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【048】園城寺(三井寺)西国14番

2008年08月27日 | 【西国33ヶ寺】

【048】園城寺(三井寺)西国14番

住所 大津市園城寺町246
宗派 天台寺門宗総本山
山号 長等山
開山 大友与多王
本尊 弥勒菩薩・如意輪観世音・鬼子母神・訶梨帝母倚
  
国宝 新羅善神堂 金堂、勧学院客殿、光浄院客殿 絹本著色  不動明王像 木造智証大師坐像 木造新羅明神坐像 智証大師関係文書典籍など

重文 木造護法善神立像(秘仏)

 智証大師(円珍)が香木に如意輪観音を彫り安置したのが観音堂のはじまりと言うことです。琵琶湖が一望でき、競艇場のエンジン音がなんと言うか、異様な音というか境内に暴走族が走りまくっているような気さえします。古書には、「なんと小さな園城寺よ」とよく書かれたものがあるそうです。これは、西国三十三観音巡礼がはやった頃に観音堂だけお参りして帰ったものなんでしょう。今も昔も大伽藍の寺院です。

 父、大友皇子の遺命により大友与多王が建立した園城寺は、平安時代のものと思いがちですが、実は奈良時代より古い寺院なのです。三井寺の名称は、紀三井寺(3つの井戸)と異なり天智・天武・持統の三人の帝の産湯として用いられた御井戸の意味で今も金堂西手に霊水として湧き出ております。
 金堂の本尊は、聖徳太子の父、用明天皇の時代に中国より持ち込まれた念持仏弥勒菩薩を安置したものです。円珍の天台密教の色が濃く出ていて、内中外陣と分かれており、内陣の土間と外陣とが遮断されていることも叡山と同じです。しかし、元々は奈良時代より古い寺ですから天台宗に乗っ取られた寺と言うのが正解ではないでしょうか。後に、延暦寺山門派と天台寺門派との権力争いが起こります。
 日本三梵鐘(園城寺・神護寺・平等院)の童子の鐘、弁慶の引きずり鐘、そして多くの堂、三重塔と格式の高い王城鎮護の寺として堂々たる寺院です。すぐ横には門跡尼寺円満院があり、天皇との結びつきは深く強いものになっております。
 名鐘童子の鐘(三井の晩鐘)は、近くの民に晩鐘のための寄進を募ったところ、貧しい民から3人の童子を差し出され、改鋳の日に3人の童子がこの世を去り、晩鐘に童子の影像があらわれたとあります。また、琵琶湖を往来する船にまつわる話などもあります。

 晩鐘と梵鐘の区別は、分かりません。弁慶の引きずり鐘は梵鐘です。


御詠歌

いで入るや 波間の月を 三井寺の

 鐘の響きに あくる湖


水観寺御詠歌 

南無薬師 傷病なかれと 願いつつ

瑠璃の薬を 与えたまうぞ

金堂  釈迦堂  

観音堂 

円満院門跡 

三井の梵鐘

金堂

三井の井戸

弁慶の引きづり鐘

 

 

如意輪堂

西国観音堂

薬師堂 水観寺

天台の 争い忘れ 大伽藍
琵琶の風呼ぶ 大曼荼羅よ

圓城寺 弥勒菩薩に 抱かれる 
比叡の山に 清き水湧く

 


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