Danchoのお気楽Diary

高校3年間応援団だった「応援団バカ」の日記。スポーツ観戦や将棋等の趣味の他、日常感じる事を、「ゆるゆる」綴ります。

「若さ」の発散

2007-05-01 15:24:24 | 雑感
大阪に2日まで滞在するというチャンスを利用して、昨日、奈良に住む叔父宅に泊めていただき、叔父家族と楽しいひとときを過ごしました

叔父と会うのは、1月27日の法事の時以来ですから、そんなには経っていませんが、大らかな性格なので、楽しみにはしていました

ちなみに、奈良に住む叔父は、中小のゼネコン関連企業の社長をしています。
就任してから、そんなに日が経っていないので、「毎日勉強や」と語っていました。
まったく同感ですね。小生自身にも矢印が向く言葉だと思います。

いろいろな考え方の従業員がいて、若手から年輩まで、それこそ幅広い世代の従業員を束ねることは、並大抵のことではできません。

若手の従業員の意見をうまく汲み上げ、それをビジネスに活かすには…ということを常に考えながらも、「何とかなるさ」という気構えで、ここまできた…と、昨日の昼過ぎから日付が変わる今日の0時30分ごろまで、酒を飲みながら語っていました。

そんな大らかな性格は、昔から変わらないところが、叔父の凄さだと改めて感じます。

その叔父との語り合いの中で、ちょっと興味深い話題を、読者の皆さんに紹介したいと思います


叔父もそんな立場にある以上、若手従業員に入社してほしいと、高校や高専などを訪問し、「スカウト活動」をしているようです。

しかし、最近の青年は、どうも「泥臭い」…いわゆる「キツイ」「キケン」「キタナイ」の3K職場には、興味を持たないのだとか…

いざ、面接してみても「熱いもの」…そうです、仕事に対する「情熱」みたいなものが、感じられないのだそうです。

そこで叔父は、「なぜ青年達がそんな無気力になったのか」…を、考えたそうです。

叔父の結論は、どうも、この世の中が「便利」に「なりすぎ」てしまい、何もしないでもある程度は生活できる…。
どうも、そこに「若い」青年達が落とし所を見出しているようで、進んで「苦労」してまで働くことに抵抗感を持っているのでは…とのことでした。

言葉を変えると、叔父曰く「若さゆえに持ってるはずの『エネルギー』の発散の場を、自分自身で見出せないから、仕事に対しても『無気力』になったのではないかと思う」とのこと…。

これ、すごく頷けます。

小生は、高校3年間、「応援団」に捧げることで、叔父曰く「エネルギー」を発散していました。
だから、大学受験に2度も失敗しても「全く後悔なし」なのでしょう。

また、風屋さん『入団式』という記事をエントリーされていますが、小生のこのエントリー記事に対するコメントに対し、風屋さんは、以下のようにレスを下さっています。

『応援団にしろ、バンカラにしろ、普通に考えればバカバカしい風習かも知れませんが、わかいうちのこんな邪気が、SPIRITSを育てるのだと、私は思うのです。』

この風屋さんのレスに、小生、全く同感でして、そのことを風屋さんにお伝えしたところ、風屋さんはさらに続けて…

『世の中を変えるのは「よそ者、若者、バカ者」だそうです(笑)。このうち2つが揃ってる学校ですから、きっとイノベーションの旗手になってくれるでしょう。』

と語っておられます。

2人のご子息の父親からの視点で見た鋭い指摘で、叔父が言わんとしていることを代弁なさっているレスであると、小生は理解しています。

本当に、全く共感できますね~

叔父と小生の共通点は、「とにかく声が大きい」こと。
こういう本人の「個性」を理解し、発揮できることこそ、「健全」なことではないかと考えます。
決して、「自分を殺す」ことはしないで良いと思うのです。

これは、「大人」になってからでは、なかなかできないことで、言葉が適当ではないかもしれませんが、「若気の至り」を良い方に解釈できれば、どの青年にもできることではないかと思うのです。

