題名は「巨女」ならぬ『臣女』ですが、登場するのは『進撃の巨人』で言えば5m級の巨女。 巨女と言えば、『妖怪巨大女(Attack of the 50 Foot Woman)』あるいは『ダリル・ハンナのジャイアント・ウーマン』という馬鹿映画がありました。エイリアンによって巨大化した妻が、夫と、その浮気相手に復讐するという話。当の本人も高圧電線に接触して死んでしまいます。50フィートということは、15m級の巨女ですね。
アメリカンな巨女が屋外で大暴れするのに対し(銃で撃たれたりもする)、臣女でもある日本の巨女は、なかなか家から出られません。が、介護させることで浮気性の夫に復讐します。対象は大きいですが、食事も排泄も、入浴もままならない巨大化した妻のサポートはまさしく介護。時に認知症気味にもなるので大変です。食べて出す、人間が筒であることを教えられる、介護シミュレーション小説となっています。
シミュレーションと言えば、人間が巨大化するとはどういうことかも、目を背けたくなるような描写で描かれています。『進撃の巨人』でも『妖怪巨大女』でも描かれることのない、排泄や寄生虫の話は、悪趣味と言えばそれまでですが、物語にリアリティ、現実的にあり得るとかそういう話ではなく、皮膚感覚と言うか、読む側の覚悟と言うか、そういうものを求めてくるわけです。というのも本作は、根っこは純愛というか激愛小説であって、肉体的にも、最後は精神的にも、夫婦で壮絶な殴り合いをしているのです。 最後は裏切られ、仇討ちし。ちょっと映画『バーディ』の結末を思わせます。
作中で2回、ボードレールの詩が引用されます。同じ詩で、堀口大學と齋藤磯雄の訳者違い。内容は巨女讃歌ですが、征服されざる自然を詠んだものとも言えます。しかし臣女は、
見返しと同じ、紫色の吐瀉物を吐き出します。これはもう自然なものではなく、「我が儘でチンケな保身の心が、決まって判断力を鈍らせ、悪い結果を生んでしま」った証なんでしょう。それを呑み込んでごまかしごまかし生きるのもまた、夫婦の在り方ではあるんでしょうが。