こじこじ

こじろうの写真や日々のできごとなど

ワンダと巨像

2011-01-27 | 日記
そろそろプレステ3に乗り換えようと思うけど
その前にやり残したプレステ2のゲームを
やっておこうという企画。
第一弾はワンダと巨像。

名作の呼び声高い作品だけあって
全体に漂う寂寥感と
巨像登場シーンの緊迫感を
ゲームでよくぞここまで表現したものだと
感心させられる。

でも巨像16体はさすがにだれる。
壁を這うトカゲ型の巨像(8体目)と
砂の上を這うヘビ?型の巨像(10体目)は
コントローラーぶん投げた。

それはそうとこの名作ゲームやってて
なぜか伝説のクソゲー
「太陽のしっぽ」を思い出した。

派閥

2011-01-22 | 日記
これは地方によっても違うだろうけど
自分の所属する弁護士会にも派閥というものがある。
最も保守寄りの派閥と
左派、そして中道の三つ。
自分は保守派閥に属する。
けれど派閥が表面化するのは
会長選挙のときくらいで
普段はそれほど派閥間で対立していない。
また、近年の合格者数の増加で
弁護士会の人口ピラミッドはいびつな形になっており
右派だ左派だのを乗り越えて
若手という括りそれ自体がひとつの派閥を
形成しつつあるように思う。

ただ、年度の変わり目が近づく今は
会長選挙を意識しだすころ。
派閥が動き出す。

先日は新人の歓迎会で
一次会終了後
さて二次会はどこだろうと思っていたところに
「じゃ、でんじろう君タクシー乗ろうか。」
「あ、はい。」
それでなんとなく二次会に行くタクシーに乗り
ついていった先が全く逆の派閥
つまり左派の派閥の二次会だった。
後で聞けば若手の票集めだったらしい。
違う派閥の飲み会に参加してしまって
俺、大丈夫なのか?と気になったのだが
そんなことをしてしまっても
全く問題視されないおおらかな雰囲気が
この弁護士会にはある。
こういうところはいいかもしれない。
信条は違っても皆
おおげさに言えば社会正義の実現
平たく言えば人助けのために
働いているのだという気概が感じられる。

出雲への旅

2011-01-20 | 日記
広島の次に訪れたのは島根県。
まずは須佐神社に参拝。



大きくない神社ながら
参拝客が絶えることはない。



社殿の上を何度何度も輪を描いて
大きな鳥が飛んでいた。



そんな光景一つとっても
神様の息遣いが感じられるすごい空間。



社殿裏手も光あふれるいい場所だった。


原爆ドーム

2011-01-18 | 日記
日本人としてここは見ておかねばなるまい。



現在の発展した街の様子を見た後だとなおさら
今立っているこの場所が
かつて地獄と化したことを
想像するのは難しい。



ただ、65年以上たった今でも
手を合わさずにはいられない
なんとなく侵しがたい雰囲気がある。



我々ひとりひとりただ生きているんではなく
世の中を良くしていくため使命を帯びて
生かされている存在であることは間違いない。
日々の生活に忙殺されて忘れがちになっていた
そのことを思い出させてくれる貴重な時間となった。

行き当たりばったり広島への旅

2011-01-17 | 日記
先月行った広島。
細かい予定は立てず
行き当たりばったりの旅を楽しんだ。



まずは宮島。



宮島の鹿。



厳島神社の社殿は美しい。



もっとここにとどまっていたい。
そう思わせる力がある。



五重塔。
繊細でありながら力強い。



鳥居も立派なものである。
海面に反射する姿は神秘的。



宮島の「牡蠣屋」で食べた焼き牡蠣。
これが最高においしかった。

夜、広島の繁華街に出かけて
その活気に驚いた。
新宿、池袋なんてものじゃない。
底知れぬ力が街にみなぎっている。

夕食は「豆と根菜 いし井」で。
東京でもなかなかお目にかかれないほどの
質の高さにすっかり感じ入ってしまった。

宇宙人の痕跡

2011-01-14 | 日記
宇宙人来てるよね。
スーパーあたりでその痕跡をたまにみかける。
レトルト食品コーナーで
あるはずのない場所にぽつんと置かれた
タマネギひとつ。

宇宙人のせいにしたい。
人類にこんなカオスなやつがいると思いたくない。
宇宙人か梶井基次郎くらいだろう。

困ったことに自分の性格上、
こういうすわりの悪い光景を見ると
どうしても本来あるべき場所に戻したくなる。
でもどこぞの宇宙人のために
俺がやらんでもいい作業をするというのも癪なのである。
そのジレンマで俺はストレスをため込む。
するとどこぞの宇宙人のせいで
ストレスをため込んでしまったことが
また癪に触るのである。