「若い」から、「エネルギー」を発散できるのが、たとえ常識外れ(当然、犯罪にならない程度です)であっても、ある意味許される…。
でも、そうすることを怖がると、大人になって、本当に「修羅場」や「大きな壁」が待ち構えたときに、立ち回りができない…。

今は、「若い」人達に、それが欠けているような気がします。
それだけ、「世知辛い世の中」になっているのでしたら、小生達「大人」にも、責任はあるのかもしれませんが…

小生も、世間知らずながら、自社に興味を持っていただけるように、出身大学を訪問して学生を「スカウト」する、「リクルーター」という仕事も、現業優先の中やっています。

2年ほど前と比較しても、「目に輝きのある学生」が減ってきているような気がします。
それは、少し残念のような気がしています。


「若さ」の発散の方法…そしてその場所…。


「若い」からこそ見出せるものです。

「大人」になると目が曇るようなことが、「若い」がゆえに見えることもあります。

小生も、気持ちだけは「若い」と思っていますが、今の「若い」青年達にも、「若さ」を発散できる場所を、自分の力で見出して欲しいと願うばかりです。

そんな「青年」が増えたら、日本もまだまだ捨てたものではないと、小生は信じています

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2 Comments

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あらら・・・ (風屋)
2007-05-01 16:56:30
身に余るお誉めの言葉をいただき、
何だか恥ずかしいような気がして困っちゃいました(^^;

実は私もここ15年ほど人事の仕事をしていました。
地場の大学で学生相手に就職活動への心構えを講演したり
企業説明会で直にいろいろお話したり、
かつては会社訪問の学生さんと毎日のように会ってました。
みんな捨てたもんではないです。
ちゃんと色んなことを考えてはいる。
でも残念ながらあまりにも知らないことが多すぎる。
自分が仕事で何をすればいいかがわからないのです。
私はよく「どこに入りたい」じゃなくて「何をしたいのか」を
就活に入る前によく考えてみるように言ってきました。
また「組織に入ってしまうのではなく、
入った組織を使って自分が何をするのか考えて欲しい」とも。
そういう能動的な思考は知識がないとできません。
壁にぶつかったこともない、新聞や本も読まない、
自ら目標を設定して、それにアプローチしたこともないというのは
人間を成長させません。
今の「知識偏重教育」は目標すら他から与えてしまうので。
だからこそ自分で考える力を育てる「ゆとり教育」だった筈でしたが。
旧制高校のような教養主義こそゆとり教育の目的だと思うのです。

採用はどうしても運動部や応援団、生徒会経験者になってしまいます。
彼らは上記のようなことを常に行う訓練ができていますから。
私は自分の子ども達に「勉強しろ」「(野球の)練習をしろ」
「神楽をやれ」と言ったことはありません。
小さい頃から言い続けてきたのは
「目標を持て」「その達成のためのプロセスを考えろ」
そして「まず今何をしなければならないか?」でした。
それが100%よかったかどうかはわかりませんが
少なくともやらされているノックは1時間続けてもうまくなりません。
「勝ちたい」と思って受けるノックは15分で効果が出ます。
そういうことだと思うんですよね。

お陰でうちの息子達の目標意識は育てられたとは思ってますが
最近では長男がアメフト始めたり、次男が体育科目指したり、
親が翻弄されています(笑)
返信する
素晴らしいコメントです。 (Dancho)
2007-05-01 17:30:50
風屋さん、こんにちは。

素晴らしいコメントです。
身に余るだなんて…こちらがお礼を申し上げなければなりません。深謝です。

昨日、叔父が語っていたこと…全て含まれています。
付け足しコメントなど、全く必要ありませんね(笑)。

いやぁ~痒いところに手が届くコメントで…。
本当に光栄です。相互ブックマークさせていただけたこと…。


●管理人から。

この風屋さんのコメント…素晴らしい内容と、読者の皆さんもお感じになりませんか?

是非、風屋さんのブログ…ご覧になってみてください。ブックマークさせていただいていますので。
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