仙台ドクタークラブ(2004~2008)

仙台市医師会野球部ホームページ
(広報部編集)
2004~2008年の活動の記録

2007年 納会 2007.12.15

2007-12-16 | 2007年 納会
ドクタークラブ便り  納会

とき  平成19年12月15日(土)
ところ  仙台ホテル 4階「菊の間」

師走の街は光のページェントで華やいでいる。会場に向かう足取りは自然と軽くなる。納会ほど楽しい集まりもないのである。気のおけない球友と心行くまで酒を酌み交わす。肴は今年の珍プレーの数々である。
平成19年度ドクタークラブ納会は、部員14名の出席をもって開催された。山田会長は東京の会議から急ぎ駆けつけた。今季の好成績と関係諸団体との懇親の成果に、会長挨拶にも笑顔が混じる。

庶務・浅沼(孝)から、新入部員(1名)、退部希望者(4名)の報告があり、表彰選手が発表された。今年度のスタッフは全員留任となる。議事終了後、懇親に移り、阿部精太郎監督から清酒「精太郎」が差し入れられると、座は一気に盛り上がった。

■今年の球績

<対戦チーム>   <スコア>  <ド・クの勝敗>
国保連        2―3       ○
全国土木       5-16      ○
八戸市医師会    5-4       ●
弘前市医師会    4-7       ○
米沢市医師会    7-6       ●
仙台市薬剤師会   0-7       ○
仙台歯科医師会   2-0       ●
ペガサス       1-6        ○
オール仙台古希   3-8       ○
山梨MEDS      6-14       ○

今シーズンは10試合が行われた。鬼門の開幕戦で国保連に4年ぶりに勝利し、幸先良いスタートを切った。その後、勝ったり負けたりが続いたものの、黒星が先行することなく7勝3敗という球績を残した。勝率7割はプロ野球ならリーグ制覇である。阿部監督就任後の2シーズンは16勝5敗(勝率0.762)となった。

7月22日の山形市医師会戦は雨天中止になったが、猛暑の最中(さなか)であり、2週続けての試合だったので正直ほっとしたところもあった。八戸戦、米沢戦はいずれも1点リードしていたのに最終回に逆転された。痛恨の2試合である。歯科医師会戦では何年ぶりかで完封負けを喫した。ホームの遠い試合であった。この試合は歯科医師会の捕手と外野手を褒めるしかない。

昨季は11試合中、4試合で2桁得点をあげ、1試合平均10.4点という驚打を記録したが、今季は相手もド・クを研究し、投手を補強、守備を固めてきたのでそうは点を取れなかった。2桁得点は2試合、1試合平均得点は7.1点となった。シーズンを振り返ると、安打を打ったことより、自分のエラーシーンばかりが目に浮かぶ。どんな恥ずかしいプレーも年改まれば忘却の彼方である。朝な夕な祈りを捧げよう、「時よ、早く過ぎよ」と。

■個人成績 

<安打数> 綿谷11  安藤10  板垣7  宮地7  菊地(達)7
<打率> 綿谷0.407  宮地0.389  安藤0.385  菊地(徹)0.368  板垣0.292
<打点> 綿谷9  安藤8  板垣7  矢野3  高橋3  宮川3
<盗塁> 安藤10  板垣10  綿谷8  菊地(達)8  菊地(徹)6 
<四死球> 板垣9  綿谷6  佐藤(韶)6  松井6  宮地5  
<得点> 板垣17  綿谷15  菊地(達)7  安藤6  佐藤(韶)6  
<出塁率> 宮地0.522  綿谷0.515  板垣0.485  安藤0.467  菊地(徹)0.429
<投手成績>
安藤  9試合4勝3敗  投球回数37回1/3  防御率3.375 
松井  4試合3勝0敗  投球回数13回  防御率2.077   
伊藤(幸)  2試合0勝0敗  投球回数3回2/3  防御率9.818  
花田  1試合0勝0敗  投球回数2回  防御率18.00  
浅沼(達)  1試合0勝0敗  投球回数2回  防御率0.000
(注)防御率は9イニングあたりで計算してある。

