さめのくち

日常の記録。

愛と介護と自然賛歌|『臣女』感想(B07)

2015年01月29日 | 書評・感想


題名は「巨女」ならぬ『臣女』ですが、登場するのは『進撃の巨人』で言えば5m級の巨女。 巨女と言えば、『妖怪巨大女(Attack of the 50 Foot Woman)』あるいは『ダリル・ハンナのジャイアント・ウーマン』という馬鹿映画がありました。エイリアンによって巨大化した妻が、夫と、その浮気相手に復讐するという話。当の本人も高圧電線に接触して死んでしまいます。50フィートということは、15m級の巨女ですね。

アメリカンな巨女が屋外で大暴れするのに対し(銃で撃たれたりもする)、臣女でもある日本の巨女は、なかなか家から出られません。が、介護させることで浮気性の夫に復讐します。対象は大きいですが、食事も排泄も、入浴もままならない巨大化した妻のサポートはまさしく介護。時に認知症気味にもなるので大変です。食べて出す、人間が筒であることを教えられる、介護シミュレーション小説となっています。

シミュレーションと言えば、人間が巨大化するとはどういうことかも、目を背けたくなるような描写で描かれています。『進撃の巨人』でも『妖怪巨大女』でも描かれることのない、排泄や寄生虫の話は、悪趣味と言えばそれまでですが、物語にリアリティ、現実的にあり得るとかそういう話ではなく、皮膚感覚と言うか、読む側の覚悟と言うか、そういうものを求めてくるわけです。というのも本作は、根っこは純愛というか激愛小説であって、肉体的にも、最後は精神的にも、夫婦で壮絶な殴り合いをしているのです。 最後は裏切られ、仇討ちし。ちょっと映画『バーディ』の結末を思わせます。

作中で2回、ボードレールの詩が引用されます。同じ詩で、堀口大學と齋藤磯雄の訳者違い。内容は巨女讃歌ですが、征服されざる自然を詠んだものとも言えます。しかし臣女は、



見返しと同じ、紫色の吐瀉物を吐き出します。これはもう自然なものではなく、「我が儘でチンケな保身の心が、決まって判断力を鈍らせ、悪い結果を生んでしま」った証なんでしょう。それを呑み込んでごまかしごまかし生きるのもまた、夫婦の在り方ではあるんでしょうが。

「時代」は名曲|中島みゆき 縁会2012~2013劇場版(M03)

2015年01月28日 | 映画

中島みゆきと言えば「オールナイトニッポン」ですっかりお世話になった口です。歌も好きでしたがレコードを買うほどではなく、そんなわけで映画のセレクトは奥さんによるもの。『KANO 1931海の向こうの甲子園』に行きたい気もしましたが、上映時間は3時間もあるし、昨年、台湾で観たのでよしとしました。

料金は割高でしたが、映画館で映画以外の出し物を観るのはこれが初めて。音響も良くて、そりゃあ家でライブDVD見るのとはスケールが違うよな、と実感。もちろん目の前で映し出されているのは記録された映像であり、予想外のハプニングが起こることもありません。双方向のやり取りがあるわけではなし、観客は一方的に歌を聴かされるだけです。ライブが持つ魅力には遠く及びませんが、チケット入手も困難と聞きますし、代替行為としてはありなんだと思います。全体的に年齢層が高めで、皆さん静かにご覧になっていましたが、こう、ライブに近い盛り上がりがあってもいいんじゃないでしょうかね。などと思ってしまいました。

もちろん上映するアーティストによっては、絶叫上映的なイベントもあるのかもしれません。ああこれって元祖は『ロッキー・ホラー・ショー』か。

あの頃は良かった、か|繁栄の昭和(B06)

2015年01月27日 | 書評・感想

「巨匠、8年ぶりの最新短編集」だそうです。そう言えば、最後に読んだ筒井康隆作品は、老人版バトル・ロワイヤルの『銀齢の果て』だったか、やっぱり老人が活躍する『わたしのグランパ』だったか。日本がまだ高齢「化」社会だった頃の小説で、「化」がなくなった今読むと、また違った感想を抱くかもしれません。

さて『繁栄の昭和』。タイトル通り「昭和」ノスタルジーな作品が集められていますが、単なる短編集に終わっていないのはさすが。表題作と「大盗庶幾」はミステリ仕掛けですが、ループものにパスティーシュにと、のっけから楽しませてくれます。「科学探偵帆村」は、海野十三の小説の主人公が登場。作中でもその正体が説明されますが、ポーレットの話はフィクション(ですよね?)。ポーレット・ゴダードと帆村荘六がどうつながるのかは読んでのお楽しみ。

