アアクスグループブログ

アアクスグループ代表者堂上孝生のブログ

私の生い立ち

2009年02月02日 | Weblog
I  私の生い立ち

(1) 父親は小市民で家庭的で子煩悩だった
 私は1943年2月6日午後8時55分に生まれた。時刻は90歳で死期が近い父に、私が電話で尋ねて確認した。父は嬉しそうに即答した。母親は44歳で亡くなったが、彼なりに愛妻家の家庭人であったと思う。
 
父の勇治は大阪府南河内郡高向村という村で、長々期政権の村長を務めた伊三郎の四男であった。大阪府立富田林中学(今の高校)から関西大学の法学部を卒業して大阪市阿倍野警察署に勤めていた。父はその同僚の姻せきの一人と結婚したようである。

その後、私が5歳のとき戦争から復員してからは大阪市汎愛高等学校に英語教員の職を見つけたようである。その後40年以上も同校で出世もせず一教員として奉職した。生活態度としては余暇を目いっぱい使って英語塾で稼いでいたようである。また僅かの田畑を相続して一人で百姓をしていた。台風シーズンには屋根の瓦が飛ばないように、瓦を固定する仕事も自分でやった。風呂屋も自分で作った。父は極めて小市民的な家庭人であったようである。

また父はしばしば長男の私を連れて近所の小川に行った記憶がある。夏にはその岸辺で木の枝に、シダの蔦を細工して水面近くでブランコを作ったりした。近くの野山に昆虫鳥にもつれて行った。私の4歳下の二男が出来てからは、田畑の仕事にもつき合わさせていたようである。6歳下の三男ができるころには家の部屋の梁に穴を開けて紐をぶら下げ、庭に飛び出すブランコを作ったりした。弟たちが受験勉強に入る頃には、庭に弟2人にそれぞれプレハブの簡易小屋を作った。

特に子供の教育には熱心で、私たち兄弟3人が中学生になると親戚に住所を移し、町の中学に通わせた。父は相当の子煩悩であったようである。愛情たっぷりの弟たちは親に反逆することもなく、もう年金生活に入っている頃であるが小市民的な生活を送っている。

私はただ一人、父とは肌が合わず衝突の連続であった。父に言わせれば、期待が大き過ぎたのである。少年期の子供をつかまえて「貴様…」呼ばわりで、恫喝したことも頻繁であった。私はかたくなに父の言いつけに反発していた。少年期から毎食事の時は「勉強せんかい!」と小言を何年も言い続けた。私は絶対に勉強しなかった。勉強せずとも何とか高校も大学も一応「二流」レベルに留まったから不思議である。

(2) 父の従弟への常時の称賛は私のプライドを逆撫でした
私は小学校の頃から、同級の従兄と二人で英語を父から習わされた。その従兄は私より知能指数が高く、私は何時も遅れをとった。そして父は、その従弟ばかりを褒め、私をけなした。私はバカバカしくなり、まもなく一緒に勉強するのをやめた。父は何かにつけて私の神経を逆なでする形で、従兄を大事にした。

その従弟は小学校の頃から、クラスはいつも別であったが、私より身体能力にも優れ、学年対抗のリレー競走の部落選考会では6年間ずっと遅れをとった。小学校卒業時の学業成績も彼が一番、私は二番か三番の表彰状であった。高校進学でも彼は住吉高校に私は今宮高校に甘んじることとなる。大学も彼は大阪市立大学の商学部に、私は同じ大学でも文学部にしか入学できなかったという具合である。その従弟は三菱銀行に、私は松坂屋に入社しその後IBMに転職した。

ただ就職先でも待遇が良かった従兄はそこに安住した。私は就職先でもウダツが上がらず、年若くIBMに既に見切りを付けて税理士試験に2、3年で受かった。ただ従弟は大学時代に無理をして腎臓を患っていたので余り無理はできない。

私は未だに体力で無理が効く。私は身体を大切にして、ガッツを以て「筋を通せば」、筋の通る案件は認められる場合が多いことを学んだ。もう今では従兄はライバルではない。これからは、お客様に優しくても、役所には筋川筋衛門の壮年期を元気に過ごしたいと念じている。
 
 父に対しても、恨みはない。90歳まで母が亡くなってからは哀れな人生だったかなあと思うだけである。ただ、私自身を観察すると父に似た性格であるから、お笑いであるが…。