綿谷は最終戦で2安打し、打率トップに躍り出た。毎年3割の常連の佐藤(韶)と松井は今季打撃の調子を崩した。佐藤の不調の原因は腰痛とメタボである。松井は開幕戦の深酒が最後まで祟った。不調が2季続くとすぐに限界説が首をもたげるので来期の奮起を期待しよう。エース安藤は4勝3敗だったが、うち2敗は最終回に味方のエラーで勝ち試合を失ったものであり、内容的には6勝1敗と読み代えてもらいたい。

■選手表彰

<皆勤賞> 安藤、綿谷、板垣、佐藤(韶)、浅沼(孝)、宮地
<優秀選手賞> 安藤、板垣、綿谷、松井、矢野、菊地(達)、菊地(徹)、宮地
<新人賞> 野口
<特別賞> 山田会長、佐藤(徳)
<功労賞> 阿部、菊地(哲)、伊藤(清)
<努力賞> 大泉
<奨励(もっと試合に出てきなさい)賞> 花田、高橋
<敢闘賞> 浅沼(孝)、猪股
<還暦賞>佐藤(韶)
<古希賞> 阿部、伊藤(幸)、内山、大友、菊地(哲)、佐藤(徳)、瀬戸
<50年選手賞> 伊藤(幸)

最も価値があるとされる皆勤賞は6名が受賞した。
今年古希チームと対戦したことで、俄然古希世代への注目が高まった。新たに「古希賞」が設けられ、70歳以上の部員7名にまとめて贈呈された。伊藤(幸)は50年選手賞とのW受賞であり、「野球をやめるとボケそうだから、まだまだやる。多分マウンドで倒れることになるからよろしく」と力強い現役続行宣言をした。来年はいよいよ八十路を迎える。古希チームの投手はマウンドの1m前からB球を投げていたが、伊藤(幸)には1m後ろから砲丸でも投げてもらいたい。

最優秀選手(MVP)は優秀選手の中から出席者による無記名投票で選ばれる。今季は、有効投票14票中、板垣、綿谷、安藤が4票ずつを集め、同点となった。史上初である。決戦投票が行われ、7票を得た板垣が6年ぶり、2回目のMVPに輝いた。板垣はオールラウンドかつサステイナブルなプレースタイルが評価された。今年から伸ばし始めたチョイ悪髭の霊験はあらたかだったようである。

さて、今年のプロ野球はポストシーズンが長かった。セ・パそれぞれのプレーオフ、日本シリーズ、アジアシリーズと続き、12月1~3日の北京五輪アジア予選で幕を閉じた。五輪予選で星野ジャパンはフィリピン、韓国、台湾に3連勝し、悲願の切符をつかんだ。山場は2戦目の韓国戦であった。韓国は、先発を右投手と発表しておいて左投手をマウンドに送り、日本の先発、左の成瀬を確認してから打順を右打者に入れ替えた。このアンフェアな行為に動ずることなく、日本は4-3で死闘を制した。韓国の監督は、五輪でも同じことをするのか、と聞かれて、できることは何でもやる、と答えた。韓国はダーティーなイメージを残した以外、この大会で得たものはなかった。日の丸の下に団結した24名の選手のフェアプレーは観衆の胸を熱くした。五輪での野球競技は北京大会で終了するという。1984年ロス五輪以来となる24年ぶりの、最後の金メダルを期待したい。

納会を終えて外に出ると、冬の大三角がページェントの電球に負けない輝きを放っていた。遥かな昔、シリウスを仰いでプロ野球を夢見た日があった。背番号51がSafeco Fieldのフェンスを蹴って空に舞い上がる時、自分もここまで来たかったのだと思う。夢のかけらは今でも心の隅でカラカラと音を立てている。

青葉通の街路樹はすっかり葉を落とした。12月にしては暖かい夜だが、野球の季節は終わったのである。ドクタークラブは来年5月までしばしの眠りにつく。素振りもロードワークも休みにしよう、今夜だけは。

シーズンを終えるにあたり、今年お世話になった諸方面の方々に御礼申し上げます。益田勝児、瀬戸淳一の両大先輩からは多額の寄付を頂戴いたしました。創部60周年を控え、来年は「仙台ドクタークラブ史」第4巻の編纂が企画されています。引き続きドクタークラブと「ドクタークラブ便り」に温かいご支援をお願いいたします。

   あれもこれも し残したまま 歳暮るる

                 (文責 宮地辰雄)


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