敗戦の翌日も、私は休日でした。休日は休日らしく過ごしたいのですが、家路に就こうと公共交通機関を利用したら、なにやら赤いユニを着た人たちが目立つ。
結果は分からなかったが、やけ酒をした真っ赤な顔や、不貞腐れた雰囲気が読み取れたので、浦和レッズは負けたんだなって思った。帰宅して、録画した試合を観た。
やっぱり最高です、川崎フロンターレ。
彼らは、得点されても動じない。いつでもまた得点すればいいのだから、という顔をピッチに立っている選手全員がしている。ありゃ、どこから来る自信なんだろう?って考えていた。アジアに行くという事は、選手たちやクラブをこれだけ変えるのか?と羨ましい想いだった。
浦和レッズは強い。いや底力がある。サッカー基礎力が高い。羨ましい位。でも負けた。
今回浦和レッズはどうでもいいわけで、彼らは彼らのサッカーを望めばいいので、こんな場で論じたくもないので、どうでもいい。
重要なのは川崎フロンターレである。
彼らは得点するのに複数の方法を持っているように思えた。
ボールポゼッションしながら崩そうとする方法と、伝家の宝刀カウンター攻撃。
実際にカウンターからも今日は得点している。
翻って、大宮アルディージャ。7秒ルールで、DFの裏にボールを運ぶ方法。これを表の攻撃。自分たちの信条?と言ってもいい。
では、裏の攻撃は? ない、ないのです。。。セットプレーしかないのです。。。悲しいかな。。。
過去もそうですが、よく選手たちや応援歌で、自分たちのやり方を主張し貫くと耳にする。でもそれはメインの攻撃だけを貫くという事だけに思えて、それだけの「勝利の方法」だと信じているように思うのだ。。。
メインもしくは表の攻撃とは、そのクラブが内外ともに認めるスタイルとでもいいのだろうか?表の攻撃で、勝利でき魅了できれば、それはパーフェクトなサッカーであり、パーフェクトなエンターテイメントを魅せる事ができる。
しかし相手がいるサッカーですから、いつでも成功するわけじゃない。ヒディングじゃないが、相手のストロングポイントを消して、相手のウィークポイントを突く、というのがセオリー。だからいつでも「自分たちが望むサッカーが体現できるわけじゃない」という事なのである。これはスポーツでもビジネスでもそう。
そうなった場合、改めて思考するのは結果を残す事に帰結する。つまり勝利するという事、得点する事というを最優先事項になるわけ。その方法論に、また思考が戻って来ると「やはり自分たちのスタイルだけ」でいいのか?というのが私の気づいた点です。
本来は表の自分たちの攻撃で、出来なかった場合。裏の攻撃方法が必要なのではないか?得点率が高い方法であり、美しくなくてもいいから、得点率が高い方法を用いる。川崎フロンターレの場合は、カウンター。もしかしたら、カウンター自身がフロンターレのスタイルなのかもしれないが。いずれにしても複数の攻撃スタイルが無ければ、強いクラブには成れないと思った。
大宮アルディージャの場合は、どうか?
張監督のDF裏へのパスサッカー以外にあるのだろうか?もしくは過去の大宮の監督に複数の攻撃スタイルを浸透された監督があったか?