(3)祖母のこと
祖父は私が生まれたときはもう亡くなっていた。しかし祖母は健在であった。父は私が生まれてすぐ、ビルマに出征した。小学校の教師の母はその祖母に、生後まもない私を預けて働いていた。

 祖母は愛情細やかなに、大勢の孫の中でも私を溺愛した。私と祖母とのそのような関係は私が高一の秋、祖母が脳溢血のため80歳で死ぬまで続いた。祖母は、私の母親代わりで、今考えると祖母の私への愛は一方的な愛だった。

 私が2歳位の冬、祖母らと綿入りのジンベ(ドテラ)に包まって庭の防空壕に入ったのを覚えている。3歳のころ祖母は母屋に移り住んだ。私は昼間に祖母と暮らし、夕方に母親が小学校から帰ってくると母親と暮らしていた。しかし夜も、しばしば自宅から数百メートル離れた母屋で寝泊まりしていた。

 3歳の頃、冬に母屋の寝床で寝小便した時は、こっそり起きてコタツの上にパンツを置いて乾かしていた。そのコタツは、中をくり抜いて炭火を灰で覆った鉢を入れた粘土造りで、少し大型であった。コタツの上には、布団が焦げないように、小さい座布団が紐で縛りつけてあった。

 私は祖母と広い「奥の間」の畳の上に敷いた布団の寝床でいっしょに寝ていた。一つの分厚い布団だから、祖母は気がついていた筈である。しかし彼女はいつも全く気がつかない振りをしていた。5歳の誕生日に祖母は、わざわざ私を呼んで、広いミズヤの食卓で、「鰤(ブリ)の照り焼き」を食べさせてくれた。その美味しかったこと。私は今もブリの照り焼きが大好きである。その後も祖母は私を呼んでは「ジョウセン」という駄菓子の類のお八つをくれた。私は「お婆ちゃんっ子」だったようである。

 そして今、脳裏に浮かぶのは、一度も会ったことのない祖父の赤茶けた写真である。田舎の百姓面であるが、凛とした様子であった。尤もその写真もどこで見たのか記憶が定かではない。しかし今でもそのツラ構えがいつも私の眼前に迫る。怒るでもなく、笑うでもなく…。

(4) 私のガッツの所以
 今、私は既に30年に近いキャリアを持つ中堅の税理士事務所を運営してきた。余り不足はない。しかしこのたび65歳を過ぎてから、「決算5万円」を掲げて税務会計サービスのユニクロ化に挑戦している。ユニクロ化というのは、高品質で安いイメージを私が勝手に使っている。或いはお咎めがあるかもしれないが、褒め言葉として許して戴きたいなあと漠たる気持ちである。

 アメリカ西海岸の何社かの会計事務所を訪問して解ったことであるが、所員数人でClientの数が1万、10人で2万というのが珍しくない。ノウハウを駆使すれば日本でも出来ないことではないと思っている。私は大変な不況にあって、小規模な起業7年までの企業に限定してこのサービスを社会奉仕として立ち上げた。まだ日が浅いく苦労が多いが何とかなることを祈っている。もちろん従前のお客様は従前のサービスで、従前の報酬を頂戴している。

 このニューサービスは成功する。社会貢献の色彩が強いからである。ただ目上から見下す姿勢を排して、採算が取れるようにするには数年の歳月が必要であろうか?目標はClient数、1万である。「無理!」というのが業界の大体の意見である。私は頑固者である。以上

当面の不況への備え

2008年12月05日 | Weblog
不況への根本的な備え

I マクロ経済の大津波に根本対策は未だない

1991年のソ連崩壊で勝ち残った資本主義は、米帝国の覇権色を強め、金融資本主義へ進んだ後、ブッシュ失政により軍事力の絶対優位を揺るがせ、同時にドル信認に揺らぎを招いている。

経済危機はリーマンブラザーズ破綻という金融恐慌で幕を開けた。その後BIG3破綻にみるような雇用不安を招き、米政府の財政破綻を更に加速させようとしている。

津波は大きい。
信用不安は株価を直撃し、消費マインドを凍らせ、更に雇用不安、国民生活の不安に及ぶ。いやあ大変だあ。交感神経が高ぶり身体不調も起きようというものである。