一昨日、本屋で気になった本を試し読みしようと
店内の椅子に座った時だった。
目の前には大型の写真集コーナー。
そこに本来あるはずのない文庫本がぽんと置かれているのを
見つけてしまった。

戻したい→なぜ俺が→
でも戻したい→なぜ俺が→
ストレス→イライラ→ストレス→イライラ・・・

いつもの流れを繰り返した後
俺は思った。
もしかしてこの文庫本を
俺が手にして開くことで
俺の人生の何かが劇的に変わるかもしれない。
この本がここに置かれていること
それは人智を超えたなにものかからの
メッセージなのではないか。

淡い期待とともに本に手を伸ばしてみると・・・

『ジョージ・ベストがいた
 マンチェスター・ユナイテッドの伝説』

サッカー。
俺の中でコスメ情報と同等か
ひょっとしたらそれ以上に興味のないジャンル。

その日、俺はなぜか坐禅を組んだ。

法廷に立つ

2011-01-12 | 日記
弁護士としては初めての法廷。
刑事の私選弁護。
といってもボスについていっただけで
自分は何もしていない。
同期には早くもひとりで
法廷に立っている者もいると聞く。
早く一人前にならねば。

牡蠣礼讃

2011-01-11 | 
著者は宮城県三陸でカキの養殖業を営んでいる。
もともとこの人を知ったのは
中学の国語の教科書で
「森は海の恋人」を読んでから。
牡蠣の餌となるプランクトンが豊富な海を作るには、
森から供給される養分を含んだ水が不可欠ということで、
海の環境を整えるために
著者は森に植林をすることから始めた。
一見遠回りのように思えるが
長年の活動の結果、
三陸には豊かな海が戻ってきている。

「一冊で牡蠣のことが一通りわかる本」を
との要望を受けて書いたのがこの
『牡蠣礼讃』だという。
一冊まるまる牡蠣のことしか書いていない。

興味深いのは
幻の牡蠣「クマモト」を追い求める話。
米国人は食いもんに関して
サイズが大きければそれでいいと思ってる節がある。
けれど牡蠣は
「クマモト」という名の
五百円玉大の小さい牡蠣を好んで食べるという。
日本人は大きい牡蠣を好むから
牡蠣に関しては日本人と米国人とで
好みが逆転している。

もともとは戦後まもなくGHQの指令で
熊本から米国向けに輸出されたもので
それが海外でブランド化、
「クマモト」として定着したらしい。
日本ではその後絶滅したと考えられていたが
最近になって生息が確認された。

これを利用しないテはない。
今、本家日本での養殖に向けて
研究が進んでいるようである。

米国人はオイスターバーで
「オイスターショット」なる酒を飲む。
小粒の牡蠣を数個入れたグラスに
トマトジュース、スパイス、
そしてウォッカを注ぐ。
試してみたい。
今度東京行ったときに
この本持ってオイスターバーに行ってみよう。

帰省

2011-01-08 | 日記
年末年始は3日間だけ山形に帰省していました。
両親の反対を押し切って
縁のない土地で仕事に就いたので
久しぶりの帰省は少々気まずいものとなりました。
両親からはいろいろ言われるものと覚悟してましたが
お互いそのことについては触れず。
黙示の了解ととっていいのでしょうか。

親元を離れてから10年くらい
こちらにはこちらで築いてきた
関係性があるわけだし
兄は地元で働いているし
次男の俺には好きにさせてほしいけど
刻一刻と老いてる両親を見ると
そう言いきるのも酷な気が。

親に寂しい思いをさせているこの因果は
巡り巡って自分に返ってくるのかもしれません。

恩師

2011-01-05 | 日記
中学の恩師には
ぜひとも近況を報告したく
年賀状を出した。
先行きが不安で、人と比べては
みじめな気分になっていた時期に
先生と久しぶりに再会し、
大切なのは人との比較ではなく
「適切な自己評価」ができるかどうかであるという
言葉をいただいたこと
「いつか芽はでるから。」と励まされたことを
よく憶えている。

必要な時に必要な言葉をもらった。
やっぱりいつまでたっても先生なのである。

そのことへの感謝の気持ちと、
まだまだ駆け出しではあるけれども
ひとりでも多くの人を幸せにできるよう
信念を持って仕事に取り組みたいという思いを
年賀状に書いて先生に送ったのだった。

今日先生から返事の年賀状が届いた。

「よかったですね。
 あきらめずに夢を叶えて
 一段と成長したことでしょう。
 駆け出しの信念を一生大切に。」

ひとつひとつの言葉がこんなにうれしいのはなぜなのか。
不思議な人だ。

「飲み会の時は連絡してください」という
言葉とともに携帯電話の番号も書かれていた。

またひとつ夢ができてしまった。