セットプレーから、という選択肢がある。でもセットプレーが得意な攻撃を標榜しているクラブって世界であるんだろうか?仮にあったとして、セットプレーにする確率ってどれだけあるんだろうか?悲しいかな、今年のアルディージャもセットプレーから得点を勝利にしているが、それ以外は無惨な形である。
ここ大宮アルディージャが連敗したり、不安定な勝利をしたりとしているのを観て。張監督の形が「たまたま相性が良かったクラブ」には勝利しているが、不確定要素が高い。しかしこの表の攻撃で打開出来なかった場合は、試合に変化を加えられない状況。。。これでは。。。勝って負けての繰り返しでは?変化に対応できないのでは。。。
そこでやっぱり大宮アルディージャにも、カウンター攻撃という方法論を身につけるべきではないか?と思っている。おそらく練習段階から、そういう発想がないだろう。だから練習もしていないだろう?どうなんだろうか?練習観戦に行っている人たちの感想を聞きたいところ。
先日の大分トリニータ戦。試合に勝利したのに、不満であるという声を複数から聞いた。私も喜びは少なかった。それは5点は取れたからだ。それを不意にしたのは、カウンターで数的優位が出来ていながら、「カウンターの方法を知らないから、攻められない」という無様さを露呈した。
これは石原を贔屓目に観る私だから、と言われそうだけれども、石原はカウンターの形や状況を想像しながら出来ている。しかし周辺がシンクロできない。そうりゃ、そうだ。カウンターも形を共有できていないし、カウンターの方法を知らないから。出たとこ勝負みたいな、旧日本軍みたいな戦略無しな戦い方をしている。
実は昨日ジュビロ磐田戦だって、カウンターで得点できるシーンもあったし、カウンターにできるシーンもあった。でも出来なかった。それはイメージ出来ていないから。イメージ出来ない事はこの世にないと同じであるから、もっともっと形にしてほしい。
いまの大宮アルディージャでは、カウンターに適した選手たちは大勢いるはずだし、クラブコンセプトとしても応用可能ではないか?と個人的には思っている。
ああ、デニスがジュニーニョみたいだったらあ。。。デニスはデニスであり、ジュニーニョはジュニーニョであるが。。。あまりに。。。イグノがアルディージャに居たらどうだったんだろう?まあ彼はJリーグを馬鹿にしていたんだっけ?(笑
カウンターという方法論も持ちましょう。
大宮アルディージャが、過去の失敗から唯一学べる事。それは
「○○だけ」というフレーズに拘り過ぎて、複数の選択肢を持てなかったと言う事。選択と集中は、確かに必要だけれども。集中によって得たものは、蓄積しなければならない。蓄積になっていない事の代償が、毎年降格争いになる原因に思う。
これは気合い論だけでなく、遠く将来へ繋がる素質だと思える。
気合いや気持ちは、その場を凌ぐのには大変有用である。しかし将来へは、「繫ぎ」にしかならない。
さあ、もうそろそろ大宮アルディージャも、幅の広い「純粋にサッカー偏差値の高い」クラブに成りましょうよ。
さあ、マンチェスターダービーを楽しもうかな?
結果は分からなかったが、やけ酒をした真っ赤な顔や、不貞腐れた雰囲気が読み取れたので、浦和レッズは負けたんだなって思った。帰宅して、録画した試合を観た。
やっぱり最高です、川崎フロンターレ。
彼らは、得点されても動じない。いつでもまた得点すればいいのだから、という顔をピッチに立っている選手全員がしている。ありゃ、どこから来る自信なんだろう?って考えていた。アジアに行くという事は、選手たちやクラブをこれだけ変えるのか?と羨ましい想いだった。
浦和レッズは強い。いや底力がある。サッカー基礎力が高い。羨ましい位。でも負けた。
今回浦和レッズはどうでもいいわけで、彼らは彼らのサッカーを望めばいいので、こんな場で論じたくもないので、どうでもいい。
重要なのは川崎フロンターレである。
彼らは得点するのに複数の方法を持っているように思えた。
ボールポゼッションしながら崩そうとする方法と、伝家の宝刀カウンター攻撃。
実際にカウンターからも今日は得点している。
翻って、大宮アルディージャ。7秒ルールで、DFの裏にボールを運ぶ方法。これを表の攻撃。自分たちの信条?と言ってもいい。
では、裏の攻撃は? ない、ないのです。。。セットプレーしかないのです。。。悲しいかな。。。
過去もそうですが、よく選手たちや応援歌で、自分たちのやり方を主張し貫くと耳にする。でもそれはメインの攻撃だけを貫くという事だけに思えて、それだけの「勝利の方法」だと信じているように思うのだ。。。
メインもしくは表の攻撃とは、そのクラブが内外ともに認めるスタイルとでもいいのだろうか?表の攻撃で、勝利でき魅了できれば、それはパーフェクトなサッカーであり、パーフェクトなエンターテイメントを魅せる事ができる。
しかし相手がいるサッカーですから、いつでも成功するわけじゃない。ヒディングじゃないが、相手のストロングポイントを消して、相手のウィークポイントを突く、というのがセオリー。だからいつでも「自分たちが望むサッカーが体現できるわけじゃない」という事なのである。これはスポーツでもビジネスでもそう。
そうなった場合、改めて思考するのは結果を残す事に帰結する。つまり勝利するという事、得点する事というを最優先事項になるわけ。その方法論に、また思考が戻って来ると「やはり自分たちのスタイルだけ」でいいのか?というのが私の気づいた点です。
本来は表の自分たちの攻撃で、出来なかった場合。裏の攻撃方法が必要なのではないか?得点率が高い方法であり、美しくなくてもいいから、得点率が高い方法を用いる。川崎フロンターレの場合は、カウンター。もしかしたら、カウンター自身がフロンターレのスタイルなのかもしれないが。いずれにしても複数の攻撃スタイルが無ければ、強いクラブには成れないと思った。
大宮アルディージャの場合は、どうか?