イライラによる身体不調には交感神経ブロックが良い。高圧酸素療法で血中酸素を7倍にすると尚良しで、対処できる。しかし経済恐慌は急には治らない。治療方針も定かではない。

Ⅱ マクロ経済でのアメリカ金融資本主義の行く末

余計なお世話であるが、米国民は税金で上記Iの破綻した財政赤字のツケを税金で払っていくことになる。ドルを刷って赤字を帳消しする手もある。しかし1971年のドルの金兌換停止から40年、今回はドル暴落の危機にさらされる。

マクロ的には米国民は過剰消費で借金を膨らませながら、世界の景気を支えてきた。軍事力とドル信認ゆえの技である。しかしベトナム戦争、イラク戦争で大きく傷つき、今またアフガン戦争を戦おうとしている。壮年男子は皆タリバンのアフガン。

その事実を米政府は理解していないという。ソ連の以前の敗北を学習していない。イラクも大量破壊兵器があると判断した。石油利権を狙った口実に決まっていたが、その証拠すらなかったお粗末。誤情報などとノンキな話ではなかろうに…。

軍事の失敗、FRBの失敗、次に経済界の失敗BIG3を救えば、モラルハザードを引起す。すると、やむを得ないのに行政の失敗として、オバマは無能呼ばわりされる。起死回生は金融業に替わる新産業の模索と育成。米国は必ずこれをやる。しかし最低5年は掛かる。

Ⅲ ミクロ的に私共はどうしよう?

 困ったものである。零細企業は今後、少なくとも1~2年は食いつながなければ生きていけない。

 米国の財政赤字、ドル信認の問題から、日本経済は今までどおりの規模や業態での輸出は今後5~10年は見込めない。

 政府には益々内需に舵を切って欲しいところであるが、なかなか困難のようである。世界的にみても、日本の輸出はGDPの15%ほどを占めるに過ぎないという話もある。

 今回の影響を受ける零細小企業は、何をどうすれば良いか?
 それはまず、米国民と同じく今後は物欲を捨て、貧乏でも満足する幸せを見出すのが良いと思う。些か宗教じみた話である。しかし物欲を追う生活は、日本人もニート族などの価値観に観るように、もう若い人を中心にくたびれたと感じる人々が増えているのではないだろうか?
 そう考えると、今後の零細企業経営の理念として普通の庶民生活への回帰が一番とも思える。私もそういう方向を模索してみようと思う。

平成20年12月5日 税理士・堂上孝生
http://www.kes3.com

人の命の連鎖

2008年11月21日 | Weblog
I 人類としての「命」の個々の連鎖

専門家曰く
「痴呆症の徘徊は、潜在意識に不満・遣る瀬なさがあるためです」
  私は、殆ど世間と隔離状態にある重度な痴呆症の方の、人の命の底にある無意識の意識は、大切にしなければならないような気がします。

  私の命も、その痴呆症の人の命も、人の命として命が繋がっています。だから理解できないと言っても、本当は理解可能な範疇にあります。ホモサピエンスたる人類の一人だからです。

 Ⅱ 人の命のパワーの盛衰

  ここ40年ほど傲慢を極めた米国が、ドルの基軸通貨としての地位を明け渡す予感がしてきました。思えば1850年代のエネルギーに満ち満ちた荒々しい無頼漢が闊歩したフロンティアの自由人たるアメリカ人。格好良くもありました。

  とても肉体的に敵にはなれないアメリカ人の骨格の優勢。更に頭脳も優れている。同じアメリカ人と言っても、人種が違うのかもしれませんが、アングロサクソンの肉体に加え、ユダヤ人系のアメリカ人は、頭の良い人種である。カネに対する精神的な執念も、とても日本人などには通じそうにありません。

Ⅲ アメリカ人の栄華の陰り

  そのアメリカ政府が、住宅ローンの見えない底値、企業信用の複雑系証券DCSの破綻、金融信用の毀損に対する信用供与を全面的に保証しました。その結果、ドルは再生不能な程度に毀損し破綻の淵に瀕しています。

