろん、戦勝国に主導された戦後教育からそう信じている若い日本人も多いと思われます。日本国民が東条英機氏など戦犯とされた人たちの主導で、ヒットラーに率いられたドイツみたいに突っ走ったと思われているのでしょうか。しかし、ほんの少しでも歴史を勉強すれば、当時の世界がそんな単純なものではなかったことはすぐにおわかりになるかも知れません。また、鼻息の荒い個体群が暴走し開戦に踏み切ったまでは良かったが、日本がいかにこの手の戦争に不慣れで、実際に信じられないほどいかに下手くそであったのか、いらだちを通り越してあきれ果てることでしょう。寝込みを襲うような開戦初期の作戦以外は終戦まで、ほぼ惰性的な連戦連敗。外交に至っては稚拙のきわみであった。これらの点に興味のある方は 名著 講談社文庫 ドキュメント太平洋戦争全史 上・下 亀井 宏著 を最後まで、まずは斜め読みで通読することを是非おすすめします。文庫本2冊で読み通すのにそんなに時間はかかりません。

また、近々封切られる映画 永遠のゼロ の原作本(著者 百田尚樹氏)の後半部分では軍部・政府とともに日本国民をあおりにあおって戦争に突入させ、終戦後は手のひら返しを平気で行ったジャーナリストたちに対する憤りも生々しく描かれています。ただ戦前のジャーナリストたちが当時次々と制定された種々の秘密保護法群でがんじがらめにされていった結果であったことは言うまでもありません。
(昨夜、2013-12-6 このおぞましい秘密保護法案が幽霊のように突然現れ、まばたきする間もなく国会で可決されました。将来的には同様な時代がこないとは限りません。)

この悲惨な戦争を経験した日本は、かなり利口になり、殺し合いで物事を解決してゆく空しさ愚かしさ理不尽さが骨の髄までしみこんだ世界でも稀な民族になります。誰に何と言われようと、何をされようとも、じっと我慢、巧みな外交ですりぬけ、この68年間、一度も他民族と殺し合いをしないできた日本は、結果的には本当にすごい、ひたすらすごい、まさにすごいとしか言いようがありません。堪忍袋の緒が切れて戦いをいどみ完膚無きまでに叩きつぶされることに懲りたのです。殺し合いは最悪の選択です。

ただ、阿部晋三氏はじめ国会議員のかなりの部分が 戦争を知らない子供たち になってしまった今、このすごさの意味もわからず、日本を変な方向へ舵取りしつつある気配がひしひしと感じられるのは私だけでしょうか。日本人の多くが最終的な危険を実感できないまま過ごすうち、歴史は繰り返され、水ゆでカエル(阿部晋三氏も含めて)みたいに、気がついたら茹で上げられていたということになってゆくのでしょうか。国家??という得体のしれないものが秘密を独り占めにして主権者であるはずの国民の上にそびえ立つイヤな気配が見え隠れしてきました。秘密は、ばらしたらただではすまんぞと脅すより、漏れないような管理法を徹底研究するほうが先でしょう。それでも人間は秘密をばらしたくてたまらない衝動にかられる生き物なので昨今のアメリカ(秘密保護法の大先輩)みたいに重大な秘密が次々に漏れるのは厳罰のみでは抑えられないでしょう。


人類の歴史をみれば人間は同じ過ちを絶えず繰り返しています。潜在的に、戦いや殺し合いが大好きな特性をDNA上に深く刻印された最もおろかな?生き物です。武力解決、殺し合いはいけないといっても現実はそんなに甘くない場合が出てくることを誰もが認めざるを得ないのは悲しい事実です。なにかの理由で戦争が始まり、殺し合いに懲りた頃、平和が訪れます。一方、平和ぼけで殺し合いの悲惨さを忘れた頃、必ず鼻息の荒い個体群が現れてまた殺し合いといったパターンを飽きもせず繰り返してきました。当然ながら戦争は勝者が正義、敗者は悪になり、戦後しばらくはそのような教育がなされます。残念なことですが現在の世界に目をむけるまでもなく人間の歴史において殺し合いは原罪、もしくは必然であるかに見えてしまいます。それで、いざという時の為の備えはあっても良いとは思いますが、今後とも今の体制は崩すべきではありません。かっての日本のような武力暴走が起こらないよう手足を縛る現平和憲法を変える必要はなく、いざというときには超法規的措置を発動して自衛の戦いはすぐできます。しかし、それ以前に、誰に何と言われようとあの手この手で戦争場面を回避してゆく姿勢が、最もすぐれた姿です。


昨今の国会風景をみると不安にかられますが、願わくば、他国との殺し合いの事態はできるだけずっと向こうに、出来れば永遠に先送りしたい。日本はこれまでどおり、これまでの体験を無駄にすることなくなんとか努力してゆくしかないでしょう。



PS さて、話が大きく変わって渓流の世界では 鼻息の荒い個体群( オショロコマ棲息水域の放流ニジマスとそれを容認する危険な状況 )が 在来種オショロコマを駆逐しないよう あの手この手でそれを先送りできるようにしたいと考えております。


    2013-12-8   ドリーバーデン



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