張監督のDF裏へのパスサッカー以外にあるのだろうか?もしくは過去の大宮の監督に複数の攻撃スタイルを浸透された監督があったか?
セットプレーから、という選択肢がある。でもセットプレーが得意な攻撃を標榜しているクラブって世界であるんだろうか?仮にあったとして、セットプレーにする確率ってどれだけあるんだろうか?悲しいかな、今年のアルディージャもセットプレーから得点を勝利にしているが、それ以外は無惨な形である。
ここ大宮アルディージャが連敗したり、不安定な勝利をしたりとしているのを観て。張監督の形が「たまたま相性が良かったクラブ」には勝利しているが、不確定要素が高い。しかしこの表の攻撃で打開出来なかった場合は、試合に変化を加えられない状況。。。これでは。。。勝って負けての繰り返しでは?変化に対応できないのでは。。。
そこでやっぱり大宮アルディージャにも、カウンター攻撃という方法論を身につけるべきではないか?と思っている。おそらく練習段階から、そういう発想がないだろう。だから練習もしていないだろう?どうなんだろうか?練習観戦に行っている人たちの感想を聞きたいところ。
先日の大分トリニータ戦。試合に勝利したのに、不満であるという声を複数から聞いた。私も喜びは少なかった。それは5点は取れたからだ。それを不意にしたのは、カウンターで数的優位が出来ていながら、「カウンターの方法を知らないから、攻められない」という無様さを露呈した。
これは石原を贔屓目に観る私だから、と言われそうだけれども、石原はカウンターの形や状況を想像しながら出来ている。しかし周辺がシンクロできない。そうりゃ、そうだ。カウンターも形を共有できていないし、カウンターの方法を知らないから。出たとこ勝負みたいな、旧日本軍みたいな戦略無しな戦い方をしている。
実は昨日ジュビロ磐田戦だって、カウンターで得点できるシーンもあったし、カウンターにできるシーンもあった。でも出来なかった。それはイメージ出来ていないから。イメージ出来ない事はこの世にないと同じであるから、もっともっと形にしてほしい。
いまの大宮アルディージャでは、カウンターに適した選手たちは大勢いるはずだし、クラブコンセプトとしても応用可能ではないか?と個人的には思っている。
ああ、デニスがジュニーニョみたいだったらあ。。。デニスはデニスであり、ジュニーニョはジュニーニョであるが。。。あまりに。。。イグノがアルディージャに居たらどうだったんだろう?まあ彼はJリーグを馬鹿にしていたんだっけ?(笑
カウンターという方法論も持ちましょう。
大宮アルディージャが、過去の失敗から唯一学べる事。それは
「○○だけ」というフレーズに拘り過ぎて、複数の選択肢を持てなかったと言う事。選択と集中は、確かに必要だけれども。集中によって得たものは、蓄積しなければならない。蓄積になっていない事の代償が、毎年降格争いになる原因に思う。
これは気合い論だけでなく、遠く将来へ繋がる素質だと思える。
気合いや気持ちは、その場を凌ぐのには大変有用である。しかし将来へは、「繫ぎ」にしかならない。
さあ、もうそろそろ大宮アルディージャも、幅の広い「純粋にサッカー偏差値の高い」クラブに成りましょうよ。
さあ、マンチェスターダービーを楽しもうかな?