  自信に満ちたアメリカ人、エネルギッシュなアメリカ人、頭の良いアメリカ人。若々しかったアメリカ人は、もう元には戻れないでしょうか?それとも頭の良さは、アメリカにスーパーサバイバル戦略を生み出すでしょうか?例えばICT戦略、宇宙旅行、マイクロ・テクノロジー、iPS万能細胞の医学利用、種子戦略、知能教育等々、私にはとても把握しきれない方向性です。

  それにしても、ペーパーマネー・ドルが過去40年で引き起こしたアメリカ政府の「双子の赤字」は余りにも大きすぎる気がします。

  どうなるのでしょうか?
「なるようにしかならない」というものでもなさそうです。アメリカ人の命が掛かっていますから。

 ソ連も軍事競争に負けて1990年頃に破産して出直しました。超ハイパーインフレによる政府の国民に対する債務の「チャラ化」です。でも既に蘇えり掛けています。

Ⅳ ドル破綻の後にくるアメリカ人の「幸せ」

 人の世には平家物語の「盛者必衰の理」もあります。アメリカ人とて同じ人類。アメリカ人が財政的破綻を経て尚、財物にウツツを抜かすことはないのではないでしょうか?一般論としてですが、人として財物の独占は人の命の盛衰に関して本質ではないと感じます。

 ではドル破綻後のアメリカはどこへ行くでしょうか?今後40~50年を経てですが財物市場の近代工業社会の残渣が消え、傲慢な覇権主義的な政治感も消えないでしょうか?「皆一生懸命に生きている」個々の人の主観的な幸せ「満足感」に、社会安定の仕組みが移っていく可能性はないでしょうか?

アメリカの経済界としても暫くは証券業が銀行業並みの規制を受けそうですので、以前のようなリスクを負った高収益は許されません。だとすると相対的に貧しい経済状態で満足せざるを得なくなるでしょう。それともまた世界戦争を始めるでしょうか?その辺になると人類の根本的な資質に関わってきますので、運は天に任せるしかありません。

私も老後を控え、心穏やかに満足の世界、人のために尽くす修行が必要な気がします。ただ生きたいとする命の内なる声がその修行を阻みます。せめて肥満になるほど食料エネルギーを費消しないようにします。アルコールも止めるのが筋でしょうか?平成20年11月19日 税理士・行政書士堂上孝生

零細企業で収益ゼロになるとき

2008年11月21日 | Weblog

1 私も緊急情報の発信をします


まず政府100%保証の公的融資の申込で当座の資金繰り確保が必要です

次に、税理士事務所の弊社は、顧客に何ができるか考えました

開業7年までの起業者を対象に、特別の決算申告サービスが必要と考えました

緊急にホームページでそのサービス内容を反映しました


2 冷静な景気予測

零細企業にとって緊急な経済異変が起きています

しかし突発性ゆえに、景気の緩和措置がいつ取れるか情報収集しましょう



1~2年は「やばい」と云う感じです

外需の輸出が、そのうち前年対比で30%~50%減ったらどうなるか?

これは考えておく必要があるでしょう



そのうち中国がいち早く内需転換に成功するでしょう

ロシア、BRICSも中国への投資・輸出が盛り返すでしょう



Ⅲ 問題は3~5年以降

日本が内需転換に遅れ、中国・ロシアその他のBRICS等への投資・輸出に頼らざるを得ない経済状況が悲しいですね


アメリカは3~5年の苦痛を経て、何か「結果を出す」でしょう

アメリカ帝国はローマ帝国のように、数十年掛けて緩やかな衰退に向かうのでしょう



そのとき日本ってどうなっているのでしょうか?

3年後に日本が外需の輸出頼みで生きていたとしたら、本当の「底」はそれ以降となります

すでにインドでは、電気自動車などの新産業隆盛の芽が爆発する要素があるのではないでしょうか?