軽佻浮薄だろうと、面白ければ何でもいい、で本当にいいの? と「リア王」では今のエンタテイメントをちくり。「ま、いいか」で締めるあたり、巨匠も丸くなられた。

多くを考えさせられるのが「役割演技」のディストピア。タイトルを忘れてしまいましたが、昨年読んだイギリスのジュブナイル。タイム・トラベラーによる歴史改変を防ぐためにわけありの少年・少女が頑張るという話ですが、その守るべき未来が今より希望のない格差社会だったりします。では、歴史改変に挑んだ者たちは果たして悪なのか、彼らが歴史のターニング・ポイントだと思ったのはどこなのか(イギリスの小説というのが大きなヒント)。非常に興味深い内容でした。では『繁栄の昭和』に収録されている「役割演技」が描くディストピアは、昭和の先にある、これから我々が直面する世界なのか、それとも昭和のどこかで何かが起こればああなってしまうのか。あるいは既に、人々には演じるべき役割が与えられており、その役割から外れるとスポイルされてしまう社会になっているのか。

たまたま昨夜、Eテレで「どう思う?キャラの使い分け」(オトナへのトビラTV)が再放送されていました。クラスで「あんたはこういうキャラだから」という決めつけがなされると、本人の特性に関係なくそのキャラを演じなくてはならない。そのギャップに悩んだあげく、SNSでだけは本当の自分を解放できる、とか何とか。まさに「役割演技」の世界。現実のほうが悪い意味で先へ行っていたのか。

しかし最後の高清子のエッセイで、少しほっこり。自分の行動原理が何であるのか(この場合は何で自分は妻のような女に惚れてしまうのか)がわかっていれば、同調圧力なんか恐くない、はず。

自信モテ生キヨ|ビブリア古書堂の事件帖6(B04)

2015年01月22日 | 書評・感想

古書をめぐるミステリ作品(+番外編)
おう、こうして見ると結構、古書ミステリを読んでいました。最初に意識したのが、『幻の特装本』(ジョン・ダニング)で、ダークでディープな古書界に悶絶。ライト系では『文学少女』シリーズ(野村美月)も嫌いではありません。こちらは古書ではなく、物語を食む話。文学もののお話(こういうのもメタ構造になるんでしょうか)としては先日、日経新聞の書評でも紹介されていた『翼を持つ少女 BISビブリオバトル部』(山本弘)も気になっております。

さて、最新巻では第1巻で太宰治の『晩年』をめぐって「そこまでやるか」の大暴れをした田中青年が再登場します。第1巻を読み直してみないと何とも言えないのですが、その時点で張られていた伏線が見事に回収されており(恐らく)、細々した謎が明らかになったり、行動の裏付けが明確になったりします。あれはそういうことだったのか、的な。時折挟まれる大輔&栞子の、こっ恥ずかしいエピソードがなければ、ただただダーク&ビターな展開で、古書マニアって本当に面倒臭いですね。

「自信モテ生キヨ 生キトシ生クルモノ スベテ コレ 罪ノ子ナレバ」

本作で再び引用される太宰の言葉。普通に考えると、人は大なり小なり生きる上で罪を犯しているわけだから、あまり些事にとらわれずに信念を持って生きようという励ましの言葉になります。しかし本作のダーク・サイドの登場人物は、「どうせ皆、罪人なんだから、悪いことしても構へんよね」と身勝手に解釈しているようで。ああ、古書マニアじゃなく太宰マニアが面倒なのか。

この人気シリーズもあと1-2巻で完結とのこと。栞子と母親との確執からあと一波乱ありそうですが、最後まで見届けたいと思います。

周喩とかいう一発屋|『三国志』(六)赤壁の巻(B03)

2015年01月21日 | 書評・感想

昨年から読み始めた吉川・三国志です。ようやく6巻まで到達。ぶっ通しで読んでいるわけではないので、それまでの粗筋や登場人物を忘れることがあるので、『三国志ナビ』(もちろん新潮文庫)は必携です。「赤壁の巻」を読み始めたところ、テレビ映画で『レッドクリフ』を放映してくれたのは僥倖。

陸遜>孔明>司馬懿>周喩 という風潮(なんJ(震え声))

本巻では周瑜の残念っぷりが描かれますが、騙されて連環の計を使う曹操、義を重んじるから荊州は継げんのじゃと、結果的に無辜の民に塗炭の苦しみを味わわせることになった劉備と、ネタにできる人材は豊富に揃っています。

13: 風吹けば名無し 2013/05/20 17:29:32 ID:z0mcVIz0
孔明「あんたらの奥さんねらわれてまっせ」
周瑜「徹底抗戦じゃあ!!」
孔明(ちょろい)

いやほんとそんな感じでしたが、

30: 風吹けば名無し 2013/05/20 17:44:57 ID:Ir7YobR4
周瑜を赤壁で語る奴=無能
赤壁後で語る奴=有能

ということもあるようなので、続きを楽しみにしよう。