おっさんの記録箱

古寺巡礼記の紹介と山野草の写真記録
御朱印の記録 (御詠歌の御朱印が自慢)
低山登山の記録(山なんか大嫌いだぁ~)

【172】大覚寺 京都嵯峨

2008年07月25日 | 【 京都の古刹 】
【172】大覚寺 京都嵯峨

住所 京都市右京区嵯峨大沢町4
宗派 真言宗大覚寺派総本山
山号 嵯峨山
開山 嵯峨天皇・弘法大師
本尊 五大明王

国宝 後宇多天皇宸翰弘法大師伝 後宇多天皇宸翰御手印遺告
重文 宸田、正寝殿、客殿 木造大威徳明王像 木造軍茶利明王像 木造金剛夜叉立像 木造降三世明王立像 木造不動明王坐像 木造大威明王騎牛像 木造軍茶利明王立像
備考 宮門跡13

 大覚寺は心経の本山・写経の道場として、嵯峨天皇が弘法大師に国家の安泰を祈祷するように命じ、不動明王を中心として五大明王を葛野の地の嵯峨離宮に祀ったのが始まりです。淳和天皇の皇子恒寂法親王が初代門主となり門跡寺院となりました。藤原氏の政変や南北朝の政変に、宮門跡寺院であるが為に時代に翻弄されてきた寺でもあります。
 嵯峨天皇と空海と親交は深く、高野山開創の勅許や、最澄が持っていた東寺を取り上げ空海に与えたりしています。それにしても京都には、大覚寺・泉涌寺・仁和寺・東寺(教王護国寺)・醍醐寺・智積院・勧修寺・随心院・神護寺と真言宗大本山の多いこと。その多くが宮門跡でもあります。それほどまでに天台宗はあてにならない宗派だったんでしょうか。権力闘争に明け暮れ、すぐに政治に顔を突っ込みたがる、僧兵なる暴力集団の天台宗に魅力を感じないのも当然かも知れません。その点、真言宗は宮様を迎え取り込み、静かに潜行し支配していく不動明王ですからね。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【171】清涼寺 京都嵯峨 | トップ | 【173】法輪寺 京都嵐山 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

【 京都の古刹 】」カテゴリの最新記事