零細企業が生きんがために

2008年11月20日 | Weblog
Ⅰ 生きんが為に

 1991年にドルの金兌換廃止から40年。ドル増刷による「双子の赤字」で、アメリカ、否世界は多少のタイミングを異にして不動産バブル・信用バブルの破綻に陥った。この金融恐慌は、根が近代工業社会の終焉時期とも重なり、またアメリカ資本主義帝国の覇権主義の激変の予感とも重なる。「元に戻らない」ともいう。

 経済体制、人の暮らしはどうなって行くのか?私も零細企業の経営者の一人として、「企業存続ソリューション」に関して、大変なストレスを抱える気分である。「食うこと」に明日が見えず困り果てる経営環境にある。

 私は、「持たざること」が生きる道と決めた。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」と思うと楽である。ただ「食わねば死ぬ」物理的な人の悲しさに直面して、今なお零細経営者のストレスが消えることはない。

 弊社の具体的な対応として、価格破壊が進むというよりは、「低廉価格帯」でやっていける業態変化と新規顧客の開発がベストソリューションと思う。余り考えている余裕はないので、何とかしたい。

タクティックスとしての営業開発では、やはりICTをPRノウハウに使いたい。それで今、ホームページの整備も急いでいる。半年程前から、「見てもらえるもの」、「サイトから購入してもらえるもの」に切り替えるノウハウの勉強を始めている。Kes3.com だの、0315.jpだの、どう運用するか、それなりに楽しい仕事である。


Ⅰ 今回の金融恐慌を予言した人

 Nouriel Roubini (Dr.Doom)・NY大学教授による“The 12 Steps to Financial Disaster”「経済恐慌への12ステップ」という書籍が話題になっている。2006年9月IMF総会で同教授が指摘した経済シナリオである。

日本に言及すれば1997年の山一證券の破綻現象と軌道が似ている。1995年前後から中南米等の新興市場でも、今回のアメリカの不動産バブルと信用バブルと同様の悪夢があり著書“Bailouts or Bail-Ins”「救済か再生か」で報告されている。
アメリカ発の金融恐慌は、レバレッジ(借金による投資)等の手法による粗末な破綻現象といえそうである。住宅ローンが不動産担保証券(MBS)、債務担保証券(CDO)と偽りの変化をした。そこには誤った格付機関の介助もあった。

この悪夢は想定範囲の破綻が現実となった訳である。でも当時はアメリカ人も、「悪夢」を「希望の夢」として、「皆で夢を見たかった」のである。人間の能力はその程度という外ない。平家物語の盛者必衰の理と同じである。ただ警鐘のタイミングで「相当の時間的余裕」、「適時」、「ぎりぎり」の差異があり、学者も社会への影響力の発揮で苦労をするところである。


 Ⅱ アメリカ帝国の凋落には時間が掛かる

 アメリカ帝国の凋落の予兆と多くの政治経済学者は指摘する。

通貨に関して言えば今のところ直ぐにドルに取って代わる強い通貨はない。政治経済を絡めてローマ帝国や大英帝国の凋落と同じように、長い年月を掛けてドルの機軸通貨性が弱まっていくのであろう。同教授は更に邦銀にとっては米銀買収の好機ともいう。しかし日本円は余りにもローカルである。

Ⅲ 中国・ロシアの内需切り替えの成功予測

中国は投資・輸出が加熱し国民の消費生活は進んでこなかった。2008年秋からアメリカへの輸出に急ブレーキが掛かっている。G20サミットの結果も踏まえて中国は1~2年すれば大規模な内需切り替えに成功すると思われる。日本政府も「来年末には」、景気が回復するとの期待を滲ませている。

ロシアも同様の経済環境にある。続いてブラジル・インド等のBRICS諸国が中国への投資・輸出を通じて、当面は徐々に景気を回復する。このようなシナリオが一般的である。また妥当性もある。

Ⅳ アメリカは何処へ行く?

 アメリカの金融は証券業から金融業への鞍替えが進む。高リスクの投資銀行はなくなると思われる。もう証券業界による以前のような収益構造は望めない。その結果として今回露呈したドルのツケ(負債の政府信用)の処理が、急には進まない。

 個人の借金は国に肩代わりされる。アメリカ国民は家を失い、失業し、将来の年金を失う。しかしもう住宅ローン、事業クレジット等は望むべくもない。普通に考えるとそうなる。

 尤も米国はユダヤ資本の国でもある。このままオメオメと敗退するとも思えない。どうするのであろうか?アメリカ経済に取り込まれている日本国民としても、期待したいところである。

 ただ40~50年のスパンでみると、アメリカ帝国もやはり「盛者必衰の理」から逃れるのは難しいと考えるのが、「人の世の幸せ」の限界をしるのに良いのと思う。人の世は悲しいものなのである。

平成20年11月20日 税理士・行政書士 堂上孝生